ただ、率先して運動をするタイプではないので持久力には欠ける。
そんな俺が非常階段を九階から一階まで全速力で下りるってすごいことだと思うんだよね。
明日は筋肉痛かな、とか思いながら、息を切らせて警備室へ向かった。
警備室にいた藤守さんが俺に気づき、すぐに警備室へ通され奥のコンピュータールームに案内された。
すでに九階に対する厳戒態勢を取らせたあとなので、何かを危惧していることは伝わっている。
「先ほど、新棟八階A階段で女性が九階へ上がろうとしたのを警備員が引き止めたと連絡が入りました」
やっぱり動いたか……。
「俺たちが来たときの記帳を見せていただけますか?」
「ご用意してあります」
差し出されたそれを見る。
時間的にはこのあたり……。
ちょうど怪しいと思える名前が三つあった。
ひとつは男性の文字で書かれており、もうひとつは女性が書いたと思われる筆跡で男女の連名。
こっちだな……。
「
逢坂っていうのは逢坂コーポレーションのことだろう。
そこの社長は昭一って名前だったと思う。ということは、社長の弟で三男坊が患者?
で、見舞いに来たのはその息子ってとこかな。
兄妹には見えなかったから、あのふたりは夫婦だろう。
藤守さんの無言の視線を感じ顔を上げる。
「すみません……うちのお姫様が人が来たからって一緒のエレベーターに人乗せてしまいまして、いつもの手順を踏めずに九階に上がることになっちゃったんです」
「それで緊急連絡だったんですね」
「ホント、お手数おかけしてすみません。人、足りてますか?」
「それは大丈夫です。夜勤だった人間数人に残業を言い渡しましたから」
にこりと笑う様に藤宮の血を感じた。
人手が足りないようなら蔵元さん経由で補充してもらえるんだけど、その必要もなさそうだ。
「お嬢様がいらっしゃるときは常に警備の者をつけておりましたが、今後のことを考えると、ノンストップで九階まで上がる方法をお教えしたほうがよろしいかもしれませんね」
「はい。すぐにカードキーを発行してもらうことにします」
本来はちょっとした手順を踏むだけで九階までノンストップで上がることができるわけだけど、最初からそれをリィに教えるべきだった。
秋斗さん、俺たちちょっと選択をミスったかもしれない。
リィの通院日、エレベーターを使用する際には必ず警備員が同乗するように指示を出していたのは秋斗さんだ。
その際には、ほかの人間が同乗しないように警備員が動いてくれていた。
もしリィが気づいていないとしたら、それほどにうまく誘導してくれていたのだろう。
「逢坂サンたち、まだ帰られてませんよね」
映像の確認をしていると、ドアがノックされた。
「入れ」
藤守さんの言葉のあと、若い男が入ってくる。
「新棟B階段にて、男性が九階の知人を見舞いたいと申し出たそうです」
「通してはいないだろうな」
「はい。そのように聞いています」
報告が済むと、若い警備員は何を言われる前に「報告は以上です。失礼しました」と出ていった。
次の瞬間、いくつかあるモニターのひとつに見覚えのある男が映った。
エレベーター内で九階のボタンを押しては首を振る。
「逢坂サン、残念でした。そのエレベーターはその階から九階へは上がれません」
「今後もこのようなことがあるかもしれませんね。お嬢様の来院時は今の配置に人間を立たせますので、エレベーターの説明は若槻さんからお願いできますか? もちろん、今までと変わらず警備のものは必ずつけますが」
「了解です」
リィにはまだ大人の汚い部分は見せたくなかったんだけど、オーナーのところで仕事をする以上、どうやっても避けられないか。
「あ、そうだ……。念のため、逢坂サンたちが帰ったら車が出ていくところまできちんと見届けて、どっち方面に出たのか連絡もらえますか?」
「かしこまりました」
俺はエレベーターに乗ると、自分の社員カードを通しセキュリティをパスしてから九階のボタンを押した。
「操作はこれだけだしね。リィにもIDカード持たせればいいだけのことだ」
必ず警備員がつくならば、事情説明やエレベーターの仕組みを教えるだけでもいいかもしれない。
「いや……今後のことを考えてIDカードは持たせるべきかな」
今エレベーターは九階へと上昇しているわけだけど、各階のエレベーター表示には地下と表示されたままだ。
このエレベーターがどこにいるのか把握できるのは警備の人間のみ。
したがって、患者や見舞い客、その他病院で勤めるスタッフにすら九階へ上がっていることは気づかれない。
考えれば考えるほどに思う。
「いつもの方法を取ったあとじゃなくて良かったああああ」
無精者の俺万歳!
カードを通して九階を押したあとに人を同乗させてしまったともなれば、ノンストップで九階へ上がる羽目になっていた。
「普段の行いがいいとこういうところで返ってくるんだな、うんうん」
マンションに戻ったら秋斗さんを通してIDカードを発行してもらおう。
俺や秋斗さんが持ってるようなどこでもパスできるようなランクのカードじゃなくていい。
リィが入院したときにあんちゃんたちに発行したものと同じもので問題ない。
いっそのこと診察券に組み込むかなぁ……。
そうこう考えているうちにエレベーターは九階に着いた。
廊下の先から聞こえてくるのはリィの叫び声とも取れる泣き声と相馬先生の怒鳴り声だった。
「あーあ……ガチンコ対決チック」
泣いてるな……。ガンガンに泣いてる。
でも、これは相馬先生が自分でやるって言ったことだから、俺は中には入らない。
廊下のソファに座り、ただ中で繰り広げられるやり取りを聞いていた。
水曜日にも数値の変動はあったけど、あまり気になるものではなかった。
どちらかというのなら、いつもよりも血圧数値が高いくらいで、「体調いいのかな?」なんて思えたくらい。
学園祭の準備期間なら、そりゃテンションも上がるか、ってそのくらいにしか思ってなかった。
夜になって一気に血圧が下がったから、珍しく夕飯の時間が遅かったのか、何か食べて消化に血を持っていかれているのかと思っていた。
「あれ?」と疑問に思ったのは木曜日。
脈拍が妙に速くなった。
いつもより速い脈がそれ以上に速くなって、おかしいと思ったんだ。
それは不整脈というよりも、頻脈というものらしいけど、それも始まったかと思えば三十分から一時間ほどで治まる。
その後、血圧がゆるゆると下がりだし、妙にゆっくりすぎる脈がおかしいな、とは思った。
こういう場合、リィに確認を取るよりもあんちゃんのほうが良かったりする。
あんちゃんに電話したら、
『俺も心配で翠葉に連絡したんだけど……』
言葉を濁すあんちゃんに、こりゃごまかされたな、と思った。
『薬で抑えられるし、今までにもあったことだから大丈夫って言われた』
ほらね。電話だから余計にそんな言い方で済まされるんだ。
リィは嘘をつける子じゃないけど、電話と目の前にいるのとではやっぱり違う。
「それさ、今日帰ったらもう一度訊いてみたほうがいいよね?」
『そのつもり。そしたらこっちから連絡入れるよ』
「お願い。ちょっと気になる」
そんな会話をして切った。
その数時間後、零樹さんから連絡があった。
何が起きているのかはだいたいわかったし、零樹さんや先生たちがどういう心づもりでいるのかもわかった。
「碧さん、大丈夫?」
『ははは、説得するのに一晩かかった。本当は唯や蒼樹にも早く知らせたかったんだけど、奥さん説得するのに時間かかってました』
「ってことは、一応了承したんだ?」
『一応ね。了承はさせたけど……』
「ま、心配だよね」
『そうなんだよね』
「それは零樹さんもでしょ?」
『唯も蒼樹もだろ。蒼樹には連絡がつかなかったから先に唯に電話したんだけど……その、もしかして、もう何かあったかな?』
「んー……ギリギリセーフになるかちょっと怪しい。少し前に脈がおかしくなって、あんちゃんがリィに電話で確認したんだけど、うまい具合にごまかされてて、それは家に帰ったら確認したほうがいいよね、って話をしてたところ」
リィが帰ってくるのは七時半過ぎだから、それまでにあんちゃんを捕まえないといけないってことか。
『こっちからも連絡は入れてみるけど、唯のほうでも頼めるかな?』
「いいですよ。俺のほうが零樹さんよりも時間的融通はききますから。ただ、ねぇ……あんちゃんを説き伏せられるだけの技量が俺にあるかどうかって問題で……」
『そのときにはこっちに振ってくれてかまわないから。蒼樹から着信があったら是が非でも出るさ』
「了解。んじゃ、そういうことで」
そんな会話をして切った。
手っ取り早いのはメールなんだけど、メールで一方的に伝える内容でもない。
それに、連絡してほしいってメールを送ったところであのあんちゃんだ。
間違いなく俺よりもリィを優先するだろう。
その後、休み時間ごとにあんちゃんに電話を試みるもつながらない。
仕方なく、「リィを問い質す前にこっちに連絡して」と内容は明記せずのメールを送りつけた。
その日のカリキュラムが終わり自分に割り当てられた部屋へ戻ると、パソコンを立ち上げた途端、秋斗さんに捕獲された。
それは物理的に、ではなく、ネット上で。
遠隔で監視してるんじゃないかとか、俺のパソコンに何か仕込まれてるんじゃないかとか、ちょっと真面目に考えたけど、ただ単にチャットソフトのログイン状態が「ON」になっていただけだった。
ただ、俺を捕獲した時点であんちゃんまでその場に揃ってるってところが妙に秋斗さんらしい。
「何、こんなところに放り込んでおいて膨大な仕事とか振らないでくださいよ?」
音声チャットだったからイヤホンからダイレクトに相手の声が届く。
『今回は仕事の話じゃない。仕事ならメールに用件と資料ファイル添付して送りつければ済むことだろ?』
秋斗さんらしすぎる、あんまりな言いように脱力。
でも、秋斗さんの声にはいつものような抑揚や張りを感じなかった。
間違いないと思う。
秋斗さんが俺とあんちゃんを呼び出したのはリィの件だ――
Update:2010/06/02 改稿:2017/07/10
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