光のもとでU

距離 Side 御園生翠葉 02-02話

 時間的にはお昼どきということもあり、「お昼ご飯を食べてから行く」――そんなメールを送りたくなる。
 携帯を手にメール画面を起動してみるものの、床にしゃがみこむ勢いで断念した。
「無理……だって、今何かを食べられる気なんてしないもの」
 ……仕方ない、覚悟を決めて行こう。
 十階へ上がる前に唯兄のところへ寄ると、唯兄でも蒼兄でもなく秋斗さんに出迎えられた。
「いらっしゃい。翠葉ちゃんはお昼食べた?」
「いえ、まだ……」
「だったら一緒に食べない? これからコンシェルジュにオーダーするところなんだ」
 うわぁ……全力で便乗したい。でも、ツカサとの電話を切ってすでに三十分近くが経過している。いくらなんでも、これ以上ツカサを待たせるのは申し訳ない……。
「すみません……このあと、ツカサのところへ行く予定で」
「なーんだ、残念……。でも、なんか浮かない顔だね?」
「そ、そうですか……?」
「行きたくないならすっぽかしちゃえば? 責任なら俺が取ってあげるよ?」
 にこりと笑われ、その言葉に甘えてしまいたくなる。
「でも、翠葉ちゃんはそんなことができる子じゃないか……。で? ここに来るなんて珍しいけど、唯に用?」
「用という用ではないんです。お菓子を焼いたので、皆さんで食べてください」
 秋斗さんは笑顔で包みを受け取った。
「ラッピングまでしてくれてありがとう。あとでみんなでいただくね。それと、何かあったらいつでもおいで」
 明確な言葉が添えられたわけではない。でも、「司と何かあったら」という意味に取れて仕方がなかった。

 十階に着き、元湊先生のおうちを前にしてため息をひとつ。
 なんの変哲もない玄関だし、テスト期間前は普通に押していたインターホンだ。なのに、今は大きくて重い鉄の扉に見えるし、インターホンが茨の中に設置してあるように思える。
 なけなしの勇気でインターホンを押すと、すぐにドアが開けられた。
「いらっしゃい」
「これ、お菓子」
 ツカサは私の手元に視線を移すと、
「そのまま持ってきてくれてよかったのに」
 その言葉に何を答えられる気もせず、私は俯いてしまった。
 違うのだ。見目を良くするためにラッピングをしたのではない。ただ、時間稼ぎをするためだけに施したもの。
 ……こんな説明、口が裂けても言えない。
 私が落ち込んだと思ったのか、ツカサは「悪い」と一言謝った。
「上がって」
「お邪魔します」
「何か飲む?」
「ハーブティーある? あるなら自分で淹れるよ?」
「ハーブティーなら棚にある」
「棚ってどれかな……?」
 会話をしているのに顔を合わせていない。最近は、私が話しかけても素っ気無く顔を逸らされることが多かった。だから、また顔を逸らされたら、視線を逸らされたらどうしよう、と思うと顔を見て話すことができなかったのだ。

 キッチンへ行くと、ツカサは吊り戸棚へ手を伸ばした。棚にハーブティーの缶を見つけたけれど、私が背伸びをしても手が届く位置ではない。
 テスト勉強のときは、いつもツカサが飲み物を用意してくれるので、私や海斗くんが何かを作ることはなかった。そのため、このキッチンに立ち入ることはなかったのだ。
 私がお茶の用意をしている間、ツカサはラッピングを解いてフロランタンをプレートに並べる。
 ラッピングの解き方からプレートへ並べる様まで、どれを取って見ても「神経質です」と主張しているように思えた。
 私たちはキッチンから見えるリビングへ場所を移したものの、「落ち着かない」という理由でテスト勉強に使っている部屋へ移動しなおした。
 けれども、慣れ親しんだ部屋であっても落ち着くことはない。
 ツカサから電話がかかってきた瞬間から、私はずっと緊張したままなのだ。
 なるべくいつもどおりに、とベッドを背に体育座りをした。目の前を横切ったツカサはデスクチェアに座るのだろう。
 そう思っていたのに、ツカサは私の右隣に腰を下ろした。
 いつもとは違う行動パターンに、私は思わず身を引く。
「……どうしたの!?」
「……別に」
「別に」なんて簡単な言葉で済ませないでほしい。ここ最近は、こんな近くに座ってくれることなどなかったのだから。
「……本当に、どうしたの?」
 ラグを見つめ、若干俯きがちのツカサの顔を覗き込む。と、視線を合わせてきた切れ長の目にトクリ、と心臓が音を立てた。
「手……貸して」
 ツカサの申し出にさらに息を呑む。
「本当に、どうしたの?」
「いいから手」
 気づけば右手を取られていた。
 あたたかい……。
 久しぶりに感じるぬくもりは、じわりじわり、と肌を侵食していく。
 この手はいつ解かれるのだろう……。
 そんなことを考えていると、
「悪い……」
「……ツカサ?」
 聞き間違いかと思って名前を呼んだ。でも、ツカサは次の言葉を発しない。
「……ツカサ、何に対して謝られたのかがわからないから、許そうにも許せないのだけど」
 明らかに、いつものツカサとは違った。
 どうしたら次の言葉を引き出せるかと考えていると、
「意図して避けてた……というか――」
 その言葉にツキン、と胸に痛みが走る。
 自分でも感じていたし、第三者に指摘もされていた。でも、本人に言われるのはまた違う痛みが生じる。
 やっぱり、「もう好きじゃない」と言われるのか。それとも、「別れよう」と言われるのか。
 ……どうしよう、泣きそう――
 でも、その前に確認だけはしよう。
「避けてたっていうのは……」
 一息に言うことができなくて、息継ぎを要する。
「手――つないでもすぐに離されちゃうのとか、隣に座ってもすぐに席を立たれちゃうのとか……そういうこと?」
「そう。それらの行動すべてに対して謝りたい」
 謝るのはどうして……? 謝ったうえで「別れたい」と言われるのだろうか。
 やだな……謝るのなら、「もうしない」と言ってほしい。
「……じゃぁ、もう、そういうの、しない……?」
 清水の舞台から飛び降りる気持ちで尋ねた。すると、ツカサは小さく「あぁ」と頷く。
 ならば、この話はどこへ着地するのか。次は何を尋ねればいいのか――
 使い物にならない頭を必死で回す。でも、ずっと使われていなかった機械のようにピクリとも動かない。
 沈黙が怖い……。何か、何か言わなくちゃ……。
 不安に加えて焦りを感じていると、
「翠、俺は……どこまで自分を抑えられるのかがわからない」
「え……?」
 何を言われたのか理解ができなかった。
「……付き合う前は手をつなぐことも抱きしめることも、そんなに意識していたわけじゃなくて……。でも今は――ありえないほど意識していて、翠ほど簡単に手をつなぐことはできない」
 想像していた話とはだいぶ違う内容だった。でも――
「ツカサ……ひどい」
 自然と目に涙が浮かぶ。それは安心したからとかそういうことではなく、悔しさから。
「全然簡単じゃないっ。手つないでいいか訊くの、全然簡単じゃないっ。すごく……すごく勇気いるんだからっ」
 今までがどうだったか、というならば、そこまでの勇気は要しなかった。でも、この二週間は違う。いつも、恐怖と引き換えに口にしていた。
「全然簡単じゃないんだから……。私がそう言うたびにツカサは一瞬身を引くし、長くはつないでいてもらえないし、がんばって隣に座ってもすぐに席を立たれちゃうし……。全然――全然簡単じゃないっ」
 ツカサは申し訳なさそうな顔をしていた。そして、どこか困惑した表情を見せる。
「だから……悪い。これからはそういうのしないから。しない予定。……でも、何度も言うけど、俺、どこまで自制できるのかわからないから」
 ……ジセイ? ジセイって……? 自制?
 あまりにも突拍子もない言葉が出てきて、今度は頭に大量のクエスチョンマークが発生する。
「……自制って? あ……言葉の意味はわかるのよ? 国語辞典とかいらないからね?」
 言葉の意味も知らないのか、という突っ込みは受けたくない。ちゃんと疑問に思っていることへの返事が欲しい。私は要点を絞って尋ね直した。
「自制しなくちゃいけないものは何?」
 ツカサは顔を背けて息を吐き出すと、
「つまりは俺も男だから、って意味」
 意を決して言いました。そんな様子がツカサからうかがえる。けれども、私はどういう意味なのかがいまいちわかっていなかった。



Update:2014/11/17(改稿:2017/08/13)



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