光のもとでT

第三章 恋の入り口



第三章 恋の入り口 27話


「さすがにテラスはやめたほうがいいと思うんだけど?」
 秋斗さんが風上に立ってくれた。
「今、選択を誤ったなと思っていたところです……」
 髪の毛を必死に捕まえて答える。
「テスト、図書室なんでしょ? それなら図書室で食べたらどうかな? 今日は生徒会メンバーもいないから」
「……お邪魔してもいいんですか?」
「もちろん」
 笑顔で答えると、秋斗さんはすぐに図書棟へ引き返していった。
 その後姿を見て、少し違和感を覚える。
 今までなら一緒に行こうとか、荷物を持たれてしまったと思うのだけど……。
 ……私、寂しいと思ってる?
「まさか、そんなことは――」
 ないないないない……。ないもの……。
「何よりも、テスト前に考えることじゃないっ」
 頭をブンブンと振ると、さらに髪の毛がぐちゃぐちゃになった。
 かばんを持って図書棟へ向かうと、ドアは開けたままにしてくれていた。
 足を踏み入れた図書室は、いつもと変わらない。ただ、テーブルの上にティーカップがひとつ置かれていた。
 湯気が立っているところをみると、淹れたてであることがわかる。
 ハーブティーの香り――
 さりげない優しさを感じて、ふと心があたたかくなった。
 カウンター奥のドアに向かって、「ありがとうございます」と頭を下げる。
 私がテスト前に余計なことを考えなくていいように、少し距離を置いてくれているのだろう。
 とても優しい人。それから、気遣いの仕方が大人だな、と思った。
 寂しいと思ったのは束の間で、カップの存在に心があたたまり、一口飲むと気持ちが落ち着いた。
 それはハーブティーの効果なのか、それとも、もっと別のものなのか――
 気持ちが上向き。そんな気がした。

 お弁当を広げ、よく噛んで食べる。テスト前ということもあり、分量は少なめ。
 消化に血を使われて、ぼーっとした頭では受けたくなかったから。
 お弁当を食べ終わったのは一時十五分で、テストスタートまで十五分あった。
 各教科のペース配分を考える。
 最初の一時間で理系科目を粗方終わらせたい。そしたらあとの教科は、一教科につき二十五分は割くことができる。
 科目の並べ方にも手抜かりはないはず。長い文章を読まなくてはいけないものをあとのほうに持ってきた。
 最後は時間との戦いと言っても過言ではないだろう。
 今日の科目で不安が残るものはひとつもない。最後は思い込みで気力を満たす。
 開始五分前になると、刈谷先生がテスト用紙を持ってやってきた。
「私はカウンター内でテストの採点をしているから」
 先生は今日のテストの答案用紙と思われるものをカウンター内へ持ち込むと、茶封筒からテスト問題らしき用紙を取り出す。
「これが未履修分野のテスト。あと二分あるから問題用紙は伏せておくように。教科は言われていた順に並べてある。解答用紙とセットにしてあるから答案用紙を間違えることもないだろう」
「ありがとうございます」
「テストが終わり次第横に避けていってくれれば、私がそれを採点する。だから、今日の帰りには結果がわかるぞ」
 そう言うと、時計に目をやり
「よし始めっ!」
 その声を合図に、問題用紙を裏返した。

 ざっと問題に目を通す。
 問題数は多いけど、癖のある問題は数問。これなら問題ない――
 最初から順に問題を解いていき、開始十五分で数T終了。
 数Aも化学も躓くことなく最後まで解くことができた。ここまでで五十分。
 悪くない……。残りの教科に二十五分ずつ取れるようになった。
 生物はほとんどが穴埋めであったり選択問題である。問題集に出ていた図解説明もそのまま覚えている。
 現国は文章を読んで、あとは訊かれたことに的確に答えていけばいいだけ。漢字、四字熟語の意味、ことわざもクリア。
 現社からは、何度となく反復練習して覚えてきたものを手繰り寄せる時間。問題集の問題も答えもすべてセットで覚えてきている。時間がかかっても絶対に頭のどこかに入っている。
 現国まで、九十分でクリア。残りの三科目は一教科に三十分ずつ割ける。いざとなれば一教科捨てればいい。そうすれば一教科にかけられる最高時間は五十分。
 自分に多少のゆとりを提示しながら問題に取り組む。
 最悪、このテストに関してだけならば九十点を越えさえしていればいいのだ。
 成績に直接関わるテストではないのだから、そこまで点数に拘る必要もない。
 あくまでも九十点以上。それ以下はまずいとしても、それ以上を採ろうがどうしようが合格は合格……。

 結果、埋まらなかったところが何ヶ所かあった。でも、これなら大丈夫だろう、と思える範囲内。
 日本史が二ヶ所、公民が三ヶ所が埋まらなかっただけ。
「先生、終わりました」
 すでに終わった科目の採点をしている先生が顔を上げた。手元の時計を見て、
「あと五分ある。もういいのか?」
「これ以上考えても埋められそうになくて」
 答えると、答案用紙を持ってカウンターへと移動した。
 カウンターには、すでに採点が終わっている数学と化学と生物が乗っていた。
「御園生、ここまで四教科は満点だ」
 その言葉に少しほっとする。
「先生、私、根っからの理系なんです。怪しいのは明日の物理以外の科目ですから」
「現国もこの分だと大丈夫そうだぞ?」
 言いながらペンを走らせる。
「あと十分くらいで採点も終わるから、少しそこで休んでろ」
「はい」
 私は言われるままにもといた席に着き、残っていたハーブティーを口にする。
 すでに冷たくなっているけれど、爽やかな液体は口腔を潤しリラックスさせてくれた。
 おいしい……。今度、ハーブティーの水出しに挑戦しようかな。
 熱湯で煮出すよりも一晩かけて水出しするほうが、味が丸く柔らかくなるのだ。
 先日、ウィステリアホテルで飲んだハーブティーがそうだった。ホットと水出しの両方が用意されていて、飲み比べることができた。
 ミントとレモングラス、おいしかったな。今度、栞さんにリクエストしてみよう。……ううん、やっぱりあれは自分で試してみたい。

 ハーブティーのことを考えているうちに採点は終わったようだ。
 気づくと先生がすぐ近くに立っていて、答案用紙を差し出される。
「現国と現社も満点。日本史が九十八、公民が九十七。お前の頭の中は、いったいどうなってるんだ? 無事、八教科合格! おめでとう」
「よかったぁ……。先生、お忙しいところお時間いただきありがとうございました」
「いや、久しぶりに採点していて楽しかったよ。明日の中間考査も午後のテストも、両方がんばりなさい」
「はい」
 改めて答案用紙を見て、ほっとする。これで残りは苦手科目ばかりとなった。
「今日の八教科より、明日のほうが地獄なんだよね……」
 テーブルに身体を倒し頬をテーブルにつけると、ハーブティーが入っていたカップが目に入る。
「これ、返しに行かなくちゃ」
 カウンター内に入ると、仕事部屋のドアがほんの少し開いていることに気づく。
 ドアストッパーで止めてあるのは、今日は生徒会メンバーが図書室を使わないからなのかもしれない。
 それでも、インターホンを押さずにドアを開けるのは憚られ、手順を踏むためにインターホンを押す。
 すぐに秋斗さんに出迎えられると思っていた。けれど、ドアがそれ以上開くことはなかった。
 控え目にノックをしてみたけれど、応答はない。
「あの……入りますね?」
 一言断り、そっとドアを開ける。と、いつもの場所に秋斗さんはいなかった。
 部屋の掛け時計を見ればもう五時近い。
 改めて部屋を見回すも、秋斗さんの姿は見当たらない。でも、確かにこの部屋にいたはずなのだけど……。
 先ほどテラスで声をかけられてから、秋斗さんは真っ直ぐ図書棟へと向かった。テスト中のことは定かではないけれど、秋斗さんがこの部屋を出るのなら、このドアはきっちりと施錠されるはず……。
 注意深く部屋の様子をうかがうと、仮眠室のドアがわずかに開いていた。
 もしかして寝てるのかな……。
 失礼かな、とは思いつつ、軽くノックをしてから中を覗く。と、ベッドに横になっている秋斗さんがいた。
 ほっとしたのは束の間。どう見ても気持ち良く寝ているようには見えなかった。
 呼吸が少し苦しそうだし、額には薄っすらと汗をかいている。
 ――もしかして、発熱……?
 そう思えば次の行動は早かった。
 秋斗さんに近づき額に手を当てる。と、急に手首を掴まれた。
 その手がすごく熱い……。
「ごめんなさいっ。ただ、熱があるか確認したかっただけなんです……」
 手首の主が私であることに驚いたのか、秋斗さんは目を見開いた。
「あぁ、翠葉ちゃん。試験終わったの? じゃ、早く帰りなさい」
「でも、秋斗さん熱があるんじゃ……」
「ここで君にうつしたら洒落にならないでしょ」
 気だるそうに壁のほうを向くと、荒い息遣いのままに言われた。
「でも……」
「いいから早く出て」
「お薬は……?」
「翠葉ちゃん、聞こえなかった? 今すぐ、ここを出て」
 いつもとはまったく違う声音に身が竦む。
 もう何も言えないし何も訊けない。何よりも、ここにいられないと思った。
「ごめんなさい。ハーブティー、ありがとうございました」
 私は慌てて仮眠室をあとにした。
 流しでカップを洗い、拭いてカップボードに戻す。
 もう一度秋斗さんの様子を見に行きたかったけれど、また同じように怒られる気がして、ドアレバーに手をかけることもできなかった。
 何かできること……私にできる何か――あ……湊先生ならまだいるかもしれないっ。
 私がだめでも湊先生ならきっと大丈夫。
 私は図書棟を出てすぐに保健室へ向かった。



Update:2009/06/21  改稿:2020/05/27



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