光のもとで

最終章 恋のあとさき 47話

 サロンに送ってもらったときはいつもと同じ髪型だった。……ということは、結婚式のためにスタイリングしたのだろうか。
「あれはー……トップを中心にハードワックス揉みこんで、ボリュームを出したんだろうね。逆毛とか立てたんかなー?」
 唯兄は観察しながらくつくつと笑う。
「本当、珍しい……。あんな司、初めて見た」
 蒼兄が珍しがっているのは声でわかった。
「いつもサラッサラヘアの人が違う髪型してると新鮮だよね? リーィ?」
 これ以上話しかけないでほしい。
「後ろもバランスよく丁寧に散らしてあるけど、普段からやってないと難しいと思うんだよねー。司っちってアレかね? 性格は不器用さんでも手先は超器用ってやつ?」
 からかい調子でツカサの話を続ける唯兄に耐えかねた。
「唯兄うるさいっ」
 自分が見ている対象の話を頭上でされるのは、なんだかたまらなく恥ずかしかったのだ。
 しゃがみこんだまま唯兄を見上げると、
「あんちゃん、リィにうるさいって言われちゃった。でも、一番よく響いたのはリィの声だったよね?」
「確かに……」
 ひょい、とこちらを覗き込んだ蒼兄と目が合う。
「これはまた……見事なまでに赤いな」
 そのとき、気づいてしまった。
 蒼兄はツカサより髪が長いものの、髪型が大きく異なるわけではない。
 これのトップにボリュームをもたせて後ろの髪の毛を少しハネさせたら……?
 想像した瞬間、
「前から見た司っちはどんなだと思う?」
 唯兄に訊かれるまでもなく、蒼兄から連想させた髪型が、ツカサの顔にピタリと当てはまっていた。
 それまで以上に顔が熱くなる。これ以上熱くなったら溶けてしまうかもしれないと思うほどに。
 ツカサから視線は剥がせたものの、顔に当てた手を離せなくなってしまった。
 なんで、どうして――似たような髪型なら佐野くんだってよくしている。海斗くんだって空太くんだって、学校では珍しくもなんともない。ツカサがしたっておかしくないじゃない……。
 違う……おかしくないどころか似合う。似合いすぎるから困るのだ。
「リィー? 絶賛赤面中のとこ悪いんだけど、そろそろ司祭と新郎の入場だよ」
 唯兄の楽しそうな声が降ってきた直後、同様のアナウンスが流れ皆が立ち上がる。
 曲が変わり、パッフェルベルのカノンが流れる中、私は頬を押さえたままテーブルから抜け出た。
 ギィ、と先ほどと同じ音がして、司祭様とライトグレーのタキシードを着た静さんがゆっくりとバージンロードを歩いてきた。
 ふたりが自分の横を通り過ぎ、身体の向きを祭壇側へ向ける。と、まだこちらを向いていたツカサが視界に入った。
 咄嗟に唯兄の顔を見る。唯兄はにんまりと笑い、
「どうしたのかなぁ?」
 わざとらしく訊いてくる。
「……場所、変わってほしい」
 今すぐ逃げ出したいのを我慢してお願いしたのに、
「だーめ」
 たったの一言でサクリと却下された。
 意を決して前を向くと、すでに静さんは祭壇前にたどり着いており、参列客は皆前を向いていた。
 ただひとり、栞さんだけが静さんと昇さんを交互に見て、「どういうことっ!?」と慌てている。
 もしも自分が栞さんの立場だったら、と思うと心中穏やかではない。
 けれど、今の自分がなぜ平静を装えないのかを嫌と言うほど自覚しているだけに、神様に助けを請いたくなる。
「邪念退散……」
 思わず口にすると、唯兄が「ぷっ」と口元を押さえて笑った。

 新婦の入場が告げられると、栞さんはいてもたってもいられずといった感じで振り返る。
 じっと見つめる先には閉じられた扉。
 重いドアが開くと、湊先生が涼先生の腕に軽く手を添えて立っていた。
 ふたりが一礼すると曲が流れた。


        【軸跡】作曲/演奏:葉野えり

 一歩一歩踏みしめながら、柔らかな光に照らされた真っ白な道をゆっくり進む。
 湊先生の着ているドレスはマーメイドライン。もともと身長が高いうえに細身の湊先生が着ると、より縦のラインが強調される。手にはブルースターとアイビーのブーケを持っていた。
 今は防衛本能がしっかり働いているため、視線は肩から下に固定。
 ツカサと湊先生は似ているから。ツカサと涼先生は似ているから……。
「はいっ、視線低いっ!」
「ゆ、唯兄っ!?」
 唯兄に側頭部を押さえられ、半強制的に顔を上げさせられた。
 突如、ふたつの顔が視界に飛び込む。
 髪を撫で付けているのか、いつもよりタイトなイメージの涼先生に、髪をきれいに結い上げた湊先生。髪形のせいか、ツカサと見間違えることはなかった。
 湊先生のかぶるベールは幅広のレースが印象的なマリアベール。頬に沿って落ちるベールとドレスの相性はとてもよく、優美に見える。そして、白い肌の中に映える深紅の口紅には、凛とした強さが感じられた。
 普段パンツスタイルの人がスカートやドレスを着るだけで、全体的な印象がこんなにも変わるのかと思うほど、いつもの湊先生とは違って見えた。その一番の理由はメガネかもしれない。朝食のときにはかけていたメガネが、今は外されていた。
 祭壇前にたどり着くと、涼先生と静さんは向かい合い互いに一礼する。そして、とても大切なものを渡すように、涼先生は湊先生の手を静さんに託した。
 涼先生が最前列に並び、湊先生と静さんは祭壇への階段を上がる。と、どこからともなく女性スタッフが現れ、階段に広がるドレスをキレイに整えた。




 シャッターを切る音はずっと聞こえていたけれど、カメラマンが視界に入り込んだのはこのときが初めて。祭壇の奥にひとり、手前にひとり。
 あちこちに視線を走らせていると、パイプオルガンの音が響いた。
「リィ、これ」
 椅子に置かれていたふたつ折りの厚紙を唯兄に渡され中を見ると、賛美歌の歌詞が書かれていた。
 歌が終わると参列者は着席する。
「愛は寛容にして慈悲あり、愛は妬まず愛は誇らず――」
 司祭様は穏やかに言葉を紡ぐ。
 声は、天窓から降り注ぐ光りのように降ってきた。
 独特のイントネーションで祭司様は続ける。
「セイ・フジミヤ。あなたはミナト・フジミヤと結婚し、妻としようとしています。あなたは、この結婚を神の導きによるものだと受け取り、その教えに従い、夫としての分を果たし、常に妻を愛し、敬い、慰め、助けて変わることなく、その健やかなるときも、病めるときも、富めるときも、貧しきときも、死がふたりを分かつときまで、命の日の続く限り、あなたの妻に対して、堅く節操を守ることを誓いますか?」
「誓います」
「ミナト・フジミヤ。あなたはセイ・フジミヤと結婚し夫としようとしています。あなたは、この結婚を神の導きによるものだと受け取り、その教えに従い、妻としての分を果たし、常に夫を愛し、敬い、慰め、助けて変わることなく、その健やかなるときも、病めるときも、富めるときも、貧しきときも、死がふたりを分かつときまで、命の日の続く限り、あなたの夫に対して、堅く節操を守ることを誓いますか?」
「誓います」
 初めて誓いの言葉を聞いた。
 テレビで見た誓約シーンや本で読んだ誓約シーン、そのどれとも違う。
 司祭様は一言一言区切って話し、その声は天井の高いチャペルに反響する。建物の構造上なのか、チャペルの作り出す雰囲気なのか、声はとても神秘的に聞こえ、じわりじわりと胸に響く。
 お決まりの文言ではない。とても大切な、誓いの言葉。
 間をあけず、淀みなく「誓います」と答える声が今も耳にこだまする。
 誓いのあと、悲しみの象徴とされる水と喜びの象徴とされる白ワインを飲み交わす儀があり、指輪交換をすると誓いのキス。
 静さんが湊先生の頬にふわりとキスをした。
「今、ここにおふたりの結婚が成立したことを宣言いたします。この誓約を神が固めてくださり、祝福で満たしてくださいますように」
 拍手が鳴り響く中、先ほどと同じようにパイプオルガンの前奏が始まる。
「次はこっち」
 唯兄にさっきの厚紙の右側を指差される。
 賛美歌なんてめったに聴かないのに、さっきの曲といい今回の曲といい、どこかで聞いたことのあるメロディ。今度の歌はふたりを祝福する歌だった。
 司祭様が最後の挨拶をすると、湊先生と静さんがこちらを向き、退場の音楽が流れ始めた。曲はバッハ――主よ、人の望みの喜びよ。
 あまりにも色んなことに気を取られていた私は、最後の最後まで弦楽器の生演奏であることに気づきもしなかった。

 湊先生たちがチャペルを出ると、スタッフの誘導で私たちもチャペルの外へ出る。入ってきた扉とは別のドアから。
 控えの間のような場所を通って外へ出ると、そこは階段の上だった。
 そんなに高いわけではない。一段の幅が広く取られており、緩やかな傾斜の階段。
 階段の下にはパレスのスタッフが集っていた。
「オーナーの結婚式ともなれば手の空いてるスタッフは総出でしょうよ」
 唯兄に言われて納得する。
 スタッフに階段の両脇へ並ぶように誘導されたものの、階段を下りることに躊躇する。
 平坦な場所は問題なく歩けるようになったけれど、さすがに階段ともなると話は別……。
「翠葉、手」
 蒼兄の手をありがたく借りる。けれども――。
「唯兄……バッグ、持ってもらってもいい?」
 蒼兄の手だけでは不安で手すりを掴みたかった。でも、バッグを持っていては無理な話だ。
「うん。じゃ、バッグとリィの右手は俺が引き受けましょう?」
「あ……ごめんなさい。右手は手すりを掴みたい、です……」
「ナンデスッテ? 俺じゃ頼りないってこと?」
「そうじゃなくて――動かないものに掴まりたいというか……」
「なるほど。ま、いいや。バッグは預かる。俺、リィの前歩くから転んだら俺の上に降ってきてね? できれば転ぶ前には前置きよろしく」
 いつになく饒舌な唯兄は、笑いながら私の前を歩き始めた。
 右手には手すり、左手には蒼兄の手。転倒防止対策万全で階段を下りる。と、後ろからすすり泣くような声がした。
 きっと栞さん。でも、今の私に振り返る余裕はない。
 目下、無事に階段を下りることが最大のミッション。それに、うっかり振り返ってツカサを見つけてしまおうものなら石化する自信がある。
 階段の中ほどでスタッフに、「こちらまでで結構です」とにこやかに制止された。そこから下にはパレススタッフが連なる。
「新郎新婦が降りてこられましたらフラワーシャワーをお願いいたします」
 差し出されたカゴの中には赤白黄色、オレンジ、ピンクと色とりどりのバラの花びらが入っている。しおれた花びらは一枚もない。
 赤い花びらを一片つまむとしっとりとした感触が指先に伝う。それは鮮度がいいことを証明していた。
「リィ、一枚じゃフラワーシャワーにならないよ」
「えっ?」
「両手にたくさんお持ちください」
 スタッフにもにこりと笑われた。
 両手をカゴに入れ、花びらを掬おうとしたとき、
「栞は泣き虫じゃのぉ……。じゃが、栞が一番望んでいた結果になったじゃろうて」
 聞こえてきた声に身体が反応する。
 聞き覚えのある声に、特徴のある話し口調。まさかと思って振り返ると、階上には和服に身を包むおじいさんがいた。
 栞さんと共に階段を下りるその人は――。
「……朗元、さん?」
 どうして、という疑問はすぐに疑問ではなくなる。ここにいる人の条件は限られているのだから。
 ここにいるのは、澤村さんと園田さん、うちの家族を抜かせば藤宮でもごく身内の人しかいない。そして、藤宮のごく身内と言われる人たちの中で、私がまだ対面していないのはただひとり――。
 私の視線に気づいたのか、朗元さんと目が合った。
 確かな足取りで階段を下り、こちらへやってくる。
「御園生のお嬢さん。白野のパレスで会って以来じゃの?」
「……その節は、お世話になりました」
 形式ばった返事をするのが精一杯。お辞儀もできなかった。
 寒さからではなく唇が震える。
 答えは出ているのに、心が認めたくないと言っている。この人が、朗元さんがツカサたちのおじいさんであることを。
「翠葉、こちらは?」
 何も知らない蒼兄に訊かれ、唇をきつく噛みしめた。
 答えなくちゃ……。
 そうは思うのに、受け入れたくないことを言葉へ具現化するのは大きな抵抗がある。
「あんちゃん……この人が、藤宮の会長だよ」
 蒼兄の一段下にいた唯兄がボソリと答えた。
「えっ……」
 勢いよく唯兄を振り返った蒼兄は、すぐに朗元さんに視線を戻し私を見る。
「翠葉、おまえ……」
 声は途切れる。
 きっと、続けようとした言葉は「知っていたのか?」だと思う。
 ……知らなかった。蒼兄、私は知らなかったよ。朗元さんがツカサたちのおじいさんだなんて……。
 私が知っていたのは陶芸作家の朗元さんであり、ツカサたちのおじいさんではない。朗元さんが藤宮の会長だと知ったのは、たった今――。
「お初にお目にかかるの。湊の祖父、藤宮元じゃ。……また、陶芸作家として朗元とも名乗っておる」
 蒼兄が唾を飲む音、細く短く息を吐き出す音が順に聞こえた。
「御園生蒼樹です。妹が、お世話になったみたいで……」
 蒼兄は私をしきりに気にする。
 以前、デパートで会ったことは話しているけれど、白野のパレスで朗元さんに会ったことは誰にも話していない。
 カランカラン、カランカラン――。
 鐘の音が高らかに響き拍手が沸き起こる。
 つられるように階上を見上げると、雲ひとつない空と教会をバックに、湊先生と静さんがお祝いの言葉を受けて下りてくるところだった。
 バラの花びらが視界いっぱいに広がり目がチカチカする。
 眩暈の兆候を感じ、すぐに左手で手すりを掴んだけれど、同じタイミングで突風に煽られた。
 落ちるっ――。
 そう思った瞬間に腕を掴まれた。身体は前に傾き、私を受け止めてくれた人からはほんのりと白檀が香る。
「驚かせてしまってすまんの」
 朗元さんの声が耳元でした。
 顔を上げると、頭を優しく撫でられる。
「湊たちに祝福の花を降らせてやってくれるかの?」
 朗元さんはにこりと笑い、私から視線をずらす。と、御崎さんが花びらの入ったカゴを持ってやってきた。

 目の前に、色鮮やかな花びらが舞っているのに私の頭は真っ白だ。
 静さんと湊先生は私の前を通り過ぎたのだろうか。
 自分が上手に花びらを撒けたのかもほとほと怪しい。
 そのくらい、真実の衝撃は大きかった。
 朗元さんが会長で、朗元さんがツカサたちのおじいさん……。
 繰り返し心の中で唱える。早くこの事実を呑みこまなくては、と。
「集合写真を撮りますので、皆様お集まりください」
 スタッフの大きな声に我に返る。
 目の前にいたのは朗元さん。
「混乱しておるじゃろうのう……。わがままを申すようじゃが、ひとまずわしのことは置いておいて、今は湊たちを祝ってやってほしい。良いかの?」
「……はい」
 先に階段を下りていく朗元さんの背中を見つめていると、海斗くんに話しかけられた。
「なんか、俺が紹介するまでもなかった?」
 言葉に詰まっていると、
「初対面って感じじゃなかったけど……。翠葉ちゃん、いつ会長とお会いしたの? ホテル?」
 栞さんの疑問に答えることもできない。
 時期も場所も、考えるまでもなく明確な答えを持っている。けれども、それは藤宮の会長として会ったわけではない。
「翠葉?」
「どうかしたの?」
 ふたりに顔を覗き込まれ、慌てて言葉を探す。
「初めて会ったのは五月の終り、ウィステリアデパートで――」
 話し始めてすぐ、否定したい衝動に駆られた。
「でもそれはっ、陶芸作家の朗元さんとして会ったのであって、藤宮の会長っていうのは知らなくて
――」
 ツカサたちのおじいさんだなんて知らなかった。
 目に涙が溜まり始めたとき、タイミングよくスタッフから声がかかり、海斗くんと栞さんは困惑した顔のままスタッフの誘導に従う。
「リィ、ハンカチ」
 クラッチバッグから取り出したそれを渡され、後ろを向いて上に伸びる階段を見ながら涙を拭き取った。
「大丈夫か?」
 蒼兄の言葉に振り返る。
「大丈夫」
 本当は大丈夫じゃないけど、今は大丈夫じゃないとだめ。結婚式の記念撮影で泣いてたりしちゃだめ。
 だから、お願い。今は何も訊かないで――。



Update:2013/02/05  改稿:2016/03/29



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