光のもとで

第10章 なくした宝物 01 Side Minato 01話

「昇から聞いてんだろ? 相馬だ、相馬。お嬢ちゃんの主治医になりにきてやったぜ」
 なんとなく聞き覚えのある声に柄の悪さ……。
 っていうか私、どこで寝て――あぁ、翠葉の病室だ。
 身体を起こすと、真っ先に趣味の悪いアロハシャツが飛び込んできた。
「ほら、嬢ちゃんの自己紹介」
「なんですってっ!? その悪趣味なシャツに相馬って――」
 翠葉の主治医って、まさかこの男なのっ!?
 趣味の悪いアロハシャツ男が振り返る。
「おぉ、麗しのお姫さんじゃないですか」
 間違いない……。このふざけた人間は相馬一樹だ。
 十年ほど前にしつこく付きまとわれた記憶がよみがえる。
 最悪……頭が痛くなってきた。
「なんだ、姫さんは昇から俺が来るって聞いてなかったのか?」
 腕のいい医者とは聞いていたが、名前は聞いていなかった。
 不覚――
 首にぶら下げていた院内PHSで昇の番号を呼び出す。
『なんだよ……』
 寝ていたであろうことはわかる……。
 がっ、それどころじゃないっ。
「昇っ、こいつが来るなんて聞いてないっっっ」
『はぁ? ……あぁ、もしかして相馬が着いたのか?』
 もしかして、とか。到着した、とか。そんな問題ではない。
「とっとと来いっっっ」
『へーへー……』
 そんな会話をしている間に相馬は翠葉に自己紹介を迫っていた。
 翠葉は律儀にも身体を起こし、「先日はお電話で失礼しました。御園生翠葉です」と挨拶をする。
 そんな丁寧に挨拶してやらなくていいわよ、と言いたい自分を抑えつつ、
「おう、躾の行き届いた嬢ちゃんだな。どっかの姫とは違うなぁ?」
 自分を振り返るその面が気に食わない。
 棘だらけの言葉を返してやろうと思ったとき、大あくびをしながら昇が入ってきた。
「相馬〜……着いたら連絡入れろって言ったろ?」
 昇が睨むと相馬は立ち上がり、「久しぶりだな、相棒」とふたりは仲良さ気に肩を組んだ。
 無駄に身長が高くてなおのことムカつく……。
「昇っ、聞いてないっっっ」
「あれ? 言ってなかったかぁ?」
「聞いていたら断わってるわよっ」
 今日は厄日だろうか……。
 そんなことを考えていると、
「姫さんよぉ、一応ここ病室だぜ? ちょっとは声量落とせや」
 正論だ……。正論過ぎてムカつくを通り越して追い出したい。
「っていうか、相馬と湊ってなんかつながりあったか? 俺、知り合いなんて話聞いてねーよ?」
「ちょっとな」
 相馬は愉快そうに答えた。
「で? お姫さんはまだ囲われてるわけか?」
 囲われてる?
「囲われてるって何よ……」
 声量を抑えてみたものの、声のトーンは下がっていく一方だ。
「あれ? お姫さんは気づいてないのか? ってことは、もしかしたら結婚もまだか?」
 囲うとか気づいていないとか結婚とか、あんたいったいなんの話を……。
 あまりにも要領を得ない話に、つい眉間に力がこもる。
「へぇ〜……それは面白い。俺も帰国できたことだし、また姫さん口説こうかね?」
 冗談じゃないっっっ。
 不敵に笑って見せた相馬を睨みつけたとき、コンコンコンコン――とノックの音がした。
「失礼」
 入ってきたのは藤宮のナンバーツーこと静さんだった。
 っていうか、なんでこのタイミングでこの男が現れるんだかっ。
「おや、仕掛け人のお出ましだ」
 は? 仕掛け人? なんのことよ……。
 さっきからこの男はわけのわからないことばかり口にする。
 しばし考えている間に、
「相馬医師、湊は私の婚約者だ。十二月には入籍予定でもあるので、口説くのはやめてもらおうか?」
 静さんに肩を抱かれ引き寄せられた。
 ……ちょっと待って。
 思考停止一歩手前。
 静……今、なんて言った? それオフレコでしょうっ!?
「ええええええっっっ!? そうだったのかっ!?」
 昇に詰め寄られた自分はこともあろうかどんどん顔が熱くなる。
「嘘……」
 翠葉の声が耳に届いても、何も返すことができなかった。
「翠葉ちゃん、病室を騒がせたうえに驚かせたね」
 隣の男はどこまでも余裕そうに対応する。それがまた癪に障った。
「静のばかっ」
 一言吐き捨て病室を飛び出した。

 廊下をカツカツ歩き、少し離れた病室へ入る。
「もおおおおおおおっっっ、なんであの男がここにいんのよっっっ」
 ソファに置かれたクッションを思い切り投げやる。
 なんであいつなの? なんで昇と知り合いなのっ!?
 過去のことを思い出すのも忌々しい……。
 あれは私が二十歳のとき、医大に通っていた私を呼び止めた男がいた。
 いつものナンパだろうと無視を決め込んでいたわけだが、その男は大学からマンションまで延々と着いてきた。
 決してマンションの中へ入ろうとはしなかったが、来る日も来る日も付きまとわれ続けた。
 カフェに入れば私の了解も得ずして合い席に座る。
 そんな不遜な態度も気に食わなかった。
 自分のことをお嬢様と言うつもりは毛頭ないが、それでも藤宮の中で育った自分は紳士淑女に囲まれており、こういった扱いを受けることはまずなかった。
 けれども、警護の人間たちが動かないのならば、さほど問題のある男ではないのだろう。
 そうは思っても、こんなことが続けば私の堪忍袋の緒も持ちはしない。
 我ながら、よく我慢したと思う。
 ちょうどお見合い話もこなくなりつつあり、平穏な日々を送っていたというのに……。
 ぶち切れた私はここぞとばかりに口頭攻めを繰り出した。
 言いたいことを言い切ってすっきりした、と思った次の瞬間には唇を奪われていた。
 その当時、私は誰ともキスをしたことがなかった……。
 初めてしたキスがディープキスとかあり得ない。
 もっとあり得ないのは、そのキスに自分が腰を抜かしてしまったこと……。
「……ずっと忘れてたのにっっっ」
 その後、めっきりと姿を現さなくなり、こちらも存在を忘れることができ、キスのことだって今の今まで思い出さずに済んでいたものを――
「なんでいきなり現れるのよっっっ」
 もうひとつのクッションを投げつけ、ソファにうな垂れる。と、ノックの音がし部屋のドアが開かれた。
 入ってきたのは静だった。
「あれを国外に追放したのも、今回帰国手続きをしたのも私だ」
 なんでもないことのように言う。
「なんで国外追放……?」
「当たり前だろう? 私のフィアンセに付きまとった挙句、ディープキスなんぞされたら国外追放なんてかわいいものだと思うがな」
 笑みを浮かべてそう言った。
 ちょっと待って……。
「なんでキスされたことまで知ってるのよっっっ」
「仮でも婚約者であることに変わりはない。傷物にされては困るんだよ。今回の帰国も渋ったんだが、翠葉ちゃんの治療に必要と言われたら帰国させないわけにはいかなかった」
 ……だから仕掛け人、なのね。一気に脱力だわ。
「そういえば、あのときのキスの消毒はまだだったな」
 は……?
「湊、愛しているよ」
 キザな台詞を口にすると、そのまま顎をつかまれキスをされた。
「せっ……ちょっとっ! そういうのは結婚するまでなしって言ったじゃないっ。しかも翠葉や昇の前でばらすしっっっ」
「何か問題でもあったか? すでにドレス選びだって始まっているし、会場の建築も順調に進んでいるというのに。反故にするつもりか?」
「そういうわけじゃ……」
 先日からドレス選びというより、生地選びが始まった。そして、ドレスのデザインや採寸なども始まっている。
 着々と準備が始められ、もうあとに引けないのもわかっている。
 何よりも、この十年で自分が静に惹かれてしまったことも十分承知している。
 それでも、こういう愛情表現には慣れない……。
「しだいに慣れるさ」
 静はクスリと笑う。
 年の差然り、器の大きさ然り、何をとっても自分が敵わない相手。
 時間をかけにかけて、自分は一番厄介な男に惚れてしまったのではないだろうか……。
 そんなことを考えていると、二度目のキスが降ってきた。



Update:2010/06/02  改稿:2017/07/02



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