光のもとでT

第三章 恋の入り口



第三章 恋の入り口 09話


 問題集を解き始め、あと数ページ、というところまできた。
 あと少し――
 手ごたえは悪くない。今のところ、三問記入できなかった問題があるだけ。
 これならなんとかなりそう……。あと少し――
「終わったー!」
 思い切り伸びをしてはっとする。
 今、とても大きな声を出してしまった気がする。秋斗さんが通話中だったらどうしよう……。
 恐る恐る後方を振り返ると、クスクスと笑う秋斗さんがいた。
「すみません……」
「いや、大丈夫だよ」
 優しく笑ってくれるけど、申し訳なくて再度謝る。
「っていうか、本当にすごい集中力だね? 今、何時だと思う?」
「え?」
 掛け時計に目をやると、十二時を回っていた。
「わ……もうお昼の時間だったんですね」
 時間はかかった。けれども問題を解いていた感触としては、悪くない。
 これなら九十点以上はクリアできそう。
「今日はそっちで食べない?」
 秋斗さんは言いながら、ローテーブルへとやってきた。
「ごめんなさい。お昼、待たせちゃいましたよね?」
 ビーズクッションに座ったまま秋斗さんを迎える。
「大丈夫だよ。その間にこっちの作業してたし」
 秋斗さんが手に持っていたのは、今朝預けたばかりの私のスマホだった。
 手に戻ってきたスマホを表示させると、時刻の下方にバイタルらしき数字が並んでいた。
 体温と血圧、それから脈拍。それらは数秒ごとに変化する。
 すごい……。
「本当に、ありがとうございます」
 そう言ってスマホをテーブルの上に置くと、
「さ、お昼にしよう」
 ビニール袋からガサゴソとパンを取り出す秋斗さんを見て、
「あっ、今日は栞さんが秋斗さんのお弁当も作ってくれたんです!」
 急いでかばんからお弁当箱を取り出す。
「え? 栞ちゃんの作ったお弁当?」
「はい! とってもおいしいんですよ」
 お弁当を差し出すと、秋斗さんは嬉しそうにそれを受け取った。
「栞ちゃんは元看護師さんなんだけど、栄養士の資格も持っていて、さらには調理師免許も持ってるんだよ」
 秋斗さんにもたらされた情報に、口をポカンと開けてしまう。
 最近、私の周りにはすごい人しかいない気がする。
 玲子先輩と桃華さんは華道の免状と看板を持っているし、加納先輩にいたっては合気道の師範代。佐野くんと司先輩はインターハイ行きを決めたし、海斗くんは学年首位を死守しているという。
 飛鳥ちゃんは実況中継を特技としているし、栞さんも湊先生も秋斗さんも蒼兄も、頭が切れて芸達者と認識せざるを得ない。
 そんな人たちと自分を比べてしまうと、ただでさえない自信が、もっともっとなくなっていく。
 何か、自分に自信が持てるものが欲しい――
 考え始めたらいくらでも落ち込めそうだったから、意識を午後の予定へと切り替えた。
 午後には英語の問題集が丸々一冊残っている。
 これを終わらせないことには何も片付かない。
 できれば、今日明日で課題を終わらせてしまいたい。そしたら日曜日の森林浴は思い切り楽しめるし、中間考査の勉強にも専念できるというもの。
 がんばろう……。

 午後になると、意を決して英語の問題集を開いた。けれども、解き始めて数問で壁にぶち当たる。
 解けないものはあとで――と次の問題に取り掛かっても、また数問すると壁にぶち当たる。
 それを何度も繰り返していると、問題集の空欄はすべて解けない問題になっていた。
 ……もういや。本当にいや、大嫌い……。
 単語や熟語を埋めることはできる。訳だってなんとかなる。どうにもならないのは英文を作ること。
 どちらかと言うと、長文問題は普通に解けてしまったりする。それは適当に訳しても、だいたいの訳がわかれば問題が解けるからだ。
 それに比べ、一から英文を作るのは、文法やら何やらでものすごく手強い。
 ローテーブルに突っ伏していると、インターホンが鳴り司先輩が入ってきた。
 今日は土曜日なので、授業は午前中で終わる。けれども生徒会メンバーは、広報委員と来週の打ち合わせがあるとかで、午後一は視聴覚室に詰めると聞いていた。
「何してる……?」
「英語の問題集――」
「解いています」と言えなかったのは、シャーペンの動きが止まってから、すでに三十分近い時間が経っていたから。
 先輩は近くまで来ると、問題集を手に取った。
 ペラペラと最初から最後までページをめくり、
「ネックは文法?」
 私はコクコクと頷く。
「昨日は一日で数学の問題集終わらせて、今日は午前中に世界史を終わらせた。なのに、英語だけは二時間経つけどその状態」
 秋斗さんがくつくつと笑いながらこちらへやってくる。
「英語苦手?」
 司先輩にたずねられ、私は渋々頷いた。
「英語と古典はとくに……」
「文法や活用が苦手なわけね」
 冷静に分析されたところで嬉しくもなんともない。
「司、見てあげたら?」
「あっちでなら問題ない」
 先輩が指差したのは図書室の方。
 でも、広報委員との会議が終わったのなら、写真の選定作業が始まるのだろう。
「……お邪魔になると思うのでいいです」
「課題を終わらせて、選考作業手伝ってくれたらチャラにするけど?」
「……とても終わらせる自信がないので」
「俺が見るからには最短で終わらせる」
 笑うでもなく真顔で言われる。
「……それって怖いですか?」
「……誰に何を訊いたのかは察しがつくけど、怖いのと終わらないの、どっちを取る?」
 どっちもどっちすぎて選択しかねます……。
 黙りこくっていると、
「すぐに始めるからあっちに移動して」
 司先輩は英語の問題集を持って、仕事部屋を出ていってしまった。
「……秋斗さん、司先輩って怖いですか?」
「大丈夫だよ。きっと海斗に対するものよりは優しいはず」
 少し意地悪そうに笑われた。
 はずって……はずって……どのくらいでしょうか……。
 ビクビクしていると、
「翠、早く」
 と、図書室から催促の声が聞こえてきた。

 恐る恐る図書室へ足を踏み出すと、図書室には司先輩しかおらず、司先輩はひとり黙々とパソコンとプリンタの準備をしていた。
「ここに座って」
 司先輩に指定された場所は、ノートパソコン二台に両脇を挟まれた席。
 電子音が鳴ると、今度は里見先輩が入ってきた。
「翠葉ちゃん、今日も課題?」
「はい……」
「あら、どうしたの? ずいぶんと暗い顔だけど」
 里見先輩は器用に写真を避けて、窓際にあるテーブルまでやってくる。
「未履修分野の課題、英語だけが終わらなくて……」
「……あれ? でも、キャンプ中は別のテキスト出されてるんじゃなかったっけ?」
「それは昨日のうちに終わらせました」
「……確か、それと同じ厚さのテキストだったよね? 教科は?」
「数学ですけど……?」
 答えると、里見先輩の表情が固まった。
「因みに、午前で世界史の問題集を終わらせたって情報もありますけど」
 セッティングが終わったらしい藤宮先輩が口にすると、
「うーん……やっぱり欲しいな。で? これは英語ね?」
 里見先輩は言いながら私の隣に座る。
「ピンはねするのは私と司のふたり。吐き出された写真をほかのメンバーがより分け作業してるのよ」
 気づけば、両脇を先輩ふたりに固められていた。
「翠、茜先輩は三年の首席だ」
「あら、それを言うなら司は二年の首席でしょ?」
 里見先輩はテーブルに乗り出して藤宮先輩を見る。
 右に二年生の首席、左に三年生の首席……。右にも左にも出るものはいなさそう。
「さ、始めましょうか」
 里見先輩に笑顔で言われ、悶絶しながら問題集に向かうことになった。
「それは関係形容詞の分。S+V……,『前置詞which名詞』S+V」
 藤宮先輩に言われたことを問題集の端に書きとめ問題に取り掛かる。
「……He was brought up in Germany, which fact accounts for his fluency in German.……?」
「正解。次の問い、『What』と『that』 どっちを使う?」
「……わかりません」
「『What』の場合はあとにくる文が不完全になる。逆に『that』の場合はあとにくる文が完全な状態」
 日本文は「私がしたこと」である。
 この場合、私が何をしたかは書かれていないので、不完全と言えるだろうか。
 SVOでいうところの「O」、目的語がない。
「What I did……目的語が抜けてるから?」
「正解。次」
 次、と言われても解けないものしか残っていないのだ。
 自然とシャーペンを握る力が強まる。と、
「本当に英文にするのが苦手なのね? それは関係副詞節の『when』を使う文章よ」
 関係副詞節で『when』?
 確か、関係副詞節の『when』といえば、途中で区切るのではなかっただろうか。
「私はいかなるときも思い浮かばない。そのとき、わたしがアンに腹を立てたという――の、時が関係副詞節なら……」
 思い浮かばない、のところで一文切って……私はできない、思うことが、いかなるときも――
「 I can't think of any time ……で、when……I've been angry with Ann.……ですか?」
「正解。少し入れ知恵をすればすぐ解けるのに、なんでここまで苦手意識持ってるのかしら?」
「うーん……わかりません。教科書を覚えれば解けるものに関しては問題ないんですけど、こういうのは苦手なんです」
「それ、教科書丸暗記してるから穴埋めができるだけだろ。……あぁ、だから基本の文法を理解してないのか」
 作業をしながらこちらを見ている藤宮先輩の視線が痛かった。
 海斗くんはもっと容赦ない言葉を見舞われるのだろうか。
 これはまだ優しいほう……?
「なるほどねぇ……。それじゃ学内テストはいいけれど、全国模試には通用しないわね」
 里見先輩がテストの分析をし始める。
「これは特訓しかないわね」
 里見先輩はかわいらしくにこり、と笑った。
 そのあと、ほかの生徒会メンバーが入ってきたけれど私の状態が変わることはなく、今も里見先輩と藤宮先輩に見てもらいながら問題を解いている。
 それを非常に気の毒そうな目で見ていたのは春日先輩と荒川先輩。
「ふたりとも意外とスパルタだからね。翠葉ちゃん、心が折れない程度にがんばって」
 そう言ったのは美都先輩だった。
 加納先輩はひとり黙々と写真の選定作業に勤しんでいる。
 本当に写真が好きなんだな……。
 加納先輩が一所に留まって何かしているのを初めて見た気がする。
 いや、一所に留まって、というよりは常にあっちこっち動いていて、これはこっちであれはあっち、と蝶のように飛び回りながら写真にランクをつけ、種類を分けていたりするのだけど……。
 でもその目には、写真しか映っていないのだ。
「翠、余所見してないで問題」
 藤宮先輩にテーブルをトントン叩かれ、私は泣く泣く問題集に視線を戻した。



Update:2009/06/12  改稿:2020/05/16



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