光のもとで

第08章 自己との対峙 33話

 唯兄はベッドに近寄ってきて、「何をしたっ?」と問い質す。何も応えずにいると、勢いよく天蓋が開けられた。
「……髪――」
 お布団の上にはパラパラと髪の毛が落ちている。そして、私の右手にはハサミが握られていた。
「リィ……これはいくらなんでもやりすぎだ」
 怒りを抑えている声だった。
「唯兄……唯兄も出ていって?」
「リィっ、性質が悪いぞっ!?」
 そんなの、わかっている。
 私は適当に彷徨わせていた視線を唯兄に向けた。
「知ってる……。これが私の醜い部分。だから、見ないでほしい」
 まだ私の顔は笑っているのだろうか。もう、笑顔を作ろうと思わなくても勝手に筋肉が動いてくれる気がした。
 顔に癖ってつくんだな、なんてどこか他人事のように思う。
「病人ってみんなこうなのかよ……」
 俯いた唯兄が漏らした言葉。
 お姉さんはいったいどんなことをしたのかな。
 そんなことを考えていると、
「セリも性質悪かったけど、リィも相当だっ。とにかくハサミだけはよこせっ」
 ハサミ、ね……。
「でも、これを持っていたら誰も来ないでくれそう」
「……リィ、本当に怒るよっ!?」
「怒られても痛くも痒くもない。……だって、身体のほうが痛いもの」
 嘘じゃない。身体が痛い……。でも、嘘……。心だってちゃんと痛い。
「碧さんに連絡入れるから」
「……どうぞ」
 ここで嫌だなんて言えない。そしたら、何もかもが無駄になる。
 誰が来ても何を言われても対応は変えない。
 なんでだろう、どうしてこんなに痛いんだろう……。
 身体を両手で抱きしめて痛みに耐える。
「発作っ!?」
「ひとりで、だいじょう、ぶ……」
 もう誰がいても変わらない。薬を飲んでも効きやしない。
「病院に連れていくからっ」
「いいっっっ」
「うるさいっっっ」
「うるさいのはそっ――」
 言葉、喋れない……。
 私はハサミを持ったままベッドの上で蹲った。荒れる呼吸をコントロールするのに必死。
 ハサミを握っている手だって痛いのに、どうしてもハサミを離せなかった。
 今、病院になんて行ったらそのまま入院させられちゃうじゃない……。
 それなら、数十分から何時間かかるのかわからない激痛発作に耐えているほうがいい。
 病院に入ったら、今度こそ静脈注射ではなくペインクリニックでの対応になるだろう。
 局部麻酔は痛いし怖い――。
 肺が痙攣でもしているかのようにビクビクと動く。
 苦しい、でも呼吸をしなくては――。
 吸ったら吐く。とても簡単なことのはずなのに、とても難しい。こんなとき、私は頭の中に一から十までの数を反芻させる。
 最初の五秒できっちりと息を吐き出し、次の三秒は息を止める。そして九、十で息を吸う。その繰り返しで呼吸のコントロールができることを覚えたから。
 唯兄とのこんな会話にも慣れてきた。唯兄もこの痛みで死ぬことはないらしいということはわかってきたらしい。それでも病院へ連れて行こうとするのは、私の痛がる姿を見るに見かねてであることが、私にもわかってきた。
 けれど最近は、飢餓状態であることと著しい脱水症状であることを気にしてか、唯兄の必死さがひしひしと伝わってくる。
 自分を心配してくれる人に億劫なんて思っちゃいけないんだろうな。でも、もう自分でも何がなんだかわからなくなってきているの。
 心配をかけたくないのなら、迷惑をかけたくないのなら、病院へ入るべきだと思う。でも、病院は治療するところ。そう思いたい……。
 だから、治療ができないのなら私は入るべきじゃない。
 ベッド待ちをしている患者は常にいる。なのに、治療すらできない私で埋めるなんて間違ってる。
 そんなことで入院するなんて、ほかの重篤な患者さんに申し訳なさ過ぎる。
 痛いよ……すごく痛いよっ。ほかの病気の人が羨ましくなるくらいに痛いっ。
 癌の人はいいよね? 抗がん剤だってレーザー治療だってあるじゃない。腎臓だって二個あるんだからひとつなくなってもなんとかなるのでしょうっ!? 内臓がおかしいなら、手術をすれば治るんじゃないのっ!? 痛いのかもしれないし、手術だって大変なのかもしれない。予後に転移の可能性もあって怖いかもしれない。でも、それでも治る人は治るのでしょうっ!?
 ……私は? どこが悪いのかもわからなくて、治療のしようもなくて、毎年のように痛みが襲ってきて、人と同じように過ごすことも動くこともできなくて――。
 何……なんのために生まれて生きていて、これからもこんなふうに生きていくの?
 もういい加減にしてよ――いい加減、私を解放して……。
 私が生きている意味は何――?

 発作的な痛みは二時間ほど続いた。
 痛みと全身を襲う痙攣。こんな発作にあと何度耐えればいいのだろう。
 やっと涙が止まった頃、唯兄がお湯で濡らしたタオルを持ってきてくれ、涙でぐちゃぐちゃになった顔を拭いてくれた。
「あり、がと……」
 過呼吸にはなっていないというのに、肩で息をしている状態の自分。いったい何がどうしてしまったのだろう。
 あぁ……発作で体力を使ってしまったからだろうか。
 そんなことを考えながら目を瞑る。と、玄関のドアチャイムが鳴る音が聞こえた。
 誰だろう、と疑問にすら思わない。ただ、唯兄が部屋を出て玄関へ向かうのが気配で感じられた。
 最近はドアを閉めてくれるようになった。ドアの外で女の人の話し声が聞こえる。
 インターホンなしでこの家に出入りが出来るのは栞さん。ともすると、一緒にいるのは湊先生だろうか。栞さんの旦那様も一緒なのかな……。
 少しすると湊先生が入ってきた。この頃は足音で誰かがわかる。
「点滴するわよ」
「もういい……」
「もういいって何よ……」
「点滴、いらない……」
「あんた、ただでさえ脱水症状に加えてエネルギー不足なのよっ!?」
 怒鳴られることにもだいぶ耐性がついたかもしれない。
「それ、しなかったら、死ねる……?」
「……あんた、自殺願望はないって言ってなかった?」
「……それは、少し前の話。今は……自分が楽になりたい。……もう、その場凌ぎの注射も、点滴も、いらな――」
 先生が天蓋の中に入ってきて両肩を掴まれた。突如痛みが走る。
「しっかりしなさいっっっ」
「痛いっ……離して」
 未だに肩での呼吸が続いていた。
「少し前、痛み、ひどくて……やっと少し、楽になった、の……。休み、たい……。ほかの人も、部屋に、入れないで……。音が、いや……。何か、言われて、頭、使うのも、や……」
「……翠葉、病院へ行こう」
「……いや。病院は、治療する、ところ……。緩和ケアなら……ホスピス? でも、この痛みで、死ぬこと、ないから……ホスピス、対象外?」
「あんたは死なないっ。絶対に死なせないから、もうちょっとがんばってよっ」
 もうちょっともうちょっと――あと少し、梅雨が明けるまで――。
 どのくらいそう思ってこの痛みに耐えてきたと思ってるの? そのうえまだ耐えろと言うの?
 毎日毎日生き地獄なのに? 梅雨は明けたのに? 今度は何を待てばいいの?
「今日は何がなんでも病院に連れていくつもりよ」
 先生の声のトーンが下がった。
 きっと、眠らせてでも連れていくつもりなのだろう。
「そしたら、もう――誰とも、口利かない」
「それでも連れていく」
 声に芯のある強い響きをしていた。湊先生らしいな、なんて思ったけれど、身体が限界まできていた。
「おねが……少し、休ませて……」
 そう言うと、湊先生は何も言わずに部屋を出ていった。ドアの閉まる音にほっとして目を閉じる。
 相変わらず呼吸も痛みもつらいけれど、今はこの部屋にひとり。誰に気を遣うことも、痛くて泣くことも憚られない。
 もうどのくらいお風呂に入っていないだろう……。
 頭が痒い。急激に汗をかいたりするから身体が気持ち悪い。
 もっと違うことへ意識を持っていきたいのに、どんどんつらくなる。だから、楽しいことを思い出そうと思った。
 学校で桃華さんたちと出逢って世界が変わって見えたこと。球技大会が楽しくて仕方なかったこと。みんなに誕生日を祝ってもらえたこと。秋斗さんに好きと言ってもらえたこと。
 こういうの、走馬灯とは違うんだろうな。走馬灯ってどんなのかな……。
 学校、楽しかったな。怖いことも恥ずかしいこともびっくりしたことも、嬉しいことも何もかもが色鮮やかに思い出せる。
 そんなことを考えていると、ドアをノックする音が聞こえた。
 今度は誰……。
「翠……俺だけど」
 っ……司先輩っ――!?



Update:2010/03/23  改稿:2015/06/14



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