光のもとで

最終章 恋のあとさき 38話

 きれいなものを見ると写真を撮りたくなる。
 今はまだ、私たち家族以外にお客さんがいないとなると余計に……。
 レストランのテーブルセッティングひとつとっても美しく、パレス内をくまなく見て歩きたい。
 そう申し出たのは蒼兄のほうが早かった。
「あぁ、行っておいで。うちのゲストルームは――」
「木星? それとも土星?」
「……木星」
 きょとんとするお父さんに、
「なんでわかったのか? これ見てわからなかったらダメでしょ?」
 蒼兄が指したのはパンフレット。
「ゲストルームの数が九つ。で、ここが太陽ならこの惑星は太陽系。太陽系で大きな星は木星と土星。だとしたら、ファミリータイプの部屋に割り当てられるのは木星か土星、でしょ?」
 蒼兄はにこりと笑って足取り軽やかに出ていった。
「あんちゃん、ホントに建築物好きなんだねー?」
 唯兄の言葉にお母さんが笑う。
「確かに建築物は好きでしょうね。でもあの子の場合、零が作ったものだからより興味があるって感じじゃないかしら?」
「零樹さんにしてもあんちゃんにしても、この家族はどんだけらぶらぶなんだか……」
「あら、そこに唯は入ってないの?」
 お母さんが口を尖らせると、
「いいえっ、悔しいから参戦させていただきますよ。で、リィは? 写真撮りに行くの?」
「……写真は撮りたいのだけど、三時には昇さんたちが着く予定なの」
「あ、治療?」
「うん。だから、そのあと……かな?」
「んじゃ、俺はセキュリティルームに行ってくる」
「お仕事……?」
「ううん。ちょっと挨拶だとか交流をば」
「唯、邪魔しちゃだめよ?」
 お母さんの注意に、
「わきまえております! 一応社会人ですから?」
 唯兄はにこりと笑って席を立った。
 レストランに残ったのは三人。
 このままゲストルームに向かうものだと思っていた。するとお父さんが、
「翠葉。体調は?」
「え……?」
「痛みがなくて少し歩けそうなら連れて行きたいところがあるんだ」
 その言葉にお母さんが反応する。
「もしかして――」
「そう、あそこ。碧も連れて行きたいと思わない?」
「思うけど……」
 ふたりが私をうかがい見る。
「どこ?」
「惑星の外なんだ。でも、ここを作ってるとき、父さんも母さんも何度もそこに足を運んだ。歩いて十分くらいなんだけど……」
 どこ、という明確な答えはもらえなかった。即ち、着いてからのお楽しみ、ということなのだろうか。
「痛みはそこまでひどくないから大丈夫だと思う」
 むしろ、そこまでして私を連れて行きたい場所というのが気になった。

 回廊の外、駐車場からは見えない場所に岩の塊に見える石造りの建物と、多角形のガラス張りの小さなホールがあった。
 そのふたつを通り過ぎ、自然の森へ向かって歩いていく。
「森へ行くの……?」
「んー……正確には山、だな」
 言いながらお父さんが笑う。
「夏は涼しくて良かったけど、冬はさすがに寒いわね」
「そりゃぁな。この時期、朝は霜が降りるし風景も白っぽい」
「その時間帯に行ったら絶対に滑るわね……」
「そうなんだ。俺も何度か転んでさ……だから日中に連れて行きたかったんだよね」
 縦一列で歩いている中、お父さんとお母さんが私の前後で会話する。
「そこ、滑りやすいから気をつけてな」
 手を貸してもらってちょっとした段差を下りる。
 道という道があるわけではなく、人が何度も歩いて形になったような道を歩いていた。
「あと少しよ」
 後ろからお母さんに声をかけられ、お父さんの背の先を見ると――。
「祠……?」
 お父さんは私を祠の正面に立たせると、私の両肩に手を置いた。
「そう、祠。山の神様」
 祠の周りには何枚かの枯れ葉が落ちているものの、廃れた感じは見受けられない。
 お父さんとお母さんは祠に近づくと、それらをひとつひとつビニール袋に入れていく。
 きれいになった祠の前に、お母さんはバッグから取り出したリンゴを。お父さんはポケットから取り出したみかん置いた。きっとお供えするために持ってきたもの。
「……翠葉と離れている間、ずっと神様にお願いしてた」
「ごめんね。側にいることもできず、神頼みしかできなくて……」 
 申し訳なさそうな顔をするお父さんとお母さんを前に、私はブンブン首を振る。
 側にいないでくれ、と懇願したのは私なのだ。
 今は泣いてもいい気がして、こみ上げる涙を我慢することなく零し、お父さんとお母さんに抱きついた。
 ぎゅっと力をこめたのは腕なのに、目から涙がポロポロ零れ、コートの上をコロコロと転がっていく。
「ごめんなさい。いっぱいいっぱい心配かけてごめんなさいっ」
 お父さんの大きな手が私の頭を撫で、お母さんの優しい手が背を撫でてくれていた。
 一頻り泣くと、
「翠葉、今日は神様にお礼を言いに来たのよ」
「お礼……?」
「父さん決めてたんだ。翠葉がこの山に立ち入ることがあったら絶対に連れてこようって」
 私は祠に向き直る。
「お願いし続けたら……」
 お母さんの言葉をお父さんが継ぐ。
「有効な治療法を知った先生が現れた」
「神頼みが効くなんて知らなかったわ」
「この年までやったこともなかったからなぁ」
 神様、ありがとうございます――とふたり揃って頭を下げる。
 私も同じように頭を下げた。

 パレスに戻ったのは三時前。
 ステーションのティーラウンジで昇さんと栞さんに会った。
 みんなが笑顔で挨拶を交わす中、
「体調は?」
 昇さんに訊かれる。
「身体中の痛みは薬で対応できる範囲内です」
「……身体の痛みは、ね?」
 意味深に返され、たじろぎそうになる。
「ま、深くは突っ込まねーよ。俺が任されてるのはブロックのみ。外科的処置だけだからな。が……夕方には湊が着く。それから、夜には涼さんも紫さんもパレス入りする」
 つまり、自分が問い質さなくてもほかにも医者はいる、ということだろうか……。
 瞬時に三人の顔が頭に浮かんだけれど、身震いしそうになるのはひとりだけ。即ち、涼先生――。
「じゃ、治療すっか」
 思考は昇さんの言葉に遮断された。
 どこで治療するか話し合っていると、
「あの、どちらにせよ御園生さんには外でお待ちいただくことになるので……」
 昇さんがお父さんに向かって言う。
「あ……自分いちゃダメですか?」
「いえ、ダメというか――」
 言葉を選んでいる昇さんの隣から、栞さんが助け舟を出した。
「治療時、翠葉ちゃんは軽装になるので、いつも医師と補助する看護師のみで施術しているんです」
「あ、そうなんですね?」
 お父さんに見下ろされて、コクリと頷く。
「そっか……翠葉ももう十七歳だもんな。じゃ、父さんは蒼樹を探して一緒にパレス内を見て回ることにする」
 お父さんは手をヒラヒラとさせ、大きなコンパスでゆったりと回廊を歩いていった。
 人の心情は歩き方に出るのかもしれない。
 急いでいる人や余裕のない人はせかせかと歩き、ゆっくりと歩く人は周りの景色を楽しむゆとりがあるのだろう。
 今、私の歩みはいかほどか……。
 お父さんの背を追ったまま考えていると、
「私も、かしらね?」
 控え目にお母さんに訊かれた。
 お母さんがそう言うのも無理はない。夏休みから今まで、カイロの施術時以外に家族が立ちあうことはなかったから。
 栞さんが、
「翠葉ちゃん、どうする?」
 自分に振られるとは思っていなかったから少しびっくりしたけれど、拒む理由はなかった。
 治療は私たちのゲストルームで行われることになり、昇さんがアタッシュケースの中から注射器と麻酔薬のアンプル、消毒薬を取り出しステンレストレイに乗せる。
 変わったのは場所だけで、いつもと同じように治療が始まった。
 痛む場所を確認しながらの注射。
 何度も何度も、場所を少しずつ変えて薬が注入されていく。
 体勢を変えるとき、
「……痛くないの?」
 胸の前で手をきつく握りしめたお母さんに訊かれた。
「あ、うん。全く痛みがないわけではないけれど、前に受けていたような激痛を伴う治療ではないの」
「本当に?」
 その答えには昇さんが答えてくれた。
「この治療は神経の中枢に刺すようなものじゃないんです。もっと浅い場所、筋肉であったり皮下に注射して過敏になっている交感神経を抑えて血流を改善させたり、硬直している筋肉をほぐす。知覚神経を走る痛みの信号を遮断するといったような効果があります」
「すみません……。治療が始まる前に麻酔科の先生からお話はうかがっていたのですが……」
「いえ、治療を受けているのは翠葉ちゃんですから。説明を聞いただけでは理解できないことも多々あるかと思います。疑問に思うことがあればいつでもお話させていただきますので、遠慮なく仰ってください」
 お母さんは軽く頭を下げ、手にこめていた力を緩めた。
 その手が私の空いている左手を包む。
「良かった……治療まで痛いものじゃなくて――」
 そう言うと、お母さんは治療が終わるまで一言も口を開かなかった。
 静かな部屋に昇さんの確認の言葉とそれに答える私の声。時々ステンレストレイにカチャ、とものを置く音がするのみ。そんな中、ギュムッ、パシンッ――。
 治療はいつもこの音で終わる。
 それは、昇さんがゴム手袋を外す音。
「じゃ、いつもと同じ。十五分はゆっくり休めよ」
「はい」
「ありがとうございます」
 お母さんはお礼の言葉を口にしたけれど、私は申し訳ないという気持ちが強くて「すみません」と言いそうになる。
 声に出す寸前で踏み止まる。
「翠葉ちゃん。痛くなったら我慢しないでね? 薬も注射器も消毒薬も、何もかも多めに持ってきてるから」
 まるで、すべて見透かしたような栞さんの言葉。
 そして、また私の代わりにお母さんがお礼を言った。
 私は申し訳ないともありがとうとも言えず、ベッドに横になったまま。
 低い位置を彷徨う私の視界に、昇さんの褐色の肌が映りこむ。
「翠葉ちゃん、前にも言ったろ? 医者を頼れって。君は患者、俺は医者。患者は医者に頼ってなんの問題もない」
 軽く額を小突かれ、昇さんはニッと笑ってゲストルームを出ていった。栞さんも、「ゆっくり休んでね」と口にして昇さんのあとを追った。
「本当に……いい先生たちに出逢ったわね」
「うん。……山の神様のおかげかな?」
「きっとね。……最終日、帰る前に蒼樹や唯も連れてまた行こうか?」
 にこりと笑って訊くお母さんに、「うん」と答えた。

 治療のあと、ルームウェアに着替えた私は少しの間寝ていたらしい。
 目が覚めたとき、室内には暗めの照明が灯っていた。
 大きな窓の外には幻想的な世界が広がっていた。
 街中で見るようなイルミネーションではない。
 チカチカと光るのではなく、時間差で光が灯り、波のように押し寄せては引いていく。
 陽が沈んだ直後、稜線に浮かび上がる光のライン。そこから細かな粒子が零れ落ちるように柔らかな光の波が押し寄せてくる。
 使われているのはオレンジっぽい光と白っぽい光。赤や緑、青といった色はない。
 黒い背景にまばゆい光が瞬いていた。
 ゆっくりと身体を起こすと、
「あ、起きた?」
 窓際で同じ光景を見ながらカップを傾けていたお母さんに声をかけられた。
「今、何時?」
「今、五時半を回ったところ。あと少しでディナーの時間」
 ということはそろそろ蒼兄たちもこの部屋に戻ってくるのだろう。
「着替える?」
「うん」
 そんな話をしていると、タイミングよくお父さんたちが戻ってきた。
「リィっ、あとでイルミネーション見に行こうよっ!」
「うん。でも、ここからでも見られるよ?」
「外っ、中庭におっきなツリーがあるからさっ」
 かなりテンションの高い唯兄に押され気味。
 私は逃げるようにトイレに入った。



Update:2012/12/14  改稿:2016/03/20



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