光のもとで

第14章 三叉路 34話

 駐車場から校舎までのなだらかな坂道をのんびりと歩いていた。
 その間、周りの風景や空、とあちこちに視線をめぐらせる。
 葉は色づきガードレールは白く、分厚い雲が覆う空は灰色。
 それらは私の目に鮮明に映った。
「大丈夫……。グレーフィルターがかかっていなければ、大丈夫」
 これは私の指針。
 目に映るものすべてに灰色のフィルターがかかって見えてしまったら、私はまたひとりになる。
 世界と自分が切り離され、色のない世界にひとりぼっちになってしまう。
 でも、今はまだ大丈夫。
 私は転がる石ひとつひとつの色を確認し、色が違うと感じられることに安堵しながら歩いた。

 この学校は昇降口に傘立てがない。
 昇降口にあるのはデパートやビルの入り口にある傘を入れる縦長のビニール袋。
 傘立ては盗難や使い捨てをなくすため、教室に設けられている。
 今日はまだ傘は濡れていないので、ビニール袋に入れることなく教室へ向かった。
 教室にある傘立てには出席番号が振られている。
 クラスごとであったとしても、迷子傘は許されない。
 私は透明のビニール傘を出席番号が振られている傘立てに入れた。
 うちの学校はとても自由な校風ではあるものの、こういった物の管理には厳しい一面がある。
 それは、傘ひとつとっても換金すれば何万というお金になってしまうものを持ってくる人がいるから。
 高価な傘を持ってくることは禁止せずとも、こういったやり方で「自由」を守るための規則がある。
 でも、どっちがいいのかな?
 高価な傘を持ってこないように言って聞かせるのと、許容はするけれども別の規則で縛ること。
「どっちもどっち……?」
 でも、迷子傘がなくなったり置いてけぼり傘がなくなるのはいいことだと思う。
 何気なく傘の白い柄を指でなぞる。
 それはコンビニへ行けば数百円で買える、なんの変哲もない透明のビニール傘。
「翠葉、おはよう」
 傘立ての前に立っていると、登校してきた桃華さんに声をかけられた。
 桃華さんの傘もまだ濡れてはいなかった。
 手に持っている傘は薄桃色の生地に白いドット柄。とても女の子らしい傘だ。
「いつも思うのよね……。翠葉がビニ傘っていうのが不自然に思えるわ」
「あ、これ……?」
「どうしてビニ傘なの?」
「話すと長くなるから席に着いてからでいい?」
 互いが席に着くと、
「普通の傘は使っているうちに汚れて、骨と骨の間の折れる部分が黒ずんでくるでしょう?」
「……そうね。使ったあと、きれいに乾かして防水スプレーをかけても時間が経てば筋は入るわね」
「それが残念なのと――」
 ビニール傘なら空や風景が見えるから。
 中学三年生のとき、傘を忘れた私に鎌田くんがビニール傘を貸してくれた。
 それが私とビニール傘の出逢い。
 ビニール傘は傘を差しているにも関わらず、視界を遮ることもなければ視野が暗くなることもなかった。
 雨の日なのにとても明るく感じたことが不思議で、ビニール越しに見える空を眺めながら家まで帰ったのをよく覚えている。
 空から降ってくる雨がビニール面に着地すると、それは軽やかにきれいにはじけるのだ。
 その世界を知ってから、私は布張りの傘を手放した。
 傘を取り替えたことで視界は開け、大好きな布が少しずつ汚れていくのを見なくてもすむようになった。
 布張りの傘が汚れるのはとても悲しかったのに、それより早く劣化するビニール傘にはさほど抵抗を感じることはなかった。
 地球には優しくないけれど、私の心には優しい感じ。
「あ、でもね? 人が差している彩豊かな傘を見るのは好きなの」
「人の差す傘?」
「うん。とくに小学生や園児の差す傘。赤や黄色、緑に紺、ピンクにオレンジ。とっても彩り鮮やかで、まるでゼリービーンズみたいでしょう? 見ていて楽しい気持ちになるから、だから好き」
 桃華さんはクスリと笑った。
「説明を聞けば翠葉らしいと思えるわね」
 その後、桃華さんはビニール傘だとそれほど明るく感じるのかと訊き、私は一度差してみることを勧めた。
 とても穏やかな気持ちで話をしていた。
 携帯に表示される脈拍は七十前後。心拍が一定に保てる時間は平和だ――。

 昼休み、私の脈拍は百を超えた。
 どうしてかというならば、ツカサが現れたから。それも、思いもしない用事で。
 いつもなら教室の後ろのドアから呼び出されるのに、今日は違った。
 人の視線を集めながら私のもとまで歩いてくると、
「弁当、一緒に食べようと思って」
 ツカサは海斗くんの席に座ると、何事もなかったかのように手に持っていたお弁当の包みを解き始めた。
 いや、本当は海斗くんの席には海斗くんが座っていたのだけど、たった一言で海斗くんを退けた、というのが正しい。
「海斗、邪魔」
「すみません……」
 これだけのやり取りだったと思う。
 なんというか、私も海斗くんもツカサの行動に唖然としてしまって、何か言われてまともな反応を返すことができなかったのだ。
 はっと我に返ったときにはツカサがお弁当の蓋を開けていた。
「つ、ツカサっ、どうして急にここでお弁当っ!?」
「こうでもしないと会えないから」
 お箸を持ち、しれっと答えては無駄のない美しい動作で煮物の里芋を口に運ぶ。
 どうしよう……。ツカサがすごく近くにいる。
 自分との間には机ひとつ分の距離しかない。
 お弁当を食べるつもりで机にお弁当を広げたけれど、果たして喉を通るのか……。
 思わず、今から変更してサーモスタンブラーに手を伸ばしてしまいそうだ。
 それでも、「飲む」という行為をしなくてはいけないことに変わりはない。
「食べれば?」
「あ、はい……」
 教室中がしんとしていた。
 確認せずともみんなの視線がツカサに集まっているのがわかる。
「ツカサ……みんなにすごく見られてる」
「そのうち慣れるだろ」
 この場合、誰が何に慣れるのだろう。
 見られることに私たちが慣れるのか、クラスメイトがツカサの存在に慣れるのか――。
 唸りそうな勢いで頭を抱えていると、後ろから桃華さんに話しかけられた。
「翠葉、諦めなさい。その男、基本的に自分の行動を改めるって概念持ち合わせない人間だから」
「桃華さん……」
「なんだったら、椅子を後ろに向けて私の顔を見て食べたらどうかしら?」
 桃華さんがにこりと笑った。
 言い終えると、その隙のない笑顔はツカサへと向けられる。
 ツカサはそれに答えるように爽やかな笑みを繰り出した。
「簾条、俺は翠に会うために来たと言った。しばらく会わないうちにずいぶんと耳が遠くなったんじゃないか?」
「あら、失礼ね。知ってて言っているに決まっているでしょ?」
「あぁ、さすがだな。性格の悪さも天下一品だ」
「お褒めに与り恐縮だわ」
 席の後ろと前の両方から冷気漂う笑顔に挟まれる。
 だめ……無理。散らし寿司じゃなくてスープに変更。今すぐ身体をあたためたい。
 かばんからサーモスタンブラーを取り出すと、前後のふたりに突っ込まれる。
「あら、お弁当を食べるんじゃなかったの?」
「弁当は?」
「あ……なんか寒いからスープを飲もうかと思って」
「翠葉にしては珍しいわね? お弁当とスープの両方を食べるだなんて」
「あぁ、そうだな。食べられるのなら両方食べるに越したことはない」
「まさか、それだけなんて言わないわよね?」
「まさか、それだけとは言わないよな?」
 桃華さんとツカサはこんなときだけ仲良しだ。声がかぶる以前に言っている内容が同じ……。
 私は助けを求めるように飛鳥ちゃんたちの方を見た。
 そこには、どこからか椅子を調達してきた海斗くんと、空太くんの椅子を借りて座っている佐野くん、自分の席に着いたまま口をあんぐりと開けている飛鳥ちゃんがいた。
「や……司も桃華も、翠葉困ってんじゃん」
 助け舟を出してくれたのは海斗くん。
「困らせているのは藤宮司であって私じゃないわ」
 桃華さんはツカサ同様、きれいな箸使いで昆布巻きを口に運んだ。
「海斗、その認識は間違ってる。困っているのは俺だ」
 ツカサは海斗くんから私に視線を戻し、切れ長の目で私を見据える。
 その目に至近距離から見られるのは非常に落ち着かない。
 私は必死に考える。
 私、いったい何をしただろう……。ツカサにこんな目で見られる何をしたのか……。
 否、つい数日前までは思い切り避けていたわけだから、思いつく節はそこかしこにあるのだけれど、それが原因ではないような気がする。
 意を決してツカサの顔を見ると、にこりときれいに微笑まれた。
 笑っているけど怖い人にしか見えない。
「昨日の帰り、夜電話するって言ったと思うけど?」
「え……?」
 何を言われているのか思い出すのに少し時間がかかった。
 思い出したときには、ツカサはさらに笑みを深めた。
「一度通話状態になったにも関わらず、切った理由は?」
 訊かれてなんのことだろう、と思う。
 私には携帯に出た記憶もなければ切った記憶もない。
 たぶん、無意識に出て切ったのだ。
 私は小さな声で謝った。
「すっかり忘れて寝てました、ごめんなさい」と――。



Update:2012/03/07  改稿:2016/01/03



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