光のもとでT 番外編

初めてのバレンタイン Side 翠葉 05話

 十時になるとフロランタンが焼きあがった。けれども冷めるまでは切り分けられない。それに、お昼近くなればカフェラウンジが忙しくなる時間帯ということもあり、私は一度ゲストルームに戻ることにした。
「二時か三時ごろに下りてこようと思うのですが、お時間大丈夫でしょうか?」
「わがままを聞いていただけるのでしたら、二時が嬉しいです」
「わかりました。では二時にまたお邪魔します」
 そう言ってゲストルームに戻った。
 キッチンでハーブティーを作るとすぐさま自室に篭る。
 ドアには、「入ってこないでね」の貼り紙つき。
 これで唯兄以外には編み物のことは知られずにすむはず……。
「さて、がんばるっ」
 お昼ご飯までに一本できれば上出来。まずはお父さんのから作ろう。
 黒い毛糸には桔梗の花の色に似た紫の糸が絡んでいて、ほんのり心が和む。
 編みながら、七月に入院してからのことを思い返していた。
 たくさん心配をかけた私に、自分たちを責めてくれてかまわないと言ってくれた。どんな治療が降って湧いても受けさせるだけの経済力は備えておくとも言ってくれた……。本当に、優しくて大好きなお父さん。
 今はどうかわからないけれど、去年は間違いなくオーバーワークだったと思う。その疲れが吹き飛ぶほどの喜びをプレゼントしたかった。
 たかがマフラーだし大量生産のお菓子たちだけど、喜んでくれるかな? 喜んでくれるといいな……。
 単純作業を黙々とこなし、最後の伏せ止めを終わらせると、時計は十一時五十分を指していた。
「終わった……。あと二本……」
 お昼ご飯を挟んで二時までにはどのくらい編めるだろうか……。
 ……大丈夫。最悪、今日中に編み終えればいいのだ。
 業務用オーブンを借りなければ、ここまでたくさんのお菓子を用意することはできなかっただろう。
 どれだけお礼を言っても足りないくらいなのに、そのお礼がその場で作っていたものなんて、ちょっと気が引ける。
「でも……気持ち、だよね?」
 大切なのは気持ち。
 そう思って心を落ち着けた。

 お昼ご飯を食べているときも、自室に篭って何をしているのかはとくに訊かれなかった。もしかしたら、日にちが日にちだからプレゼントの準備をしていることはバレバレなのかもしれない。それでも、プレゼントするまでは見られたくなかったの。
 蒼兄のマフラーを編んでいるときにセットしていたタイマーが鳴り、二時五分前であることに気づく。
 一階へ下りると、調理室の作業台に六枚のフロランタンが並べられていた。
「粗熱が取れましたので、もう切り分けられます」
 先ほどと同じようにガイドに沿って均等に切り分け、端っこの崩れてしまったものを七倉さんと一緒に口に放り込む。と、アーモンドのパリッとした生地が香ばしく、クッキー地も狙いどおり少し硬めに焼きあがっていた。
 申し分ない焼き上がりに頬が緩む。
「このあと、よろしければラッピングのお手伝いをさせていただきます」
「ありがとうございます。でも、リボンだけは自分で結びたくて……」
「かしこまりました」
 クッキーとケーキを二切れず英字柄のオイルペーバーで挟み透明の袋に入れていく。最後にリボンを結んで口を閉じると、売り物のように見えなくもない。
 なんとも満足な出来上がりだった。
「今は冬ですし、焼き菓子ですから二、三日はもつでしょう。皆さんにお喜びいただけるのでは?」
「喜んでもらえたら嬉しい……」
「きっと大丈夫です」
「昨日から、何から何までお世話になってしまってすみませんでした」
「いいえ、私も十分に楽しませていただきました」
 最後、藤色のリボンをかけたものをコンシェルジュの人数分作業台に並べ、
「一日早いのですが……受け取っていただけますか?」
「っ……私たちに、ですか?」
「はい。気の利いたことは何も書けなかったのですが、メッセージカードつきです」
 七倉さんはカウンターにたっている人とバックヤードにいるコンシェルジュを呼んできて、三人揃って「ありがとうございます」と受け取ってくれた。
「今ここにいないメンバーにも責任を持って配らせていただきます」
「お願いします。それと……これを美波さん、美鳥さん、里実さん、ゆうこさん、拓斗くん、琴実ちゃんに渡していただけますか……?」
「お嬢様から直接お渡ししなくてもよろしいのですか?」
「明日、学校が終わったら病院へ行って、そのあとホテルに行ってくるので帰ってくるのが遅くなってしまうと思うんです。夜分にご自宅へうかがうのは申し訳ないので……お願いできたら嬉しいです」
「かしこまりました。承ります」
 私はラッピングが済んだお菓子を大きな紙袋に入れてもらい、ゲストルームへ戻った。
 残りは蒼兄の編みかけのマフラーと唯兄のマフラー。今が四時半だから、何事もなければ間に合うはず――

 夕飯を食べてお風呂に入ると、私はまた自室に篭った。相変わらず、自室のドアには「入室禁止」の貼り紙つき。
 明日の朝、警護の人がひとり代表でエントランスで待っていてくれる。その人に渡す分は十人分。それをまとめて入れられる紙袋を引っ張り出し、藤色のリボンがかかった包みを潰れないように細心の注意を払って入れた。
 次に会うのは茜先輩と久先輩の予定。ふたりにも、ふたつ一緒に入る程度の小さな手提げ袋に入れた。
 病院用の七つは普通の紙袋に入れて、会うたびにひとつひとつ渡していこうと思う。
 真白さんと朗元さんは病院へ行く途中に渡そう。朗元さんが庵にいなかったら真白さんに預かってもらおう。それと、涼先生の分も一緒に預けていこう。
 クラスメイトはホームルームが始まる前に渡せるとして、問題は生徒会メンバーだ。
 サザナミくんは隣のクラスだから、取り立てて渡すのが難しいということはないと思う。
 難関は二年生徒会メンバー……。
 授業間に三階へ行っても移動教室だったらすれ違ってしまうし、そもそも皆が勉強しているところへプレゼントを持っていくのは少々憚られる。
 そもそも、バレンタインってどんなイベントなのかな? みんなはいつ、どうやってプレゼントを渡すのだろう。
 家族以外の人にプレゼントするのは初めてのことで、みんながどのようにして楽しむのかが未だに想像できずにいた。
「……お昼休みなら大丈夫かな?」
 ツカサは明日のお弁当をどこで食べるだろう。
 好きと伝えたあと、うちのクラスでお弁当を食べるのは再開されたけれど、明日はどうなのか……。
 バレンタインが教えてもらったとおりのイベントなら、万年王子のツカサにプレゼントを渡したいと思う女子はたくさんいることが予測できるけど、それが毎年の行事になっているとしたら……?
「……登校自体を拒否しそう」
 でも、少し考えれば「欠席」には至らないという回答にたどり着く。
 何をどうしてもツカサはツカサなのだ。
 そういう心境に陥ったとしても、それごときで学校を休むとは思えない。
 ただ、できる限り人との接触を避けようとするのではないだろうか。
 そう考えると、移動教室以外は極力教室で過ごしそうなものだけど、今のところそういった連絡はきていない。
 嵐子先輩と優太先輩はいつも教室でお昼を食べているのかな? それとも学食?
 渡しやすさで言うならば、朝陽先輩が一番抵抗なく渡せるのだけど、朝陽先輩の周りには女の子という障壁ができているような気がしなくもない。
 きっとたくさんの女の子からチョコレートをもらうのだろう。せめてもの救いは、自分が作ったものがチョコレートではないことくらい。
 ……その前に、近づけるかが大問題?
「それを言うならツカサもだけれど……」
 いくら人との接触を避けようと思っても、クラスまでプレゼントを持ってくる人だっているだろう。
 ツカサの周りに人垣ができていたら……。
 そんな状況を想像したものの、それはすぐに打ち消される。
 あのツカサが人だかりの中心でおとなしくしているとは思えない。そんな状況になろうものなら、恐ろしくも冷ややかな視線で女の子たちを蹴散らしそうだ。
 教室の中に特大な低気圧が発生しちゃう感じ?
 いくら親しい間柄とはいえ、そんな状況下でプレゼントを渡すのは心臓に悪すぎる。
「……最悪、真白さんに預けちゃおうかな」
 なんとも情けない考えだけど、それが一番安全なルートに思えてくる。
 全部編み終わったのは十時半。このあとは残りのメッセージカードを書かなくてはいけない。
 時間がないこともあり、本当に一言二言のメッセージになってしまった。
 クラスメイトには、「いつもありがとう。二年次、クラスが分かれても仲良くしてください」。
 本当は一人ひとり違う文面を書きたかったけれど、時間的都合により、みんな同じメッセージ。
 生徒会メンバーには、「これからも迷惑をかけることがあるかもしれませんが、がんばりますのでよろしくお願いいたします」。
 久先輩と茜先輩には、「大変お世話になりました。卒業しても高校に遊びに来てくださいね」。
 そして、携帯の番号とパソコンのメールアドレスを添えた。
 警護の人とホテルの人、病院の先生たちには、「いつもお世話になっております。今後ともよろしくお願いいたします」。
 儀礼的と言ったら儀礼的だけど、当たり障りのない文面を考えるとこのようなものになってしまう。改めて自分の語彙が少ないことを目の当たりにした。
 いくつかインターネットで文例集を調べてみたけれど、参考になりそうなものはなく、私が書くにしてはビジネスライクすぎる文面ばかりだったのだ。
 美波さんと美鳥さん、ゆうこさん、里実さんには、「またどこかでお会いした際には話し相手になって下さい」と記した。
 書きあがったカードを順に見ていって、ツカサのカードで手が止まる。
「好き」なんて書けるほど丈夫な心臓は持ち合わせていないし、ただでさえ、マフラーを使ってもらえるか不安で不安で仕方がないというのに……。
「あ、マフラー……」
 お菓子は嵐子先輩と優太先輩に渡す際、一緒に渡せるかもしれない。でも、その場でツカサだけにマフラーを渡すのは気恥ずかしい。
 冷やかされるのも嫌なら、紙袋の中身をその場で確認されることにも抵抗がある。さらには、ツカサに一蹴されてしまった女の子たちの視線を集めることにも耐えられそうにない。
「……やっぱり、マフラーは真白さん経由で渡してもらおうかな」
 最終的にどうするかを決められないまま、包みひとつひとつにマスキングテープでメッセージカードを貼り付けていった。



Update:2013/09/02(改稿:2017/07/27)



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