光のもとで

第06章 葛藤 23話

「秋斗さん、怒っていますか?」
 ベッドサイドに腰を下ろした秋斗さんは、ベッドマットに左肘を突いて顎を支える。
「怒っているわけじゃないけど、少しは怒っているかな」
 怒るとしたら何にだろう……。
 雅さんと会ったのを黙っていたこと……?
 ほかには何があるかな……。
 最近、ちゃんと目を合わせてお話ができていないこと? それとも、態度がぎこちないこと?
「翠葉ちゃんの中にはどのくらい心当たりがあるの?」
 今考えたことをひとつひとつ話す。と、
「ひとつは当たりかな。でも、それが回答ではないけどね」
「……ひとつはなんですか?」
「雅に会ったこと。……話してほしかった」
 至近距離で真っ直ぐに目を見られる。
 私は秋斗さんの方を向いて寝ていたし、秋斗さんは視線を合わせようとわざわざ目線の高さを同じにしてくるから目を逸らすのは困難な状況。
「……もうひとつはなんでしょう」
「本当にわからない?」
 ……わからない。
「一緒にいられないって答えたことですか?」
「近いけど違うかな」
 近いけど、違う……?
「秋斗さん、理由がわからないと謝れないです」
「俺を振った本当の理由は?」
 秋斗さんを振った、本当の理由……?
「あれは本当に翠葉ちゃんが自分で考えた答えだった?」
 秋斗さんと一緒にいられないと思った理由のこと……?
「誰かの言葉に影響されたからじゃなくて?」
 ……誰かの、言葉。
「俺は言ったよね? 誰に相談してもかまわないけど、最後には翠葉ちゃんが決めてほしいって。あれは本当に翠葉ちゃんが出した答えだった?」
 秋斗さんと一緒にいられないと思ったのは……。
「少し思い出してみてくれない? 俺が警護についていたとき、少しは付き合ってもいいって思ってくれたことがない?」
 秋斗さんが警護についてくれていた二週間――
 少しずつ少しずつ記憶を手繰り寄せて思い出す。
 秋斗さんを好きだと自覚したのは学校で具合が悪くなった日だった。
 すごくドキドキして恥ずかしくて、でも――嫌じゃなかった。
 難しいことは何も考えなくていいからって、側にいてほしいと言われたときはとても嬉しかった。
 なら、どうして断わったの?
 健康じゃないから? 将来子どもが産めるかなんてわからないから?
 初めて人を好きになったのに、大きな壁だらけでどうしていいのかわからなくて、すごくつらかったから?
 ひとつ手に入るとどんどん欲が増えてきて、望みが大きくなって怖くなるから?
「何が原因だった?」
「健康じゃないから……。それに子どもなんて産めるかわからないし――」
「それ、誰かに何かを言われたからじゃないの?」
 あ――
「雅さん……」
「それが怒っている本当の理由だよ」
「でもっ、ちゃんと自分でも考えましたっ」
「何を?」
 訊かれて視線をシーツに落としてしまう。
「……秋斗さんならもっとすてきな人が似合うだろうなって。私は何かをしてもらうばかりで何も返せないから……」
「翠葉ちゃん、そんなことを言うともっと怒るよ?」
 その場の空気が変わったのがわかった。
 一瞬にして身体に力が入る。
「俺が好きなのは翠葉ちゃんでほかの誰でもないんだけど? その俺に、ほかの誰かが似合うって言うのかな?」
 低く、何かを抑えているような声だった。
「……だって、そのほうが幸せなんじゃ――」
「翠葉ちゃん、その先は言わないでくれる?」
 決して声を荒げたわけでもないのに、すごく怖かった。
 恐る恐る秋斗さんの顔を見ると、今まで見たことのない顔をしていた。
「……ごめんなさい……」
「中身のない謝罪は欲しくないかな」
 どうしよう、本当に怒ってるんだ……。でも、どうして……?
 わからなくて、怖くて、目に涙が溢れる。
「……ごめん――でも、好きな子に自分じゃなくてほかの誰かがつりあうって言われて嬉しいわけないでしょ?」
 秋斗さんもラグに視線を落とした。
「ど、して……?」
 震える声をなんとか絞り出す。
「どうして、か――。本当に何もわからないんだな」
 と、こちらを向いていた身体をドアの方へと向けた。
 背を向けられ、私からは表情を見ることもできない。ただ、脱力していることだけはわかった。
 不安だけが大きくなり、どうしたらいいのかわからなくなる。
 そしたら自分の呼吸が上がり始めた。
 ――どうしようっ。
 流れる涙はそのままに口を手で押さえ、身体を壁側へ向ける。
「……翠葉ちゃんっ!?」
 苦しい、どうしよう……。
 いつもよりも息が上がるペースが速くて、自分でコントロールができない。
 身体を丸め、必死で口元を押さえた。
「栞ちゃんっっっ」
 秋斗さんが栞さんを呼ぶと、すぐに栞さんが来てくれた。
「何、どうし――秋斗くん、氷水持ってきて」
 栞さんの手が背中に触れた。
「翠葉ちゃん、しっかり息を吐き出して、ゆっくり呼吸しよう」
 背中をゆっくりとリズムを刻むように叩いてくれる。
「吸って、吐いて、吸って、吐いて――」
 その声だけに集中するように全神経を総動員させるけど、徐々に声が遠くなる気がした。
 声がよく聞こえない。
 そのとき、
「翠葉っ」
 と、大きく肩を揺さぶられた。
 そちらに目をやると、湊先生が立っていた。
「苦しいだろうけど意識してゆっくり呼吸しなさい」
 自分では身体の自由が利かなかったこともあり、口元を押さえていた手を先生に剥がされる。
 剥がされた手はそのまま硬直して変な形に固まっていた。
 手を外したことで呼吸が一気に荒くなる。
 息をしているのに苦しくて仕方がない。空気が吸えない。
 苦しくて苦しくて視界が歪む。ただ、繰り返し繰り返し湊先生に呼吸の指示をされていた。
 どのくらいそうしていたのかはわからないけれど、しばらくすると呼吸は少しずつ落ち着いてきた。
「そう、上手よ。ゆっくり大きく呼吸をしなさい。吸ったら最後まで吐き出すこと。聞こえてるなら頷きなさい」
 先生の目を見て頷くと、「よし」と額を撫で上げられた。
 それから五分後くらいには普通に呼吸ができるまでに回復した。
 湊先生が両手をほぐしてくれていたから、もう手の痺れもない。
 でも、涙だけは止まらなかった。
「なんで泣いてんのよ」
「……秋斗くん、私、こんな状態にしろとは言ってないんだけど」
 いつもよりも数段低い栞さんの声。
「……何も言えないかな」
「それは秋斗くんに非があるってことかしら?」
「そう」
 どうしてっ!?
「違うっ、私が……私が――」
 涙としゃくりあげる呼吸がつらくて言葉が喋れない。
「翠葉、また過呼吸になるわよ?」
 湊先生に諭される。
「翠葉ちゃん、ごめん。俺、今日は帰るね」
「いやっ――ちゃんと、知りたい……」
 こんな状態でそんなことを言っても、湊先生も栞さんも秋斗さんも困るだけなのに――
 でも、このまま自分が何を間違えてしまったのかわからないままなのは嫌だった。
 秋斗さんが怒った理由をちゃんと理解できないのはもっとつらい。
 玄関で音がして、人が入ってきたのがわかった。
「……翠?」
 司先輩……。
「っ!? 翠葉、どうした!?」
 蒼兄がベッドサイドへ来ると、ハンカチで涙を拭いてくれた。
「湊さん、何があったんですか?」
「知らないわ。私が来たときには過呼吸起こしてて、つい数分前に落ち着いたとこ。原因は秋斗っぽいけど?」
 と、秋斗さんに視線を移す。
「秋兄、外に出たほうがいいんじゃないの?」
 司先輩の言葉に栞さんが答える。
「翠葉ちゃんがそれは嫌だって言ったのよ」
「あのですね……大変申し訳ないのですが、秋斗先輩は帰らずにリビングにいてください。で、湊さんも栞さんも司も、ちょっと向こうに行っててもらっていいですか?」
「しゃーない。こういうのは蒼樹のほうが慣れてるわね」
 湊先生が立ち上がると、みんな部屋から出てドアが閉められた。
「蒼兄……」
 ベッドに置かれていた蒼兄の手を両手で掴んだ。
「うん、苦しかったよな……。泣くとまたつらくなるよ」
「ん……」
 蒼兄は次々に零れる涙を拭いては髪の毛をきれいに払ってくれた。
「何があった?」
「……秋斗さん、怒らせちゃった」
「……は?」
 優しい顔をしていたのに、一気に目が点になる。
「秋斗さん、怒らせちゃった……どうしようっ」
「翠葉、それだけじゃ状況がわからない」
「……雅さんに会ったことを話さなかったのもいけなかったみたい。でも、雅さんの助言をもとに断わったことが一番の理由みたい。でも、自分で考えたんですって話したら……」
「話したら?」
「もっと怒られた。……というよりは脱力してたと思う。でも、理由がわからなくて……」
「ちょっと待て。何かすっ飛ばしてないか?」
 何か……?
「……秋斗さんにはもっと似合う人がいると思うって言ったらすごく怒られた。……ねぇ、どうして? ちゃんと考えて口にしたことなのに」
 蒼兄は大きなため息をついた。そして曖昧に笑う。
「それはねぇ……正しくは怒ったんじゃなくてショックだったんだと思うよ」
「……どうして?」
「……翠葉がわかりやすいたとえ話をしようか。翠葉がすごく欲しい花があるとする。翠葉はその赤い花が欲しくて欲しくて仕方ないんだ。で、その赤い花も翠葉のことが大好きなんだ。できれば翠葉に育ててもらいたいと思ってる。でも、その赤い花は一年草で翌年には咲くことができない。だから、赤い花は翠葉に言うんだ。私じゃなくてあっちの黄色い花は宿根草だから、翠葉さんはあっちの黄色い花が似合います。私じゃなくてあっちの黄色い花を持ち帰ってください、って」
 一年草の赤いお花と宿根草の黄色いお花……。
「そしたら翠葉はどうする?」
「赤いお花を連れて帰りたい」
「それはどうして?」
「だって、私はその赤いお花が好きなのでしょう? それなら一年草でも大切にその子を育てたいもの」
「そうだろ? 赤い花を黄色い花には換えられないだろ?」
「うん」
「つまりはそういうことなんだよ」
「……え?」
「今の話で翠葉を秋斗先輩に置き換えて、赤い花を翠葉に置き換えてごらん」
 私が秋斗さんで、赤いお花が私……?
 秋斗さんは赤いお花、私が好きで、私は秋斗さんが好きだけど、黄色いお花――違う人を勧めるの……?
 そしたら私は黄色いお花は赤いお花の代わりにはならないと思ったのだから――
「――私の代わりはいない……?」
「そう。自分の好きな人に自分じゃなくて違う人のほうが似合うって言われたらショックじゃない?」
 顔を覗き込むようにして訊かれた。
「あ――」
「わかればよし」
 と、頭を撫でられた。
「蒼兄、どうしよう……?」
「……だいぶ落ち着いたな。どうする? 秋斗先輩と話すか?」
「……ちゃんとお話したいけど、なんて話したらいいのかわからないの」
「そうだなぁ……。まずは傷つけちゃってごめんなさいってところだろうけれど、自分で言葉を探したほうがいいだろうな」
「……今日は無理そう。何が悪かったのか、間違えちゃったのかはわかったけど、でも、何をどう話したらいいのかはまだ見つからない」
「焦らなくていいよ。じっくり考えな」
 でも、時間を置いてしまったら謝る機会がなくなってしまう気がした。
「会えなくなっちゃったりするのかな……」
「……それはないよ」
「どうして……?」
「だって、振られてもかまわず会いにくるような人だよ? こんなことくらいでどうかなるとは思えない」
「……本当に?」
「あぁ、それだけは保証できる」
 蒼兄の笑顔に少しほっとした。
「じゃ、今日は会わない。それでいいか?」
 確認されるように訊かれ、小さく「うん」と答えた。
「わかった。じゃ、ちょっと向こうに行って話ししてくるから休んでろ」
 蒼兄の背を見送りながら思う。
 自分が悪いのだからさくっと謝ってしまえばいいことなのに、どう謝ったらいいのかがわからい。
 ただ、「ごめんなさい」の一言では終わらない気がしたの――



Update:2009/09/09  改稿:2017/06/16



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