光のもとで

第14章 三叉路 37話

 どれだけゆっくり歩いていても物理的な距離は変わらない。
 気づけば、あと二メートルで図書棟の入り口だ。
 一瞬、来た道を戻りもう一周しちゃおうかな、とも思ったけれど、それはなんとか思いとどまることができた。
 こうなったら勢いをつけて入ろう。
 私は深く息を吸い込むと歩幅を広げ、ズンズン歩いてセキュリティの指紋認証をパスした。
 図書室には誰もいない。
 ガラン、とした広い図書室を見渡しカウンター内に入る。
 突き当たりのドアにたどり着くと、緊張しながらインターホンを押した。
 すぐに応答があり、分厚いドアがスライドする。
「いらっしゃい」
 ドア口に立って迎え入れてくれる秋斗さんはいつもと変わらない。
 いつもと違うことといえば、白衣ではなくジャケットを着ているところ。
「こんにち――」
 挨拶の言葉が最後まで言えなかった理由は、秋斗さんが着ていたジャケットにある。
 そのジャケットは、私がコンシェルジュ経由でお返ししたジャケットだった。
「ん? あぁ、これ?」
 秋斗さんはすかさずジャケットの襟部分を摘んで見せた。
「まさかコンシェルジュ経由で戻ってくるとは思ってなかった。斬新な返却方法をありがとう」
 秋斗さんはクスクスと笑って私を部屋の奥へ促す。
 テーブルにはカップとポットが用意されていた。
 会話もなく居たたまれなくなった私は、
「お茶、私が淹れてもいいですか?」
「翠葉ちゃんが淹れてくれるお茶を飲むのは久しぶりだね」
 快諾してくれた秋斗さんはダイニングのスツールに腰掛けた。
 背中に張り付く視線を感じつつ、私はいつものようにお茶を淹れる。
 けれど、緊張しすぎていたのか手元が狂った。
「きゃっ――」
 お湯が手にかかってしまい、熱さに声をあげる。
 秋斗さんにすぐ手を取られ、簡易キッチンの流しで流水に左手をさらされた。
 この時期の水は十分すぎるほどに冷たい。その冷たい水に秋斗さんの手もさらされていた。
「あのっ、お水冷たいから秋斗さんの手は――」
「いいよ、冷たくても。こうして翠葉ちゃんの手を握っていられるならね」
「すみません……」
 私はザー、と音を立てて流れる水に神経を集中させようとしていたけれど、お湯が熱かったとか水が冷たいとか、「温度」のことを考えると別のものを意識する羽目になる。
 それは背中に伝う秋斗さんの体温。
 秋斗さんの体温と秋斗さんから香る大好きな香りに包まれ、密着具合に心臓が壊れてしまいそう。
 ……ううん、違う。
 こんなに意識するのは「異性」だから。秋斗さんだからじゃない。
 これがツカサだったら、とほんの一瞬でも想像して後悔する。
 せめてもの救いは、顔はとっくに熱を持っているということ。
「も、もう大丈夫ですっ」
「んー……でも、もう少し。冷たいかもしれないけど、痕が残るよりはいいと思うよ?」
 そう言われ、私は後ろから抱きすくめられたまま流水で手を冷やした。
「さ、このくらいで大丈夫かな? ちょっと見せて」
 スツールに座らされ、秋斗さんは私の手を見るために顔を近づける。
「うん、水ぶくれにもなってないし大丈夫そうだね」
 確認をした最後、チュッ、と指先にキスをされた。
「き、きやぁっっっ」
 慌てて手を引っ込めると、秋斗さんはクスクスと笑いながら余裕の笑みを浮かべる。
「過剰反応も嬉しいね」
「なっ、なっ、なっ――」
 自分が何を言いたいのかも定かではない。
 ただ、怖いというわけではなく、起きた事象にひたすら驚いていた。
 でも、なんだか秋斗さんらしい……。
 結局お茶は秋斗さんが淹れてくれ、私たちはダイニングテーブルで向かい合わせに座っていた。
 秋斗さんは、「用件は?」とは訊かない。
 体調のことや今にも雨が降り出しそうな天気のこと、他愛のない話が続く。
 ここで秋斗さんと話をしていて、久しぶりに居心地がいいと思えた。
 けれど、このまま話し続けていたらいつになっても本題を話せない気がする。
 だから、不自然すぎる間合いで本題を切り出した。
「秋斗さんっ」
「うん?」
「私、記憶……戻りました」
「うん……」
 私はカップに落としていた視線をすぐに上げる。
「うん」って……それだけ?
「気づいてたよ」
「え……?」
「今月十日、病院へ送っていったときにはなんとなく気づいていた。そのあと、容赦なく避けられていたしね」
 言いながらクスリと笑う。
「あのっ、ごめんなさいっ――避けようと思って避けていたわけではなくて、ただ、どうしたらいいのかわからなくて……」
「そんなに必死にならなくていいよ。責めているわけじゃないから」
 責めてほしかった。怒られて怒鳴られて、そうやって責められたかった。
 私はスツールから立ち上がり、テーブルの脇に立つ。
「翠葉ちゃん? 避けていたことなら本当に――」
「それもなんですけど……。私、ちゃんと謝れていないので……」
 秋斗さんは不思議そうな顔をする。
「入院するように説得しに来てくれたとき、髪の毛を切るなんてひどいことして、本当にすみませんでした。すごくたくさん……傷つけてしまってごめんなさい」
 私は頭を下げたまま頭を上げることができない。
「翠葉ちゃん、そのことはもう……」
 わかってる。入院中、記憶はないながらにもこの話はした。
 そのときに秋斗さんがなんと言ってくれたのかも全部覚えている。
 自己満足でしかないことだってわかっている。
 それでも――謝るほかに術がない。
 相手が怒っているとか怒っていないとかそういうことではなく――ひとりよがりだったとしても謝らずにはいられない。
 本当は、これ以上ないくらいに責められたかった。
 秋斗さんは私を責めることはなく、怒っていたわけでもないと話してくれたけど、優しい言葉たちに私が救われることはなかった。
 自分を責めてくれる人はどこにいるだろう。自分を罵ってくれる人はどこにいるだろう。
 私は責められたいのだ。そして、楽になりたいのだ――。
「謝る」という行為は、反省し許しを乞うためのもののはずなのに、私は何を求めて謝っているのだろう。
 ……きっと、許しなど求めてはいない。
 夏休み、あのときは確かに「許し」を求めていたのに。今はどうして違うのか……。
「翠葉ちゃん、頭を上げて? ……たぶんね、俺は君の気持ちがよくわかるよ」
「え……?」
 ゆっくりと頭を上げると、秋斗さんは苦々しく笑みを浮かべた。
「今日は色々話そう? ここでもいいけど、少し時間がかかりそうだからマンションに帰ってからでもいいよ?」
「秋斗さん、お仕事は……?」
「急ぎの仕事は終わらせてある。何かあれば蔵元から連絡が入るだろうし、場所を移動することに問題はないよ。それに、今は翠葉ちゃんときちんと向き合って話がしたいんだ。今後のためにもね」
「今後の、ため……?」
「そう、今後のため。もう、避けられたくはないからね。それは司も同じだと思うよ」
「っ……」
「だから、話そう」
 私は一拍遅れて「はい」と答えた。
 秋斗さんはほとんど口をつけていないカップふたつを片付けた。
 即ち、場所を移すということなのだろう。
「お茶、せっかく淹れていただいたのにすみません」
「いいよ。その代わり、マンションでは翠葉ちゃんが淹れてくれる?」
 にこりと笑うあたたかな笑顔に、心ごと包まれた気がした。
「場所はゲストルームでも俺の家でもどちらでもいいよ」
 選ばせてくれるのも秋斗さんの優しさ。
「あの……実はまだ両親にも話していないんです。お仕事で現場に行っていて、今日には帰ってくるはずなんですけど……」
 お母さんとお父さんには秋斗さんとは別に話をしたかった。それに、秋斗さんと話したあとなら、少し違う気持ちで話せるかもしれない、と思っている。
「それはうちがいいってことかな?」
「……お邪魔してもいいですか?」
「……それは俺が訊きたいかな?」
 ……何を?
「うちに来ても大丈夫?」
 それはどういう意味だろう。
「……何をするつもりもないけど、過去にはキスマークをつけた場所でもあるでしょ?」
 あ――。
「……大丈夫、です」
 それは、今目の前にいる秋斗さんを怖いとは思わないから。
 今、目の前にいる秋斗さんを自分の意思で信用できると思っているから――。



Update:2012/03/12  改稿:2016/01/05



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