光のもとで

第12章 自分のモノサシ 22話

 この階は相変わらずほかの階と比べて少し暗い。
 レベーターを出てすぐのところにあるロビーは、床から天井までのガラス窓でとても明るいのに、廊下はわずかな照明のみ。
「患者がいなけれりゃ、俺が困らない程度についてればいい」
 それが相馬先生の考えなのだ。
 実際に暗すぎて足元が見えないなんてことはないし、困らない程度の照明はついている。
 ナースセンターに着くと、
「先生、ちょっと内線借りまーす」
 唯兄がカウンターに手を伸ばし、
「新棟九階にいる若槻です。藤守さんお願いできますか? ――あ、若槻です。すぐに新棟のエレベーターを八階止まりにしてください。ほか、二棟との連絡通路のロックがされていないようでしたらそちらもロックかけてください。それから、非常階段に警備員の配置をお願いします。自分は五分以内に非常階段から下りますので、今から五分後にはこの階の非常階段のロックもお願いします。話は下に下りたときにします」
 いつもより活舌良く早口で、けれども相手が聞き取れる速さをキープしつつ用件のみを簡潔に伝えて内線を切った。
「リィ、俺ちょっと警備室に行ってくるね」
 いつもの口調に戻ったけれど、急いでいる感じは変わらない。
「治療が終わったら警備室に内線かけて? くれぐれも、自分で下まで降りようと思わないこと。エレベーター内の九階ボタンは無効にしたから下からは上がってこれない。でも、九階からの呼び出しにエレベーターは応じる。でも、俺が戻るまではだめ。相馬先生と一緒にいて」
 念を押すように言われた。
「何かあったのか?」
 相馬先生が訊くと、
「んー……ちょっと面倒そうなのと鉢合わせちゃっただけです」
 いつもの口調に戻るけど、やはり急いでいるようだった。
「今、この階に誰も入ってませんよね?」
「あぁ、相変わらずの不況ぷりだ。たまに物好きな人間が人間ドックで数泊するくらいさ。今はいない」
「なら問題ない。リィの治療って時間かかります?」
「それなりに」
「じゃ、やっぱり必要」
 言いながら、唯兄はエレベーターホールとは反対方向に向かって後ろ歩きを始める。
「自分が出たら非常階段もロックされるから、何かあったら警備室に連絡ください。非常時にはこっちで避難経路確保して連絡するなり迎えに来るなりします」
 言うだけ言って、くるりと背を向けて走りだす。
「何があったんだ?」
「エレベーターで八階を押した人たちに、九階には家族が入院しているのか訊かれたんですけど……」
 その後のやりとりや唯兄が話してくれたことを続けようとしたけれど、説明はそれで十分だったみたい。
「なるほど。そりゃ面倒な人間と鉢合わせたな」
 唯兄が色々と説明してくれたけれど、私はそこではなくて違う部分が気になっていたからあまり深くは考えていなかった。
 改めて先生に疑問をぶつけると、
「そうだなぁ……。ま、使い道はそれぞれ違うだろうが、やることはひとつだな。九階に誰が入院しているのかが知りてぇってとこだ」
「知ってどうするんですか?」
「この階に入院できる人間はそれなりの経済力がある人間に限られる。企業の重役であってもおかしくはない。十階は藤宮一族が使うVIP階。九階は会長や藤宮の上層部の口利きがないと入れない。そんな人間たちは一握りだ。それ以外の企業のトップはこの棟の八階に入ることが多い。誰が入院しているのかを情報として使うのか、お近づきになりたいのか、入院している人間によりけりで使い道は変わるんだろうな。ま、実際には誰もいないし、誰かがいるのならそれなりのセキュリティ対応に変わるがな」
 自分の入院していた階が特別であることは知っていたけれど、ここまで詳しく知ったのは初めてのことだった。
 でも、なんだか難しい……。
 今でも苦しんでいて、入院したいのに万床でベッド待ちの人はたくさんいると思う。なのに、誰も使わない病室が常にあるなんて……。
 楓先生がこんな部屋はなくてもいいから病室に、と自分にあてがわれたオフィスを見て言っていたのを思い出す。
 そしたら、なんとなく楓先生に会いたくなった。
「十階にはいつもセキュリティがかかっているが、ここは患者がいない限りはセキュリティをかけてはいないんだ」
「そうなんですか……?」
「スイハが治療で来るときはいつも警備員がエレベーターに同乗していた。違うか?」
「あ――」
「あれはほかの階で停まらないようにノンストップで上がるために、だ」
 知らなかった……。
 でも、言われてみればいつもほかの階で停まることもなく、ほかの誰と一緒にエレベーターに乗り込むでもなく、いつだって警備員さんが同乗していた。
 気にしていなかったから言われるまで気づかなかった。
「ここで治療を続けるのも意外とリスクがあるってこったな。ま、スイハが気にすることじゃねぇ。んなもん、気にしなくちゃなんねぇ人間たちがどうにかするさ」
 ケケケ、と笑っては夏休みに過ごした病室へ移動する。
 気づかないところで人に守られている。そして、気づかないことで私はお礼も言っていないのだ。
 それが警備員さんたちのお仕事でも、お礼を言いたいと思うのはおかしいことかな……。お礼を言うことは、その人たちを困らせることになるのだろうか……。
 あとで唯兄に訊いてみよう。

 病室は自然光で十分な明るさだった。
 まだ午前だけどとても明るい。
 午後になると、今よりも柔らかなお日様の光が部屋に溢れ、陽が傾きだす頃には赤味を帯びた光に変化する。
 ここは病室であって処置室でも診察室でもない。けれど、私にとっては病室兼処置室兼診察室の三役を担う部屋になっていた。
「でも、あのシスコン兄貴二号も藤宮警備にいるだけあって機転が利くな?」
「……二号って、唯兄のことですか?」
「あぁ。スイハはナンバーツーのとこで仕事すんだろ? それがトップシークレットなら、ここに来ているのがスイハだと知られないのが最良だ。だから、あらかじめ警備室に連絡を入れてスイハたちの名前は記入させないようにしていたんだが……」
 あ――。
「まぁ、いい。それは二号に任せとけ」
 そう言うと、いつものようにカイロに使われる寝台に腰掛けて脈を取られる。
「学校はどうだ?」
「すごく楽しいですっ! 昨日ね、初めて起案書を作らせてもらったんですよっ!」
「おー、良かったな」
 脈診を進めるうちに、先生の表情が厳しいものに変わった。
「……先生?」
「全部最悪だな。ストレスの脈も強ければ肺の脈も無駄に強い。気をつけないと風邪ひくぞ。それに加えて胃腸、腎臓の動きも弱い。ものが食えてないか何かしらの症状が出てると思うんだが? ……それから、睡眠も取れてねぇな」
 鋭い目が私を射止めた。
「ピルケース出せや」
「っ……」
「何か見せられないものでも入ってんのか?」
 ピルケースには普段から携帯している薬のほかに、蒼兄や唯兄が飲んでいる滋養強壮剤と呼ばれるものが一錠だけ入っている。
 どうしてか、それを見られるのはとてもいけないような気がした。
「……出せ」
 その言葉には逆らえなくて、仕方なしにメタリックグリーンのケースをかばんから出す。
 先生はそれを受け取ると、ケースをスライドさせて中を見た。
「俺の知らないものがひとつある」
 先生は錠剤を人差し指と親指でつまみ、
「これはなんだ?」
「…………」
「なんだ、と訊いている」
「……滋養強壮剤。おうちにあったものです」
「……誰かに勧められて飲んでるのか? それとも自分でか? 少なくとも、俺は許可した覚えはねぇ」
「……自分で――」
「……もう飲むなよ?」
 私はその言葉に頷くことも返事をすることもできずにいた。けれども、無言は肯定と見なされてしまい、先生はそれをゴミ箱に放り投げた。
 あれがないと一日動いていられないのに――。
「ずいぶんと名残惜しそうだな?」
 だって――。
「言いたいことがあるなら口にしろ」
「――だってっっっ、あれがないと一日動けないっっっ」
 テスト明けの火曜日、午後から紅葉祭の準備に取り掛かったけれど、夜にはご飯が食べられないほどに疲れていた。
 翌朝、キッチンに入ったときに目についたものがある。
 それは、唯兄と蒼兄が愛用している滋養強壮剤。
 普段は気にも留めなかったけれど、「滋養強壮」の文字がひどく魅惑的なものに思えて、その日初めて一錠持ち出した。
 夕方、極度の疲労感が襲ってきたときに飲んだら、身体がポカポカしてきてなんとなくそのあとも動けた。少なくとも、前日よりは楽だった。
「おまえは夏休みの治療を全部無駄にしたいのか?」
「そんなつもりないっ」
「そんなもの飲み続けてたら、あっという間に逆戻りだ。今すぐやめろ。もう飲むな」
「でもっっっ」
「でもじゃねぇ……」
「……どうして――」
 だめだ……感情のままになんて話ちゃだめ。
 また私は泣きだして、何もかもが止らなくなる。
 そうではなく、きちんと話をしなくちゃいけない。
 ――だけど、もう遅かったみたい。
 言いたくない言葉が次から次へと口から出ていく。
「今日、日曜日なのに先生に呼ばれた理由ってこれなのっ!?」
「あぁ、そうだ」
 即答だった。
「バイタルが何かおかしかったからっ!? だからっっっ!?」
「そうだ。良かったな? それを付けてて」
「――もうやだっっっ、なんでもかんでも見られて知られてて、こんなの今すぐ外したいっっっ。今日、ここに呼ばれなかったら起案書だって最後まで作れたのにっっっ」
「ばかやろうっっっ、おまえは死にたいのかっ!?」
「死にたいわけないじゃないっ。死にたいわけじゃなくて、ただ、みんなと一緒に行動したいだけっっっ。目の前にあることをやりたいと思っちゃいけないっ!? それはそんなにいけないことなのっっっ!?」
 止まらなかった。止めることができなかった――。



Update:2010/06/02  改稿:2015/08/27



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