光のもとで

第14章 三叉路 15話

 撮影が終わると、スタジオの端にあるテーブルへ案内された。
 勧められたパイプ椅子に座って待っているのはIDカード。
 今、この場でIDカードに顔写真をプリントしてくれるのだという。
 久先輩に写真を撮ってもらったのはこれが初めてではない。
 学校でなら何度となく撮られている。
 人は変わらないのに、憧れの久遠さんに撮ってもらったと思うと、なんだか嬉しくて仕方がなかった。
「いいの撮ってもらったじゃん」
 唯兄が顔写真が追加された出来立てホヤホヤのIDカードを持って戻ってきた。
 カードをじっくり見ていると、嬉しさのあまりに頬が緩みだす。
 仕舞いには手で押さえなくてはいけないほどだった。
「そんなに喜んでもらえるとは恐悦至極」
 気づいたらすぐそこに久先輩が立っていた。
 相変わらずキャップ帽を目深にかぶっているためか、表情はあまり見えないけれど。
「あ、そういえば、久先輩は――」
 話の途中で久先輩の人差し指に話すことを遮られる。
「ここでの俺の呼び名は?」
「……クゥ、さん?」
「正解。でも、敬称は取ってね?」
「クゥ、は……唯兄のことを知っていたんですか?」
「うん、若槻唯さんであることは知ってたよ? まさか、学校で会うとは思っていなかったし、翠葉ちゃんのお兄さんって肩書きで現れるとも思ってなかったけど。でも、何か理由あってのことだと思ったからスルーしてた」
 さらりと返され唖然とする。
 学校での唯兄と久先輩は「知り合い」ということをまったく感じさせない接し方をしていた。
 でも、少し考えればそれが当たり前の行動であることに気づく。
「久遠」と「若槻唯」がつながることがあっても、「加納久」と「御園生唯芹」はつながることはない。もし互いの素性を知っていたとしても、それを人に悟られるような行動は慎まなくてはいけない。
 すべては「久遠」の正体を隠すため。
「……素性を隠すのって大変ですね?」
 唯兄と久先輩は顔を見合わせると、くっ、とふたりして笑った。
「翠葉ちゃん、他人事みたいに話してるけど……」
「リィもクゥと同じなんだよ?」
「あ……わ、そうなんですけど――」
 わかってはいても、ずっと憧れていた久遠さんと同じというのはどうにもこうにもしっくりとこない。
 会話の流れが恥ずかしすぎて周りをキョロキョロと見回したけど、私たちの周りにはスタッフはおらず、少し後ろに園田さんが立っているだけだった。
「唯兄、唯兄のこと……クゥに話してもいい?」
 唯兄はにこりと笑顔で答える。
「いいよ、別に問題ないし」
 不思議そうな顔をしている久先輩に私は向き直る。
「あのですね、唯兄は本当のお兄さんになったんです」
「え?」
 驚く久先輩に唯兄が補足する。
「俺さ、御園生夫妻の養子になったんだ」
「はっ!?」
「養子縁組までしてくれて、今では正式にリィのお兄さん。学校で自己紹介した名前は架空でもなんでもなくて、今戸籍上にある俺の本当の名前」
「冗談じゃなくてっ!?」
 久先輩は目を白黒とさせる。
「冗談じゃないですよ。夏休み中に手続きをしたんです」
「でも、ホテルでは若槻姓のままですよね?」
「あー……あちこちにお触れ出したり挨拶に回るの、時間も手間もかかるし諸事情もろもろ訊かれるのも面倒だから」
「唯兄、それ……ひとえに面倒って言ってる気がする……」
「あれ? そう……? でも、本社のほうにはちゃんと書類提出してるしIDカードも申請し直したし……。押さえるべきところだけ押さえとけば問題なくない?」
 楽観的すぎる物言いに絶句したのは私だけで、久先輩は苦笑しつつも「オーナーからお咎めないんだったら大丈夫じゃないですか?」と答えた。
「だよね? でもま、身分詐称くらいはできるように前のIDカードも取ってあるし、使えるようにデータも生かしてあるんだけどね」
 にこりと天使のような笑みを浮かべた唯兄に、悪魔の尻尾が見え隠れした気がするのは私だけなのかな。
 私は心の中で切に願う。どうか、唯兄が犯罪者になりませんように、と――

 三人で話しているところへシゲさんが来て、スタジオの隣にある機材ルームに案内された。
 その部屋には黒い収納ボックスにガラス戸がついたものがいくつもあって、カメラ本体やレンズなどがきれいにディスプレイされていた。
 ひとつひとつのボックスには湿度計と温度計も備わっている。
 よく見たら、棚板ひとつとっても柔らかそうな生地で覆われていた。
 シゲさんは自慢げに言う。
「うちのお宝ルーム。それらを守るための優秀なドライボックスたち。ま、この部屋の空調も手動管理できるようにはなっているんだけど、念には念をね」
 ここにあるカメラやレンズは持ち出し申請をすればどれでも使っていいことになっているらしい。
「使い方は基本どれも似たり寄ったりだから困らないと思う。ま、わからないことがあればその辺のスタッフ捕まえて訊いてくれ。上位機種もガンガン使ってやってよ」
 シゲさんは機材持ち出しのときに必要な書類の書き方を教えてくれたあと、
「さっき渡した名刺に顔写真がついてたでしょ? フルネームは覚えなくていいから顔とニックネームだけ覚えてやって」
「え? それだけでいいんですか?」
「むしろ、それだけわかっていれば会話には困らないから。気が向いたらっていうか、余裕があったらフルネーム覚えてやってよ」
「……はい」
 本当にざっくりした部署なんだなぁ……。
 思いながら、まだすっきりとしない関係性だけは明白にしておこうと思った。
 何かを勘違いして人に迷惑をかけないように。
「あの、私とクゥがホテルの従業員を含めどのような位置にあるのかを改めておうかがいしてもいいですか?」
 シゲさんは口を開いてから一度閉じ、私の後ろ、園田さんに視線を移す。
「こういうのは園田女史から説明するほうがいいんかな?」
「いえ、佐々木さんからでもかまいません」
 園田さんは会話に混ざることはないものの、ずっと私の斜め後ろに控えていてくれた。
「ですが、ここはレンズ管理室ということもあり湿度設定が低めです。お話はもう少し人体に優しい空間へ移動してからになさいませんか?」
 園田さんの言葉で場所を会議室へ移すことになった。

 同じ階にある会議室は二十畳ほどの広さで、スタジオとは一変して白っぽい部屋だった。
 どちらも無機質な感じであることに変わりはないけど、色が違うだけで圧迫感がなくなった。
 壁も天井も白く、床はオフィスでよく使われるグレーとチャコールグレーのタイルカーペットが敷き詰められている。
 照明も飾り気のない直感蛍光管のみ。
 部屋の中央には白い天板の細長いテーブルが四方を囲むようにセッティングされていた。
 椅子はいずれもパイプ椅子。
 椅子の上にクッションが置いてあるものもある。
 それらを眺めていると、
「姫さんはこっちな」
 会議室の最奥にあるテーブルの椅子を引かれた。
「ここ、撮影班しか使わない会議室なんだわ。だから、私物が置いてあったりするが気にしないでもらえると嬉しい」
「佐々木さん、椅子はやはり上の会議室と同じものを入れられたらいかがですか?」
「園田女史、いいんだよ。俺らは椅子に金をかけるくらいなら最新の機材だとかそういう方面に金を使いたい。うちで余れば上の広報部がうまく使うだろ?」
「それはそうなのですが――」
「園田さん、あんまり気にしなくていいと思いますよー? たぶん、ここの人たち仕事で徹夜が続くとここでごろ寝してたりするから、そういうときにパイプ椅子だと場所をとらないじゃないですか。そういう理由混みです」
 唯兄が言うと、シゲさんがぐりん、と唯兄の方へ顔を向ける。
「若……せっかく人がそれっぽく格好いい理由つけたの台無しにしてくれんなや」
「でも、若槻さんの言うとおりですしね?」
 唯兄とは反対側にいた久先輩の一言でシゲさんは撃沈した。



Update:2012/01/22  改稿:2017/07/16



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