光のもとで

最終章 恋のあとさき 15話

 私の通院日は月水金の週三回。週二回になることもあるけれど、たいていは三回。
 本来なら、最初の二、三ヶ月はこまめに通い、そのあとは隔週か月一での通院でいいらしい。
 だけど、私の身体は良くなっては悪くなる、を繰り返していた。
 それはほかでもない自分のせい。
 夏休みに集中して治療を受けたにも関わらず、紅葉祭前に滋養強壮剤を使って無理をした。
 紅葉祭が終わればインフルエンザで入院。
 そのあとに記憶を取り戻し、精神的にいっぱいいっぱいの状態が続いていた。
 さらには、先日の徹夜のせいで血圧よりも不整脈のほうが悪目立ちしている。
 少しの安定を見せ始めたのは血圧数値くらい。
 それも季節的なもので、寒くなるから血管が収縮していつもより少し高めの数値をキープできている、というだけのもの。
 私にとっては高めだけど、一般的と言われる数値からは程遠い。
 現状、どうしてこんな状態なのかわからない、というわけではない。
 あれをしたから、これをしたから――すべてに心当たりがあるだけに、何も言えない。
 今体調が悪いのは、全部自分の取った行動の代償だから。

 果歩さんと会った翌日から、通院日には果歩さんからメールが届くようになった。
「病院に来るなら寄ってね」と、ただ一言のみのメールが。
 私はその言葉に甘えて治療が終わると十階の病室を訪ねるようになった。
 今日は金曜日。果歩さんと火曜日に会ってから三回目の――お見舞い……?
 形だけ見れば「お見舞い」だけど、どちらかというと「訪問」のような気がしてならない。
 治療が終わったから、と突然押しかけるのはなんだか気が引けて、いつも行く前には「これからおうかがいします」とメールを送ってから十階に上がっていた。
 厳重なセキュリティをパスして詰め所の人と目が合うのもいつものこと。
 軽く会釈すると、答えるようにきっちりとした礼が返される。
 ナースセンターにはいつも決まった人が常駐していた。四十代後半か五十代前半くらいのメガネをかけた女の人。
「こんにちは」
 声をかけると、「あ」とデスクから顔を上げ、こちらに駆け寄ってきた。
 いつもならその場で挨拶を返されて終わるだけなのに。
 何かあるのかな、と思っていると、
「挨拶が遅くなってごめんなさいね。看護部長の藤原小枝子ふじわらさえこです。御園生さんのことは紫先生と涼先生からうかがっていたのだけど――」
 話の途中で院内PHSが鳴りだした。
「ごめんなさい、ちょっと待っていてもらえる?」
「はい」
 藤原さんは身体の向きだけを変え、PHSに応じてきぱきと指示を出す。
 カウンターを挟んですぐのところにいるからネームプレートが見える。
「藤原小枝子」と書かれた上に、看護部長と役職が記してあった。
 PHSを切ったかと思えば新たにコール音が鳴り出す。私向かって申し訳なさそうに会釈しては、その呼び出しに応じる。
 今度はデスクまで戻り、パソコンで確認をしてから指示を出していた。
 カウンターに戻ってくると苦笑され、
「いつもコレが鳴るからなかなか挨拶できなくて」
 少し納得。
 初めて来たときは電話はしていなかったけど、何か忙しそうに仕事をしていた。先日の水曜日に来たときは挨拶を返されたと同時にPHSが鳴った。帰るときも電話をしている状態で、こちらを見ては会釈のみしてくださった。
 この階には果歩さんしかいないという。そして、看護師さんはこの人だけ。
 果歩さんに手がかかることはなさそうだけど、それ以外の仕事に切迫されているのだろう。
 思わず、「お疲れ様です」と言葉が出てしまう。
 すると、クスクスと笑われた。
 不思議に思っていると、
「ごめんなさいね。こんな純粋に『お疲れ様です』を言われたのは久しぶりだったの」
 看護師さんの声と表情が少し和らいだ。
 しかし、疑問は深まる。
「私、結婚して藤原姓になったの。覚悟はしていたのよ? でも……」
 看護師さんは寂しそうに笑った。
 結婚して名前が変わった途端に周囲の対応が変わったという。それはもう手の平を返したように。
「私が結婚したのは夫であって、藤宮や藤原ではないのにね」
 看護師さんが見せた笑みは「孤独」という種類だと思った。
「ごめんなさいね。愚痴っちゃって」
 なんて答えたらいいのかな……。
 ふと思い浮かんだのは楓先生の言葉。

 ――「知らない人だから話せることってあるよね?」。

 この看護師さんもそうなのかもしれない。言葉を交わしたことのない、子どもにしか見えない私だから口にすることができたのかも。
 少し考え口を開く。そして、「看護師さん」と口にしそうになって改めた。
「小枝子さんはとても信頼されているのだと思います」
「え……?」
「果歩さんのことは表沙汰にならないよう伏せられているとうかがいました。だとしたら、ここにには信頼できる人しか配属されないと思うので……」
 小枝子さんは一瞬目を見開き、すぐに細める。
 柔らかな笑顔で、
「名前で呼ばれたの、久しぶり。……信頼されている、とそう思ってもらえるなら嬉しいわ。でも、本当はね、涼先生の取り計らいなのよ」
 ここのところ、仕事が嵩んでいた小枝子さんのことを考え、仕事をしやすい環境に移してくれたという。それと同時に、果歩さんへの気遣いでもあったそう。
 藤宮の血が流れておらず、さらには藤宮を畏怖せず対応できる人を、ということで小枝子さんを配属したのだとか……。
「けど、やっぱりだめみたい。私が嫁いで藤原姓になったことは楓先生からご説明いただいてるのだけど、藤原は藤原で、藤宮って見なされちゃうみたいね。それとも、お母様の上司だからかしら?」
 こればかりは仕方ないわね、と肩を竦めて見せた。
「果歩さん、今日はいつもに増してご機嫌斜めなの」
「……そうなんですか?」
「えぇ。まぁ、入院してからこちら、機嫌のいい日はなかったのだけど……」
 どうしてだろう、とは思うものの、その先は訊かない。医療従事者には守秘義務があるから。
 けれど、小枝子さんはその理由を口にする。
「楓先生が休憩時間に上がってこられたのだけど、そのとき派手にケンカしたみたいで……」
「はぁ……」
 またか、と思った。
 傍から見ていると、どう考えても楓先生が過干渉なのだ。でも、大切な人にあれこれ言ってしまうのは仕方ないといえば仕方のないことで……。
「果歩さんのご機嫌取りをお願いしてもいいかしら?」
 お願いされても困ってしまう。
 私は人の機嫌を取れるほど器用ではないし、大役を任されることにも慣れていない。
「……すみません。たぶん、何もできないと思います。できるのはお話を聞くことくらい――」
「それで十分。果歩さん、ここに来てからというもの、楓先生かお母様、それか産科の先生としかお話をする機会がないから。世間話ができれば少しは気持ちも落ち着くでしょう」
 そう言ってカウンターから見送られた。



Update:2012/07/19/  改稿:2017/07/21



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