光のもとで

第11章 トラウマ 03〜07 Side Momoka 03話

 始業式前のホームルームでは出欠確認を取るのみ。あとの連絡事項は始業式のあとになる。
 教室を出る前から翠葉は挙動不審に陥っていた。人の前には立ちたくない、そんな感じ。
 あとからついていくほうが、人に押される心配がなくて少しは安心なのだろう。けれども、ほかのクラスの人間も移動を始めている今、クラスの先頭にいようが後ろにいよう が、あまり状況は変わらない。
 そんな中、海斗が翠葉の後ろに立ってくれる分には助かる。
 背後に立つ海斗をちらりと見れば、海斗はにっ、と笑って見せた。
 海斗……あんた、だいぶ川岸先生ぽくなってきたわよ。少し気をつけたほうがいいと思うのだけど、どうなのそれ……。
 テラスへ続く廊下は三階から下りてくる二年で埋めつくされていた。それと比べ、多少人口密度が低い一階への階段を選び先に進む。
 翠葉は歩みを進めるごとに表情を強張らせていく。
 こういうのは言ってくれないのかしら……。
 外に出て、桜林館の入り口を見た瞬間に翠葉の足が竦んだ。
 まだ言ってくれない……。こんな近くにいるのに。――もうっっっ。
「翠葉こっち」
 折れそうな翠葉の腕を軽く掴んで列を外れた。
 この先の図書棟サイドの入り口ならば教職員しか出入りしていないだろう。
 人ごみを抜けたところで腕を離し、
「言いなさいよっ」
 我慢できずに口調荒く言い放つと、翠葉は驚いた顔で私を見ていた。
「人との接触が怖いんでしょう? 飛鳥のときも身構えてた」
 いつだって見ているのよ……?
 翠葉は改めて驚く。
「……ごめん。耐えられない痛みじゃないの。でも、やっぱり振動とかそういうのはちょっとつらくて……」
 ここでようやく白状。
「……そんなの仕方ないじゃない。翠葉が悪いわけじゃないんだから」
 これ、八つ当たりっていうのよね……。知ってる、わかってる。でも――
「藤宮司になら言うの?」
「え?」
「あの男になら言うのか、って訊いているのっ」
「……言うというよりは、知っているから言わない、かも……」
 面白くない……。
 昔は好きな人でも、今はライバル。そんな気がするのはどうしてかしら。
「私も聞きたい……」
「……桃華さん?」
「あの男が聞けて私が聞けないのは不公平だと思うっ。私だって知りたいんだから……」
 翠葉は「わからない」という顔をする。
 こういう表情は本当に兄妹そっくりで、思わず蒼樹さんの顔を思い出した。
 藤宮司が夏休み中に努力したのは認める。でも、私は夏休み中、会いに行きたくても行けなかった。あの男は万年フリーパスを持っているようなものじゃないっ。
「翠葉が言ってくれるようになるまで待っていようと思っていたけれど、あの男に負けるのだけは我慢ならないのよ」
 なんだか自分がどうしようもなく駄々っ子のように思えて恥ずかしい。
 恥ずかしいから翠葉に背を向けた。すると、「ふふ」と後ろからかすかな笑い声が聞こえてきた。
「ちょっと、何笑ってるのよっ」
「だって、行動がツカサと一緒なんだもの」
 翠葉は嬉しそうに笑っていた。
「あの男と一緒にされるのも並列扱いされるのも嫌だけど、何も教えてもらえないのはもっと嫌」
 それが私の本音。
 翠葉の背後から歩いてくる藤宮司に宣言するように言ったつもり。
 翠葉は、藤宮司がそこにいることにまだ気づいていない。「うん」とはにかむ翠葉まであと数歩。
「ずいぶんな言われようだけど、それは俺も同感」
 藤宮司は私を真っ直ぐに見据えて言う。
 真正面から思い切り「最悪」と言われている感じ。
 こんな関係にももう慣れた。こういう位置関係が私たちの在り方。
「ツカサ……?」
 翠葉が振り返ると、藤宮司の表情がほんの少し和らぐ。
 ほかの人には気づけない変化かもしれない。でも、私にはわかる。
 だって、ずっと見てきたの……。
 藤宮司は翠葉の隣に並び、
「簾条に連れられてるのが見えたから」
 相変わらず翠葉が何かを言う前に答えを与える。その背後から、
「そんなツカサを見つけたから俺らも!」
 優太先輩と嵐子先輩が現れた。
「翠葉ちゃん、久しぶり!」
 優太先輩に声をかけられて「お久しぶりです」と見上げる翠葉。
 背が低いとこういう仕草ひとつとってもかわいく見えるのよね……。
「髪の毛切ったのね?」
 嵐子先輩が翠葉の髪に手を伸ばした。
 身構えるか、と思ったけれどそれはなかった。
 ま、今朝の飛鳥とは勢いが違うものね。でも、優太先輩の手が伸びてきたときには、明らかに身体を硬直させた。
 なんの差……?
 翠葉が身を引くより先に藤宮司が動く。
「優太、触れないでやって」
 ほら、こんなこと……ほかの女子には絶対にしないでしょう?
「言っておいたほうがいいんじゃないの? じゃないと簾条みたいなことになりかねないけど」
 言葉は素っ気無い。でも、言っていることは間違っていないし、翠葉を思えばのこその忠告だろう。
 あんた、体温はあるんでしょうね? どうしてそんな涼しそうな顔をしていられるんだか……。
 今、真夏よ? しかもここは屋外。おまけにあんたの大好きな翠葉の前。
 色々並べ立ててみるけれど、そのどれにもこの男がペースを乱されることはなさそうだ。
「あの……痛みが――」
 翠葉は口を開き、視線を落として少し考えているよう。
「ん?」と嵐子先輩に顔を覗きこまれて翠葉は顔を上げた。
 思わぬところで予行演習ができることになった。翠葉、がんばって……。
「あの……私、身体のあちこちに痛みがあって、夏休みに治療を受けていたんですけど、まだ全快ではなくて……」
「うん」
 嵐子先輩の持つ雰囲気は飛鳥に似たものがあるけれど、飛鳥よりは断然に落ち着いていて意外と聞き上手。そんな先輩を前に、翠葉は意を決したように姿勢を正す。
「自分の歩く振動には耐えられるようになったんですけど、人とぶつかるのとか、肩を叩かれるのは少しつらくて……」
「そっか。じゃ、気をつけないとね? あとで図書室に集ったらみんなに言いなよ?」
 嵐子先輩はこれで終わりではないことを示唆してくれた。
「それと、俺たち、もうちょっと仲良くならない?」
 優太先輩が距離を取って話しかけると、翠葉は不思議そうに優太先輩を見上げる。
 しばらくは優太先輩をじっと見ていたのだけど、振り返って私と藤宮司を交互に見た。即ち、SOSだろう。
 さて、なんと答えようか。そして、この男はなんと答えるのだろうか。
 そんな逡巡をする間もなく、
「司の呼び名は昇格で、俺たちはいつまでも苗字に先輩付け?」
 この場にはいなかった朝陽先輩の声が割り込んだ。
 辺りをを見回すと、柱の影に隠れて立っていた朝陽先輩が姿を現す。
 盗み聞きだなんて趣味の悪い……。
 翠葉も新たな声の主を見つけ、「美都先輩」と呟くように口にした。
「俺たち、学年違えど同い年でしょ?」
 優太先輩がにこりと笑えば、翠葉の代わりに藤宮司が口を開く。
「優太も朝陽も勘弁してやって。翠は留年していることを人に知られたいわけじゃない」
 あんたはどうなのよ、と思う。でも、それ以上に訊いてみたくて仕方のないこと。
 ねぇ……あんた、誰がどこから見ても、あんたが翠葉にご執心ってばればれよ? そういうの自覚してる?
「ま、それもそうよね……」
 嵐子先輩が苦笑する。とても残念そうに。でも、先輩方の気持ちはわからなくもない。
 翠葉のテリトリーに入りたいという気持ち、それならわかる。
「翠葉、せめて名前に先輩付けで手を打ったら?」
 そのくらいなら問題はないはず。
 翠葉は、「あ」と口を開き、その直後に首を傾げる。
 ……私、今そんなに難しいことは言った覚えはないのだけど……。
「あ、いいね! それで手を打つよ」
 朝陽先輩が言いながら、にこやかに歩いてきた。
 翠葉は首を傾げたまま。
 いったい何を考えているのか……。
「俺たちの名前忘れちゃった?」
 優太先輩が尋ねると、
「いえ、優太先輩、嵐子先輩、朝陽先輩、ちゃんと覚えています」
 翠葉は笑みを添えて答えた。
「覚えててくれて良かった」
 優太先輩が満足そうに笑うと朝陽先輩が、
「ついでにさ、千里も名前で呼んでやってよ」
 気を利かせたつもりなんだろうけれど、この「誰だっけ」という顔をしている翠葉を見てしまうと千里が居たたまれなくなる。
 千里、あんた翠葉の中じゃ影が薄すぎだわ。もうちょっと影を濃くして出直してらっしゃい。
 そうね……藤宮司張りに黒くなったら存在を認めてもらえるんじゃないかしら。
「ほら、そこっ! っておまえたち、揃いに揃って生徒会役員じゃないか。とっとと中に入れ、ほかの生徒に示しがつかんっ」
 川岸先生に指摘され、一同がはっとする。
 桜林館の中に入ると、全校生徒が整列を完了させる寸前だった。
「こっちよ」
 翠葉を庇うように歩き始めると、
「翠」
 後ろから藤宮司の声がした。
 あんたね、名前を呼ぶだけじゃ思っていることは伝わらないのよ? この子が鈍いのはあんたもわかっているでしょう? ……でも、大丈夫よ。翠葉の前後は私と海斗だから。
 そう思ったとき――
「大丈夫、わかってるよ。倒れる前には離脱する」
「……ならいい」
 ……意思の疎通ができている?
 というよりは、翠葉にしては珍しい返事だった。
 悔しいけど――これがあんたの夏休みの「成果」なのね。
 認めるわよ……。本当はものすごく悔しいけれど――



Update:2010/06/02  改稿:2017/07/06



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