光のもとで

第12章 自分のモノサシ 27話

 歌合せは毎日あるわけじゃない。
 月水金が通院日のため、病院のない火木土日の四日間に合同練習が入っていた。それの火曜日と木曜日の練習が四時からに変更になるだけ。
 病院が終わってからまた学校へ戻ることがなくなるだけでもかなり楽な気がする。
「通院日も歌合せの日も、帰宅時間はだいたい五時半から六時だろう。帰ってきたらまず休むこと。一時間休んで夕飯食べて、風呂に入ってから作業開始。しばらく半身浴は諦めるんだな」
 半身浴――。
 ここ最近は半身浴をする体力もなく、お風呂に浸かることなく出てきて、予習復習をサラッと済ませてベッドに横になる、そんな日々だった。
 だって、学校から帰ってくるのが八時前後なのだから、帰ってきたらすぐにご飯でそのあとがお風呂。半身浴などしなくてもお風呂から上がれば十時前後なのだ。
 そこから必要最低限の予習復習をすればあっという間に日付が変わってしまう。
 私はそんな日を数日続けただけでこの有様だ。
 周りの友達は忙しそうにはしているけれど、疲れたと口にしていても、まだ余裕があるように思えた。その証拠に、翌朝には充電満タンの笑顔で元気な声をかけてくれるのだから。
 訊いたら、部活の時間が紅葉祭の準備に変わったくらいで、生活のリズムはさほど変わっていないのだとか……。
 運動部の人は紅葉祭の準備のほうが色んな人と交流できるし、体力的には楽だと言っていた。
 逆に文化部の人たちはさすがにそうは言っていられず、でも「楽しい」という気持ちでなんとかなってしまうらしい。
 それはみんなが普段から夜の睡眠で身体をリセットできている証拠。
 私は薬を使ってもそんな生活を続けることはできなかった。
 あの元気を少し分けてもらいたい……。
 気持ちのうえでなら、たくさんの元気を分けてもらえた。だけど、体力という根底にある問題は、そう簡単にどうこうできるものではないと思い知った。
 薬一錠ではどうにもらない。どうにもできない。
 相馬先生が言ったことは正しいと思う。
 あれは特効薬ではない。
 睡眠を取るだけでは身体の疲れが取れない。微熱やほかの症状が出てきてそれが月単位で続く。それが慢性疲労症候群――CFS。
 対処法はただひとつ、休むこと。
 だけど、私が休んでいる間ですら時間は止ることなく流れていく。まるで動く歩道みたいに。
 私の時間も決して止まっているわけではない。ゆっくりゆっくりと進んではいる。
 けど、私は歩く歩道の上を歩けない。
 みんなは動いている上をさらに歩いて前へ進んでいく。気づいたらみんなの背中すら見えなくなってしまいそう。
 置いていかれる――。
「先行してやるものは?」
 思考を遮ったのはツカサの声。
 ふと目の前にあるものが視界いっぱいに広がった。
「……新たに申請された費用の用途を確認し、迅速に動かす」
 必要経費を生徒会から各団体の口座に移す作業。それらは中間考査前に粗方終わっている。
 今になって申請が上がってくるのは何かしらアクシデントがあった団体が主。
「そう。それが滞ると物資の補給が間に合わなくなる。リトルバンクと収支報告の照らし合わせ作業は事後確認に過ぎないから、翠がひとりでやるならそのあとの超過申請された使途不明金回収も手間取らないはず。差異に関してはこっちで対応するから、怪しいものが見つかったら、その都度生徒会のメールに送ってくれればいい。ほかのメールに紛れないようにフォルダの振り分け設定も済んでる」
 目の前に置かれたものはどれも交通整理が済んでいるものばかり。
「……ありがとう」
「ただし、条件がひとつある」
 条件……?
「翠が一日にやる作業時間は一時間半に制限する」
「え? ……ツカサ?」
「テスト勉強みたいなものだろ? 制限時間内でクリアしろと言っているだけだ」
 にこりと笑うそれは、さっきの笑顔とは全くの別物。氷の女王様が降臨していた。
「あの――これ、結構な分量ある、よね?」
「あぁ、そうだな。そもそも、時間無制限でなんて、この俺がそんな甘いことを言うわけがない」
 えぇと……。
「毎日このパソコンを十時半には回収に来るから」
「えっ!? そこまでっ!?」
「翠は時々ものすごくバカで自業自得な行動に走るから。家にいながらにしてできるなら、って目一杯詰め込みそう。そこら辺、秋兄と同じ匂いがする。それで行き倒れとか本当に困るしいい迷惑だから」
 次々と容赦ない言葉が投げられる。
「心配しなくても、そのパソコンを持ち帰って俺が作業を進めるようなことはない。どちらにせよ、リトルバンクへのアクセスは十時半までしかできないように設定してもらってあるし、このパソコンがアクセスしてから一時間半経つと、強制的に締め出される仕組みになっている。因みに、このパソコンがリトルバンクにアクセスしたら俺の携帯に通知が来るようになってるから」
 ……どうしてそこまで用意周到なの。
「俺がパソコンを持ち帰って作業しないっていうのが信じられないのなら、そのあとはここで一緒に予習復習付き合うけど?」
 ツカサは口端を上げて意地悪に笑む。
 疑っているわけじゃない。でも――。
「文系科目、教えてもらえる……?」
 口が勝手に動いた。
 言ったあとからドキドキが始まる。
「了解」
 ツカサはどこか満足げに笑って見せたあと、突如真顔になる。
「それは現授業にすら不安がある状態なのか?」
「……すみません。予習復習の時間がちゃんと取れなくて……」
「それはずいぶんとしごき甲斐のある状況のようだな」
 そう言って笑ったツカサは、獲物を見つけた悪魔にしか見えなかった。

 そんな話をしたあとは、気になっていた起案書を企画書にする作業をしてから四人一緒にご飯を食べた。
「翠、唯さんにお礼」
 言われて、これらすべての交通整理をするのに生徒だけではできないことに気づく。
「あ……それで唯兄は学校へ行ってくれていたの?」
「そうだよ。あの設定そのものがプレゼント」
 唯兄が人懐こい笑顔を見せる。
「ちょっといじってハッキング〜、っていうのが一番楽だったんだけど、彼が正規ルート通せって言うから少し時間かかっちゃった。でも、おかげで司っちとの交流も深まったしね?」
 さっきから少し気になっていた。
「ツカサと唯兄、呼び方が変わった?」
「うん。正規ルート通す代わりに名前を呼んでもらうことにした。あの場で若槻さんって呼ばれても困るからね」
 唯兄とは対象的に、ツカサが嫌そうな顔をしているのはきっと気のせいじゃない。
 たぶん、「唯さん」と呼ぶことが嫌なのではなく、「司っち」と呼ばれるのが嫌なのだろう。
 蒼兄も同じことを考えているのか、苦笑していた。
「自己紹介で御園生姓を名乗ったんだ。で、唯は呼び名って言ってある。因みに、唯芹は好きな女の子にしか呼ばせない予定だから呼ばないでね、ってハートマークつけて牽制してきたよ。だから、学校で唯兄って呼んでも平気。因みにリィって呼び名の由来は適当に話してきたから、適当に話合わせてねー!」
 唯兄はフンフン、と鼻歌を歌いながら夕飯の片付けを始める。
「唯兄、ありがとう。ツカサもありがとう」
「うん。あぁ、そういえば……」
 唯兄がキッチンから顔だけを覗かせる。
「生徒会の子たちから伝言預かってたなぁ。ステージでそれを返してね、って言ってたよ」
 ステージ――。
「うん、がんばる」
 相馬先生、まだ全然わからない。十のモノサシと五のモノサシを同じになんて思えない。
 でも、私ががんばる場所。間違えていないものがひとつある。
 それは歌。……ステージ。
 そこは間違っていないと思うの。
 先生、間違ってないよね? そこはがんばってもいいところだよね?
 明日先生に電話しよう。一時間半だけ作業してもいいか訊いてみよう。
 もちろん、午前中と日中はなるべく休む。休んだそのあとに少しだけやってもいいか訊いてみよう――。

 毎晩十一時になると家族揃って音声通話で話す。
 時々、唯兄か蒼兄が欠けていたりするけれど、基本的には五人揃っていることが多い。
 その前に、
「明日のお父さんの誕生日どうしよう……」
 と蒼兄と話していたら、唯兄がひとり得意げな顔をした。
「ふたりともひどい子だねぇ……」
「えっ、唯兄知ってたのっ!?」
「えっ、唯知ってたのかっ!?」
「あったりまえじゃん。戸籍移動したときにしっかりばっちり覚えましたとも」
「「プレゼント用意したっ!?」」
 私と蒼兄の声が再度重なる。
「えぇえぇ、そりゃ喜びそうなものを送っておきましたよ」
 へへん、とわざとらしく人差し指で鼻を擦って見せた。
 私と蒼兄はぽかんと口を開けたまま唖然としていた。
「どうしよう、蒼兄……」
 隣に並ぶ蒼兄を見上げると、苦笑が返ってくる。
「唯は何を送ったんだ?」
「そろそろ感激電波が飛んでくると思うんだけどな?」
 唯兄の部屋にある大きめのディスプレイの前に三人そろって座っていると、十一時を少し回ってお父さんがオンラインになった。
『プレゼントありがとうっっっ! もう、これ以上にないプレゼントだよ!』
 どうやらかなり喜んでいるらしい。けれども、私と蒼兄は唯兄が何をプレゼントしたのかを知らない。
「三人からのプレゼントだから大事にしてね」
 左側で唯兄が答えるも、私と蒼兄は微妙な表情でしどろもどろだ。
『まさかこんなものが届くとは思わなかった〜!』
 お父さんはプレゼントらしきものに頬ずりをする。
 蒼兄が小声で、
「何に見える?」
 訊かれてもさっぱり見当もつかない。
『開けた瞬間びっくりしたのよ? 私にもプレゼントありがとうね』
 お母さんとお父さんが仲良くくっついてモニターに映った。 
 ふたりが手にしているものはカード状のもの。
 たぶん、カードケースのようなものに入っている。
『『写真、ありがとう!』』
 そう言われてモノが何かはわかったけれど、なんの写真なのかが不明。
 わからないままに話は進む。
『明日、現場スタッフに零の誕生日を祝ってもらえるの。私はそれが終わったら帰るわ。長い間家を空けててごめんね』
「っ……お母さん、お父さんっ、心配かけてごめんなさいっ。もう飲まないから……もう、飲まないから――」
 両手にぎゅ、と力を入れたら、その上から手を包まれた。
 左手は唯兄に、右手は蒼兄に――。
「たくさん叱られたから、もう今日は勘弁してやって」
 そう言ったのは蒼兄だった。
「俺からもお願い」
 唯兄は私を少しだけ後ろに追いやり前に出て庇ってくれる。
『叱らないよ。……叱れない』
 お父さんが肩を竦める。
『父さんな、紅葉祭の一日目だけ帰れることになったんだ。会える時間は少ないかもしれないけど、そのときに話をしよう? 翠葉、また星空の下で話をしよう』
 お父さん……?
『ここ数日の出来事は知ってるけど、怒ってないし、何を言うつもりもない。翠葉がもう飲まないって言うのなら、その言葉を信じる。今はこれが返事でもいいか?』
『私は――離れていた分、帰ったら覚悟してなさい? 三人にべったりくっついてやるんだからっ』
「さすがに二十四の息子捕まえてべったりはやめてよ」
 苦笑を浮かべる蒼兄に対し、
「俺はいつでも大歓迎! リィもだよねー?」
 唯兄に顔を覗き込まれる。
「う、うん……」
 そのあと、お父さんも揃う紅葉祭の日は五人でお鍋を食べようという話をして切った。
「ところで、唯……写真って?」
「あぁ、パレスに行ったときの写真。ほら、ディナーに行く前に三人並んで撮ってもらったじゃん」
 唯兄がいくつかキーボード操作をして、写真をディスプレイに表示してくれた。
「あぁ、そういえばこんな写真撮ってたな」
 私も、この写真のことなどすっかりと忘れていた。
 栞さんに髪の毛をセットしてもらったあと、昇さんに言われて兄妹三人並んで撮ってもらった写真。
 ドレスコード指定だったこともあり、三人ともフォーマル仕様。
 写真には相変わらず表情の硬い私と、にこにこ笑った唯兄と、優しい顔をした蒼兄が写っていた。



Update:2010/06/02  改稿:2015/08/27



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