誰にも見せない絵 02 − Side 藤宮秋斗 −


「秋斗、食べないのか?」
 俺の目の前には料理長が作ったであろう弁当が置かれているわけで、本人を目の前に食べないとは言えなかろう……。
 顔は笑顔、内心は渋々。仕方なしに豪華な弁当に箸をつける。
 弁当は申し分なく美味しい。ホテルらしい食材で、ホテルらしい味付け。
 美味しいとは思うけど、同時に物足りないとも思う。それは、俺が欲する愛情が入ってないからほかならない。
 料理長は、俺が食べるはずだったお弁当をすべて一口ずつ食べ箸を置いた。口に入っているものを飲み下すと、
「お弁当にしては少々薄味ではございますが、素材の味を生かした調理ですね。とても美味しゅうございます」
 自分の弁当を横取りされた不満はあるものの、ホテルの料理長に褒められたとあれば、嬉しくないわけがない。
「何よりも、栄養のバランスがとてもよろしいかと……。ほうれん草の白和え、卵焼き、ひじきの煮炊きには大豆とごぼう、にんじん、油揚げ、こんにゃくが入っています。ごま油の風味が豊かでいいですね。丸いものは肉団子かと思っていましたが、いわしのつみれでした。こちらの生ハムはチーズを巻いたものですので、乳製品、発酵食品も補われています。それから、彩りに添えられたトマトはマリネ風味。つみれの照り焼きの下には淡色野菜のレタスも敷かれいます。箸休めになる浅漬けのきゅうりには、香り付けにゆずが使われています」
 料理長は止まることなく話しを続ける。
「驚かされたのはご飯です。炊き込みご飯と白いご飯が半分ずつ。炊き込みご飯には鶏肉、ごぼう、にんじん、油揚げが使われていて、味付けは……しょうゆベースで塩と酒を少々。これで魚も肉も両方食べることができます。白いご飯が入っているのは、つみれの照り焼きや甘辛いひじきを食べるときに白飯が食べたくなることを考慮されてるのではないかと……。全体的に薄味ではありますが、炊き込みご飯を単体で食べることができるので、おかずの味付けを濃くする必要もありません。これでしたら、塩分をかなり抑えられますね」
 料理長が話し終わると、
「絶賛だな」
 と、静さんが微笑んだ。
「ところで、こちらは……? 見たところ、売られているものではないようですが」
「奥さんの手料理です」
 俺はここぞとばかりに自慢する。
「秋斗様の……ということは、翠葉お嬢様のですかっ!?」
「えぇ」
 気を良くした俺は、松花堂弁当をパクパクと口にした。
「商品化できるか?」
「そうですね、入れ物を選び、盛り付けのデザインを考えて……彩り面を少し強化すればいかようにも」
「ならば個数限定販売ができるよう段取りを頼む」
 俺は喉がつまりそうになる。気づいた料理長が飲み物を差し出してくれた。
「せっ、静さんっ!?」
「なんだ?」
「俺はそんな了承してませんよっ!?」
「翠葉ちゃんの料理だ。秋斗に了承を求める必要がどこにある? 彼女が了承すればいいだけの話だ」
 確かに、言ってることの筋は静さんのほうが通っている。けど――個数限定とはいえ、彼女の料理をほかの人間も食べられるっていうのはどうにも納得がいかない。
 くっ、と笑う声がした。
「秋斗、独占欲丸出しだな。彼女の料理を他の人に食べられたくないだけだろう?」
 図星なだけに何も返せない。
「安心しろ。彼女は調理師免許を持っていない。レシピを教えてもらい、改善点をクリアさせた後にうちの従業員が作る。彼女の愛妻弁当はお前だけのものだ。しかも、こちらはひとつの弁当しか出せないがお前は毎日日替わり弁当を食べられるんだろう? そのほうが贅沢ってものだ」
「……静さん。もしかして、湊ちゃん、お弁当作ってくれないの?」
「………………湊がやると思うか?」
「いや…………それはもう、なんていうか……」
 湊ちゃんてば結婚してもあのまんまなんだろうか……。あのままだとしたら、お弁当など作るはずがない。
 決して料理ができないわけじゃない。むしろ、何をやらせてもそつなくこなす――が、根っからの面倒くさがり屋なのだ。
「ホテルには美味しいものがあるんだから私が手を煩わせる必要がどこにある」
 何言ってんのよ、と今にもそんな声が聞こえてきそうだ。
「ご愁傷様です」
 心からそう言うと、料理長が口を挟んだ。
「恐れながら……オーナーもお人が悪い。秋斗様はオーナーにからかわれていらっしゃるのですよ」
「え?」
 料理長を見てから静さんに視線を移すと、静さんは声を押し殺して笑っていた。
 意味がわからない。現に静さんはこうしてホテルの弁当を持ってきたわけで……。
「秋斗、報告が遅れた。……というよりは、まだ報告するつもりはなかったんだがな。湊が妊娠した」
「えっ!?」
「湊様は、ただいまつわりがひどくて料理の一切ができない状態なんです。その期間はこちらでお食事をご用意させていただいておりますが、それまでは毎日湊様の作られたお弁当を召し上がっていらっしゃいましたよ」
 にこやかに言う料理長。俺はただひたすらに目を白黒とさせていた。
「この件はもう少し伏せておいてくれ」
「なんで、おめでたいことなのに」
「つい先日発覚したばかりなんだ。……湊がな、栞のときのこともあるから、初期流産の可能性がある時期は人に言いたくないと言っている。まぁ秋斗には話してしまったがな」
「……なるほど。わかりました。じゃぁ、何かあったら言ってください。自分、マンションで仕事してますし、調子悪ければ様子を見に行くこともできるので」
「あぁ、頼む」


     *****


 仕事を終わらせマンションに戻ると四時半を回っていた。
 直帰でいいことになっていたけど、どうせ家までの帰り道。契約書関連を金庫に入れるために会社に立ち寄った。
 その道すがら、ついつい、天井を見てしまう。
 湊ちゃんが御懐妊、ねぇ……。湊ちゃんが母親、ねぇ……。
 女の子が生まれようと男の子が生まれようと、たくましい子に育つに違いない。
 その前に――あの王様気質の静さんと、女王様気質の湊ちゃんの閨事が想像できない……。どんな言葉を交わしながらやるんだろ。
 どっちもサドっ気たっぷりで、どちらかがマゾになることなど考えられない。いや、静さんが主導権を渡すとは思えないし……。ともすると、あの湊ちゃんがおとなしくさせられるのか!?
 ……ある意味、すごい興味はあるが怖くもある。
 人様の情事を想像していたら、ひどく翠葉ちゃんが恋しくなった。
 彼女の肌に触れたい……。

「社長」
 出先から戻った蔵元は、珍しく社長デスクの椅子に腰を落ち着けていた。
 蔵元は、眉間にしわを寄せてこちらを見る。
「なんでしょうか……。“社長”はあくまでも表向きの肩書きです。秋斗様に社長と呼ばれると気色悪くて仕方ない。悪寒が走ったらどうしてくれるんですか」
 ずいぶんな言われようだ。
 藤宮警備をやめても、蔵元の“秋斗様”は抜けなかった。本人も何度かは改めようと努力したようだが、どうにもこうにも直せないらしく、今までどおりの呼び名で行くことにしたらしい。
 ただし、外に出れば「藤宮さん」 と意識して苗字で呼ぶようにはしている。
 そんな蔵元は、俺や唯に“社長”と呼ばれることにひどい嫌悪感を抱いていた。
「体のいい押し付けでなったものを役職名で呼ばれることほど気疎いものはございません」
 などと言うのだから、ほとほと哀れな社長である。
 藤宮の名前を表に出したくなかったというのが第一の理由ではあったが、その器に相応しいと思ったからこそ、蔵元を社長に据えたというのに。
「で、なんなんです?」
「俺、帰ってもいい?」
「今日は直帰予定だったはずですが? ここにいるほうが異常でしょう?」
 確かに、俺はいつも仕事をとっとと終わらせ、そそくさと自宅へ帰る。昼だって会社にいるときは、自宅に戻って翠葉ちゃんと一緒に食べているくらいだ。
 ――つまり、毎日お弁当を作ってもらっているわけではなく、社外で食べるときのみ作ってもらえる愛妻弁当だったわけで……。
 今日のお弁当がやっぱりとても貴重なものだったと思い返していると、
「明日も出張が入ってる人間がいるんですから、いつもと違う行動は慎んでください。雨など降らせようものなら恨みますよ?」
 丁寧な口調で、このうえなく辛辣な言葉を投げられる。
「ほら、一応社長より先に帰るわけだし? 断りいれておこうかと思って」
「いらぬ断りなどせず、直ちにお帰りください」
 俺は冷たい視線に見送られて会社を出た。


     *****


 十階に着くと、彼女に出迎えて欲しくてインターホンを押した。ドアはすぐに開かれる。
「おかえりなさいっ! 今日は早かったんですね?」
 嬉しそうに笑う彼女に、ただいまのキスをする。そのまま華奢な彼女を抱きすくめ、ほんの少し体重をかけた。
 まるで甘えるかのように。
「ど、どうしたんですか?」
「聞いてくれる?」
「はい?」
「今日さ、ウィステリアホテルでお弁当食べようとしたら静さんに取り上げられた」
「えっ!? じゃぁ、お腹すいてるんじゃ……」
「それはもう、ものすごぉくね……」
「すぐに夕飯にしますねっ?」
 慌てて俺から離れようとする彼女を捕らえたまま放さない。
 不思議に思った彼女が、「秋斗さん?」と俺の名を呼んだ。
「お弁当食べられなかった分、愛が足りなくて」
「それじゃ、お夕飯いっぱい食べてください。ね?」
「食材を介してたら、吸収するまえに餓死しちゃうかも」
「え……?」
 ようやく話しの方向がおかしなほうへと向っていることに気付いたのか、彼女はきょとんとした顔で俺を見た。
「愛が足りてないの。愛に飢えてるの。愛が欲しいの」
「…………お食事じゃないんですか?」
「夕飯ももちろん食べたいんだけど、その前に食べたいものがある」
「……デザートは食後っていつも言ってますよね?」
 これは一体なんの会話だっただろうか? 相変わらず、話の飛躍っぷりが半端ない。
 そんな彼女に少しだけ付き合う。
「今日のデザートは?」
「香りがとっても良かったので桃を買ってきました。今日食べる分は冷蔵庫に冷やしてあって、明日の分はシャーベットを作ってます」
 桃が好きな彼女はそれはそれは嬉しそうに話す。
「じゃぁ、そのデザートは食後に取っておくから」
「……え? ほかにデザートはないですよ?」
「あるよ。……ここに。今、俺の腕の中にある」
 彼女の首筋に吸い付くようにキスをすると、
「あ、秋斗さんっ」
 俺との間に腕を突っ張らせて止められた。こんなことも珍しくはない。
「しゃ、シャワーくらい浴びたいです……。今日、暑くて、家事してたら汗かいちゃったから」
 断固拒否、ではなかった。シャワーを浴びればいい、ということだろう。
「わかった。じゃあ、シャワー浴びてきて? お腹すかせて待ってるから」
 彼女は顔を赤くしたまま、パタパタとスリッパの音を立て、着替えを持ってバスルームに消えた。



2012/04/13(改稿:2012/10/16)

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