光のもとで

第07章 つながり 34話

「翠葉ちゃん、寂しくはない?」
 突如静さんに尋ねられた。
「寂しい、ですか?」
 静さんの顔を見上げると、同じように静さんも私に顔を向けてくれる。
「零樹や碧とは月に数回しか会えていないだろう? こんなことは今までなかったことだろうし」
 そう言われてみると、家には誰かがいるのが普通だった。
 とくにお母さんは常に家にいたような気がする。
 けれども、今は不思議と寂しさは感じておらず……。
 それは、携帯でこまめに連絡を取っているからなのだろうか。それとも、周りがとても賑やかだからなのか――
 幸倉の家にいたときは会えない日数を数えることもあったけれど、最近はそんなことを考える余裕がなかった。
 ……あれ? もしかして、私ものすごくひどい娘かな?
「静さん……どうしましょう。私、ものすごくひどい娘かもしれません」
「え?」
「最近は考えることが多すぎて、うっかり両親のこと忘れてました」
 正直に白状すると、声を出して笑われた。
「そうかそうか。でも、それはいい傾向かもしれないね」
 静さんはつないでいる手に力をこめる。
「まだ零樹と碧を解放してあげられないんだ。今回の仕事には色々とイベントを絡めている都合もあって、かなり急ピッチで進めているものでね。現場の統括には零樹が立っているし、碧には建物全体のインテリアを任せているから、ものを集めるたびに度々海外へも飛んでもらっている」
「あ……その話はメールで聞いています。この期間は日本にいないとかいるとか、お土産楽しみにしててねって」
 静さんは破顔した。
「碧らしいな。出張先で娘にお土産か。この忙しい中でも省かないあたりがちゃっかりしている」
 そんなふうに言われるくらいには忙しいのかもしれない。
「今は零樹や碧よりも私のほうが融通がきくだろう。だから、何かあれば連絡しておいで」
 そうは言われても、どんなことがあったら静さんに連絡することになるのだろう。
 単に相談に乗ってくれるという意味なのだろうか。
 考えていると、徐々に頭に霧がかかってくる感覚に襲われる。
 マンションまであと十メートルくらいなのに……。
 あ――これは静さんに言わなくちゃだめなこと……?
「……静さん、目が……身体の力が――」
 抜けちゃう――


 私、今どこにいるのかな……。
 横になっているのはわかるし、それがお布団の上であることもわかる。
 目を開けて、病院のグリーンのカーテンが目に入ったら嫌だな……。
 でも、薬品の香りはしない――
 カチカチ鳴っている音はなんだろう。時々、タンッ、と小気味いい音がする。
 あ……パソコンのタイピングの音?
 でも、蒼兄のそれとは速さが異なる。強いて言うなら秋斗さん寄り……。
 はっとして目を開けると、目に飛び込んできたのは今朝と同じラベンダーカラーだった。そして、デスクに向かっていたのは唯兄だった。
「……唯、兄?」
 色々状況が呑み込めない。
「起きた?」
 振り返った唯兄に声をかけられる。
 ……えぇと、思い出そう――
 学校を出て、静さんと一緒に歩いていたのだけど、途中で気が遠くなって、起きたら今……。
「唯兄……私、静さんと歩いていたんだけど、途中で気が遠くなってしまって起きたらここにいたのだけど――」
「うん、まぁそんなところだろうね」
 唯兄は言いながら首を傾げる。
「ちょっと待って。起きたらオーナーに声かけるように言われてるんだ」
 唯兄はデスクに向き直るとカタカタとキーボードを打ち始め、
「送信っ!」
 言いながらエンターキーを押した。
 その数分後にはドアがノックされ、静さんが入ってきた。
「気分はどうかな?」
「なんともないです……あの――」
「さっきみたいなことはしょっちゅうあるのかな?」
「さっきみたいなこと」とは、意識を失ってしまうことだろうか。
「すみません、静さんと話ていたら気が緩んでしまったんだと思います。そしたら一気に薬の効果が出てきてしまったみたいで……」
「急に倒れるからびっくりしたよ。最初から車で迎えに行けば良かったね」
 静さんは言いながらベッドに腰を下ろした。
「あの……静さんにはご迷惑をおかけしてしまったのですが、ずっと外を歩きたいと思っていたので、外を歩けて嬉しかったです……」
「翠葉ちゃん、迷惑じゃないよ。今は親代わりだ」
 意識を失う前に話したことを改めて言われる。
「オーナー、それは図々しいと思います」
 唯兄が部屋の隅からチクリと言葉を発する。
「若槻だって御園生兄妹に加わっているのだろう? 親がひとり増えるくらいどうってことはないだろう」
「いや、そういう問題じゃなくて……。第一自分のはリハビリですから」
 えぇと……。
「家族が増えるのは嬉しい、ですよ?」
 私が口を挟むと、ふたりが満足そうに笑ったので少しほっとした。
 するとノックの音が新たに聞こえ、
「失礼いたします」
 今度は蔵元さんがやってきた。
「静様、下に車が着いたそうです」
「あぁ、わかった」
 立ち上がった静さんは、私を迎えにきてくれたときの服装とは違い、しわがひとつもないスーツをびしっと着ていた。
 ワインレッドのネクタイが格好いい。
 ネクタイピンのネイビーとゴールドの組み合わせは手元のカフスとお揃い。
 一見派手に見えそうな色使いなのに、静さんがつけていると派手という印象はなくしっくりくる。
 腰を浮かせた静さんに手を取られ、
「翠葉ちゃん、いいかい? どんなときでも翠葉ちゃんからの電話は取ると決めているんだ。だから、何か困ったことがあったらすぐに電話しておいで」
「はい」
 静さんの大きな背中を目で追っていたけれど、ドアが閉められて見えなくなる。
「オーナーって絶対リィに甘いと思う。なんていうか、目に入れても痛くないって身体中に書いてあるの見えたっ!?」
 私に文字は見えなかったけれど、すごく気を遣われているのはわかった。
 そんな必要はないんだけどな……。
 だって、お父さんとお母さんは仕事が大好きで、今とても楽しく仕事をしていると思う。
 大変な仕事であればあるほど、終わったときの達成感につながると話していたもの。
 私は両親の仕事の犠牲になんてなっていないんだけどな……。
 むしろ、誇りに思うくらい。
「あっ――」
「どうした?」
「静さんにいってらっしゃいって言うの忘れちゃった」
「……さすがはリィだな」
 唯兄が呆れたふうに口にしてはケラケラと笑う。
 ひとしきり笑うと、「起きられそう?」と訊かれた。
 身体の不調はとくに感じておらず、コクリと頷くと、
「じゃ、あっちでお茶でも淹れよう」

 唯兄と離れていたときはあんなにも不安で仕方がなかったのに、今はその欠片も感じない。
 唯兄がケトルにお水を入れてお湯を沸かす間、私はポットにハーブティーをセットした。
 普段なら夜に飲むお茶。
 リンデンとミント、カモミール、ラベンダー、ローズがブレンドされているお茶。
 このお茶を飲むと身体があたたまり、精神的にもリラックスができる。
 カップは何を使おうかな?
 戸棚をじっと見つめていると、真っ白なカップが目に入った。
 少し丸っこいフォルムのカップはカフェボールと呼ばれるもの。
 とても大きなカップだけれど、それ以外のものが目に入らずそれに決める。
 カウンターにふたつのカップを並べると、その大きさに唯兄が目を瞠った。
「……だめ?」
「……いや、だめじゃないけど。三五〇? いや、もっと入りそうかな? ……これだけあったらたっぷり話ができそうだ」
 たくさんのお話――
 私の心は緊張を帯び始める。と、
「……そんな不安そうな顔しなくていいよ」
 ツン、と頬をつつかれた。
 お湯が沸いたことをケトルが知らせると、
「私がやるっ」
 咄嗟に手を出したら熱かった。
「リィっ、すぐに冷やすっ」
 ザーッと音を立てる流水に人差し指と中指をさらす。
「そりゃ、そのまま触ったら熱いよ」
 唯兄は言いながら私の右手を握っていた。
「ごめんなさい……」
「いや、謝らなくていいけど気をつけないとね。女の子なんだからさ」
 その言葉はとてもあたたかかった。
 言葉に温度があるとしたら、きっと三十九度。
 熱くもなくぬるくもない、ほっとできる温度。
 しばらくして水を止めると、今度は火傷しないようにタオルで持ち手をカバーしてお茶を淹れ始めた。
「リィもお茶が好きなんだね。セリもお茶が好きだったんだ。淹れ方が一緒」
 唯兄は嬉しそうに話した。
「因みに、コーヒーが好きな人も淹れ方にこだわりがあるんだよねぇ……」
「あ、挽き立ての豆だったり、熱湯で一度蒸らしてから、とか色々あるんですよね?」
「あれ? リィはコーヒー飲まないんだよね? その割に詳しくない?」
 確かに私はコーヒーを飲まない。けれども、うちは蒼兄とお父さんがコーヒー好きなのだ。
 お母さんはコーヒーよりは紅茶のほうが好きみたい。
 そんな話をしていると、大きなカップふたつにハーブティーが淹れ終わった。
 トレイにカップとちょっとしたお茶請けを用意して、
「さてどうする?」
 唯兄の問いは、リビングがいいか、蒼兄の部屋がいいか、私の部屋がいいか。
「どこがいい?」と、訊かれる。
 空の見える部屋は好きだけど、広すぎる部屋は苦手。
 でも、自分の部屋にはまだ社外秘のダンボールがあったし、蒼兄の部屋にも資料が積まれていた。
「リィは別に資料のことは気にしなくていいよ。とくにやばいものはパソコンの中にしか入ってないから」
「……唯兄、ソファの裏側じゃだめ?」
 唯兄は「え?」という顔をして、ソファと窓の間の空間を見に行った。
「なるほどね。内緒話にはもってこいの場所だな。まるで秘密基地みたいじゃんか」
 言いながら、トレイを一度ローテーブルに置いた。
「ちょっと待っててね」
 リビングを出ていこうとした唯兄の手を掴む。
「どこに行くのっ!?」
 唯兄は振り返ると、くしゃり、と顔を崩して笑った。
「んな、捕まえなくったって大丈夫。羽毛布団取りに行くだけ」
「羽毛布団……?」
「この部屋、エアコンがきいてると少し寒いでしょ?」
 返ってきた答えに納得し、少し恥ずかしくなる。
 その恥ずかしさを紛らわせるために、
「私も制服着替えてくる……」
 と、一緒にリビングを出た。
 廊下で二手に分かれると、私はでき得る限りの速さで着替えを済ませてリビングへ戻る。と、唯兄はラグの代わりにタオルケットを敷いていた。
「ほら、そこに座る」
 指示されたとおりに座ると、次は上から夏用の軽い羽毛布団を掛けられた。
「冷やさないように」と。
 その気遣いに、蒼兄がもうひとり増えた、と思った。
「また背中合わせで話すほうがいい?」
 訊かれて、昨日のお話を思い出す。
「……隣がいい」
「……横に並ぶってこと?」
 それにコクリと頷いて、ソファを背もたれ代わりにした。
 右に私、左に唯兄。
 目の前には大きな窓、床にはトレイがあるだけ。
「何から話したらいいかなぁ……」
 唯兄の言葉に私はドキドキしていた。
「あのさ、俺もずるい人になっていい?」
「……え?」
「俺はたぶん、もう大丈夫だけど……それでもあんちゃんとリィと兄妹ごっこを続けたいんだよね」
 唯兄は少し恥ずかしそうに、はにかんだ顔でそう口にした。
「そんなの、大歓迎だよ?」
「……現時点ではね? 言質取るために言いました、はい」
 唯兄は苦笑いを見せる。
 どうして言質なんて取る必要があるの……?
「俺がこれから話す内容、リィは気持ち悪いって思うかもしれない。でも、俺は兄妹ごっこを続けたいんだよね……」
 そう、念を押すように言われた。
「昨日、リィが寝てからオルゴールを開けた。中にセリからの手紙が入っていて、それも読んだ」
 ……やっぱり、お手紙が入っていたんだ。
「リィの言うとおり、俺を傷つけるような言葉は何ひとつ書かれていなかった。むしろ、嬉しいっていうか、切ないっていうか……まだこの気持ちにどんな言葉を当てはめたらいいのかわからないんだけど……」
 唯兄はジーパンのポケットから丁寧に折りたたまれたくしゃくしゃの紙を取り出し、
「読む?」
 それがその手紙なのだろう。
「……読んでもいいの?」
 訊いてはみたけれど、実際はそれを手にするのも怖かった。
「いいよ。でも、リィは引くかもしれない」
 唯兄はどこか寂しそうに笑う。
 手紙を受け取るときに唯兄の手に触れると、その手はひどく冷たかった。
 さっき、手を掴まれたときはもっとあたたかい手をしていたのに。
 私は緊張すると手が冷たくなるけれど、もしかしたら唯兄もなのかな……。
「あ〜……リィ、背中合わせ希望」
 唯兄は俯いてそう口にした。
「うん……背中合わせにしよう」
 私たちは昨日みたいに背中を合わせて体育座りをした。





 私は今にも破れそうなその紙をまるで国宝を扱うように開く。
 手紙は、「ユイへ」という文字から始まっていた。
 線の細い、繊細なお姉さんらしい字が綴る内容はなんとも言えないものだった。
 すごく、衝撃的だった――



Update:2009/07/28  改稿:2017/06/19



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