Side View Story 01 05〜07 Side 秋斗 02話
「……はい? 誰が何に入るって言いました?」
フリーズが解けたかと思うと、ちゃんと聞き取れたであろう言葉を再度確認。
「御園生さん、本当に使えるの? 今秋兄、かなりストレートに答えたと思うけど……」
眉間にしわを寄せて司が訊くと、
「現状を理解できないんじゃなくて、したくないだけだと思う。……大丈夫じゃない?」
蒼樹はいたって暢気に答える。
「あの、『あきにい』って……?」
あれ? そっち?
そう思ったのは俺だけじゃなかったようだ。
「……この話の続きでなんでそっち」
司が口元を引きつらせていた。
自分でやろうとした表情ではなく、相手によりやむを得なくさせられた表情。
普段、人にペースを乱されることがない司にこんな顔をさせるとは――これは色んな意味で貴重かも。
「あぁ、僕と司は従兄弟なんだ。因みに、僕の弟は海斗っていうんだけど、翠葉ちゃんと同じクラスじゃない?」
「答辞の人……?」
「くっ、そうそう。その答辞の人が僕の弟」
思わず噴き出すくらいにはツボだった。
海斗、お前「答辞の人」でインプットされてるけど?
わざわざ電話して教えたくなる何か。
「でもって、この学園には司のお姉さんもいるんだ」
「え? 藤宮先輩のお姉さんもいらっしゃるんですか?」
そう、湊ちゃんはあの日この部屋にいた最後のひとり。
「秋兄? さっき集計したこのデータ。この指一本で消去できるけど?」
パソコンカウンターで作業をしている司が右手を上げた。
司がやっているのは明日の会議で必要になるデータだ。
「んー、それはちょっと困るかなぁ……。けどその集計、またやらされるのは司だと思うんだよね」
司と湊ちゃんは仲が悪いというわけではない。どちらかと言えば仲はいいほうだろう。ただ、湊ちゃんが司をいじりたがるのが悪いだけ。
「仕方ない。じゃあ、湊ちゃんに関しては出逢ってからのお楽しみってことで」
蒼樹も自分たちのやりとりを面白そうに眺めていた。
彼女はというと、司の顔を見ては俺の顔を見る。「観察」って言葉がしっくりきそうなほどじっくりと。
かわいいな……。
蒼樹、こんな子ならいつでも預かってあげるよ。でも、やっぱり手っ取り早く生徒会に入ってもらおうかな。
そのために必要な説明を試みようか。
「この建物、図書棟なんて言われているけど、実際には生徒が使える図書室じゃないんだ。設立当初は図書室として使われていたらしいんだけどね。今ではこの学園の生徒が使う図書館は、高等部と大学の間にある梅林館」
言いながら、本棚から取り出した学園全体地図と、この校舎のつくりが書かれているものをテーブルに広げる。
「この棟の主な機能は、高等部の重要書類管理。三階がそうなんだけど、この部屋の奥にある階段からしか上がれないつくりになってるんだ。で、このフロア、二階は三つの部屋に分かれていて、一番奥には職員が普段必要とする資料庫がある。こちら側からも行けるけど、普段は鍵がかけてあって、一階の職員室からしか上がれないつくりになってる。その隣には、不特定多数の生徒が入る梅林館では扱えない、貴重な蔵書が置いてある書庫。そしてその隣が、さっきこの部屋に入ってくるときに通った部屋。あそこは過去に生徒会で扱った書類なんかが置いてある。室内には放送機能も備わっているから、生徒会室として使われてる。面白いくらいに一般生徒が入ってくる理由がない場所。それがこの図書室」
彼女は一生懸命、頭の中で説明とさっき通ってきた場所を一致させているよう。
その必死な様すらかわいいってなんだろう。必殺癒しアイテム?
「だから、生徒会役員になっちゃおうね」
最上級の笑顔を繰り出すと、彼女の顔が見事に引きつった。
「い、いやです。……というか無理なので、辞退させてください」
顔に「無理」という文字を貼り付け、あっさり却下されてしまう。
「じゃあ、翠葉。学校終わったらどこで待ってるつもり?」
「え? 部活にも入らなくちゃいけないみたいだし、部活が終わったら図書館で待ってるよ? 図書館の方が大学にも近いのでしょう?」
妹の当然すぎる発想に蒼樹が慌てる。
神妙な顔をして、「実はな……」と話し出したかと思えば、
「翠葉、あそこは悪いムシがいっぱいいるんだ。翠葉はムシが嫌いだろ? やめておいたほうがいいと思う……」
本当に、筋金入りのシスコンだと思う。決定。俺が烙印押してあげる。
図書館は建て直したばかりだから虫は出ない。ただ、大学敷地内には軽く声をかけてくる男がいる、という程度。そんなことを知りもしない彼女は、
「……そんなに虫がたくさんいるの? それはちょっといやかな……」
彼女は「ムシ」を本当の「虫」と勘違いして顔を歪めた。
「くっ……確かに、性質の悪いムシがいっぱいいるな」
俺たちの会話を聞いていた司がため息をつき、
「御園生さん、相変わらずですね……」
まるで奇妙なものを見るような目で、蒼樹を見ていた。
「ま、どこに行ってもムシはいるんだけど……それならここが一番いいんじゃないかな? 万が一、悪いムシが入ってきても僕が捻り潰してあげるよ」
「でも、生徒会役員はちょっと……」
彼女は小さな声で抵抗を続ける。
「なんで? 生徒会ってそんなにいやかな? 結構楽しいと思うよ?」
訊くと、彼女は黙り込んでしまった。
その困惑した表情を見ると、本当に自分がいじめてしまった気分になる。
蒼樹が軽くため息をついて、彼女の頭をポンポンと叩くと、彼女はほんの少し蒼樹に身を寄せた。
ふたり寄り添う姿に、本当に仲のいい兄妹なんだな、と思う。
別に生徒会がいやならいやでもいい。抜け道は作ろうと思えばいくらでも作れるし。
ただ、彼女がどこか人と一線引こうとしているのが気にかかった。
臆病だとは聞いていたけれど――
「不安なのは体調?」
それは、カウンターから窓辺に場所を移した司が放った言葉。
彼女は明らかに動揺した。
司……それ、このタイミングで訊かないほうが良かったんじゃないか?
「なんで? ……蒼兄、なんで知っているの?」
彼女は今にも泣き出しそうな顔をしている。これにはさすがの蒼樹も司を睨んだ。
それはそうだろう……。ずっと話さずいたことに理由はあっただろうし、まさかこのタイミングで言われるとも思っていなかったはずだ。
加えて、大事このうえない妹が泣きそうな顔をしているのだから、怒りを覚えないわけがない。
悪い、蒼樹。不肖の従弟で申し訳ない。
でも、口に出したものがなかったことになるわけでもない。
仕方ない……フォローしますか。
「翠葉ちゃん、翠葉ちゃんの身体のことは、蒼樹が話したくて話したわけじゃないんだ。ちょうど一年前の、三月終わりごろだったよね? 翠葉ちゃんが倒れたの」
そんなふうに話を切り出した。
この言葉だけで、彼女は動揺に身を揺らす。
きっと触れられたくないことだったのだろう。だから、蒼樹も今まで話さなかった……。
だけどね、俺も司と同じでずっと気にはしていたんだ。
いつもは冷静なこの男が、一本の電話で瞬時に顔色を変えたその理由を。
「その日、蒼樹も司もここにいたんだ。僕の仕事の手伝いをしてくれていてね。お昼過ぎくらいだったかな? 蒼樹のスマホが鳴って、それに出たこいつは傍目にわかるほど真っ青になった。電話を切るなり、かばんも持たずに走り出そうとするから止めたんだ。……どう見ても尋常じゃなかったからね。司とふたりがかりで押さえたよ。それでもだめで、湊――あ、司のお姉さんね。湊ちゃんが見るに見かねて引っぱたいたんだ。顔面蒼白なのには変わりなかったけど、少しは落ち着いたようで、『妹が意識不明で運ばれた』って答えた。そのまま行かせたらこいつが事故に遭いそうだったから、僕が車で病院まで送ったんだ」
そこまで話すと、彼女の近くまで行き膝をつく。下から顔を見上げると、そこには涙をいっぱい溜めた目があった。
「蒼樹が話したわけじゃない。その場にいたから偶然知り得たことなんだ。……翠葉ちゃん、君の身体は気をつけることさえきちんと守れば、大事に至らないって聞いているよ。具体的にどんなことかはわからないけど。でも、近くにいれば、僕や司はそのあたりのフォローができると思うんだよね」
実際に、蒼樹からは何も聞いていない。
湊ちゃんが過去に見たことのあるカルテを思い出して口を滑らせただけ。
病院で彼女のカルテを見たことがある、と。
名前が珍しかったから覚えていたのだとか。
守秘義務とかで詳しいことは教えてもらえなかったけど、少し特殊な体質で、普段の生活に制約があることだけは教えてくれた。
「翠葉、話してなくてごめん。……翠葉のことを知っているのはここにいるふたりと、司のお姉さんの三人だ。ほかは知らない」
蒼樹は彼女の細い肩を労わるように両手で支え、優しく言葉をかける。
蒼樹の手が大きいのか、彼女の肩が華奢すぎるのか――どっちともわからない、なんだかアンバランスな肩と手。
「――でも、それを知っているからと言って、私のフォローをしなくちゃいけないなんてことはないです」
声量は小さい。けれど、芯のある声で淡々と口にした。
あぁ、一線引かれていると感じたのは気のせいじゃなかった。
たぶん、彼女はそのことに触れられるのもいやだし、それ以上に特別扱いされることがいやなのだろう。
「何か勘違いしてないか? 秋兄は特別扱いするとは言ってない。ただ、何かあった際に対応ができるって話だ」
またしても司から、的確で容赦のない言葉が飛ぶ。
いつもはこんな口数が多い人間じゃないのに、どうしたものかな。
少し黙ってろ、と視線を送ったが、見事にスルーされた。
気づいていながらこっちを見ない。司はじっと彼女に視線を定めていた。
「具合が悪くて学校を休んだり、忙しくてみんなが走り回っているのにひとり走れなかったり……。そういうのは必ず誰かにしわ寄せがいくでしょう? それをわかっていて、そんな人を入れるなんてどうかしてる。それ自体が特別扱いじゃないんですか?」
言い終わると同時、決意したかのように顔を上げ、キッ、と司を見返した。
今にも泣きそうなのに、いつ涙が零れてもおかしくないほど涙を湛えているのに、司から視線を外しはしない。――そんな表情が鮮烈に映った。
ただ、弱い子なだけではないのだろうか。
大勢の中での自分の存在というものをわかっていながら、擁護されることを拒んでいるような――
これか……。彼女が俺らに一線を引く理由。
相手に一線引かれる前に自分から引いてしまうのだろう。いわば、自分が傷つかないための防衛手段、かな。
「生徒会の中には表立って仕事する人間、予算組んだり報告書を作成する人間に分かれる。御園生さんが入った場合は後者。――適材適所、そのくらいの采配ができなかったら生徒会が機能しない」
司は淡々と話す。
相手を擁護するなんて甘い行動には出ない。あくまで冷たく容赦なく突き放す。
そんな中、俺は蒼樹の真似をして、ポン、と彼女の頭に手を乗せた。
彼女は少しビクッ、として上目遣いでこちらを見る。
「因みにね、現生徒会の内訳的には、フリーランスに動き回る人間を仕切るトップが生徒会長。予算案や報告書作成のブレーンの要は司なんだ。だから、翠葉ちゃんがうまいこと生徒会の中で機能できるかどうかは、司の力量次第ってことになるね」
司が鞭を買って出るのなら、俺は飛び切り甘い飴になろう。
「余計なことを……。得て不得手を見分けて人を動かす。それだけだ」
司が面白くなさそうに吐き捨てる。
でも、お前がそういう態度に出たからこうなったんだろ?
そんな視線を投げると、それを認めるように小さくため息をついた。
「どう? やってみない?」
とどめを刺すように甘い笑顔で訊いてみたけれど、彼女といえば、後ろにいる兄に助けを求めて視線を投げる始末。
蒼樹はちょっと複雑そうな顔をしているけれど、優しく慈しむような目で妹を見ていた。
「やってみたら? 生徒会はいい経験になると思うよ。……俺としては、限りなく安全な待ち合わせ場所が確保できて嬉しい限りなんだけど」
きっと後者が本音。
「――ただし、未履修分野の課題と試験をクリアするのが先決。それをクリアしないと高校生活の危機」
司がテーブル脇に置いてあるテキスト一式を指差した。
「そうだった。外部生は最初の二ヶ月間が勝負だからね」
「生徒会の選抜会議は六月だから、考える時間はある。ただ、六月頭にある全国模試の成績や学年総合順位によっては、生徒会に入れないから。うちの生徒会は『特別扱い』で人を入れられるほど甘くはない」
今日学んだこと。司の口数が増えるといいことはない。
そんな話し口調に俺は慣れていても、間違いなく彼女はこんな話し方をする人間に会ったことはないのだろう。
司の言葉をひとつ聞くごとに、険しい表情へと変化する。
「そうなんだよねぇ……。僕としてはかわいい女の子をぜひとも入れたいところなんだけど、うちの生徒会、学年で上位二十位に入ってないと加入権が得られないんだ。ひどいときは男ばかりなんだから困るよ」
彼女は困惑したまま口を真一文字に閉ざしていた。
この子、まだ一度も笑ってないな……。
そんなことを考えていると、不安そうな面持ちでこんなことをたずねられた。
「あの、私の身体のことや年のこと、誰にも言わないでいただけますか?」
警戒態勢続行中の女の子に、「もちろん!」と答えたのは俺。
「言ったところで得する話でもないだろ」
愛想の「あ」の字も含まれない返事は司。
お前さ、いい加減それ打ち止めにしたほうがいいと思うけど? 警戒通り越して嫌われちゃうよ?
そんな視線を向けても態度が改まるわけがなく……。
彼女に視線を戻せば、眉間にしわを寄せて司を見ていた。
……それ見たことか。
彼女は司にいい感情は抱いていないだろう。
ただ、司はどうなのかな。無愛想は無愛想だけど、普段見るそれとは違う接し方が新鮮に思えた。
……そりゃそうか。この学校で一番人気のある王子様を、こんな目で見る女の子はまずいない。そりゃ新鮮だよな。
なんだか楽しくなりそうだ。
蒼樹、こんな子ならもっと早くに連れて来いよ。
蒼樹に視線を向けると、ただただ妹を優しく見つめる兄の顔がそこにはあった。
確かにね――
この子を超える子が現れない限り、おまえは彼女を作っても続きはしないよ。
蒼樹との付き合いも八年になるけど、今それがよぉくわかった。
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