光のもとで

最終章 恋のあとさき 01話

 私は今、病院にいる。
 あのあと、ツカサはとてもツカサらしい行動に出たのだ。

「翠……落ち着いたなら、朝食」
 私は現実的な問題を突きつけられたあとで、なんともいえない気分だった。
「言い過ぎたことは謝る。……翠が来てくれて助かった」
 え……?
「――言われたとおり、今日、学校で会ったとしてもまともに言葉は交わせなかった」
 ツカサはひどく言いづらそうだったけれど、「来てくれてありがとう」と言ったのだ。
 ツカサの顔を見つめると、テーブルの方へと顔を逸らされた。
「……御園生さんに朝食食べさせるように言われてる。飲み物……冷める前に飲んだら?」
 腕が解かれると、肩に添えられた手に身体の向きを変えられ、私は再度テーブルに着かされた。
 カップに入れた飲み物は飲めても、サンドイッチは一切れ食べるのがやっと。
 疲れていたり睡眠不足だと食欲も落ちる。よく知った自分の身体の特徴。
 私の携帯はツカサが持ったままで、帰るそのときまで手元に帰ってくることはないだろう。
 けれども、それに対し何を思うでもない。
 時刻が七時を回ると、ツカサは自分の携帯からどこかへ発信する。
高遠たかとおさん、車を回してください」
『かしこまりました』
 それだけで通話を切る。
 そして、もう一本。
『はい』
 女の人の声だった。すぐに誰とはわからなかったけど、会話を聞いていて誰と話しているのかがわかった。
「これから翠を病院へ連れて行く。兄さんか誰かいる?」
『なんであんたが……って、別にどうでもいいことね。楓がいてもしょうがないでしょ。翠葉の循環器の主治医は私よ。私が行く』
 今度はツカサが切る前に通話が切られた。
「そういうわけだから。これから病院まで送っていく」
「マンションまででいいっ。あとはお母さんに付き添ってもらうし……」
「あぁ……」
 ツカサは再度電話をかけ始めた。
『はい、御園生です』
 この声は蒼兄だけど、携帯でする対応じゃない。
 もしかして、ゲストルームの固定電話……?
「司です」
『……迎えに行こうか?』
「いえ。とくに何が、というわけではないんですが、これから病院に連れて行くので、そのご連絡を……。碧さん、いらっしゃいますか?」
『少し前に寝たところだから俺から伝えておく。けど、こんな時間に病院に行っても……』
「姉が来るそうですから問題ありません」
『……なんか、むしろ申し訳ないことになってないか?』
「元凶は自分にあります」
『……司、あまり無理するなよ? でも、ありがとう。それと、お疲れさん』
 通話が切れるとツカサが私を見た。
「これで問題はないと思うけど?」
 これは返事の催促をされているのだろうか。
「……不整脈、出てるかもだけど。でも、本当にそれだけで……たぶん眠れば大丈夫だと思うの」
 今日、病院へ行く、というのはもともとの通院日だからで、午後までは家で寝てればいいはずだった。
「手配したものを取り下げるのも面倒だから、そのまま流されてくれないか?」
 さっきまでのツカサはいったいなんだったのだろう。
 そう思うくらいにいつもどおりのツカサで、私は促されるままにコートを着てマンションを出ることになった――。

 そして今、心電図の検査を終えた私は心エコーの検査を受けている。
 エコーという検査は通常そんなに痛いものではないらしい。けれど、線維筋痛症の私にとっては拷問とも言える検査。検査器具が直接あたる部分にはたくさんの透明なジェルをつけられて滑りを良くされるけど、滑りがいいとか悪いとか、そういう問題ではない。検査器具を押し付けるときの圧力が問題。私はこれが痛くてしかたなく、とても耐え難い時間なのだ。
 顔を顰める私を見て、検査技師さんは「あら痛い?」なんて訊いてくる。私は痛くてそれに応えることもできない。
 湊先生が同じ部屋にいて、代わりに返事をしてくれた。
「この子、線維筋痛症なの。だから、筋線維がある場所はどこでも痛いのよ」
「そうなんですか!?」
 検査技師さんは驚くと同時に力を緩めた。
「力緩めないで。映りが悪くなる」
 湊先生に言われ、再度力が加わる。
「翠葉、悪いわね。痛いかもしれないけど、弁膜の状態見たらすぐ終わらせるからちょっと我慢して」
 言われて私は歯を食いしばった。
 時間にすれば十分もかかっていないのだろうけれど、拷問を受けている身としてはひどく長く感じた。
 検査が終わると私は深く息を吐き出す。目尻には涙が流れたあとがあった。
 検査技師さんに、「ごめんね」とティッシュを渡されそれらを拭くと、湊先生が検査結果を話しだす。
「弁の状態は以前と変わらない。相変わらず薄いし動きも緩慢。血液が逆流するほどひどくはないけど、聴診器ではしっかりとクリック音が聞こえてる。不整脈の種類は期外収縮だからたぶんストレスや睡眠不足からくるものだと思うけど……。前にひどい心室頻拍やってるから軽視はできない。今日一日、心電図をつけて様子を見よう」
「普通の……ですか?」
「そう、普通の。バングルの精密さは認めるけれど、あれで診れるものは限られる。心臓近くに吸盤をつけた検査には劣るのよ」
「そうじゃなくて……二十四時間ホルターじゃない?」
 訊くと、病院でやるタイプのものだと言われた。ただし、通常の検査とは異なり、今日という一日を病院で過ごすことになるみたい。
「ホルターだと十二誘導心電図よりも情報量が少ないの。嫌かもしれないけど我慢して」
「はい」
 今日は学校を休む約束だったし、ホルター心電図を今から装着するとなると明日の朝にはそれを取り外すためにまた病院へ来なくてはいけない。そしたら学校は遅刻になってしまう。
 それよりはいいのかもしれない、と自分を納得させた。

「場所、どこがいい?」
「え……?」
「この処置室からは動かすことになるけど、救急の回復室も空いてるし、夏に使ってた九階の病室でもいいわよ?」
 訊かれてちょっと困る。
 正直、どちらもあまり好きな場所ではないのだ。痛みがひどくて夜間病院に運ばれた際、処置を受けたあと目を覚ます場所が回復室。九階の病室は居心地が悪いわけではないけれど、それでも入院時に過ごした場所であることに変わりはない。
 病院のどこにいても、あまり好きな場所はない。
 静かすぎれば去年の病室を思い出すし、人通りが激しいところにいれば、こんなに忙しいところにただ心電図をとっているだけの自分がいていいのか、と思う。
「どこでも……」
 考えた末に答えると、額を軽くはじかれた。
「深く考えない」
「はい……」
「今日は相馬の治療の日だったかしらね?」
「そうです」
「じゃ、九階の方が都合がいいわね。そっちに移動しましょう。歩ける?」
 訊かれて少し笑った。
「先生? 私、ツカサにここまで連れて来られなかったら、午後までは家にいるつもりだったんですよ? 心臓は変な動きをしているけれど、そこまで具合が悪い感じではないです」
「……そうだった。悪い」
 苦笑した湊先生は、
「じゃ、九階まで歩こう。階段を上るなんてことはさせられないけど、エレベーター使って移動しよう」
 そう言って、寝台から立ち上がるのに手を貸してくれた。

 湊先生は昨日のことには一言も触れない。ツカサのことも訊いてこない。
 今日の天気がどうとか、ニュースでこんなこと言ってたとか、当たり障りのない話をしながら夏に過ごした病室まで歩いた。
 時間は八時半を回っていたけれど、ナースセンターに相馬先生の姿はなかった。
「相馬は会議に出てるみたいだから、それが終わったら来るでしょう。それまでは寝てなさい」
 先生はてきぱきと心電図の用意をし、私の胸に吸盤を取り付けていく。
「何かあればナースコール。でも、心電図のモニタリングは院内でもやっているし学校で私も見てるから、異常があれば人が来る」
「はい」
「寒くない?」
 学校の制服から検査着に着替え、袖は長袖から半袖に変わっていた。
 けれど、院内はどこも空調が利いていて室温が二十度前後に保たれている。それと、首元までかけられた肉厚な羽毛布団のおかげで寒いとは感じなかった。
「大丈夫です」
「じゃ、ゆっくり休みなさい。自宅には私から連絡入れておくから」
「はい。……朝早くにすみません」
「それは翠葉が気にすることじゃない。……私は翠葉の主治医なの。手の届く場所に自分の患者がいるのに診ない医者なんていないわ。……ほら、余計なこと考えずに寝るっ」
 言うと、湊先生は病室をあとにした。
 カツンカツンカツンカツン、ヒールの音が四歩歩いて静かになる。一呼吸二呼吸すると、再度、カツンカツンカツンカツン、と規則正しい音が鳴り出す。ニ、三回に一度脈が飛ぶ私の鼓動とは正反対。
 私はとても疲れていたのか、しだいに遠くなるその音に導かれるようにして眠りについた。

 目を覚ましたのは一時半だった。
 目を開け、見えたものたちに「あぁ、そうか」と思う。
「病院、なんだよね」
 心電図の音は消してくれていることから、とても静かな病室だった。
 静かで暗い。
 寝ることを考慮してカーテンを閉められているから。
 カーテンの向こうに光を感じることはできるけど、夏のような強い光ではなかった。
 ペタペタと聞き慣れた足音がし、相馬先生だと気づく。
「よう、起きたか?」
「はい」
「気分は?」
「……気分は複雑です。でも、体調はあまり変わらない気もします」
 先生はくっ、と笑った。
「藤原が聞いたら泣いて喜ぶんじゃねぇの? いや、坊主もか?」
「え?」
「……簡単に『大丈夫』って一言で済まさなくなったろ?」
 そう言われてみれば……。
「坊主の苦労も甲斐があったってもんだ。おら、脈見せろや。どんだけ最悪か診てやる」
 ニヤリと笑いながら両手を取られた。
「よくもまぁ……ここまで悪くできるもんだな」
 呆れ顔で言われる。
「昨夜寝てねぇって? 睡眠不足はダイレクトにくるって何度言ったらわかんだバカヤロ。ストレスもマックスで心肺機能がめちゃくちゃだ。胃腸も悪いは……なんだこりゃ」
 言ったあと、こめかみの辺りをぐりぐりとされた。
「痛いですっ」
「おうよ、痛めつけてやってんだからあたりまえだ。おまえがこの身体にしてやったようにしてるだけだ」
 手が離れると、先生はぶつくさ文句を言いながら鍼の用意をしにいった。
 戻ってきた先生にあちこち鍼を打たれる。
「あのな、毎週鍼やカイロで体調整えても、それを維持するよう努力しないと維持はできねーんだぞ? それこそ、こんな状態作られたら元の木阿弥だ」
 もっと身体を労われ、と怒られる。
 きっと先生とツカサは同じことを言っている。でも、どうしてかな……。
 私にはちょっと難しい。
 体調を崩したいわけじゃない。人に心配をかけたいわけでもない。
 ただ、自分が大切だと思うものを守りたいだけなの。自分の身体を疎かにしてるわけではなくて、ただ、大切なものを守りたいだけ。
 それがなくなったら自分が困るから。自分のために守りたいだけなの。
 心と身体のどちらかを選ばなくてはいけないとしたら、私は間違いなく心を取るだろう。
 そして、ツカサや先生は身体を取るに違いない。
 どうしてだろう……。こんなにもはっきりと答えは出ていたのに。
 私にとって心が、気持ちが、どれだけ大きなものなのかはよく知っていたはずなのに。
 どうして私はそれを簡単に諦められると思ってしまったのだろう――。



Update:2012/06/21  改稿:2016/02/12



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