光のもとで

第12章 自分のモノサシ 08話

「俺を保険にすればいい」
「……え?」
「……ほかの人間が翠の前から去っていったとしても、俺だけは残る。そういう保険」
 保険……?
「司、ずる過ぎ」
 それまでになかった声が割り込み、心臓が変な動きをするほどに驚く。
 ツカサが振り返ると、その向こうに海斗くんが立っていた。
 携帯やほかのことに気を取られていて、海斗くんが入ってきたことにまったく気づかなかった。
「翠葉の携帯つながらないってみんな俺のところに連絡よこすから……」
「さっきまで電源入ってなかった。今は入れてる」
 ツカサが答えると、
「司はいつもずるい」
 海斗くんは抗議の眼差しをツカサへ向けた。
「翠葉、その保険、俺のとこでも取り扱ってんだけど」
 ずい、と上から見下ろされる。
「因みに、うちの掛け金はひとつの約束でいいよ」
 掛け金に約束……?
「翠葉が十年先も二十年先も、ずっと俺と友達でいてくれるって言うならそれでいい」
「……ずるいのはどっちだよ。それ、十分すぎる言質だろ?」
 ツカサは大仰にため息をついた。
 でも、そんなの掛け金にならない。
 だって、私は蒼兄と秋斗さんの関係に憧れている。
 そのふたりですら八年の付き合いなのだ。
 それなのに、十年も二十年も先の保障をしてもらえるなんて――
 高校三年間の倍以上、今まで生きてきた年月よりももっと長い。
 私は二十年だって三十年だって海斗くんの友達でいたいし、ツカサの側にいたい。
「翠葉、それ……出てやってよ」
 海斗くんに携帯を指差される。
「俺も司もここにいるんだからさ」
 そう言うと、私の携帯と同じように海斗くんの携帯も鳴り出す。
「あーだーもーっ! 翠葉が出ないと全員俺にかけてくんだよっ」
 大声を出して、
「はいっ、こちら海斗っ! ただいま留守にしておりますっ」
『つか全然留守じゃねーじゃんっ! 通話中って出てるわ、ボケっ』
 人の声は不思議だ。
 私の携帯がうるさく鳴る中でも独特な響きで耳に届く。
『翠葉っちの携帯、普通にコール鳴るようになったけど、出てもらえないっぽい』
 誰かはわからないけど、クラスメイトだと思った。
「ちょっと待って。ほら、翠葉っ。和光から」
 海斗くんの携帯が強制的に耳に当てられる。
『えっ!? 何っ!? そこに翠葉っちいるの? もしもしっ!?』
 声が出せない……。
「翠、それ携帯だから。何か話さないと通信が成り立たないんだけど」
 ツカサに言われて何か言葉を発しようと試みるものの、
「あ……あ――」
 急に話し方のわからない人になってしまった気分だ。
 なんて口にしたらいいのかがわからない以前に、自分が何を発しているのかも定かではない。
『……メール、ありがとね』
 メール――
 どうして、「ありがとう」と言われているのだろう。
『電源切ってたのは返信メールとかこういう電話がかかってくるのが怖かったからでしょ?』
 和光くんは私が何を話さずとも、応答を確かめることはせずに先を続ける。
『今までの翠葉っち見てれば、どれだけ勇気を出してこのメールを書いたのかくらいは想像できる。でも、昨日の今日でメールくれたから許す。こんな早くに行動に移すとは思ってなかった。それってさ、つまりは取り返しのつかない状況にはしたくないってことでしょ? 俺はさ、メールの内容よりも、その気持ちのほうが嬉しかったんだよね。だから俺はそれでいい。じゃ、ほかにも話したいやついると思うから、俺は切るね』
 そう言われて通話が切れた。
「わっ、何っ!? 和光、何も翠葉が傷つくこと言ってなかったと思うけどっ!?」
 携帯がスピーカーの状態になっていたわけじゃない。ただ、私の携帯が鳴ったり止んだりしている中で、和光くんの声が海斗くんにもツカサにも聞こえていただけのこと。
 泣いているのなんてずっとなんだけど、さっきとは違う涙が溢れだす。
「わこ、くん……許してくれ、る、て……」
 言葉がスムーズに出てこない。
 しゃくりあげるたびに、頭にズキンと痛みが走る。
「海斗、これ、全部メールに切り替えさせて。それから、海斗の携帯も音鳴らないように」
 ツカサの指示に海斗くんがメールを打ち始め、ツカサは私の携帯を再度取り上げる。と、いくつかの操作をして返された。
 携帯の音が鳴ることはなくなったものの、着信を知らせるランプは消えない。
 ――サイレントモード?
 ツカサはキッチンへ向かい、数分後にはトレイにカップを三つ載せて戻ってきた。
「とりあえず落ち着け」
 そう言って手渡されたカップからはカモミールの香りがして、なぜか氷が五個浮かんでいた。
 氷は見る見るうちにシュワシュワと溶けてしまったけれど、口をつけると飲みやすい温度になっていて、そんな優しさにも涙が溢れる。
「こんな状態じゃ昼食も食べてないんだろ?」
 頷くと、
「別に責めてない」
 次の瞬間、海斗くんが携帯を手に首を傾げた。
「なんだろ? ――はい、海斗です」
『コンシェルジュの真下です。今少しよろしいでしょうか?』
「大丈夫ですよ」
 海斗くんは立ち上がってピアノのもとまで移動すると、
「あぁ、大丈夫です。俺が下まで迎えに行きます」
 携帯を切った海斗くんがニヤリと笑う。
「俺、ちょっと下に人を迎えに行ってくる」
 え……?
「きっと翠葉が喜ぶ人間だよ」
 と、一言残してゲストルームを出ていった。
 誰……?
「……俺がここにいる意味がないなら帰るけど」
「やだっっっ」
 咄嗟にツカサの袖を掴む。
 ツカサと海斗くんがここにいてくれなかったら、今でも先が見えない恐怖の中にいただろう。
 携帯の電源も入れられず、ただただ「恐怖」の中で動けず声を出すこともできずにひとり――そう、ひとりだったのだ。
「海斗が言っていた保険、俺のところは掛け金も審査も少し厳しい」
 顔を上げると、ツカサは真剣な顔で口にした。
「翠が俺を信じていないなら、俺は残らない」
「…………」
「でも、翠は俺を信じているだろ?」
 コクリ、と頷く。
「審査は昨日のうちに終わってる。すでに契約の準備は整っていて、さっき俺の手を掴んだ時点で契約完了。契約更新手続きは一切なし。その代わり、翠から一方的に契約を反故にされた場合はどうするかな?」
 そう言って、ツカサはにこりと笑った。



Update:2010/06/02  改稿:2017/07/09



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