光のもとで

第14章 三叉路 01 Side Kaede 02話

【注意】
性的な表現があるため「PG12」といたします。
12歳未満の読者様の閲覧に際しましては保護者様が十分ご注意のうえ
適切なご指導をお願いいたします。



 うちにおいての最優先事項。
 それは母さんが幸せであること――
 いや、この言い方は語弊があるかもしれない。
 つまり、母さんが幸せなら父さんの不興を買うことはない。
 そういうこと。
 基本、司はどこにいても誰が相手でも必要以上に口を開かない。
 そんなわけでコミュニケーションが取りづらいことこのうえないわけだけど、今日の昼食中も司は口にものを運ぶとき以外は口を開かなかった。
 いつもならそれが「普通」なわけだけど、今日ばかりはわけが違う。
 目下、ウイルスの拡散を回避中。立派なミッション遂行中。
 父さんも廊下で話を聞いていた口なのか、司に話しかけることはなく、「話さなくていい。むしろ口を開くな」的な何か……。
 この場では母さん以外が皆、ウイルス拡散回避に取り組んでいた。
 そんな昼を済ませると司は自室へ篭り、俺はそれをフォローするかのように母さんと世間話という名の司の話題に花を咲かせる。
 二時前になると父さんから鋭い視線が飛んできた。
 俺は母さんに気取られないよう廊下へ出る。と、しばらくして父さんも出てきた。
「司は発熱しているのか?」
「いや、熱もまだ測ってない。けど、自覚症状はないみたいだから、今の状態で検査しても陰性だろうね」
 きっとそんなことは司も承知済み。
 けど、薬を処方するにあたり診察や検査は必須なんだ。
「とりあえず二、三日うちに泊めて様子を見るよ。陰性でもリレンザは処方するつもり。本当は家族に感染者がいないと処方できない仕様だけど、そこはちょっと大目に見てもらえない? 母さんを守るためと思ってさ」
「わかった」
「じゃ、俺そろそろ司を連れて出るから」

 病院に着いてすぐ簡易キットで検査したものの、やはり結果は陰性。
「今のところは陰性。でも、予防的にリレンザは処方しておく」
 司は無言で頷いた。
 熱も三十六度七分といつもよりは少し高めなものの微熱ですらない。
 そんな状態で検査したところで陽性反応が出るわけもなかった。
 俺が薬剤部に連絡すると、部長が電話口に出た。
『涼先生からうかがっています。すでに用意してありますので、直接こちらにお越しいただけますか?』
「すみません。今から行きます」

 マンションに着くと司は真っ直ぐ俺のコレクションルームへ向かった。
 そんな弟に一言。
「司、何もその人体模型部屋で寝なくていいっていうか、むしろ、そこに寝るためのアイテムは何ひとつないんだけど……」
 この部屋にはベッドもなければラグも敷かれていない。文字通り物置と化した部屋なのだから。
「……いつもの癖。姉さんの家だと俺の部屋はここだから」
 その言葉に納得する。
 うちは姉さんの家と構造が同じだから、いつもの要領で歩を進めたのだろう。
「玄関入って右側の部屋は片付いてる」
「ありがと」
 その部屋に向かうと、司は持ってきた荷物を部屋の入り口に置き壁の一点を見つめて佇んだ。
 俺にとっては単なる部屋の壁。でも、司にとっては違う。
 その壁の向こうは翠葉ちゃんが使っている部屋だ。
 病院へ行ったとき、顔を見に行くくらいはするかと思ったけど、それもしなかった。
 やっぱりまだ返事はもらえていないのだろうか。
 ふたりの関係に考えをめぐらせていると、司がポツリと呟いた。
「最初から打ち上げなんて行かせなければ――」
 ……バカなやつ。
 後ろから頭を小突くとびっくりした顔で振り返る。
 司、そんなふうに思わなくても大丈夫だよ。
 あの子、精神的に不安定なところもあるけれど、病気と対峙しているときはこっちが驚くほどに強かったりする。
 それにきっと、彼女は後悔なんてしていない。
「今は熱を出しててつらいだろうけれど、昨日翠葉ちゃんは打ち上げに参加できて嬉しかったんじゃないかな」
 司だって半年ちょっと彼女を見てきてそのくらいわかっているだろう?
 守られているだけの子じゃないし、転んだとしてもただで起き上がる子じゃないんだ。
「友達と長い時間を一緒に過ごせて、嬉しかったと思うよ。たぶん、彼女は打ち上げに出たことを後悔なんてしない。だから、おまえも後悔するな」
 司は何も言わずに再度視線を壁へ戻し、思考を遮断するかのように視線を落とした。

「コーヒーでも飲まないか?」
 声をかけると司は、「俺が淹れる」と俺より先に部屋を出た。
 その背中を見て思う。
 大きくなったな、と。
 俺が初等部三年のときに生まれた司が今は高等部二年。
 そりゃ自分も年を取るわけか……。
 そんなことを考えつつ、先ほど考えていた続きを考える。
 もし仮に返事をもらっていないとしたら、どんなシチュエーションでキスに至るわけ?
 しかも、相手はあの翠葉ちゃんで、これは間違いなく「司」という人種なわけで……。
 どうにもすっきりしない。
「キスをしたってさ、それ、合意のうえで、だよな?」
 司は眉間にしわを寄せ、ものすごく嫌そうな顔で俺を見た。
 こんな顔は見慣れているわけだけど、今はしっかりとした答えが欲しいところ。
 少し待ってみても、俺の問いかけを否定する答えは返ってこなかった。
 実家での反応と同じ。
「もしかして無理やりなわけ?」
 訊いても司は答えない。
「秋斗を見てきたからそれだけはしないと思っていたけど……」
 決め付けるように言葉を投げると、司は一瞬だけ目を見開いた。
 そして、すぐに視線を逸らす。
 声にはしなかったが、まるで「違う」と言っているような目だった。
 カップにコーヒーを注ぎキッチンから出てくると、
「……からかわずに聞いてくれるなら話す」
 さて、何があったのか、どうしてそういうことになったのか、聞かせてもらおうか?
「真面目な話ならからかったりしない」
 話を聞いて、あんぐりと口を開けてしまったのは俺。
 実際に話した内容こそ教えてもらえないものの、昨日一昨日、司と翠葉ちゃんの間にあった「すれ違い」や「誤解」の数々を聞いてしまうと、もうなんとも言えない気持ちになる。
 何、ステージ上でもすごいことしてるなとは思っていたけど、水面下ではもっとすごいことになっていたのっ!?
 それを間近で見ていた海斗はどう思ったことか……。
 脳裏に海斗の苦笑が思い浮かぶ。
 確かに、そこまで誤解されたら誤解されないようなシチュエーションを作らない限り、告白すら無駄に終わりそうな気はする……。
 翠葉ちゃん独特の思考回路で華麗に捻じ曲げられて、すべてが水の泡になりかねない。
「ま、それなら目を瞑るかな? ……っていうか、なんだ。ちゃんと両思いって結果つきだったんだ? 昨日、どれだけつついても全然吐かないからまだ返事もらってないのかと思ってた」
 それならそうと昨日のうちに教えてくれても良かったものを……。
 昨日、司は俺や姉さんを完全に無視して黙秘を通した。
 何か別にそうしなくてはいけない理由でもあったんだろうか。
 そうこう考えていると、司が静かに口を開いた。
「兄さん……『衝動』って男側にしかないもの?」
「……それはつまり、性衝動ってやつ?」
「……そんなところ」
 ひどく言いづらそうな顔をして何を言うかと思えば……。
「くっ……おまえ、青春してるよな」
「……からかうならいい」
 変わり身の早さも天下一品。
 司はすぐにカップを持って撤退の姿勢。
「悪い、からかうつもりはないよ」
 引き止めるように声をかけると、司は肩越しに俺を振り返り、数秒間目を合わせてからソファに腰を下ろした。
「性衝動がどこから、って定義にもよるかもしれないけど、人間は人を好きになったらありとあらゆる形で相手を求めるものなんじゃないかな。触れたい、抱きしめたい、キスしたい、セックスしたい。そんな衝動、男も女も関係なく持ってる」
 しょせん、人間だって一動物に過ぎない。
「ま、セックスに関してだけなら男のほうが物理的、肉体的快楽を得やすい分、衝動や欲求自体が高まることはあるだろうな。女の子は男よりも社会的、肉体的事後リスクが高い分、本能的に性行為には慎重になるものなんだよね。司だって三大欲求は知ってるだろ? 性欲なんてあって当たり前。生殖行為だから、人間なら誰でも本能として備え持ってる」
「兄さん……俺は『性欲』じゃなくて、『衝動』をどうにかしたいんだけど。……つないだ手を放したくないと思ったり、急に抱きしめたくなったり――そういうの、どうしたら抑えられる?」
 衝動、ねぇ……。
 昨日のキスは「衝動」だったわけか。
「……ひたすら理性で抑えるしかないでしょ。……抑えなくちゃいけない状況なら、ね? 相手が受け入れてくれるなら我慢する必要なんてないだろ? つまり、そういうことだよ」
 司は瞠目する。
 そんなに驚くことじゃないと思うんだけど……。
 こんなのごく当たり前のこと。
 けど、異性と付き合うどころか人付き合いをしてきていない司にはわからないことなんだろうな。
「両思いならそんな難しいことじゃないよ。手をつなぐくらいは普通にできるだろうし……その先は訊いてみたら?」
「なんて……?」
 真面目に訊かれているから真面目に答える。
 でも、言葉にしてみたら意外と間抜けな内容だった。
「普通に訊けばいいんじゃないの? 抱きしめてもいい? って。キスしてもいい? って」
 司は赤面しつつ、射抜くような目で俺を睨み返してくる。
 いつものなんてかわいすぎて比にならない。
 でも、赤面効果であまり怖くもないわけで……。
 これは即ち、「そんなこと言えるわけないだろっ!?」ってところかな?
「最近の司は表情が豊かだな」
 ついそんなことを零せば機嫌の悪さに拍車をかけてしまったようだ。
 あからさまにそっぽを向かれた。
 からかってるわけじゃないよ、という意味をこめて話をもとに戻す。
「司、そんなの最初だけだよ。最初の一、二回訊いて嫌がられなかったらそのあとに拒まれることは稀。……そうだな、心変わりされない限りは大丈夫なんじゃない? あとは場をわきまえていれば平気だと思うけど」
 相手が翠葉ちゃんなら、訊いてから抱きしめる、訊いてからキスをする。
 そのくらいがいいのかもしれない。
 不意打ちよりも前置きありきな何か。
 ま、好きな子の驚いた顔が無性に見たくなることもあるけどね。
「……からかわれてるとは思ってないけど、なんで嬉しそうなの?」
「え?」
 そこっ!?
「だって嬉しいから?」
「だからなんで?」
「……まず、人に興味を持つことがなかった司に好きな子ができたことが嬉しいし、その子と想いが通じたってだけで十分に喜べる材料揃ってると思うけど? さらにはこんな相談してもらえるとは思ってなかったから、やっぱり嬉しいよ」
 俺の頬は自然と緩む。
 もう十七歳だけど、まだ十七歳。
 司、今からだって遅くはない。
 人ともっと関わってみるといい。
 確かに、「藤宮」には色々と問題があるけれど、それでも友達を作れないわけではないのだから。
 特別な存在を作れないわけじゃない。
 ただ、作ったら守ればいいんだ。それだけだよ。
「さ、俺は夜勤前に仮眠とるかな。……あぁ、うちは姉さんのところと違って冷蔵庫に何も入れてないから、食べ物関係はコンシェルジュにオーダーして」
「わかった」
 主寝室へ足を向けると、後ろから声をかけられた。
 それはそれは小さな声で、「ありがと」と。
 振り返ると、照れ隠しのようにテーブルを見つめる司がいた。



Update:2011/12/05  改稿:2017/07/17



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