光のもとで

第12章 自分のモノサシ 34話

 玄関でお母さんと栞さんに出迎えられ、手洗いうがいが済ませると、
「リィはこれから一時間お夕寝ね」
 と、すぐに自室へ押し込められる。でも、それが正しい。
 今から寝て七時に起きたら夕飯。そのあとお風呂に入って、上がったら会計の作業。そして、十時半になったらツカサが来る。
 これからしばらくはこの生活なのだから、少しでも身体がそれに順応するように努力しなくてはいけない。
 
 ツカサがゲストルームに来たのは十時だった。
 部屋へ入ってくるなり、
「今日、秋兄来た?」
「え? 来てないけど……どうして?」
 ツカサの視線がドレッサーに向けられる。
「あ、香水?」
「それ、秋兄が使ってる……」
「うん。話してなかったかな? 私、何もかも忘れてしまったけど、この香りだけは覚えていたの。それを話したら、パレスに行ったときに秋斗さんが手持ちの香水をプレゼントしてくれたの」
 湾曲を描く透明のボトルからツカサに視線を戻す。
「……ツカサ?」
 ツカサは射抜くようにそのボトルを見つめていた。
「ごめん、嫌いだった? 私、この香りが好きでルームスプレー代わりにしていたから――すぐに換気するね」
 朝起きたときとお風呂上りに一吹きするのが習慣になっていた。
 香りがきついものではないから、人体につけない限りはあまり長持ちする香りではない。
 昨日は何を言われるでもなかったんだけどな……。
 換気のために窓のロックに手をかけると、その手を止められた。
「別に嫌いじゃない。慣れてる……でも、翠がもともと使っていたものは?」
「え?」
「……別に香水とは限らないか」
 ツカサは私に背を向け、部屋の中央にあるローテーブルに着いた。
 ……もしかして――。
「これのこと?」
 アロマオイル以外に香りアイテムなんてふたつしか持っていない。そのうちのひとつが秋斗さんからいただいたものならば、ツカサが示すものはこれだろう。
 去年、入院していたときに看護師さんからいただいたもの。エラミカオのユージンゴールド。
 金の蝶がついている香水を引き出しから取り出し、それを渡す。と、ツカサは確認するように鼻を近づけた。
「そう、これ……。翠にはこっちが合ってると思うけど?」
 ボトルをテーブルに置くと、ツカサは申請書に目を通し始めた。
 そんなツカサを見ながら、私は心がそわそわしていた。
 確かな形は見えないけれど、それが「嬉しい」という気持ちであることはわかる。
 自分の好きな香りが合っている、と言われたことが嬉しかったのかな。
 秋斗さんからいただいた香水も好きだけど、記憶にある香りはこの香水そのものの香りではない。
 本当に好きな香りは秋斗さんがつけていないと香らない。自分がつけても、唯兄と蒼兄につけてもらっても、秋斗さんと同じ香りにはならなかった。
 ツカサの言葉が嬉しかったから、そのボトルはしまわずに秋斗さんからいただいた香水の隣に並べた。
 あれ……? 前にも――前にも誰かに同じようなことを言われた気がする。それはいつどこで……誰に言われたの?
「翠?」
「えっ!?」
 慌てて振り返ると、眉間にしわを寄せたツカサがいた。
「それ、しまわないの?」
「え?」
「それ」と指されたものは香水のボトルだと思う。でも、ふたつ並んでいるどちらを指したのかはわからない。
「……うん、寝る前に、久しぶりにこっちの香りを一吹きしようと思って」
 そう言って、ユージンゴールドの蝶を人差し指で触れて見せた。

 ツカサはうちへ来ると、申請書に一通り目を通す。でも、一枚だけは伏せておいた。
 それは茜先輩から「秘密」と言われたもの。けれど、エクセルに目を通したツカサに、
「これ、生徒会申請になってるけど」
 予想どおりに指摘された。
「うん、そうなの。でも、内容は秘密。ごめんね? 茜先輩との約束だから言えない。でも、用途は確認済み」
 ツカサは面白くなさそうな顔をした。
「ツカサが紅葉祭をあまり好きじゃないのって、こういうのが多いからだよね?」
 今日思ったことをそのままに訊くと、「さぁね」とかわされてしまった。
 でも、たぶん間違いなくそう。
 自分が把握できなことが多数あるイベント。それは二年に一度しかない紅葉祭だけなのだろう。
 ツカサの場合、中等部ではそれが二回あって、高等部では一回。私がツカサと紅葉祭を楽しめるのは今回のみということになる。
 そう考えると、この紅葉祭がとても貴重なものに思えた。
 いつもに輪をかけて仏頂面するツカサを見て、思わず笑いを堪えることができなくなる。
 そんな私を見て、ツカサは怪訝そうな顔をするけれど、でもね……。
 こうやってひとつひとつ手探りでもツカサのことを知ることができるのはとても嬉しいことなんだよ。
 人のことを知ることができるのは嬉しい。
 あ、違うかな……大切な人のことを知ることができるのが嬉しいのかな。
 桃華さんや栞さんが「嬉しい」と言ってくれたのは、こういう気持ちだったのかな。



 お母さんが帰ってきてから、私が朝キッチンに立つことはなくなった。
 今はお母さんと唯兄が一緒に朝食やお弁当の用意をしてくれる。
「私がやるからいいわよ」と言うお母さんに、「じゃ、一緒にやろうよ」と言ったのは唯兄だった。
「誰かと一緒にキッチンに立つのって、この家にきてから俺の一スタイルなんだよね」
 にこりと笑えば唯兄のKO勝ち。
 お弁当はお母さんと唯兄が交代で作ってくれている。
 小さなお弁当箱だから詰めるのが大変なのに、それでも品数多く詰めてくれていた。
 そのほかにも小さなサーモスタンブラーに野菜のドロドロスープ付き。
 どうしても食べられないときはスープだけでも飲むように、と。
 優しさが端々に感じられて嬉しかった。申し訳ない、ではなく、幸せだと思えた。
 栞さんがゲストルームへ来る回数は減ったけれど、夕飯はお母さんと一緒に作って夜は一緒に食べる。そんな日々が続いていた。
 病院の日はお母さんが送迎をしてくれ、歌合せの日は唯兄が迎えにきてくれる。朝は相変わらず蒼兄と一緒に車での登校。
 帰ってきたら休んで、ご飯を食べたらお風呂に入る。会計の作業をしていたら、いつの間にかツカサがいる。作業の進捗状況を報告すると勉強。
 それが日常になりつつあった。
「特別扱い」の日常――。
 そうとわかっていても、私にはそれを手放すことはできなかった。
 今だけは……どうか、今だけは――。



Update:2010/06/02  改稿:2015/08/28



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