有無を言わせない会長からの指示。
「翠葉ちゃんが動けなくなってるって指宿から連絡があった。図書棟と三文棟の間」
舌打ちをせずにはいられなかった。
最近、翠が動きすぎなのはわかっていたのにセーブしてやれなかった。
顔を合わせればケンカになるとか、そういうのは言い訳にしかならない。
すぐに携帯と取り出し秋兄にかけながら図書室を出る。
最近は図書棟にいないことも多かったが、今日は隣の部屋で仕事をしている。
秋兄は電話に出るなり、
『場所は?』
きっとバイタルを見て、似たり寄ったりのタイミングで発作に気づいたのだろう。
説明が省けて助かる。
「図書棟と三文棟の間。エレベータの近くに待機してて」
『了解。湊ちゃんには俺から連絡を入れる』
「頼む」
あの姉のことだ。秋兄が連絡をするまでもなく、こちらへ向かっているに違いない。
算段が立てばあとは走るのみ。
動けないって何? 血圧? それとも痛み?
俺が駆けつけたときには、翠と翠に付き添っているふたりを取り囲むようにして人が集まっていた。
翠に付き添っていたのは三年のクラス委員長ふたり。
「秋兄に車回してもらってる。そこまでは俺が連れていくから」
テラスで横たわっている翠に声をかけ抱え上げると、
「ツカサっ、痛いっっっ」
俺の腕から逃れるように身体を丸める。
血圧じゃなくて痛み……。
「我慢しろ。どうやってもここから駐車場まではこの方法でしか運べない」
そう言って、無理やり横抱きにして立ち上がると、図書棟まで戻りエレベーターで一階へ降りた。
そこには秋兄の車が停まっており、すでに姉さんも同乗している。
「痛み?」
翠は姉さんの問いかけに浅く頷く。
痛みのせいで全身が硬直し始めていた。
あらかじめ倒してあった助手席に翠を寝かせると、秋兄がシートベルトをしてすぐに車を発進させる。
俺はここまで――
走り去る車を見送り図書棟に戻ろうとしたら、エレベーターに乗る際に一緒に来てくれた三年のクラス委員長ふたりが「大丈夫なの?」と心配そうに訊いてきた。
「大丈夫じゃないから病院へ行くんです」
「……そうなんだろうけど、すごい冷や汗だったわ。見たことがないくらい……」
そう言ったのは女子のほう、芹園先輩。
「実際、すごく痛いそうですよ」
どう説明したらわかってもらえるのか。
俺があの痛みを体験したわけじゃない。
それをどうやったら予備知識もない人間たちに理解してもらえる?
ペインビジョンの数値なんて話しても意味がない。
「……痛みのせいで何日間も眠ることすらままならず、食事を摂ることもできなくなる――そんな痛みを知っていますか?」
振り向きふたりに訊く。と、ふたりは絶句していた。
想像を超えるたとえだったのだろう。
「俺も知りません。でも、翠が抱えているのはそういう痛みだそうです」
自分が体験してもいないことを「こうだ」とは言えない。だから、自分が見てきたものをそのまま口にした。
知っていることを言葉にしたら、周りは理解してくれるのだろうか。噂は訂正されるのだろうか。
「噂じゃ拒食症って話だったけど、そうじゃないんだ」
と、指宿先輩が言葉を漏らした。
「夏休み明けに見たときびっくりしたの。前も十分細かったけど、始業式に見たときは折れるんじゃないかと思ったわ」
「好きであんなに細いわけじゃない」
俺が言えるのはここまでだ。
結局、俺は何もできない……。
呼び出されても助けは求めてもらえないし、呼び出されたことすら話してはもらえない。
頼られていないわけではなく、翠はその人間たちと話すことに何か意味を見出しているようだった。
けれど、そこから俺にもう少し周りの人間と話したらどうか、という提案になるのはどうかと思う。
青木の話だと、呼び出した人間たちと挨拶をする仲になっているというのだから理解に苦しむ。
図書室に戻ってからも携帯が気になって仕方がなかった。
あそこまでの痛みがすぐに引くのか……。
翠の病気はまだ根治療法が確立されていない。
一〇〇パーセントこれが効く、という治療はない。
また入院なんてことになったら――
「はい、みんな集ってっ!」
会長の声に、散らばって作業をしていた人間が集る。
「今までは下校時の校内チェックをみんなでやっていたわけだけど、それをグループ分けして効率よく、さらには負担を軽くしようと思う。女の子がひとりで夜道を歩かなくて済むように、必ず下校ルートが一緒の人間とペアを組むこと。まずは朝陽と桃ちゃん、嵐子ちゃんと優太、翠葉ちゃんと司、俺と茜、海斗と千里。これなら五日に一度のローテーションになる。ふたりだけで見回りっていうのはあれだから、紅葉祭実行委員からも充当する」
これは間違いなく翠のための対策だろう。
「会長――」
その先は続けられなかった。
俺が礼を述べることじゃない。これは翠が戻ってきたら、翠が自分で言うべきことだ。
もっとも、翠に気を遣いました、という具合に話すつもりはないんだろうけど……。
それでも翠は気づくだろう。そういうところの勘だけは鋭いから。
「司、今日は帰っていいわよ。今日は私と久がやるから」
茜先輩がにこりと笑って、
「ほら、とっとと行くっ」
と、図書室を追い出された。
これは病院へ行けと言われているのだろう。
翠が学校を出てから二時間が経過していた。
痛みが二時間以上続くことも珍しくない。
まだ痛みと闘っているのだろうか。
図書棟を出たところで秋兄の車が戻ってきた。
自然と足が止まり、車が近づいてくるのを待つ。
俺の前まで来ると窓が開き、
「さっきようやく落ち着いた」
俺の顔を見てから携帯の電源を入れたところを見ると、ずっと病院にいて電源を落としていたのだろう。
「湊ちゃんはそのまま救急に駆り出されて、今は相馬さんがついてるよ」
「どのくらい……どのくらい時間かかった?」
「……一時間四十五分、かな」
秋兄は時計を見ながら、
「運ばれてすぐに点滴を入れられて、ペインクリニックの治療を受けるために手術フロアに運ばれた。そこから出てきたときにはだいぶ落ち着いていた。体力はかなり奪われていたけどね」
俺が行ったところで何をできるわけでもない。それなら行くよりも休ませたほうがいいのか――
「行ってこいよ。……敵に塩は送らない主義なんだけど、翠葉ちゃん……寝言で司の名前呼んでた」
……嘘だろ?
「……嘘。本気にした?」
にこりと笑う、目の前の男を殴りたい。
「寝言は嘘だけど、司のことを気にしているのは本当。相馬さんが気にしてた。最近ケンカばかりなんだって? 翠葉ちゃん、治療のたびに普通に話せないって相談してたみたいだよ」
「…………」
「行って確かめてきたら?」
それだけ言うと、秋兄は緩やかに車を発進させた。
なんか遊ばれた気分……。
そう思いつつ、自転車置き場に着くころには心が決まっていた。
「行こう――」
Update:2010/06/02 改稿:2017/07/06
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