光のもとで

第12章 自分のモノサシ 29話

 今、自分の心臓の状態がどういう状況なのかはわからないけれど、脈が乱れていることはわかる。バイタルを見なくても、自身の身体で感じていた。
 突如襲うのは去年と同じことになってしまったらどうしよう、という不安。
 家の中だろうと外だろうとかまうことなく気を失って倒れていたあの頃――それらはすべて血圧と不整脈のせいだった。
 今日は家にいるし、ほとんど寝て過ごすのだから倒れることはないだろう。
 頻脈発作が起きたら頓服薬を飲めばいい。でも、跳んでしまう脈は対処のしようがない。
 不安を抑えきれず、ベッドから抜け出し掃除をしている栞さんを探す。
「リィ……?」
 洗面所から唯兄に声をかけられたけれど、それに答える余裕はなかった。
「栞さんっ」
 リビングを掃除していた栞さんがびっくりした顔で振り向いた。
「どうかした?」
「私の脈って、今どれだけ悪いっ!?」
 早くこの不安をどうにかしたくて、栞さんの腕を両手で掴む。
「……翠葉ちゃん、落ち着いて? 私は看護師なの。だから、それは医師である湊に訊きましょう?」
「また入院しなくちゃいけない手前だったらどうしたらいいっ!?」
「翠葉ちゃん、少し落ち着こうね」
 栞さんは身体を抱きしめてくれた。
 不安に泣く私の背をゆっくりと一定のテンポでさすってくれる。
「不安になっちゃったか」
 背後から聞こえたため息混じりの優しい声は唯兄のもの。
「若槻くん、私、翠葉ちゃんを連れて学校へ行ってくるわね」
「了解。リィ、診察を受けて安心しておいで」
 そう言われた十分後にはマンションを出ていた。

 学校へ行くというのに私は私服だった。
 違和感を覚えつつも人目にはつきたくなくて、授業中の時間帯に学校へ行くことになった。
 栞さんは私を安心させるように、
「車は職員駐車場に停めるわ。そこからなら、桜林館脇は通らなくちゃいけないけれど、クラスで授業を受けている一、二年棟の前を通らなくて済むでしょう? 図書棟の一階でスリッパを借りて行きましょう」
「……ありがとうございます」
「……迷惑だなんて思ってないわよ?」
「え……?」
「むしろ、不安だと思っていることを話してもらえて嬉しかった」
 栞さんは嬉しそうに笑うから不思議でならない。
「翠葉ちゃんは高熱を出しても痛みがひどくても、基本的には『助けて』ってSOSを発してくれないんだもの。こんなふうに真正面から不安をぶつけてくれたことはなかったわ」
 今までの自分がどうだったかよくわからない。ただ、人に迷惑をかけるのが嫌で、どうにもできなものなら口にしてもしなくても変わらない。そう思っていたから――。
 でも、それが言えるようになったのだとしたら、それは相馬先生とツカサのおかげ。
 そんな話をしていれば学校に着いてしまう。
 あらかじめ栞さんが連絡を入れてくれていたので、「来たわね」といった感じで湊先生が出迎えてくれた。
「栞は適当にお茶でも飲んでて」
「そうさせてもらうわ」
「翠葉はこっち」
 いつものベッドへと促される。
 カーテンを閉めると、湊先生は首にかけていた聴診器を手にする。
「ゆっくり吸って、吐いて、吸って、吐いて……」
 胸が終われば背中。そして横になって腹部。
 そのあと、臥位、座位、立位、と体勢を変えて血圧を測り、身体中のリンパ腺のチェック、貧血、脱水症状のチェック、反射のチェックを受けて診察が終了する。
「良くはない。でも、今までにもあった心臓のクリック音以外に心雑音はなし。少し安静にしていれば、そのうち脈も落ち着くでしょう」
 その言葉にほっとする。
「翠葉も知っているように、心臓に働きかける薬は二種類出してる。ひとつは立ちくらみを防いだり心臓を動かすためのもの。もうひとつは頻脈を落ち着けるために、心臓を休ませる薬。ふたつは正反対の作用をする。今はこれを上手に使うしかない。あとは、相馬の鍼とカイロの施術でどこまで体内バランス、自律神経を整えられるか」
 私の弁膜は人よりも薄いらしい。だから、血液を繰り出す力が弱くて血圧も低い。それに加えて起立性障害もある。
 これらを防ぐために飲む薬は心臓を刺激するタイプのものだ。
 普段はそれでいいけれど、今は身体に負担をかけてしまったこともあり、頻脈発作が頻繁に起きている。昨夜もそれで夜中に目が覚めた。
 滋養強壮剤を飲むのをやめても、この症状はしばらく続くのだとか……。
 それを抑えるためには心臓を休ませるための薬を飲まなくてはいけない。すると、必然的に血圧も下がる。
 相反するふたつの薬をそのときの自分の身体の症状に合わせて飲み分けたり追加したり――それはもともとやっていたことだけど、今は自業自得。自分が招いた結果なのだ。
「湊先生、ごめんなさい」
「もういいわよ。これで許すっ」
 先生の手が近づいてくると、額に軽くデコピンを受けた。
「でも、自分の身体をもう少し大切に扱ってやりなさい。はい、診察終了。ほらほら、さっさと帰って自宅で休む」
 カーテンを出ると、栞さんが湊先生にカップを差し出した。
「湊、いつもより少し甘めのローズヒップティー作ったから飲んでね」
 耐熱ガラスであろうスタイリッシュなカップに赤い液体が入っており、湯気がゆらゆらと立ち上っていた。
「さ、翠葉ちゃん、長居は無用よ。帰りましょう」
 私は栞さんに背を押されて保健室をあとにした。

 ゲストルームに帰ると、唯兄が笑顔で出迎えてくれた。
「安心できた?」
 私は苦笑しつつ、「うん」と答えた。
 苦笑の理由は自業自得だから。
 湊先生にはこんなふうにも言われた。
「ただ寝るだけじゃ疲れは取れない。熟睡できるだけの体力が人間には必要なの。寝るって行為は意外と体力を要するものだしカロリーも必要」
 寝るのに体力がいるなんて初めて知った。でも、その先に続く言葉を聞くと、妙に頷けるものだった。
 寝ている間にも心臓は動いているし、呼吸をしているのだから肺も機能している。
 夜に頭や神経、筋肉を休めている間にも、ずっと働き続けている機関がある。
 人の身体は寝ている間に老廃物を取り除くために動き出す。けれど、それはその作業をするための体力やカロリーが残っていないとうまく行われない。
 結果、体力不足だと一晩ではリセットしきれいないままに次の日がスタートする。
 それを日々重ね何度も繰り返していくうちに、人の身体には疲労が蓄積されていくらしい。
 人間は眠る体力を温存して動く生き物らしいけれど、私のようにもともと体力がない人間や、先日使ったような滋養強壮剤を使ってしまうと、持っている体力を根こそぎ通常の生活で使いきってしまうため、夜の眠りが浅くなり、リセット作業も滞る。
 それでももとが健康体の人は、そのまま無理を続け、気づかないうちに過労死へ歩み寄ってしまうのだとか……。
 だから相馬先生は滋養強壮剤を使うなら、前後できちんと休むことが必要だと言ったのだ。
 ……ちゃんと理解できた。
「薬には抵抗があるだろうけれど、今は熟睡することが先決」
 そう言われて、いつもより少し強い睡眠薬を処方された。
 睡眠導入剤と一緒に飲むことで、中堅型と呼ばれる睡眠薬は六時間ほどは眠れるらしい。
 どうやら、手術前の患者さんに飲ませるものらしかった。
 睡眠薬にも色々あるけれど、そのどれもが身体に耐性ができやすく、睡眠が浅くなるほか悪夢を見るようになるという副作用があるそう。
 それを紫先生から聞いていた私は、痛みがひどいときにしか服用しない。
 夏は毎日のように飲んでいて、それでも眠れることはできなかったのだけど、今は飲んで休むべきなのだろう。
 マンションに戻ってきたのは十一時前でお昼にはまだ早い時間。
 お腹は空いていなかったけど、軽く昼食を食べ、薬を飲んで寝ることにした。



Update:2010/06/02  改稿:2015/08/27



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