光のもとで

最終章 恋のあとさき 62話

 翌日土曜日、病室にリハビリ機材が運び込まれた。
 ウォーキングマシーンに見えるのはトレッドミル。エアロバイクに見えるのはエルゴメーター。
 どれも見慣れた機材ではあるものの、病室の一角にそれらが揃うとさながら運動ジムのよう。
 運動前にはマットの上でストレッチを行い、心電図を装着したまま有酸素運動や筋力トレーニングを行う。そして、運動後にもしっかりと整理体操を――。
 二週間近く寝たきりだったこの身体は、いったいどれほど体力が落ちてしまっただろう。
 不安に思いながら機材の搬入を眺めていると、紫先生に声をかけられた。
「少しずつ、ゆっくり始めよう」
「はい」
 最初は身体にどの程度の負荷をかけるかを決める検査を行い、本格的にリハビリが始まるのは週半ば。
 負荷のかけすぎはよくないし、軽すぎても意味がない。翌日に疲れを持ち越さない程度の負荷から始め、徐々に負荷を増やしていく。
「薬を増やすときと同じだよ。徐々に負荷をかけて心臓を鍛えてあげるんだ」
 紫先生は改めて私に向き直り、目線を合わせるために少しかがんだ。
「心臓にかける負荷はこちらできちんとコントロールしているけれど、翠葉ちゃんは無理をしてはいけないよ? 疲れたなら疲れたと言う勇気を持っていてほしい。焦ったらすべてが台無しになってしまうからね」
 念を押すように言われたのにはわけがある。
 早く退院したくて、早く元気になりたくて――そうして無理した過去がある。
 焦ったらだめ、焦ったらだめ……。
 大丈夫。前みたいにただ学校を休むのとはわけが違う。
 ここで授業を受けられるし、わからない部分は補習を受けられる。学期末にある進級試験をパスできれば二年生になれる。
 焦って無理にリハビリをしたら元の木阿弥。最初に必要としていた時間の倍かかることもある。
 ただ、疲れたら疲れたと言えばいいだけ。大丈夫――。
「いいね?」
「はい……」
「よし、いい子だ」
 紫先生は私の頭を軽く撫でて病室を出ていった。

 コンコンコン――。
 ノックのあとにドアが開かないことに気づき、慌てて返事をした。
「今、大丈夫かな?」
 控え目にドアを開け顔を覗かせたのは秋斗さん。
「大丈夫です」
「学校のパソコン持ってきたから使い方を少しレクチャーさせてね」
「お願いします」
 私が使っているパソコンよりも大きなノートパソコンを起動させると、あらかじめ使うソフトだけがデスクトップに表示されていた。
 とくに難しいことはなく、ひとつひとつのソフトを起動していけばいいだけ。
 ひとつは一年B組の授業、ライブ映像を見るためのソフト。もうひとつは、私が答えを書き込むためのソフト。
「翠葉ちゃんは普通に授業を受ければいい。ノートを取って、授業の進行どおりに問題を解く。その際にはこのペンタブを使ってね。ここに書き込んだものを送信すると先生がチェックしてくれるから。また、指名されたときはこのインカムを使って答えればいい」
 授業始めにあるテストもウィンドウに表示され、私はペンタブに回答を書きこめばいいとのことだった。
「ここまでで何かわからないことは?」
「ありません」
「じゃぁ、次。受けられなかった授業の最後にやるテスト。これも難しいことはない。ペンタブに書いたものに名前をつけて保存して、先生宛てに添付メールを送るだけ。ファイル名は日付と教科名でOK」
 レクチャーはあっという間に終わってしまった。パソコンを起動してから十分もかからなかったと思う。
「こんなに簡単なら唯や蒼樹でも良かったんじゃないかって思ってる?」
 心の中を読まれた気がして思わず視線を逸らしてしまった。
「正直だね」
 秋斗さんはクスリと笑い、
「そんな顔しないで? 俺は、いつもどんなことに対してでも、正直で素直な翠葉ちゃんでいてほしいと思っているから」
 真っ直ぐな目で真っ直ぐな言葉を投げられるたびに、私の心は萎縮してしまう。
 見られれば見られるほどに、後ろめたい気持ちが大きくなる。
 何度も同じことを言われてきたけれど、これほど苦しく感じたことはなかったかもしれない。
「翠葉ちゃん、ひとつお願いしてもいいかな?」
「……なんでしょう?」
「お茶、淹れてもらえる?」
「え?」
「お茶。久しぶりに、翠葉ちゃんが淹れてくれたお茶が飲みたいんだ」
「あ、はい」
 私は逃げるように簡易キッチンへ向かった。
 水道水を勢いよく電気ケトルに注ぎ、沸騰するまでの数十秒をしばし待つ。
 いつもならカモミールティーを淹れるところだけど、秋斗さんからのオーダーということもあり、カゴの中で減りの遅いラベンダーティーを手に取った。
 ティーカップから、湯気に乗ってラベンダーのいい香りが漂ってくる。その香りに全神経を注いで気持ちを落ち着けるように努めた。

 カップを持って戻ると、秋斗さんは一枚のプリントを見ていた。
「司が補習の先生になるんだってね」
「はい……」
 気持ちを一新してきたつもりでも、すぐ振り出しに戻る。
 秋斗さんはラベンダーティーを一口飲むと、
「もし、選ぶ自由が翠葉ちゃんにあったらどうする? 選べるとしたら、どうする?」
「……え? 選ぶって……何をですか?」
「この用紙、もう一枚あるんだ」
 もう、一枚……?
 秋斗さんはブリーフケースからクリアケースを取り出し私に見せた。
「今日ここに来たのが蒼樹でも唯でもない理由。それはね、これを渡すため」
 恐る恐るクリアケースを手に取ると、ツカサが持ってきたプリントと同様のことが書かれていた。違うことと言えば、発行された日付くらい。
「学園長と高校長の直筆サインに学校印つき。正式書類だよ」
 選ぶって……ツカサと秋斗さんのどちらかを、ということ――?
「この役はさ、翠葉ちゃんの学力を保てさえすれば俺でも司でもかまわないんだ。だから、翠葉ちゃんが選んでね。都度、連絡をもらったほうが教えに来るから」
 何を言うこともできなかった。クリアケースを持つ手が震えないようにするのが精一杯。
 すると、秋斗さんの大きな手が私の手に重ねられた。
「……翠葉ちゃんは優しいから、どちらかを選ぶことはしないよね。きっと、俺と司を交互に呼ぶんだろうね」
 重ねられた手から熱すぎる体温がじんじんと伝わってくる。
 秋斗さんは、「それでいいんだよ」と言い残して病室を出ていった。



Update:2013/06/19  改稿:2016/04/13



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