光のもとで

最終章 恋のあとさき 12話

 私の勉強スタイル――それはテスト五日前までに理系科目を終わらせ、テスト四日前から暗記科目に全力を注ぐ、だ。
 今日までが理系科目に費やす日でよかった、と心の底から思った。
 ダイニングでみんな各々の勉強をする。私も自分の勉強を。
 時々佐野くんに声をかけられ、質問された問題の糸口を提供する。
 その程度に私の集中力は欠けていた。
 人の話しかけに応じられる程度には、集中などできていなかった。
 自覚していたからこそ、その日の勉強が終わると海斗くんとツカサに申し出る。
「明日から文系の暗記科目やらなくちゃだから、みんなで勉強するのは今日までにしておくね」
「……最後の一日は空けておけ」
 ツカサに言われて、
「どうして?」
「文系の最終確認。英語と古典はやっておいたほうがいいだろ?」
「あ……ハイ。よろしくお願いします」
 会話が済むとツカサはすぐにゲストルームを出ていった。
 佐野くんが口元を引きつらせ、
「……っていうか、何? ふたりって、いっつもあんなテスト勉強させられてたの?」
 それはつまり、苦手な科目や意地悪な問題を制限時間内に解け、と言われることだろうか。
「いや、翠葉は毎回ってわけじゃないよ。体調によりけりな感じ。それに、司って翠葉の理系だけは手放しだし」
「海斗はっ!?」
「ハハハ……俺は全教科制限時間の刑。中等部のときから欠かすことなく毎回……。残念なことに、というか、ありがたいことに、というか……」
「……俺、マジ、別枠でよかったわ」
 勉強を始めるとき、ツカサが佐野くんに訊いたのだ。
「一緒にやるなら佐野もふたりと同じものをやるか?」
 と。
 佐野くんは数秒考えて、
「いえ、わかんないところ確認しながらやりたいんで」
 と断った。
「俺、無理……。絶対あんなペースついてけない」
「俺だって毎回必死だってば。でも、あのペースに翠葉は難なくついてっちゃうからさ、俺の肩身の狭いのなんのって……」
 じとり、と見られて少し困った。
「海斗くん、ツカサのあれについていけるのは基本的に理系だけだよ。文系でやられたときはものすごく必死だったし……。でも、終わったときの達成感はあるよね?」
 苦笑を返すと、
「俺は答え合わせの時間がひたすら恐怖なんだけど……。答え合わせが終わって一問でも間違ってると、ガッツリ似たり寄ったりの問題追加されるしっ」
 頭を抱えて、「うぉぉぉっ」と唸る。
 それを見かねた佐野くんが、
「ま、何にせよ、学年首位やら上位をひた走るにはやっぱそれなりの努力が必要だってことがよっくわかりました」
 話をきれいにまとめられて会話が収束する。
「じゃ、俺ら帰るけど、翠葉は無理すんなよな?」
 言いながら、海斗くんが先に玄関を出た。
 佐野くんも同じようなことを口にする。それには、「ごめんね」と答えた。
 ポンポン――頭を軽く叩かれ、
「追い詰めない追い詰めない。……人間、自分を追い詰めなくちゃいけないときもあるけど、たぶん今はその時じゃないと思う。御園生、今はテストのことだけ考えたら?」
 視線を上げると、
「謝るようなことも、謝られるようなことも、俺も御園生もしてない。だろ?」
「ごめん」の先手を打たれた。
「俺はそう思ってるから。だから、そんな顔しなくていいし。……じゃ、おやすみ! また学校でな」
 玄関が閉まり振り返ると、唯兄と蒼兄が立っていた。
「悩み事?」
 唯兄に訊かれて、「ううん」と答える。
「そう?」
「そう」
 それで話を終わりにしようと思ったら、蒼兄に改めて声をかけられた。
「無理してないか?」
「してないよ。大丈夫」
 ふたりの前を通り過ぎ、部屋に入って思う。
 あぁ、私もザラザラの国の住人になってしまったかもしれない、と。

 それからの三日間はひとりで勉強した。
 途中、唯兄の突撃訪問があり、インターホンを用いての口頭質問、という時間もあった。けど、三十分から一時間くらいで唯兄はいなくなる。サクッと撤収する。
 その時間は、最初に唯兄指導のもと身体を解す軽い体操をしてから始まる。
 ボタンを押して音が鳴ったり、テレビクイズのように出題されたり。すべてが唯兄のテンポで進むのに、どうしてかとても心地よかった。
 適度に身体を動かし声を発するということが、軽いストレス発散につながっていたみたい。
 暗記するためにひとりでブツブツ呟いているのとは違う。
 人に聞き取れる声で、発声で――そんなふうに声を出すと、幾分か心がすっきりした。

 夕飯はみんなで揃って食べる。静さんと楓先生、昇さんがいないことはあったけど、それ以外の人はたいてい最初から揃っていた。
 今まで秋斗さんがいないことが多かった会食だけれど、今回は一日も欠かさずに参加していた。
 話しかけられれば秋斗さんともツカサとも話す。なんの違和感もなく。
 時には自分から話しかけることもあった。
 そうだ、これが「普通」なんだ。これが維持できればいいんだ。
 私は心の中でひとり納得した――。



 テスト中は通院をストップしていたこともあり、テスト最終日の午後に通院予約が入っていた。
 マンションに帰ったら昼食を食べて、少し休んだら病院……。
 午後の予定を考えながらマンションに帰ると、エレベーターホールで楓先生と鉢合わせた。
 楓先生は始めの二日間は会食に参加していたものの、そのあとは一度も来なかったから仕事が忙しいのだと思っていた。
「翠葉ちゃん、おかえり」
「楓先生、こんにちは。今病院から帰られたんですか?」
「そう、夜勤明け。でも、また病院に行くんだけどね」
 苦笑して言う。
「……また、お仕事ですか?」
「いや、そうじゃなくて――」
 エレベーターに促され、扉が閉まると再度口を開いた。
「彼女が妊娠してね。先日、流産しかけて入院したんだ」
 私が絶句すると、
「あぁ、急にこんな話でごめんね」
「あ、いえっ……」
 中途半端に話すのもなんだから、と楓先生はもう少しだけ詳しく話してくれた。
「妊娠初期の流産はさ、医学でどうこうできるレベルのものじゃないんだ。だから、絶対安静って状態で入院してるわけだけど……。翠葉ちゃんならわかるよね? 動けない人のつらさ。いつも元気すぎるほどによく動く、働く人間が急にベッドに縛り付けられたときのストレス。俺も医者としてそういうのは理解してるつもりなんだけどさぁ……やっぱり、今は無理されたら困ると思うから、そっちが先に口を衝くんだよね。結果、超絶不機嫌な彼女の出来上がり」
 楓先生は茶化すように笑って話していたけど、ものすごく困っているのが見て取れる。
「あんなカリカリしてたら身体にも赤ちゃんにもよくないんだけど……」
 と。
 そのあと今日の予定を訊かれ、通院予定だと答えると思ってもみないお願いをされた。
「翠葉ちゃんのハープ、彼女に聴かせてあげてくれないかな?」
「え……?」
「ハープの音色って心が穏やかになる気がするから、聴かせてあげたいなと思って。たぶん、生演奏は聴いたことないと思うんだ。もちろんハープは俺が車で運ぶし、翠葉ちゃんの送り迎えもする。どうかな?」
 自分にできることがあるなら「否」とは言えない。
「でも、高校に入ってからはあまり練習する時間が取れてなくて……」
「難しい曲を弾いてほしいなんて言わない。それこそ、キラキラ星とか短い曲でかまわない。誰でも知ってるような小曲でいいんだ」
「それなら……」
「お願いできるかな?」
 今度こそ、私は「はい」と答えた。

 一時半になると楓先生が迎えに来てくれた。
 玄関に置いておいたハープを見ると、
「じゃ、これは俺が預かるね」
 と、ハープケースを担ぐ。
「すみません、ちょっと翠葉ちゃんお借りします」
 楓先生がお母さんに向って言うと、
「いいえ。こちらこそ、病院まで送っていただいてしまってすみません。あ、でも……帰りは私が迎えに行きますから――」
「いえ、自分もどっちにしろ帰ってこなくちゃいけないので」
「……じゃぁ、お夕飯ご一緒しませんか?」
 お母さんの申し出に楓先生がびっくりした顔をした。
「楓先生、最近の食生活どうなってます? 数日見ないうちにやつれられた気がしますけど……」
「アハハ……本当、医者だっていうのに」
 どうやら言い訳ができないような状況らしい。
 言われてみたら、顔が少し細くなったように思えた。
「じゃ、今日は夕飯お世話になっちゃおうかな……」
「えぇ、せっかくお隣なんですから」
 そんな会話をしてゲストルームを出た。

「さっき口止めしなかったけど、お母さんに話しちゃったかな?」
「いえ、内容までは……。ただ、楓先生の知り合いが入院していてハープを聴かせてほしい、ってお願いされたことだけ……」
「ありがとう。まだ伏せておきたい内容なんだ」
「はい」
 お礼を言われるのはちょっと違う。
「流産」という言葉を口にできなかっただけ。
 性教育の授業を受けてから、「命」というものに対して過敏になっていたのだと思う。
「彼女ね、まだ大学生なんだ。で、来年にはウィステリアホテルの託児所に就職が決まってる。だから、余計に今回の事態に動揺しててね」
 その言葉に、玉紀先生の授業を思い出す。
 何かなりたいものがあって、それを諦めて子どもを産むことができるか、育てることができるか。
 そう問いかけて考えさせると言っていた。
 つまり、楓先生の彼女さんはそういう状況にいるわけで……。
「彼女は保母さんになりたいんだ。それで勤め先が託児所。やりたいことがあって、就職も決まった。そこで発覚した妊娠。――でもさ、人の命がどれほど大切なものかは知ってるし、保母さんになりたいと思うくらいに小さい子が好きなんだ。だから、将来の夢と現実の狭間で揺れてる。俺は産んでほしいんだけどね……」
 一瞬、隣にいるのが誰だかわからなくなりそうだった。
 私の知ってる楓先生じゃない気がした。
「先生」じゃない一面を見たからだろうか……。
 そんなことを思いながら車で病院へ向った。

「あ……」
 エレベーターに乗った瞬間に楓先生が口元を押さえる。
「やばい」という顔。「どうしよう」という顔。
「どうかしましたか……?」
「彼女がいる部屋、十階なんだ。しかも――」
 言葉の先は察しがついた。
 こんな顔をするのはその部屋が、私が記憶を失った部屋だから……。
「……大丈夫ですよ」
「翠葉ちゃん……?」
「楓先生ももう聞いてますよね? 私、記憶が戻っているので……。十階のその部屋に行って何かがネックになることはないです。だから、大丈夫」
 エレベーターの扉が開いて私は降りた。
「本当に平気?」
「平気ですよ?」
 だめな理由はない。ないから、平気。
「じゃ、治療が終わったら携帯鳴らしてもらえる?」
「はい。……あ、でも番号知りません」
「あ、そうだったね」
 楓先生は一度エレベーターから降りて、一緒に携帯が使用可能なコーナーへと向かった。
 そこでお互に電源を入れ、赤外線通信で番号やメールアドレスの交換をする。
「十階は治療に制限がない限り携帯の電源を入れていても大丈夫なんだ。だから、連絡してくれれば九階まで迎えに下りるから」
「はい、わかりました」
 私と楓先生は再びエレベーターホールまで歩き、そこで別れた。



Update:2012/07/17  改稿:2016/02/23



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