光のもとで

第13章 紅葉祭 22話

 行きはひとりだった通路を今はふたりで歩いている。
 歩いている、といっても、ツカサのペースで歩いていることから、私は少しだけ小走り。
 暗がりの中だからか、いつもよりツカサの背中が大きく見えた。
 暗い場所だと白いシャツがほわっと浮き上がって見え、逆に黒いパンツの部分は闇と同化して見えにくい。
 天井についている埋め込み式のスポットライトは等間隔に設置されているものの、この通路自体があまり使われていないこともあり、それらは三つにひとつしか点いていない。
 点灯しているライトの下を通るときにだけ、ツカサの漆黒の髪が照らされ、一瞬しか見られない光の輪を見ることができた。
「ツカサ、手……」
 掴まれていた手が離された。
 でも、離してほしかったわけじゃない。
「手、つないでもいい?」
「……手首を掴んでいたのとそう変わらないと思うけど?」
 肩越しに不思議そうな顔で言われたけれど、そこは断じて否定したい。
「掴まれているのとつなぐのは違うよ? 手をつなぐのは一方的じゃないでしょう……?」
 そう言うと、ほんの少し間があってから、「ほら」と左手を差し出された。
「手、ずいぶん冷えてるけど――何を話した?」
「……それは内緒」
「…………」
「だって、茜先輩と私の秘密だもの」
 そんなふうに言えるのは、この暗さとぬくもりのおかげ。
「そんな言い方をされたら俺が知りたがるとは思わないのか?」
 この声や話し方が好きだと思う。
 振り幅がなくて、いつも一定のクオリティ。
 ツカサの声を聞くと無条件で安心できる。
 なんだろう……。こういうのを条件反射っていうのかな。
「思わないよ。だって、ツカサは人のことを根掘り葉掘り訊こうとはしないでしょう?」
「……どうかな。俺、人の弱みを握るのは案外好きなほうだと思うけど」
 今、どんな表情をしているのかな。
 無表情だろうか。それとも、氷の女王スマイルだろうか。
 でも、今日の格好で微笑まれたらたまらない……。
 今日は何度だってツカサを見て赤面する自信があるのだから。
 困ったな……。せめて、いつもと同じ制服姿ならまだ免疫があるものを――

 奈落に出ると、決して明るいとは言えないそこがとても明るく感じた。
 目が慣れなくて少し細めてしまう。
 それは、朝起きて瞼の向こうに光を感じるのに少し似た感覚。
「あと二分で茜先輩が戻ってくる。それまで座ってろ」
 ツカサが昇降機に小道具の椅子を置くと、私はそこに座らされた。
「それから飲み物」
「あ、はい」
 手に持っていたペットボトルの蓋を開け、ほんのりと甘酸っぱい液体で喉を潤す。
 思っていたよりも喉が渇いていたようで、一気に半分くらい飲めてしまった。
「翠葉、どこ行ってたのっ!? あれっ? ケープはっ!?」
 よく通る声が降ってきてびっくりした。
 嵐子先輩の手が肩に乗ると、ずいぶんと身体が冷えていることに気づく。
「翠は答えなくていい。そのまま飲んでろ」
 軽く頷くと、嵐子先輩にはツカサが代わりに答えてくれた。
 私はツカサに行き先を伝えていたけれど、ほかの人にそれは伝わっていなかったらしく、次に歌う私と茜先輩がいないことに奈落は大騒ぎだったようだ。
「どうして?」なんて訊く必要はない。
 それがツカサの優しさだとわかるから……。
「少し落ち着け。ケープは茜先輩が羽織ってる。先輩はあと一分もせずに戻ってくる」
 そう言い終わるころ、カツカツカツカツ、と硬質な音が通路から聞こえてきた。
 辺りの人が一斉にそちらを振り返る。と、そこにはいつもと変わらない茜先輩が息を弾ませ立っていた。
「お待たせっ! 翠葉ちゃん、ケープありがとう! 嵐はこれお願い」
 茜先輩はバニティポーチを嵐子先輩に預けると、
「さ、ステージに上がろう!」
 私は頷き室内ブーツを脱ぐと、差し出された茜先輩の手を取った。
 完全復活――そう思えるくらい、声には張りが戻っている。
 でも、ステージも奈落も、茜先輩にとってはあまり変わらないのかもしれない。
 きっと、今もその心はつらいまま――

 昇降機に乗ると、実行委員の手で私たちの胸元には高性能ピンマイクがつけられた。
「昇降機、上がりますっ!」
 実行委員の声が響くと、足元から振動が伝ってくる。
 これから歌う歌詞の内容を考えると、私は少し複雑な気分だった。
 この曲をこんなふうに思ったことはないのに。
 歌詞は不思議だ。
 そのときに置かれている状況や心境が変わるだけで、受けるイメージがこんなにも変わる。
「最初はね、これも翠葉ちゃんに歌おうと思っていたの。だって、そんな内容だと思ったから。でも、今は私にもピッタリな歌詞に思えてちょっと困ってる。……正直、逃げだしたいわ」
 そう言うと、茜先輩は私と手をつないだ。
 手をつなぐ、手を合わせる、立ち位置を変えて背中合わせに立つ。
 そんな振り付けがこの歌にはある。
「茜先輩……永遠はいらないですか? それから、約束も」
 顔を見て訊く勇気はなくて、振動する床に視線を落としたまま訊いた。
「永遠なんてないと思ってた。約束は何かの介入で反故になってしまうものだと思ってた。どっちもあってないようなもの。形がないから不確かでしょう?」
 茜先輩の声が静かに答える。
 それならば――
「私は茜先輩と約束をしない人になります。永遠は――私も見たことがないし、存在自体がよくわからないので……茜先輩と一緒に歩いてみようかな。永遠は、自分の目で見て確かめます」
 目をしっかり合わせると昇降機が上がりきり、会場の明るさに目が眩んだ。
「翠葉ちゃんはどこまでも翠葉ちゃんね。……大丈夫、ステージでは私がついているから。ステージ上では頼ってね。その代わり――やっぱり私はこの歌を翠葉ちゃんのために歌うわ。そうすることで、私を強くいさせて」
 きゅ、と手を握られ、私は「はい」と答えた。

 RYTEMの「ツナイデテ」。
 ピアノの前奏にストリングスが乗り、茜先輩からの歌い出し。私はそれに応えるように歌う。
 手から伝わるのは茜先輩の自信――
 歌詞に負けない強さに引っ張られる。
 Bメロに入ると手をつないだまま徐々に向かい合わせになり、二フレーズ目に入る前には完全に合わせ鏡のように立つ。
 つないでいた手をそのまま合わせて――




 私の目には茜先輩しか映らなかった。
 一緒に歌っているのに目を引いて止まない。その強い眼差しに、声に、全神経を攫われる。
 ずっとつながれていた手はサビが始まると同時に離れ、今は茜先輩の気持ちを表現するためだけに動き出す。
 歌のお姫様が私のために歌ってくれている。
 空気を伝ってくる振動が、音が、それを教えてくれる。
 本当に、なんて人だろう……。
 あんな痛い気持ちを抱えているのに、抱えたままなのに、この歌詞を私のために歌えるなんて……。
 感情移入せずにはいられないような歌詞なのに、今、私に向けられている眼差しは慈愛――
 それなら、私もこの曲は茜先輩のことを思って歌おう。茜先輩のためだけに……。
 茜先輩の声と自分の声が重なると鳥肌が立つ。
 練習のときやリハーサルのときとは比べ物にならない。
 茜先輩と歌う歌は、どんどん高みへと引っ張り上げられるから、怖いなんて思う余裕がない。そんな暇がない。
 次へ次へ――まるで手を引かれるように声がするりと出てくる。
 けれど、一番最後のサビの繰り返し部部に差し掛かったとき、ほんの少し音程がぶれた。
 やっぱり、この歌詞を今歌うのはつらいのだろう。
 私は自分のパートを歌い始めるのと同時に茜先輩の手を取った。
 手と同じようにふたつの声が重なると、曲は何事もなかったように終焉を迎える。
 拍手喝采の中、 茜先輩に促されるまま四方向にお辞儀をした。
 昇降機が下がり始め、観覧席から完全に見えなくなると、
「ごめんね、最後ぐらついちゃった……」
 茜先輩は悔しそうに呟いた。
「私は茜先輩がいなかったら、始終ぐらついていたと思います。一緒に歌ってくれてありがとうございます。それから、私のために歌ってくれたの、とても嬉しかったです。ありがとうございます」
 たとえ一フレーズが久先輩への想いだったとしても、それも含めて、嬉しいと思えたんです。



Update:2011/09/18  改稿:2017/07/11



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