光のもとで

第10章 なくした宝物 04話

「相馬先生、さっきまですごく腰が痛かったの」
「おう」
「それが今は全然痛くない」
 すごく不思議だった。
 左腰から脇腹、そこから鳩尾にかけてたまらない痛さがあったのに、今は痛みの欠片もない。
「そこは左右逆方向に歪んでたからな、相当痛かっただろうよ。人の身体は生活習慣によって歪むものが大半だ。だいたいは左右同じ方向に歪むが、嬢ちゃんは左右反対に歪んでる。それはたまらなく痛いはずだ」
 相馬先生に凄むような目で見られた。まるで数日前の昇さんと同じ目。
「それで、どうしてそんな普通の顔をしていた?」
「痛いけど、まだ我慢できるから……」
「悪いがな、今度からそういうのはなしにしてくれ。痛かったらすぐにナースコールだ。いいな? これは俺との最初の約束だ」
「……はい」
 脅すとかそういうものではなく、有無を言わせない何かがあった。
「よし、じゃぁ今日の治療はここまで。ただし、痛みを感じたらすぐに呼べ。いいな?」
「はい……ありがとうございました」
 先生が出ていくまで、お母さんと蒼兄は軽く頭を下げていた。
「型破りなお医者さんだねぇ〜」
 唯兄の言葉に病室の雰囲気がガラッと変わる。
「翠葉、本当に痛みが消えたの?」
 ベッド脇に来たお母さんに訊かれる。
「うん、さっき……痛みで目が覚めたのだけど、そのときの痛みは確かにないの」
 自分でも不思議で、なんだか唖然としてしまう。蒼兄も目を見開いた状態で寄ってきた。
「本当なのよ?」
「リィが嘘つくなんて思っちゃいないよ」
「良かったわね……」
 それまでは緊張の面持ちだったお母さんの表情が緩む。蒼兄は私の背骨を触り、
「何がどう違うんだろうな?」
 と、心底不思議そうな顔をしている。
 そのあとは家族で談笑。
 なんてことのない話をして笑って、そんな時間が好き。
「そういえばね、今日は唯兄が蔵元さんと藤宮秋斗さんの写真と動画を見せてくれたんだよ」
「え? ……秋斗先輩を見たのか?」
 蒼兄の表情がどうしてか曇る。
「でも、藤宮秋斗さんはすぐに奥の部屋へ行ってしまったからあまり見られなかったけど……。なんだか、とても寂しそうに笑う人なのね?」
 蒼兄は何も答えず、代わりに唯兄が口を開いた。
「リィ、違うよ。リィに見せるものだから寂しそうに笑ったんだ」
「え……?」
「それまで普通に接していた人が自分の記憶を失ったらさ、寂しく思ったっておかしくないでしょ?」
 確かにそうなのかもしれない。
 一部の記憶がないとわかったとき、私は錯乱した。それと同じように、記憶をなくされた人もまた、何を感じてもおかしくはないのだ。
「悪いこと、しちゃったよね……。記憶をなくすなんて……」
「翠葉、記憶ってなくそうと思ってなくせるものじゃないでしょう?」
 お母さんに言われて頷く。
「だから、翠葉が悪いわけじゃないのよ」
 穏やかな表情で、労わるように言われた。
「どうして記憶を失ってしまったのかがずっと不思議で、でもどうしても思い出せなくて……」
 記憶のない部分の話を聞いても、記憶の欠片パズルははまっていかなかった。
「記憶のない部分の話を聞いても、記憶が戻るという感じじゃないの。ただ、知識が補足される。そんな感じ……」
 手元に視線を落としてポツリポツリと口にすると、頭に優しい重力が加わった。
「翠葉、思い出せるまでゆっくり過ごせばいい。今は治療が優先」
 そう諭してくれたのは蒼兄だった。
「そうだよね……まずはここから出なくちゃ」
「でも、無理は禁物よ? ゆっくり治療を受けて元気になりなさい」
 お母さんに言われてコクリとしっかり頷いた。
 それから数分もすると、突然睡魔に襲われた。
「翠葉、寝ちゃいなさい」
 お母さんに羽毛布団を胸までかけられ、
「相馬先生が仰ってたわ。施術後には必ず眠くなるはずって。たぶん、それがこれなんでしょう」
 そういえば、さっきそんなようなことを言われた気がする。
「そういうときは寝たほうがいいんですって」
「俺たちはこれで帰るけど……」
 どこか不安そうに蒼兄が口にする。
「蒼兄、大丈夫。痛みはほとんどないし、ただ眠いだけだから」
 そう答えたあと、いくつか言葉を交わしたような気もするけれど、私はずるずると引きずり込まれるようにして眠りに落ちた。


「そろそろ起きられるかな?」
 この声――
「楓先生……?」
 ゆっくりと目を開けると同時に声を発する。
「当たり」
 ベッドの脇にはにこりと笑う楓先生がいた。
「……私服?」
「さっき仕事が終わったんだ」
「えっ!? それじゃ、早く帰って寝ないとっ」
 反射的に口にすると、クスクスと笑われた。
 コントローラーでベッドを起こし時計に目をやると、すでに七時を回っていた。
「激務っていっても翠葉ちゃんのところに顔を出す体力くらい残ってなかったらマンションにたどり着けないよ」
 それはそうなんだけど……。
「相馬先生がさ、自分が一緒じゃ食べられるものも食べられなくなりそうだから、って起きるころを見計らって夕飯の相手してやれって連絡くれたんだ」
 相馬先生……。
「楓先生……相馬先生をどう思いますか?」
「……そうだなぁ。治療をするところは見ていないけど、痛みが取れたんでしょう? そこからすれば腕はいいんじゃないかな。それに俺を呼ぶくらいには懐も深そうだけど?」
 そうだよね、そうなんだよね……。
 昇さんなら間違いなく、患者と医者のコミュニケーションだ、とか言って自分が夕飯の相手をしようとしただろう。でも、相馬先生は楓先生を呼んでくれた。
「……怖いのは顔だけで、実はそんなに怖い人じゃないのかな」
 楓先生は再度クスクスと笑い、夕飯のトレイを持ってくる、と病室を出ていった。
「怖いのは顔だけ――」
 なんだか、あんなに怖がったのが早くも少し申し訳なく思えてくる。
 楓先生を呼んでくれたのは、きっと私が楓先生の名前を出したからだ。
 鍼の治療を怖がっている私に、段階を追って説明し、まずは目に見えるところに施術してくれた。
 わからないことは訊けば答えてくれる。怖がればその不安を取り除いてくれる。
 何よりも、痛い思いをせずに痛みを和らげてくれた。
「はい、夕飯」
 トレイをテーブルに置かれ、もうひとつの気遣いにも気づく。
 夕飯は六時なのに、私が起きるまで待ってくれたのだろう。
「先生、相馬先生は優しい人かもしれない」
「……第一印象は外れないって言うけど、なんでもかんでもその型に当てはめなくてもいいよね」
 それにコクリと頷き、ご飯を食べることにした。
「翠葉ちゃんは感覚で人を見分けたりするけれど、ちゃんとその人の本質を見ようとするよね」
 感覚と本質……?
「つまり、第一印象とそのあとの、人の言動や行動ってところかな? それはものすごく大切なことだと思うんだ。第一印象で人を避けちゃう人はさ、食わず嫌いと同じでしょ?」
 そんなふうにたとえられて、ようやく意味を理解する。
「先生、でもね……」
 これは白状しないとだめだと思うの。
 楓先生は「ん?」って顔をして私を見ていた。
「主治医で治療してくれる人じゃなかったら、できる限り近寄りたくない人だったかも……」
「翠葉ちゃん、正直すぎ」
 楓先生はくつくつと笑いながらベッドに突っ伏した。
 楓先生の背中を見つつ、ひどいなぁ、と思う。でも、この場合ひどいのは自分だったかもしれない。
 それに正直すぎというよりは――
「ずるくなりたくないだけなんですけど、すでに結構たくさんずるいことをしているのかもしれなくて……」
「でも、翠葉ちゃんは少しくらいずるくていいと思うよ。じゃないと、世の中の人間みんなが腹黒人間になっちゃうからね」
 楓先生は私のことを真っ白できれいみたいに言ってくれるけれど、私はたぶんそんなに真っ白じゃないと思う。
 そんなことを思いながらご飯を食べ、少し残してご馳走様をした。
 痛みが軽くても食欲が戻らない。
 残してしまったものを見ていると、
「すぐには食欲だって戻らないよ」
 と、トレイを取り上げられる。
「ただでさえ、今は行動を制限されていてカロリーを使わないようにしているんだ。激痛発作がなければ体力を消耗することもない。お腹が空かなくて当然なんだ」
 そっか……。
「俺はこれで帰るけど――あれ? 何か言い忘れてる気がする」
 ……言い忘れ?
 じっと楓先生を見ていて、はっとする。
「楓先生っ、ツカサ、ツカサは勝った!?」
「あ、それだ! 無事に勝ち進んでるよ。それから陸上の佐野くんも」
「良かったぁ……」
「俺も言い忘れなくて良かった。じゃ、ゆっくり休んでね」



Update:2010/06/17  改稿:2017/06/30



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