光のもとでT

第二章 兄妹



第二章 兄妹 20話


 蒼兄はベッドの足元に座った。
 そんな距離ですら不安になる。人、三人分の距離ですら、不安に駆られる。
「そんな顔するな……」
 蒼兄は無理に笑って私のすぐ側、手の届く位置に移動してくれた。
「蒼兄……?」
「ん?」
「……なんでもない」
 蒼兄を前にすると、やっぱり何も言えなくなる。
 結局、どこに視線を定めたらいいのかわからなくて、お布団の上にある自分の手元をじっと見つめていた。
「あのさ……俺も気持ち悪い。翠葉が話を途中でやめるの、違和感ある」
 思わず蒼兄を見ると、視線が合ってふたり苦笑いを浮かべる。
「やっぱりこういうのがいいよな」
 蒼兄に言われて、「うん」と頷く。
「さっき、湊さんが言ったとおりなんだ。俺は翠葉がかわいいから側にいたいだけ……。たぶん、翠葉がすごく元気な子だったとしても、きっとそれは変わらなかったと思う。そしたら、一緒にスポーツしたり遊園地に行ったり……。今と状況は違うかもしれないけど、やっぱり仲のいい兄妹だったと思うよ」
 その言葉がとても嬉しかった。
「あのね……私、蒼兄のことを解放してあげなくちゃ、ってずっと思っていたの。いつまでも私みたいなお荷物がいたら、自由になれないから……。でも、自分で離れようって決めたのに、なのにね……。たったこれだけの距離ですら不安で仕方なくて――」
 言うと、涙が零れた。
 今は話せる雰囲気で、思わず口にしてしまったけれど、これは話してもよかったこと……?
 不安に顔が歪む。と、いつも私が泣くとしてくれていたように、蒼兄が肩を抱いて背中をさすってくれた。
「俺から離れていく必要なんてないだろ? 家族だし、世界で唯一の兄妹だし」
 言われて、蒼兄の腕をぎゅっと掴んだ。
 自分が崩れ落ちないように。自分を支えるために。
 やっぱり無理だ……。この手だけは放せない……。
「蒼兄はね、私の道標なの……。蒼兄がいるから私は歩いていける。どんなにつらくても前を向いていられるの。だからね、離れたら道に迷っちゃう……」
「それでいいよ……。必要ならこれからも手を引いて歩くから。翠葉がひとりで歩けるようになるまで。だから、無理に離れようとしなくていい。……俺もまだ、翠葉から卒業はできそうにないから、お互い様。お相子だよ」
 お相子……?
「勘違いしないでほしいのは、俺は翠葉が心配なだけで側にいるんじゃないってこと。自分にとって必要な要素だから側にいるんだ」
「必要な、要素……?」
 身体を少し離して蒼兄の顔を見る。
「どう説明したらいいのかわからないけど……。翠葉は俺を道標って言うけれど、俺にとって翠葉は光みたいなものなんだ。絶対に失っちゃいけない要素っていうか……」
 蒼兄は一度口を噤むと、苦笑を浮かべた。
「お互いに依存してるのかもしれない。でも、今はそれでいいことにしないか?」
 それはひとつの提案のような響きを持っていた。
「依存って、悪いことじゃない?」
「片方だけが寄りかかっているのは良くないかもしれないけど、俺たちの場合は『Give & Take』だと思わない?」
 Give & Take……。
 その言葉がくすぐったく聞こえた。思わず頬が緩むほどに。
 蒼兄も目を細めて笑う。それは私が一番好きな蒼兄の表情。
 よかった……いつもの蒼兄だ。
 ほっとして蒼兄に寄りかかると、蒼兄は笑いながら抱きとめてくれた。そして、
「だから、消えたいとか思わないでほしい……」
 言われて言葉を失う。
「……ごめん。病院での湊さんとの会話、ドアの外で聞いてた」
 どんな反応をしたらいいのかわからずにいると、
「俺たち家族にとって、翠葉は負担でも足枷でもないよ。俺にとっては光だし、父さんにとっては天使なんじゃないかな。母さんにとっては……なんだろう? ……わからないけど、やっぱりかわいい娘でしかないと思うんだ。その存在がなくなったらって考えると、すごく怖いよ。俺は正気でいられるかわからない。でもだからと言って、今までみたいに雁字搦めにはしないから」
 そう言うと、私の左腕に手を伸ばす。バングルがはめてあるその腕に。
「これがあるから……。翠葉がこれをはめている限り、最悪の事態にはならないってわかっているから。だから、もっと自由に動いていいよ。……決して無理をしてほしいわけじゃない。でも、もっと好きなことをしていいよ。今まで縛ってばかりでごめん」
 私は負担じゃ、ない……?
「何、きょとんとした顔して……」
 蒼兄に頭をくしゃくしゃ、と撫でられる。
「だって、私が負担じゃないって言うから……」
「最初から誰もそんなふうに思ってないよ。翠葉の勘違い。……本当は具合が悪いことも言ってほしいけど、それはもういい。このバングルが教えてくれるから。だから翠葉は、今をもっと楽しんでおいで」
 涙が止まらない。これはいよいよ涙腺が壊れたのかもしれない。
「俺たちは、これからも何度だって翠葉の心配をする。それはやめることができない。でも、それを心配と取らないで愛情と思ってくれないか?」
「あい、じょう?」
「そう……。翠葉のことを愛しているから、だから心にかける。心配ってさ、心を配るって書くだろ? それは愛を配ることだと思わない?」
 愛、情……。
「それに押し潰されそうなら、翠葉がもっと俺たちに愛情を返してくれればいい。それで『Give & Take』」
「……それなら負けないよ? だって私、蒼兄もお母さんもお父さんも大好きだもの」
「だろ? それでいいんだよ」
 また、頭をくしゃくしゃと撫でられた。
「……こんなに簡単なことだったの?」
 誰に訊くでもなく口にした言葉。
「そう、すごく簡単なこと。だけど、人は一度迷うとなかなかそこから出てこられなくなるから……。だから自分以外の人の助けがいるんだ」
 そう、なのね……。
 ずっと苦しくて仕方がなかったのに、一気に心が軽くなって浮上した。
 蒼兄はすごいな……。
「私ね、家族のためならなんでもできると思うの。だから私は、私にできることをがんばるね」
 言うと、穏やかな笑みを返してくれた。
 蒼兄のその笑顔が見られるなら、私はなんだってがんばれる気がする。
 それだけはきっと気のせいじゃないよ。

「起きられるか?」
「大丈夫」
 ベッドからゆっくりと立ち上がり、蒼兄に手を引かれて部屋を出る。と、廊下の先から笑い声が聞こえてきた。
 廊下の先にあるドアを開けると、とても広いリビングダイニングに出る。
 そこにいたのは栞さんと湊先生。
「仲直りした?」
 栞さんに声をかけられ、
「ったく、人騒がせな兄妹よね」
 湊先生は文句を口にするものの、さして迷惑そうな顔はしていない。
「アンダンテのケーキ買ってきたから一緒に食べましょう?」
 栞さんに促され、リビングにあるローテーブル前に座る。蒼兄と目配せをし、
「「お騒がせいたしました……」」
 ふたり同時に頭を下げる。
「別にかまわないけど……。ただ、蒼樹が病的なシスコンなのを再確認したのと同時に、翠葉が相当なブラコンなのがよーくわかったわ」
 湊先生は愉快そうに笑う。
 そこに、ハーブティーを淹れた栞さんがやってきた。
「そうなの。いつも仲が良すぎて妬けるくらいよ?」
 湊先生に苺のタルトを差し出される。
「どうぞ」
 フォークを渡され、カスタードがついた苺を口へ運ぶ。
「……おいしい」
 いつ食べても、頬が緩むほどにおいしいと思う。
「くっ、あんた現金ね」
 言われて咄嗟にフォークを置く。
「別に非難してるわけじゃないわよ。食べられるなら食べなさい」
 促されてまたフォークを手にしたけれど、湊先生の視線が気になって食べることができない。
「食べなさい。あんたが嬉しそうに笑ってたら、周りの人間もそれだけで幸せな気分になれるから」
 湊先生の言うことはよくわからないけれど、記憶の中にある大好きな人たちの笑顔を思い出すだけで、私の心はあたたかくなる。
 つまりはそういうことなのだろうか……。
「溶ける前にいただこう」
 蒼兄に言われ、コクリと頷いた。

 その日の夕飯は湊先生のおうちで四人で食べた。
 途中、蒼兄のスマホにお母さんからの連絡が入り、
『蒼樹っ、翠葉は!? 今日、退院したのでしょう? スマホには出ないし、家も留守電だしっ――』
 蒼兄がスマホを耳から離して聞いている。
 ……というよりも、ダイニングテーブルに着いているみんなに聞こえるくらい大きな声だった。
「今、学校医の湊さんの家にいるんだ。翠葉も栞さんも一緒」
『翠葉に代わって』
 苦笑した蒼兄にスマホを差し出され、恐る恐るそれを受け取る。
「もしもし……?」
『翠葉!? 大丈夫なの!? そっちに帰りたかったんだけど、どうしても都合がつかなくて――』
「お母さん、大丈夫。蒼兄と栞さんがいてくれたから平気」
『あら……寂しいの一言くらい言ってくれてもいいのに。お父さんとお母さんいじけるわよ?』
 うちの両親がこういうことを言うと、冗談では済まないので困る。
「えぇと……寂しかったです」
『なぁに? その取って付けたような言い方。で、具合はどうなの?』
「今は微熱。でも明日には下ると思うの。だから大丈夫。心配かけてごめんなさい」
『……いいのよ。手がかかる子ほどかわいいって言うでしょ? ……とは言っても、蒼樹が何から何まで面倒みてくれてるから、お母さん蒼樹に頭が上がらないわ……』
 苦笑が聞こえてくる。と、
『あ、はいっ。今行きます! ごめん、行かなくちゃ。無理はしないようにね』
 言われて通話は切れた。
 きっと会話は全部聞こえていたと思う。
「碧さん、相変わらずね」
 栞さんがクスクスと笑っている隣で、湊先生は呆気に取られていた。
「元気そうな母親だけど、その人からなんでこんな娘が生まれるのか」
 私と蒼兄は顔を見合わせて苦笑い。
 夕飯を食べ終えると、
「あんた病み上がりなんだから、そろそろ帰って休みなさい」
 湊先生に言われ、私と蒼兄は七時過ぎにお暇した。



Update:2009/06/04  改稿:2020/02/05



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