「翠葉、ちょっといい?」
「え?」
翠葉は手を止め俺を見た。
話せるタイミングも場所もここしかない。
「みんな悪い。数分でいいからバックヤード使わせて」
みんなの返事を聞く前に、翠葉の手を掴みバックヤードへ連れていった。
連れていく、というよりは引き摺っていたかもしれない。
バックヤードにいた人間も外に出し翠葉とふたりきりになると、ひどく緊張している自分に気づく。
やば――
「海斗くん……?」
きょとんとした顔が俺を見上げる。
「安心して? 告白とかじゃないから」
にっと笑って見せたけど、翠葉は苦笑する。
「……教室に入ってきたときから何か変だったよね?」
「……本当に、俺は繕うのが下手だよなぁ」
思わずその場にしゃがみこむ。
すると、翠葉が目の前にちょこんと座った。
「何かあった?」
若干覗き込むような仕草で訊いてくれる。
こんなんじゃなくて、ちゃんと俺が「話す側」にならなくちゃいけないのにな……。
「翠葉、悪い……。うちの一族に巻き込むことになる」
腹を据えて口にした。
「……え?」
「正確には、もうとっくのとうに巻き込んでた」
あの司ですら、「今朝気づいた」と言うくらいにはみんながどうかしていたんだ。
もう、ずいぶんと前から翠葉は「対象者」だった。なのに、どうして誰も気づかず、こんな大切なことを言わずにきてしまったのか……。
これは司の失態じゃない。秋兄の失態でもない。
こんなの、俺たちみんな連帯責任だろ?
翠葉、悪いな――
「翠葉が俺たち藤宮とつながりが強いのは、傍から見て明らかだ。それはつまり、標的になりやすいってことなんだ」
意思や声がぐらつかないように、ぐっと堪える。
翠葉は何を言われているのか要領を得ないといった感じで、目を白黒とさせていた。
「幼稚部から一緒なわけでもなく、高等部からの入学でこれだけ藤宮の人間と深く関わっている人間ともなると、狙われかねない。普段の校内ならまだしも、外部から人が入ってくるとなると話は別」
「海斗くん、何? なんの話?」
慌てた翠葉は少し身を引く。
それも仕方ない、かな。
言い始めたらあとには引けない。
もっとも――あとに引く道なんて残されていないんだ。
「ごめんな。俺たちと関わっていると身の危険に晒される可能性がある。薬物と外から持ち込まれた飲食物――それだけは警備ではじけない。だから――」
先に続ける言葉を探していると、ちょうどいいものが側にあった。
それは翠葉の脇に置かれた飲みかけのペットボトル。
「開封済みのペットボトルや食べ物。一度でも自分が目を離したものは口にしないでほしい」
翠葉の目が見開かれる。
そうだよな……。この反応が正しい。
「本当にごめん……。薬物入れられてたら洒落にならないから。今日は色んなところで飲食物を出してるけど、俺か司が調達したもの以外は口にしないでほしい。もしくは湊ちゃんか秋兄。ほかからはもらわないで。もし、もらったとしても口にはしないでほしい。それを人にあげることも禁止」
「海斗くんっ」
「本当にごめん――」
それしか言えない。
これからも翠葉とは友達でいたいし、上辺だけの付き合いなんてしたくない。
それなら、こうするしかないんだ。
「海斗くん……」
どう思われただろう……。翠葉はこのあとどうするだろう。
心が不安に支配され始めたころ、翠葉が口を開いた。
「それは、海斗くんもツカサも秋斗さんも湊先生も、みんな同じ?」
「え? あ……そうだけど?」
驚きを隠せない、といった表情をしているものの、翠葉の纏う雰囲気からは「拒絶」を感じない。
むしろ、なんか気遣われてるっぽい……。
「……大変なんだね」
一度言葉を区切り、もう一度、
「すごく、大変なんだね」
ひとつひとつ区切る話し方が妙に翠葉っぽいとか、俺はどうでもいいことが頭に浮かぶ。
「大変っていうのはもうないかな。ほら、小さいころからの習慣だから、さすがに慣れた」
言いながら、思わず苦笑。
「……本当は、慣れてないよね? 顔がつらいって言ってる」
「っ――」
「教えてくれてありがとう。私と友達になってくれてありがとう。……言われたこと、気をつけるね」
意外だった……。
もっと、しどろもどろになって泣かれたりするかと思ってた。
最悪、拒絶されることも考えていたのに――
「今言われたことを気をつけるとしたら、ミネラルウォーターをあらかじめ何本か買っておかなくちゃいけないよね?」
対策まで練り始めた翠葉に唖然としてしまったけれど、はっと我に返り、
「それなら大丈夫」
「え?」
「図書棟にもステージ下にも、俺たちが出入りする場所には必ず未開封のペットボトルが常備されてる。それは常に警備の人間が管理してるから問題ないんだ」
「……そうなのね? 良かった……私、この格好で今から自販機まで行かなくちゃいけないのかと思っちゃった」
そう言って、スカートの裾をきゅっと引っ張りながら笑う翠葉が天使に見えた。
ちっこい翠葉をぎゅ、ってしたくなる。
「翠葉さん」
「ん?」
「ぎゅっ、てしてもいいですかね?」
翠葉はびっくり眼で俺を見上げた。
おっかしいなぁ……。
今は互いが床に座っていて目の高さだってそんな変わらないはずなのに、どうしてこんなにちっさく見えるんだろ?
「っていうか、するけどねっ」
「えっ!? わわっ、海斗くんっ!?」
腕の中に細っこい身体がすっぽりおさまり、長い髪からフローラルの香りがする。
やましい感情は少しもない。ただ、抱きしめたかった。
女子とか好きな子とかそういうものではなく――大切な、失いたくない友達として。
司、悪ぃ……。俺、結果的には役得かも。
というよりは、自分が翠葉に言えて良かった。
俺が、自分から翠葉に言えて良かったと思えた。
「翠葉、俺も――俺も変わらないのかもしれない」
「ん?」
いつもより近くに翠葉の声が聞こえる。
至近距離だとこんなふうに声が聞こえるんだ……。
「友達を作るのは怖いよ。大切な存在を作るのは怖い。自分がそれを守る自信もないのに手に持つのは怖い。そういう意味なら、翠葉の言う『怖い』は理解できなくない」
こんなこと、誰にも話したことはなかったし、直視することすら避けてきた。
その結果のひとつが飛鳥であることにも今気づいた。
「……海斗くん、ありがとう。ありがとうね?」
次の瞬間、俺の身体に翠葉の腕が回された。
そして、俺がしたみたいに、翠葉にぎゅっと抱きしめられた。
「大丈夫だよ。……私は大丈夫だから、そんなつらそうな顔しないでね」
言いながら、腰のあたりをポンポンと叩かれる。
「くっそ……普段弱っちく見えるくせに、こんなときは強いのな? ちょっとずりぃ……」
俺は涙声になりながら、抱きしめる腕にほんの少し力をこめた。
「海斗くんたちが教えてくれたんだよ」
「え?」
「踏み出す勇気、信じる勇気、支えあえる関係」
言葉をひとつひとつ区切り、最後に身体を離しては、俺と視線を合わせてにこりと笑う。
「怖いの……わかるって言ってくれてありがとう。でもね、踏み出した先には、信じた先には大好きな人たちがいたよ。だから、海斗くんもきっと大丈夫。ほら、私はここにいるでしょう?」
翠葉は膝立ちになり、俺の頭にポンポンと軽く手を置いた。
叩くとかそういう感じじゃなくて、すごく丁寧に手を置かれた感じ。
今度は俺が翠葉を見上げる。
そんな俺を見て翠葉は「おまじない」と口にして笑った。
俺を安心させるように笑って見えたけど、その笑顔は偽物じゃなかった――
Update:2011/07/18 改稿:2017/07/14
ネット小説の人気投票です。投票していただけると励みになります。
↓コメント書けます*↓