「呼び出し受けるたびに藤宮が迎えにきて、そこで毎回大喧嘩繰り広げてるって話も聞いたけど、見た?」
「あー、私は見てないけど友達が見たって言ってた。めっちゃ本気腰のケンカって聞いたけど……」
「司様が取り乱すところなんてそうそう見られませんよね」
余計なお世話だ……。
「ホント! 昨日もステージであんな藤宮が見れるとは思わなかったよな。あれってさ――」
先に続く言葉に嫌な予感がした俺は、咄嗟に翠の耳を塞ぐ。
ここまできて人の口から気持ちを知られるのだけは避けたかった。
普段ならそんな真似をする人間はいないだろう。だが、今は違う。
俺たちがここにいることを知らないのだから、思ったことを口にするに違いない。
連中の声が聞こえなくなってから手を外すと、翠が俺の顔を見上げた。
「ツカサ……少しでいいの、座って休んでもいい?」
会話の内容を訊かれると思った俺は違う話題に安堵する。
「あぁ」と答えようとした瞬間、翠の重心が傾いだ。
身体を支えたとき、髪の合間から見えた唇が白かった。
「悪い」
「ツカサは悪くないよ。ただ、少し疲れているだけなの」
翠は力なく答える。
「いや、俺が速く歩きすぎた」
身体を支えたまま木の根元に腰を下ろすと、翠は力なく俺の脚の間に膝をついた。
本人は預けたくて預けているわけではないだろう。が、俺は自分にかかる体重を心地いいと感じていた。
重いとか軽いとか、そんなことはどうでもよく、「ここに在る」という事実に心が落ち着く。
眩暈が治まったのか、翠はゆっくりと木を見上げ、少しするとさらに視線を移動させる。
その目にオレンジ色の光が灯り、ジャックオウランタンに目を奪われていることに気づく。
「もう十一月になっちゃうのね」
「あぁ……。明日からは十一月だ」
ふたり何も話さない時間が過ぎる。一秒一秒、早くも遅くもなく、それ相応の速さで。
三十秒と経たないうちに翠が口を開いた。
「あのね、少しだけでいいから……。だから、肩、貸して?」
トン、と少しの衝撃を受けたのは胸――
翠、それは肩じゃなくて胸だ……。
翠は昨日に引き続き、事切れたように眠りに落ちた。
あどけない寝顔を晒す翠にため息をつく。
それだけ疲れているということなのだろうが、相変わらず無防備極まりない。
呆れや怒りを通り越すと守ってやりたいと思うものなのか……。
俺は疑問に思いつつ、夜気から守るように翠をマントで包みなおした。
「隠れる」というのは良策かもしれない。
自分や翠の体力を浪費することなく、表を探しまわる人間を回避することができる。
それには衣装のマントが一役買っていた。
なんで俺が吸血鬼、とは思ったが、今は便利な仮装をさせてもらったと思う。
黒――それは何をせずとも闇に溶け込める色だった。
入学したばかりのころ、内進生の目に翠はどう映っていただろう。
外部生が珍物扱いされるのはいつものこと。「嫌がらせ」という洗礼を受ける人間も少なくない。
だからこそ、監視するための機関が存在する。
外部生の成績は必ず上位にくる。むしろ、中に位置する成績ならうちの入試は突破できない。
内進生はそれを知っているからこそ外部生を意識せざるを得ないのだが、ここの生徒はどこぞの跡取りや社長令嬢だの、とその手の人間が多いこともあり、常に警戒心や競争心を持っている。
外部生はそんな灰汁の強い連中の的になるのだ。
翠と会ってから時々考える。
俺や海斗が藤宮ではない私立や国公立校に通っていたら、こんなに特別視されることはなく、もっと静かな学園生活を送れたのだろうか、と。
この学園という狭い社会の中にいるからこそ、「藤宮」なんて名前がついて回る。
ただ、それだけなのかもしれない。
しょせん、この枠の外に出たことがない俺には知る術もないことだけど。
その特殊な学園の中で翠は受け入れられたのだろう。
始めこそ異色な存在として見られていたことは否めないが――
無防備すぎる人間や正直すぎる人間というのは、時として苛立ちの要因にしかならない。しかし、翠のそれは受け入れられた。
何にでも正面から向き合おうとするその姿勢に好感を持たれたのかもしれない。
自分とは正反対の人間。
青木に聞いたところ、現時点での呼び出し総数は三十二回。
俺たちは「呼び出し」と言っているが、翠はそのたびに「話をしていただけ」と言いなおしていた。
うちの学園において集団リンチというものはあまりない。
第一に、全校生徒が六三〇人しかいない校内においては団体行動自体が目を引く、という理由が挙げられる。
次に、部活などが絡まない集団において、リーダーを決めるのがひどく難しいからだ。
誰かを引き立てる、誰かの下につく――そういうことができない人間たち。
権力の笠を着て、という人間だったとしても、誰かに取り込まれるのは納得がいかない。
そういう一癖も二癖もある人種の集まり。
そこら辺がほかの学校とは少し異なるのかもしれない。
何分、うちの生徒は「我」が強い。
誰もがスタンドプレーを得意とするゆえ、チームプレーの重要性を学ぶべく、一学期ごとに球技大会が行われるほどに。
球技大会に個人種目がないのはそういった理由から。
それらは部活にも反映されている。
どの部活も団体競技よりも個人競技のほうが成績がいい。それは俺もしかり。
翠のこの真っ直ぐさはスタンドプレーに通じるものがあるのかもしれない。
「……カサっ」
胸に収まっていた翠が急にシャツを掴んだ。
目をまん丸に開いてびっくりしたって顔。
……というより、俺がびっくりしたと言ってもいいか?
「……落ち、ない?」
「……アリスの夢でも見てたわけ?」
「ううん、アリスの夢ではないのだけど……。急に地面がなくなる夢だった」
それで咄嗟に掴まれたわけか……。
なんとなく状況は理解できた。
「落ちそうだったから手を伸ばして掴めるものを掴んだのだけど――ごめん、ツカサのシャツだった」
ぱっ、とシャツを離したかと思えば、俺の顔を見るなり赤面する。
本当にこいつは――
翠、今俺の腕の中にいるって理解しているか?
悪いけど、どうにでもできそうな状況でそんな顔をされたら俺の理性だって限度を超える。
「文句は受け付けないから」
「え……?」
翠の唇は少し開いたまま。
俺は翠の頬に手を添え、血色の悪い唇に自分のそれを重ねた。
一瞬の出来事。
目を開けたままキスをした。
翠の目は今も見開かれたまま。
「翠が悪い……。何度言っても無防備改めないわ、勝手に人の腕の中で寝るわ、俺の気持ちに気づかないわ――」
ほとんど言い訳。「衝動」という行動に対する言い訳。
翠は瞬きも忘れて俺を見ていた。
その目に、俺だけを映していた。
今なら、誤解も曲解もされずに伝えられる気がする。
「好きでもない相手にキスなんてしない」
これでは足りない気がする。もっと間違いようのない言葉――
「ツカ、サ……?」
「恋愛対象の意味の好意」
これ以上にストレートな言葉は思いつかなかった。
翠は微動だにせず俺を見ていた。
が、これ以上の無言空間には俺が耐えられそうにない。
「でも、困らせたいわけじゃないから。俺も翠と変わらない。好きな相手には好きなやつがいる」
俺は翠から少し離れ、自分のマントを外して翠の肩にかける。と、白と水色の衣装は闇色に包まれた。
「翠には翠らしくいてもらいたい」
立ち上がり周囲の状況を確認してから、足元の翠に視線を戻した。
「もう少しそこにいろ。俺が表に出れば少しは注意を引ける。そしたら誰か迎えによこすから」
翠の返事は聞かず、俺はその場を立ち去った。
Update:2011/11/29 改稿:2017/07/16
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