「ふっふっふ……」
不気味に笑う父さんを真面目に心配する。
「何、どうしたの?」
母さんが尋ねると、
「持つべきものは気の利く優秀な部下っ!」
父さんは母さんに抱きついた。
「周防ちゃんがさ、明日こっちである会議に出てきたらどうですか、って連絡くれた」
「でも、予定にはないんでしょう?」
「そう、予定に入らないようなどうでもいい会議っていうか、俺が出席する必要性が高くない会議」
不思議そうに首を傾げる母さんに、
「つまり、明日の午前はこっちにいていいですよーってお気遣いでありますよ!」
「あっ! 明日朝から現場入りしなくていいってこと?」
「そう! だから、明日も翠葉と会えるし朝食だって一緒に食べられる!」
やたら嬉しそうにはしゃぐ父さんが子どものように見えた。
翌朝、起きてきた翠葉には「緊急会議」とかそれらしいことを言っていたけど、それをあえてばらす必要もなく……。
昨日と変わらず静さんも交えたダイニングで翠葉が母さんに訊く。
「お母さん……」
「ん?」
「お母さんは、もしお父さんに好きな人がいたらどうした?」
「……そうねぇ、簡単には諦めなかったでしょうね」
母さんの今の心境――ガッツリ翠葉とガールズトークに走りたい、だろうな。
けど、朝というこの時間帯では無理。
だから、残念に思いながらも早めに切り上げたのだろう。
翠葉は母さんから十分な答えを得られなかったからか、父さんにも同じ質問をする。
「お父さんは?」
「んー……こういうのって諦めよう、そうしよう、って諦められるようなものじゃないしなぁ……。そこできっぱり想いに決別できちゃう人がいるなら父さんは尊敬するかもしれん」
いかにも父さんらしい答えだった。
「それにな、世の中には好きな人に付き合っている人がいようが、結婚して子どもができようが、同じ人をうん十年も想い続ける人間もいるんだぞ?」
父さんの視線がどうしてか静さんへ向く。
翠葉もそれに気づき、
「え? 静さん……?」
「零樹、今お褒めに与ったのは私のことか?」
「静以外に誰がいるのさ」
それって――
「えっ!? じゃ、静さんってもしかしてうちの母をっ!?」
思わず声が大きくなる。
静さんは目が合うと笑みを深めた。そして、翠葉の顔を覗き込む。
「翠葉ちゃん、私は三十年碧を好きでいたよ? おかしいかな? このとおり、いい年をした大人だが、蒼樹くんや翠葉ちゃんという子どもがいてもずっと好きだった」
そこへ母さんが戻ってくると、
「正しくは二十七年よ」
「おや、そうだったか?」
「そうよ。ここ三年だもの、静から届くバラが赤じゃなくて黄色いバラに変わったの。黄色いバラの花言葉は『変わらぬ友情』でしょう?」
「こういうのは女性のほうが期間をしっかり覚えているものらしい」
バラって……あのバラの送り主は静さんだったのかっ!?
毎年母さんの誕生日にはバラの香りに咽そうになるほどたくさんの赤いバラが贈られてきていた。
母さんの好きな花はカスミソウと記憶している俺だけど、これだけの分量を贈ってくるとなると、今まで母さんと一緒に仕事をした企業が何か勘違いしているのかもしれない、とそう思っていた。
普通に考えて、あの分量が個人からの贈り物だとは思えなかった。
なるほど納得……贈り主が静さんなら可能だろう。
さすがは藤宮単位。
静さんは翠葉に「おかしいと笑うかい?」と再度訊く。
翠葉は半ば呆然としながら、
「いえ……。むしろ、そんなに長い期間想われていたお母さんを羨ましいと思うくらい……」
その気持ちはわからなくもない。
翠葉にとっても俺にとっても、今まで生きてきた時間以上に静さんは母さんを想っていたことになる。
その膨大すぎる時間に言葉を失ってもおかしくはない。
けど、なんとなく――「藤宮の男に惚れられるということはそういうことだよ」と提示された気がしたのは俺だけだろうか……。
しかも、翠葉の場合、秋斗先輩と司のふたりに、だ。
途端に翠葉の行く末が心配になってくる。
「翠葉ぁ……肉食獣に奥さんを始終狙われていたお父さんはだな、胃が擦り切れるくらいに肝を冷やす二十七年だったぞー?」
父さんはそんなふうに話すけど、なんていうか、それ……自分に置き換えて考えたくない域とかレベル。
「碧、感謝してほしいものだな。おかげで零樹は中年太りもせず、あのころの体型を維持したままだ」
「あら、そう言われてみればそうね?」
「ちょっとちょっとちょっと、おふたりさあああんっ!?」
話の流れから笑いが起こるものの、俺はただその場に合わせて笑っているだけ。
だって、どう考えても二十七年も秋斗先輩みたいな人に彼女をずっと狙われ続けるっていうのは心臓に悪い気がする。
それこそ、二十七年か三十年かの三年の差は雲泥の差だ――
朝食が終わると、翠葉は家を出る準備を淡々と進めいていた。
見送られるときになってようやく「あること」に気づいたようだ。
「蒼兄……私、すっかり忘れていたの」
「うん、やけに落ち着いているからそうかな、とは思っていたけど……」
翠葉は今日も司と海斗くんと登校することになっているわけで、下に下りれば問答無用で司と会うことになる。
昨日の今日で落ち着いて会えるものか、と心配していたわけだけど、やっぱり忘れていたか……。
「ちょっと下まで見送ってくるわ。ついでに打ち上げの件とか訊いてくる」
父さんたちにはそう告げて玄関を出た。
先に唯とエレベーター待ちしている翠葉はなんともいえない暗い表情をしていた。
こればかりはね……。
自分で前に進んで答えを見つけるほかない。
俯いている翠葉の頭を見下ろしている間にエレベーターは一階に着いた。
通路の先には海斗くんたちの姿がある。
翠葉に視線を戻せば左手で胸を押さえていた。
携帯を見なくてもわかる。
きっと、今ごろ心拍が上がっていることだろう。
ポン、と小さな頭に手を乗せれば「蒼に……?」と自信なさげに俺を見上げる。
俺はやれやれといった感じで翠葉と視線を合わせたわけだけど、そんな俺は翠葉にはどう映っているのかな。
「あっれー? 唯くんに蒼樹さんまで、どうしました?」
海斗くんの元気いい声が投げられ、唯が負けずじと声を張る。
「海斗っち、おはよっ! いやさ、今日って打ち上げあるのかな、と思って」
「あ! ありますあります! 路線バスで市街地に行く途中、カラオケ屋あるじゃないですか」
「あぁ、あのカラオケ屋にしてはそれっぽくない建物の?」
「ですです。そこ、友達の家がやってるカラオケ屋なんで、そこでやることになってます」
「そっか。悪いんだけど、そのときもリィのこと頼めるかな?」
「もちろんっ!」
あそこならマンションから一本道だし距離もさしてない。
帰りは俺が迎えに行けばいい。
「海斗くん、よろしくね。それを確認してお願いするために下りてきたんだ」
「あぁ、なるほど。了解です!」
クラスに翠葉をお願いできる子がいるっていうのは本当に心強い。それがひとりじゃないところも嬉しい。
誰かひとりにお願いするのは申し訳なくてお願いしづらいけれど、それが三人、四人と分散されてくれると頼みやすくなる。
翠葉はというと、俺の隣で不安そうな顔をしていた。
その様は、まるで初めて登校する小学生のよう。
そんな翠葉の背を押したのは唯だった。
「ほら、いってらっしゃい!」
背を押された弾みで一歩踏み出す。
「何かあったらいつでも連絡してきな」
俺の言葉でさらにもう一歩。
「翠葉、行こうっ!」
海斗くんの力強い言葉にもう一歩。
「早くしないとまたギリギリになるけど?」
司の言葉に頭を抱えたくなったが、翠葉の足はもう一歩を踏み出した。
ガラス戸に反射してできた虹色の線を踏み越え、エントランスに差し込む光の中を翠葉は歩いていく。
行っておいで……。
色んなことを体験して、道がわからなくなったらここに戻ってくればいい。そしたら、また話を聞くから。
そんなことを考えながら翠葉の後ろ姿を見送っていると、
「あんちゃん、そんな顔してるとすーぐ老けちゃうよ?」
「っ……!?」
「ホントホント、相変わらず兄なのか父なのかわからない心配症っぷり」
唯と葵のふたりに突っ込まれ、少し恥ずかしく思う。
「でもま、それがなかったら蒼樹じゃないけどな」
「確かに、あんちゃんかどうかの識別には使えそうですよね」
葵と唯はクスクスと笑っていた。
Update:2011/11/14 改稿:2017/07/15
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