料理対決 02 − Side 御園生翠葉 −


 一時間後、料理がテーブルに並べられ、御園生家は皆が固まった。
 くすくすと笑うのは桃華さん。湊先生と静さんはおかしそうにくつくつと笑っていた。
 ツカサは、「さぁ、どうぞ」と余裕の笑みで皆を促す。
「何っ、司っち何これっ」
 唯兄の抗議に、
「何って……翠の好きなもの。唯さんの十八番でしょう?」
 鮮やかすぎるツカサの笑顔に息が止まるかと思った。
 ツカサが作った料理は、普段、唯兄が私に作ってくれるものばかりで、どれも私の好きな料理。
 一方、唯兄が作ったものはホテルで食べて私が喜んでいたもの。それらは須藤さんのオリジナルメニューだった。
 確かにどちらも好きな料理。でも、どちらかを選ばなくちゃいけないのなら、私は間違いなくツカサを選ぶ。決してツカサの肩を持つわけではなく、大好きな唯兄の料理を、大好きなツカサが作ってくれたから。
 須藤さんの料理も好きだけど、これに敵うものはない。“もの”じゃなくて“気持ち”の問題。
「若槻、やられたな」
 静さんの一言で勝者が決まってしまった。
「司も考えたわね。これじゃ若槻が勝てるわけないわ」
「さぁ、それはどうだか……。オリジナルに及ばなければ、この人、認めてくれなさそうだし」
 ツカサはエプロンを外しながら言い、取り皿に唯芹亭のメニューをよそって唯兄の前に差し出した。
「未来のお義兄さん。味見、してもらえませんか?」
 ツカサの表情に笑みはない。お皿を受け取る唯兄はどこか緊張してるように見え、思わず自分の手にも力が入る。
 唯兄は無言で一口ずつ食べ、涙目になった。
「司っちなんて大嫌いだっ。大嫌いだけど、どうしてもって言うなら……弟子にしてやるっ」
 涙目のまま、パクパクと料理を口に詰め込み、テーブルに置かれていた日本酒をぐびぐびっと飲み下す。と、白い肌がパッと色づいた。
「るからっりっ。リィを泣かしらら、たららおかないんらかなっ」
 声量はあるものの、ろれつが回っていないことから威力にも威厳にも欠ける。唯兄はあっという間に酔っ払ってしまった。
 絡み付く唯兄を、ツカサはあしらうことなくソファに寝かせる。
「この人、ここのところ一日三時間睡眠だったって」
「え!?」
「仕事はノーミスでクリア。なおかつ、須藤さんの空き時間に料理のレクチャー受けてたらしい」
 もたらされた情報に言葉を失う。ここ五日間、私は仕事で久先輩と一緒に撮影旅行に出ていたため、唯兄がどんな生活をしていたかは知らなかった。
「今、年度末だから仕事が楽なわけじゃないのよね。むしろ、猫の手を借りたいくらい忙しいの」
 蒼兄と唯兄が勤める会社の事務を一手に引き受ける桃華さんが、補足するかのように仕事状況を教えてくれる。
「見る?」
 と、差し出されたのは、仕事の進捗状況が記されたもの。
「うちの会社少数精鋭だからさ、繁忙期は一人が二人分の仕事しなくちゃいけないんだよね」
 蒼兄が付け足し、唯兄の欄を指差す。
 唯兄の一日は午前か午後のどちらかにまとまった空き時間が5時間ほどあり、そのほかはすべて仕事内容で埋めつくされていた。それはものの見事に“夜中”という時間帯までびっしりと。
「通常、この五時間はみんな睡眠にあてるのだけど、唯さんはホテルに行って料理を習って、残った時間を睡眠にあてて……っていう六日間だったの。仮眠を勧めても、仕事は仕事、って……根が真面目なのよね。それで結局一日の睡眠時間は三時間くらい。内、まとめて眠れてるのは二時間がいいところ」
「そのうえ、さして強くもないのに日本酒なんか一気にあおるから……」
 こうなるわけだよ、と蒼兄がソファに横になる唯兄の頬をツンツンとつついた。
 唯兄は真っ赤な顔してくってりと……完全に潰れていた。
「翠葉、愛されてるな」
 お父さんに言われる。
「何も唯は反対してたわけじゃないわ。ただ、ちょっと捻くれてるからね。ストレートにお祝いできなかっただけよ。司くんに勝負挑んだのも本気ってわけじゃなかったと思うの。でも……まさかこう返されるとは思ってなかったんでしょうね」
 くすくすと笑いながらお母さんはテーブルの上に並ぶあたたかな料理を見渡した。
「さ、せっかくの料理が冷めちゃもったいない。食べよう!」
 お父さんが席に着くよう促す。その場の人は自然とソファに腰掛けたけど、ツカサだけが両親のもとへと移動した。
「後日、改めて――」
「いや、いいよ」
「では、この場で。――六年前にご了承は頂いてますが、大学を卒業したらすぐに籍を入れます」
「うん」
「証人欄にご署名いただけますか?」
「もちろん」
 ツカサの手には、婚約した日に記入した婚姻届が握られていた。お父さんはつつがなく名前を記入する。もう一つの証人欄には、すでに涼先生の名前が記入されていた。
「式は、翠の体調がいい秋頃に、と考えています。新婚旅行は自分がまとまった休みを取れるようになってから――」
 お父さんはツカサの言葉を遮った。
「司くん、もう六年前とは違う。ふたりとも大人だからね、ふたりで決めればいい。何かするのに了解を得ようとしなくていいよ」
 お父さんは柔らかな笑みを浮かべ、司の背に手をやりソファへと促す。自分の隣に座らせると、
「まずは一杯」
 わざわざ実家から持ってきた切子ガラスのグラスを手渡しお酒を注いだ。
「碧さん、息子が増えるっていいねぇ? 大勢で飲む酒ってうまいじゃん」
 ツカサにお酒を酌んでもらっているお父さんは上機嫌。お母さんも同じくらい上機嫌で答えた。そうね、と。
「さー、飲むぞ飲むぞー! 碧さん、あとよろしくね?」
「やぁよ、私も飲みたいもの」

 とても和やかな雰囲気で食事会が始まった。
 食事会の途中、むにゃむにゃ言いながら眠る唯兄が気になりラグから腰を上げる。
 もうすぐ春とはいえ、やっぱりそのまま寝てるのは良くない気がして。部屋から毛布を持って来ようと思った。
 すると、ツカサにそれを止められる。
「寝かせるならベッドに寝かせたほうがいい」
 そう言うと、だれん、と力の抜け切った唯兄を抱えて歩き出す。
「翠、ドア開けて」
「あ、はい」
 ダイニングから廊下に通じるドアを開け、唯兄が使っている部屋のドアを開ける。
 部屋にはレシピを書いたメモがそこら中に散らばっていた。
 唯兄をベッドに下ろしお布団をかけると、ツカサはそれらを拾い集め、再度唯兄に視線をやる。
「……面倒な義兄」
「いや……?」
 訊くと、別に、と返された。
「この人が御園生家の一員になってから八年半だろ? さすがに慣れた。それに……知ってると思うけど、面倒な人間なら身近にわんさといる。生まれたときから嫌でも耐性のつく環境にいた」
「うぅ〜ん、リィ〜……むにゃむにゃ……」
「俺は翠じゃない……」
 絡みついた唯兄の手をぞんざいに払う。
「うちにも面倒な兄や姉、義兄がいるけど覚悟は?」
 私は笑う。
「覚悟なんて必要ないよ。だって楓先生も湊先生も静さんも、みんな大好きだもの」
「翠の基準や嗜好が少しずれててくれて助かる」

 食事会が終ると、お母さんと桃華さんが気を遣ってくれて、私とツカサは十階へと移動した。
 キッチンから飲み物を持ってくると、珍しくもリビングに落ち着く。
「明日には支倉に戻るんだよね?」
「昼過ぎには出るつもり」
 私がソファとテーブルの間に座ると、ツカサはそのすぐ近く、ソファへと腰を下ろした。
「引越しは業者がやってくれるけど、人任せにできないものもあるから」
 それが何かはわからないけど、私は「そうだね」と答える。
 頭では全く別のことを考えていた。それは、卒業式。
 来週の金曜日は大学の卒業式なのだ。
「ね、卒業式……大学に行ってもいい?」
 ミネラルウォーターを飲んでいたツカサが動作を止める。無言だけど、目が「なんで?」と訊いていた。
 下から見たときの顎のラインが好き――思いながら理由を述べる。
「だって……学園祭にも来るなって言われてたし。私、一度も支倉キャンパス行ったことないんだもの」
「…………」
 藤山のキャンパスになら何度も行ったことがある。でも、支倉には一度も行かせてもらえなかった。来るな、と言われて。
 最後だけ、卒業式の日くらいはいいかな? と思って訊いてみた。
「ダメ?」
「……かまわない。その代わり、式が終わったらその足で婚姻届出しに行くから」
「え? そんなに急がなくても……式の後には謝恩会があるのでしょう?」
「だから、その前に――酒が入ったら運転はできない」
「翌日でもいいんじゃない? あ、翌日は疲れてる? それなら翌々日でも……」
「翠は入籍を先延ばしにしたいんだ?」
 少し苛立ったような声。酔ってるようには見えないけど、酔ってるのかな?
「違うよ? ただ、慌しくなるんじゃないかと思って……」
「なんだったら卒業式なんか来ないで、市役所で待っててくれてもいいけど?」
「それは嫌っ。最後くらい見に行きたい」
「なら、おとなしくその日のうちに入籍させろ」
「……なんでそんなに急ぐの?」
「縛りたいから」
 ぎゅっと抱きしめられる。
「物理的拘束ならできる――けど、法的拘束……」
「え……?」
「翠の気が変わらないうちに自分のものにするため。法的効力の及ぶものが欲しい」
「気なんて変わらな――」
 言い終わる前に口を塞がれた。
 今までお酒を飲んだ後にキスされたことはなかった。口から鼻に抜けるアルコールの香りにくらっとする。
「悪い……少し酔ってる――今日、なんか緊張してた」
 思わぬ言葉を聞いたかと思ったら、次に聞こえてきたのは寝息だった。
「ツ、カサ……?」
 声をかけてみるけど起きる気配はない。
 抱きしめられたまま、やがて体重が私のほうにかかり始める。支えきれない――そう思ったとき、ガタ、とラグに転がった。ふたり一緒に。
 転がったときの反動で拘束が解かれる。ツカサのメガネも外れかけていた。
 ゆっくりと体を起こし、メガネを外してテーブルに置くも、ツカサが起きる気配はない。
「風邪、ひくよ?」
 注意を促すための言葉だけど、なんとなく小声。
 だって、出逢ってから九年も経つけど、私がツカサの寝顔を見たのなんてほんの数回だ。それこそ片手で数え切れてしまう。
 音を立てないようにその場を離れ、寝室に毛布を取りに行く。と、唯兄の部屋と同じような惨状が広がっていた。
 つまり、レシピが書かれた用紙がこれでもか、というくらいに散らばっている。
 それらを手に取ると、今日作ってくれたもの以外にもいくつもの候補があったことに気付く。さらには、何度も同じメニューを作り直してレシピを完成させたことがうかがえた。
 出汁の配合を変えたり下味をつけてみたり、お塩や砂糖を増やしたり減らしたり、隠し味を変えてみたり。
 ルーズリーフの右上には、合否を示すかのようにマルやバツ、三角が記されている。それらを分けてみると、今日の昼食に並んだものはマルがついているものだけだった。
 挨拶の日取りが決まったのは約一週間前。正確には六日前。
 唯兄の睡眠時間は三時間と言っていたけど、もしかしたらツカサもさほど変わらなかったのかもしれない。ただ、それを人に知られるのはいやで、だから普通にお酒も飲んで――。
 緊張が解けたら急に疲れが出たの……?
 私はそれらを持ったままリビングに戻る。
 もう一度寝顔を覗き込み、ほんのりと熱を持つ頬に触れた。ツカサは一瞬眉間にしわを寄せたけど、起きることはなかった。
 レシピをテーブルに置き、今度こそ毛布を取りに行く。起さないようにそっと毛布をかけ、頭の下にクッションを入れた。
 私は寝ているツカサの真横に座り、神経質そうな性格を現す文字を目で追う。あまりにもたくさんあるから、気付けばそれなりの時間が経っていた。書くのにはもっと時間がかかったことだろう。
 いつもならパソコンを使うのに、材料から作り方まで全部がシャーペンで書かれていた。
 何枚にも及ぶそれらを見ていると、じわりと幸せがこみあげてくる。
「これ、欲しいな……」
 欲しいって言ったらくれるかな? 
 思いながらツカサの顔を見る。
 今度は、あまりにも無防備な寝顔に嬉しくなった。
 一緒に暮らし始めたら、こんなふうに寝顔を見る機会も増えるかな?
 浮つく気持ちを抑え、ツカサの顔に自分の髪がかからないように近づく。
 淡く色づく頬に唇を寄せた。
 一度目は「ありがとう」のキス。二度目は「これからもよろしくね」のキス。
 二回のキスをしたらツカサが起きた。
「おはよう」
「……翠、何して――」
「キス」
 くすりと笑うとツカサの表情が固まる。今日は貴重なツカサがたくさん見れて嬉しい。
「もう一度、キスしてもいい?」
 訊くと、答えるよりも先に口付けられた。
 今日のキスはいつもと少し違う。お酒の香りがするからか、なんとなく大人びたキスに思えた。
 例えるなら、子供がお酒入りの洋菓子を食べてしまったときのような感覚。
 唇が離れ、お願いする。
「ツカサ、マリッジリングは一緒に選んでね?」
「わかった」
 体を起こしたツカサが私の手に持っているものに気付く。と、決まり悪そうに顔を逸らした。
「ツカサ」
「何……」
 仏頂面のツカサに再度顔を寄せキスをする。
「大好き」
 何も考えず、ツカサに抱きついた。
「ずっと側にいてね? それから、たまには寝顔を見せてね?」
「何それ……」
「うん? 今の私の願望」
「じゃぁ俺の今の願望も聞いてほしいんだけど?」
「何?」
「もっとキスしてほしい。もっとキスしたい。もっと近くに翠を感じたい」
 いつもよりストレートすぎる要望を嬉しく思い、同じ言葉を返す。最後に疑問符をつけて。
「もっとキスしてもいい? もっとキスしてくれる? もっと近くに――」
 この日、私は九階に帰らなかった。


END

2012/08/02(改稿:2012/10/16)

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* あとがき *

 遅くなりましたがキリ番リクエストSSひとつ消化です! お楽しみいただけましたでしょうか?
 とりあえず、“料理対決”と“キス魔”の司を目標に書いてみました。
 ジャッジする人間はお言葉に甘えて収拾のつく範囲内にさせていただきました。
 今回は唯ちゃんが駄々っ子さんでした(笑)司は相変わらず色々考えて行動してるんだなぁ……と思う反面、唯ちゃんと同じことしてるあたりが面倒な人間なのかもしれない……と思ったり(苦笑)
 最後は司がキス魔なのか、翠葉さんがキス魔なのかわからないことに……(^^;
 これを書いてわかったこと。翠葉さんもスイッチが入れば大胆なこと言えるんだぁ……と(何
 最後までお付き合いくださりありがとうございましたm(_ _"m)ペコリ


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