彼女の熱が三十九度を超えてから、バイタルが気になって仕方なくて……。
あまりの寝付けなさに、結局はベッドから抜け出てダイニングで仕事をしていた。
「今日の会議は外せないよな……」
今日は朝から夕方まで本社で会議の予定。
午前はS職に昇格させる社員の選定会議。
午後からは午前の会議に付随する会議が入っていた。
選定委員に属し、父さんが出張している間の最終決定権を委ねられている自分が欠席するわけにはいかない。
会社に着いてから蒼樹と唯に連絡を入れたものの、携帯がつながることはなかった。
湊ちゃんの携帯も同じ。
それらが意味するのは「病院にいるから」だろう。
時間の経過と共に彼女の体温は上昇し、今は四十度を越えている。
こんなに高熱で湊ちゃんが何も対処しないわけがない。
そう自分に言い聞かせ、俺はなんの情報も得られないまま会議に出席した。
M職からS職へ昇進するための試験期間は一ヶ月。
それらの結果を総合的に見て合否を下す。
試験に合格した人間は「S1」というジョブランクになるわけだが、稀に「S1」を飛ばして「S2」に昇格する人間がいる。
今回、その対象に上がるであろう人間はふたりいた。
先日、翠葉ちゃんの警護につけた藤守武明と藤守武政。
予想としては満場一致で「S2」への昇格となるだろう。
試験を受けた人間は一〇〇人近い。
査定の初期段階で落とされた人間もいるが、半数以上は残っている。
合格した人間はすぐに次なる職場へと配属される。
午前中は主に選定を、午後は人事部の人間を交えて配属先を決める会議へ移行する。
S職が派遣される先はそれなりの要人もとであるため、単なる人事とは違う扱いになるからだ。
普段対人的な仕事をしない俺にとって、長時間の会議は要領を得ない部分もある。が、何に救われるかというならば、この会議に参加する社員が皆頭の切れる人間ということだろう。
今までならこの手の会議は数日にわたって行われていたわけだが、下半期になると父さんの独断で人事部長がすげ替えられた。
そして、新部長によってさらなる異動が行われた。
その結果が、「今」だ。
今日の会議日程を組んだのはほかの誰でもない現在の人事部長。
会議は時間の経過と共に、消化しなくてはいけないミッションが着実に減っていく。
人事部の入れ替えがあってからというものの、俺が出席する会議の数はぐっと減り、さらには時間の浪費と思えるような会議がなくなった。
明らかに質が上がっていた。
この人事は会社に利益をもたらすだろう。
この俺が、本社に出向いてもいいと思えるほどに、会社内部が代わり始めていた。
昼になっても誰とも連絡がつかず、パソコンに表示されるバイタルを見つつの会議。
途中、唯から通信が入った。
Wakatsuki:会議が終わったら連絡ください
Wakatsuki:リィのことはそのときに話します
唯はすぐにオンラインからいなくなり、直後、真横に座る蔵元から通信が入る。
Kuramoto:会議に集中なさってください
蔵元に視線をやると、「なんでしょう?」とでもいうかのように笑みを返された。
長い会議を終え、すぐ唯に電話する。
だいたいにして、メールかチャットで情報くらい知らせてくれればいいものを――
朝から夕方までなんの情報も得られなかったからか、俺はかなりイラついていた。
そんな俺とは真逆でのんびりとした声が耳に届く。
『会議お疲れ様でーす。やっぱあのふたりは「S2」に昇格ですか?』
そんなことはどうでもいい。
「翠葉ちゃんは?」
『秋斗さん、とりあえず落ち着きましょうか』
「熱が四十一度を超えていて落ち着いていられるかっっっ」
『痛いっ! 耳がいたーーーいっっっ! 話し相手の耳を思いやれない人には教えてあげませんっ』
……冷静になれ。冷静になるんだ俺――
「……悪かった、武明と武政は『S2』に昇格。で、翠葉ちゃんは?」
『秋斗さんも知ってのとおり、高熱出してます。昨夜、何度か戻したあと一気に熱が上がって朝には四十度。今朝八時くらいだったかな? 湊さんがうちに来て診察してくれました。所見でインフルの可能性ありってことで病院へ搬送。検査あれこれで俺らが病院を出たのは一時回ってましたね。あんちゃんは途中で大学に行って、まだ帰宅してません。ついでにリィは病院にお泊りです』
泊まりって――
「入院……?」
『ですです。インフル重症患者に認定されてました。なんていうか、毎度のことみたいだけど、リィは風邪をひくと胃腸にきちゃうみたいで、吐き癖ついちゃって水も薬も飲めなくなっちゃったんで。それと肺炎移行の危険性もあって入院に相成りました』
容態はひどいのに、それを話す人間の声音が内容にそぐわない。
「おまえ、なんでそんなに冷静なんだ?」
冷静というよりは無駄に明るい。
心配していないわけではないだろう。
『冷静、ねぇ……。だって、目の前に冷静さを欠いている人がいたらどうやったって自分が冷静にならざるを得ないじゃないですか。それに、こんなこと切羽詰った声で言われたらどうです? 秋斗さんますます慌てるんじゃないですか? それで帰り道に事故でも起こされたら、俺後味悪いったらないじゃないですか。そのあと悪夢にうなされるとか、最後に話したのが自分とか、ホント勘弁』
俺を勝手に殺すなよ……とは思うものの、唯が言うことには一理あった。
『リィは夏と同じ九階の病室に隔離されてます。超合金クラスの凶悪ウイルスさんだからマスクしていても面会時間は十分以内とか制限されてますけど。お見舞いに行けないわけじゃないですよ』
まるで「行ってきたら?」と言われている気がした。
持ち帰る仕事はある。
けれど、今の状態では手に付かない気がした。
「帰りに少し寄ってみる」
そう言って通話を切った。
病院までの道中、昨日の出来事を思い出していた。
紅葉祭最後の生徒会主催のイベント、「鬼ごっこ大会」が始まってしばらくすると司から通信が入った。
どうやら「鬼」が全校生徒で「ターゲット」になっているのが司と翠葉ちゃんだったらしい。
その翠葉ちゃんを逃がすためのルート確保の連絡だった。
俺は司から連絡を受けたあと、全通信を傍受し始めたわけだけど、それは司の計算のうちだったのだろう。
俺に連絡を入れたあと、生徒会メンバーに通信を入れることも何もかもが計算のうちだったのだ。
それは「取引」という名の「宣戦布告」。
――「今、ソレにしっかりと認識させてきたので、回収作業お願いします」。
つまり、司が彼女に想いを伝えたという内容の通信だった。
こんな形で報告されるとは思いもしなかった俺は、九歳年下の従弟のやりように思わず笑みが漏れた。
「司らしいな……」
これでもう引っかかる要素は何もなくなった。
やっと、司が同じ土俵に上がった――
Update:2011/12/06 改稿:2017/07/17
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