光のもとでT

第一章 友達



第一章 友達 23話


「翠葉、今日の帰りも蒼樹さんと一緒?」
 帰りのホームルームが終わると、桃華さんに訊かれた。
「うん、一緒」
「じゃあ、安心ね」
 桃華さんはどこかほっとしたような顔になる。
 きっと、今も心配してくれているのだろう。
 理由もわからず相手を案じるというのは、どれだけ負担になるものなのか――
 桃華さんは責任感があるうえに、優しくてよく気がつく。そんな人だからこそ、気持ち上で負担をかけている気がした。
 内容を知ったら、もっと負担になりはしないだろうか……。
 話そうと決めた決心が揺らぎそうになるのを感じつつ、
「桃華さん……来週には話すから」
 臆病な自分の逃げ道をなくすように、口にした。
「今、どうやって話したらわかりやすいかを考えているだけなの。もう、話すこと自体はそこまで怖くないよ」
 ただ、話したそのあとが少し怖いだけ。
「翠葉、ごめんなさいね」
 桃華さんは申し訳なさそう眉をひそめた。
「できることなら隠しておきたかったのでしょう? それを話すことは、翠葉にとって弱みを見せるようなものだろうし……。訊き出すような形になっちゃって、ごめんなさい」
「……大丈夫。だって桃華さんは、私が何か隠しているの知っているうえで、いつか話してくれたら嬉しいと言ってくれたのでしょう? 昨日ね、海斗くんに少し勇気をもらったというか――背中を押してもらえたの。それで話そうって思えた。だから、無理に話すわけじゃないよ。……でも、私の最大の弱みではあるかな。それと……話して、桃華さんたちの負担になったらどうしよう、って思っているのは事実」
 少し笑みを添えて答えると、桃華さんに抱きすくめられた。
「負担になんて思ったりしない。何もしてあげられないかもしれないけど、それなら心配くらいさせてよ」
 最後は声が震えていた。
 桃華さんの腕はとてもあたたかい。でも、触れている場所以上に、心があたたかくなった。
 そのあたたかさを噛みしめていると、なぜか目に涙が滲みだす。
「ふふ、桃華さんに抱きしめられちゃった」
 ごまかすように少し笑うと、
「なによ……。翠葉ならいつでも大歓迎なんだから」
 同じように笑みを添えて返してくれる。
「あのね……昨日までは心配されるのも迷惑をかけるのも、全部いやだったの。でも今は、心配してくれる人がいるのは幸せなことだって思える。……私、人付き合いっていうものにちょっとブランクがあって――上手に話したり、思ってることをちゃんと伝えられないかもしれないけれど、私、がんばるから」
「……バカね。そのままの翠葉で十分よ」
 優しく包み込むように笑ってくれる桃華さんの笑顔が好きだと思った。

 桃華さんと別れて桜香苑へ向かうと、朝よりも気温が上がった分、風の冷たさが心地よく感じた。
 桜香苑手前にある芝生広場の芝の上には、桜の花びらが無数に広がっている。
 あと少しで葉桜の季節。そしたら私の好きな、新緑の季節がやってくる。
 ベンチでは蒼兄が本を読んで待っていた。
「ごめんなさい、遅かった?」
「いや、そんなに待ってない。じゃ、購買へ行こう」
「うん」
 大学の敷地に入るのは、今日が初めて。
 桜香苑と梅香苑を抜けると、桜林館と同じような建物があった。
 ただし、桜林館がピンクベージュ系の暖色であるのに対し、こちらは寒色で統一されている。ドーム型の外観すべてが青と白、水色のタイル張りだった。
 タイルって欠けやすいと思うのだけど、何か特殊なタイルなのかな……?
 窓の位置を見ると、三階建てであることうかがえる。
 たくさん本があるんだろうな。虫さえいなければ通うのに……。
 そこから五分ほど歩いたところに購買があった。
 購買はコンビニエンスストアみたい。ステーショナリーグッズから、カップラーメンやちょっとした野菜やお肉まで売っている。
 入り口脇には雨合羽とビニール傘、そしてコピー機が五台。その内の三台にはファックス機能がついていた。 「材料はこれだけ?」
 トマトの缶詰とナス、ニンニクと輪切り唐辛子と黒胡椒、オリーブオイルに天然塩、そしてパスタの麺。
「うん、買い忘れなし!」
 買い物を済ませると、すぐに図書棟へ引き返す。
 いつもと同じようにカードキーで中に入り、カウンター内のインターホンを押してロックを解除してもらった。
「いらっしゃい、翠葉ちゃん」
 それはそれは甘やかな笑顔で出迎えられる。
「秋斗先輩……俺もいるんですけど」
「あぁ、見えなかった」
「見えないほど身長が低いわけでもないでしょう……」
「いやいや、かわいい子がいると蒼樹ほど背が高く、格好良くても霞むんだよ」
 秋斗さんは根っからのフェミニストだと思う。もしくは、イタリア人かフランス人の血が混じっているか何か……。
 仕事部屋に入ると、
「もうお腹ペコペコ」
 と、秋斗さんがジェスチャー付きで口にした。
「あ、急いで作りますね。十五分くらい我慢してください」
 私は簡易キッチンを借り、パスタを作り始めた。
 さすがにたくさんの調理器具はない。
 大きなフライパンと小鍋、ボウル。菜箸とシリコンのスパチュラ。
 通常ならパスタ鍋でパスタを茹で、フライパンでパスタソースを作るところだけど、今日は反対かな。
 まずは大きなフライパンにお水を入れて火にかける。次はニンニクをみじん切りにし、小鍋に多めのオリーブオイルを引いて香りが移るまで炒める。そこへナスの乱切りを投入して、火が通るまで炒める。
 ナスに火が通ったところでトマトの缶詰と輪切りになっている唐辛子、小さじ二のお塩を投入して煮立てる。
 そのころには水が沸騰しているので、お塩を加えてパスタを茹でる。
 パスタが茹で上がったらボウルにパスタを移し、その中でトマトソースを絡めたらできあがり。

 料理をしている最中、後ろから様々な声をかけられた。もちろん、蒼兄ではなく秋斗さんから。
「女の子の料理姿っていいよね」「料理ができる女の子っていいよね」「翠葉ちゃん手際いいね」「あ、いい匂いがしてきた」「早く食べたいなぁ」などなど……。
 お皿に盛ってテーブルへ持っていくと、ものすごい感激ぶりで、一口食べたらさらに褒められた。
「翠葉ちゃん、いつでもお嫁に行けるね? 僕のところに来る?」
「簡単なものでよければ、いつでも作りに来ますよ」
 さらっと言われたので、同じくらいさらっと返した。
 それを見ていた蒼兄が呆れたように口を開く。
「先輩、頼むから翠葉を口説くのはやめてください」
 私はおかしくて笑う。
「蒼兄、口説かれてなんていないよ。そもそも、秋斗さんは大人だもの。これだけ格好良くて優しかったら、きれいな女の人より取り見取りだよ」
「あれ? 僕、牽制されちゃったのかな?」
 秋斗さんが私のことを見ながら口にする。
「え? 何がですか?」
「鈍感な妹に少し感謝……」

 パスタを食べ終わると、
「俺、大学に戻るけど、昨日話したとおり。今日の講義は抜けられないんだ。だから、六時過ぎくらいまでかかるけど……」
 蒼兄が心配そうに私を見る。
「大丈夫。今日は体調悪くないよ。桃華さんにも顔色いいって言われたし」
 笑顔で、「だから大丈夫」と念を押した。
「翠葉の大丈夫は当てにならないからなぁ……」
 頭をくしゃくしゃっとされ、
「具合悪くなったらすぐに連絡してこいよ?」
「はい」
 良い子のお返事をしたけれど、それでも蒼兄は不安は拭えないようだった。
「蒼樹、大丈夫だよ。こっちには湊ちゃんもいるし、奥の部屋には仮眠室もある。病院だって近いんだ。何があっても対応はできる。もちろん、僕のことも少しくらいは頼りにしてくれてるんでしょ?」
「……ありがとうございます。でも、秋斗先輩……信じてますからね? 人の妹口説いたりしないでくださいよ?」
 ありがとう、と言いながらも無駄な牽制をしている蒼兄がおかしい。
「んー……それは約束できかねますが?」
 蒼兄をからかうような言葉を返すのだから、秋斗さんも人が悪い。
 ふたりの会話が、ちょっとした漫才のように思える。笑っていると、蒼兄は腕時計を見て慌てて大学へ戻っていった。

「さて、翠葉ちゃん。このあとのご予定は?」
「食休みしたら外に写真を撮りに行こうと思ってます」
「うん、じゃあ二時から四時までの間ね」
 時間指定されたことを不思議に思っていると、
「その時間、僕が会議でここを空けるんだ。休んでるならここにいてもかまわないんだけど、外に出るならその時間帯にしよう? 僕も四時には戻ってくるから。……ただし、その間に具合が悪くなっちゃったら保健室ね?」
「はい」
「食休みは横にならなくて大丈夫?」
 そんなことも知っているのか、と驚きはしたけれど、
「今日は調子がいいから大丈夫です」
 と辞退させてもらった。
「じゃ、お茶でも飲みながら少し話そうか」
 秋斗さんが席を立つのを見て、
「あ、お茶なら私が――」
「座ってて? お昼をご馳走になったお礼」
 にこりと笑うと、慣れた手つきでお茶の用意を始めた。
 ダイニングテーブルの椅子にずっと座っているのはつらくもあり、早々に応接セットのソファへと移動させてもらう。
「楽にしてくれていいから」という言葉に甘えてソファの上に上がりこんだ。
 先日病院で、「鳴かぬなら、鳴かせてみせようホトトギス」と言われたけれど、まんまと鳴かされてしまいそうな自分がいる。
 お父さんと蒼兄以外の男の人に、ここまで気を許したのは初めてかもしれない。
 そんなことを考えていると、秋斗さんが目の前に座り、にっこりと笑った。
 きっと、この余裕たっぷりな笑顔に安心してしまうのだ。
「ねぇ、翠葉ちゃん。訊いてもいいかな?」
「何をですか?」
 秋斗さんはにこりと笑んだまま、
「翠葉ちゃんの身体のこと」
 心臓が不規則な動きをした。
 私は秋斗さんから視線を逸らせず、胸を手で押さえた。



Update:2009/05/10  改稿:2020/01/01


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