光のもとでU

紫苑祭 二日目 Side 御園生翠葉 15話

 クラスへ戻ると、半数くらいの女子が着替えの最中だった。
 私も自分の席へ戻って椅子に座りながら着替える。
 制服に着替えたら、クラスメイトにも気づかれてしまうだろう。
 さて、尋ねられた際にはなんと答えるべきか……。
 考えても考えてもいい案は思い浮かばないし、そろそろエネルギー不足なのか、脳が「考える」という動作自体を拒否し始めている。
 そんな中、生徒会の放送が入った。海斗くんの声で、
『女子の皆さん、身支度済みましたかー? あと五分で教室から出てくださいね。警備員が鍵を閉めて回り始めます』
 その言葉に慌ててドレスを着替えた。
 一番最後に教室を出れば気づかれないかな、などと思っていると、
「御園生さん、その手と足……どうしたの?」
 香月さんに見つかってしまった。そのあとは芋づる式のようにあれよあれよとクラスメイトが群がってくる。
「ワルツの前、佐野くんがいなくなったり谷崎さんが翠葉ちゃんのバッグ持って戻ってきたり、何かあるとは思ってたけど、それ、どうしたのっ!? 谷崎さんに何かされた?」
 美乃里さんに詰め寄られ、
「違うっ、違うよ。谷崎さんは何も悪くない。むしろ、このテーピング施してくれたの谷崎さんだし……」
 美乃里さんは私のことを心配してくれているのだろうし、周りにいるクラスメイトだって好奇心で訊いているわけではないだろう。
 この怪我が自分の不注意によるものなら言葉を濁す必要はない。でも、第三者が絡むこととなれば話は別。
 どんなに心配してくれているのだとしても、やっぱり話せるものではない。
 ――……あれ? 第三者が絡むのなら話は別……?
 ということは、絡まない部分は別に問題ないということ?
 頭の中にふわふわと漂う疑問を捕まえ、きちんと文章を組み立てる。
「えぇと……ワルツ競技の前、ウォーミングアップをしていたのだけど、観覧席に戻る途中で階段から落ちちゃったの」
 これであってるかな……?
 自分に確認しながら口にすると、集まっていた人が「えええっ!?」と大きな声をあげた。
「それでワルツに出たのっ!?」
「うん……。でも、その前にできる限りの処置はしたから……だから、大丈夫、だよ?」
「大丈夫ったって、これ、ずいぶん腫れてるじゃない」
 足元に座りこんだ香月さんに指摘され、「そうかな」と曖昧に笑ってみせる。
「翠葉ちゃんって意外とおっちょこちょいなのよねぇ……。傷、残ったりしない? 大丈夫?」
 美乃里さんの言葉に、
「主には打ち身だから大丈夫だと思う」
 それでみんなは納得してくれた。
「どっちにしても、この足でフロアに座るのはつらいよね。私、先に行ってパイプ椅子出しておく」
 そう言うと、美乃里さんは一足先に教室を出て行った。
 話がひと段落したところで香月さんが声をかけ、クラスの女子全員で教室を出た。
 廊下にツカサを認めると、
「荷物は私が持っていくわ」
 香月さんがかばんのほかにドレスが入ったものまで奪う勢いで引き受けてくれた。
 でも、できれば荷物を持って先に行くのではなく、荷物を持たなくてもいいから一緒に桜林館まで歩いてほしかった。
 そんなことを思いつつ、恐る恐るツカサの方を振り返る。と、
「……聞いてないんだけど」
「え、何、が……?」
 ツカサは恐ろしいまでに美しい笑みを浮かべていた。
「足の怪我、そんなにひどいものだったとは聞いてないんだけど? しかも、右手首も怪我してたなんて初耳だけど?」
 声音は怒気を孕んでいるし、ツカサにしては珍しく、笑顔を貼り付けつつもこめかみの辺りが引きつっているように見える。
 そんな観察をしていると、
「停学措置ですら軽いだろっ!?」
 すごい大声で怒鳴られた。
 でも、怯むより先。ツカサが発した言葉に危機感を覚え、周りに人がいないか見回す。しかし、すでにこの階には私とツカサしかいないようだった。
 ほっとしながらツカサに視線を戻すも、今にも職員室へ直訴しに行きそうなツカサを必死に宥める。
「もう謝罪は受けたしこの話は終わりにしようっ?」
「謝罪を受けたら怪我が治るとでも?」
「まさか……」
 さすがの私だってそんなおめでたい考えは持っていない。
「この先しばらく右足をかばう生活になるだろうし、いつもなら二十分かからない距離を三十分近くかけて登校する羽目になることが、翠にとってはそんなに軽いことなのか?」
 ツカサは視線を移し、
「その手でピアノ弾けるの? その手で毎日板書できるの?」
 えぇと、ごめんなさい……。
 申し訳ないくらいに目の前のことにいっぱいいっぱいで、明日以降のことなんて一ミリも考えていませんでした。でも――
「大丈夫。ゆっくり行動することや、前もって行動するのは割と得意だから。板書が間に合わなければ友達に見せてもらうなりコピーしてもらうなりする。ピアノは――先生に診てもらってから考える」
「俺は納得できない」
「……ツカサは関係ないでしょう?」
 この言葉は突き放した言い方に取られるかもしれない。でも、この怪我にツカサは関係ないと言い切りたい手前、こんな言葉しか出てこなかった。
「翠が突き落とされた理由に俺が絡んでいたはずだけど?」
「そうだけど――でも、直接ツカサが絡んでいるわけじゃない。私は、私に嫉妬した人に突き落とされたの。実質被害を被ったのも当事者なのも私だよ? ツカサが許す許さないって話じゃないでしょう?」
 そこまで言うと、ツカサは一度口を噤んだ。再度開くと、
「翠は俺と同じ立場でも同じことが言えるの?」
「……わからない。でも、私はこれ以上この件を引っ張りたくない。……私のために怒ってくれてありがとう。でも、これ以上はもういい。もう、やだ。この話、やだ……」
 あの三人の進路がどうなってしまうのか、あの三人が今どんな気持ちでいるのか――
 意識を野放しにしたら延々と考え続けてしまいそうだ。
 でも、少し考えるだけでブルーになるし、結果を知ったらもっと気持ちが沈むだろう。だから、もうここで終わりにしたい。今日で終わりにしたい。
 ツカサとこんなふうに言い合いになるのも嫌だよ……。
「ツカサ、お願い……。もう、終わりにしたい。これ以上考えたくない」
 そっと視線を落とすと、力いっぱい握り締められたツカサの手が目に入った。
 何を思うでもなくその手を取り、両手でゆっくりとほぐしていく。
 左手が終わったら右手。右手が終わったら両手を取り、
「打ち上げ、桜林館で合同なのでしょう? 行こう? 団長がいなかったら黒組の人たちがっかりするよ」
 ツカサを引っ張るように廊下を歩き出すと、
「翠、携帯見せて」
「え?」
 言葉は聞こえていたのだけど、あまりにも話が飛躍した気がして訊き返してしまった。すると、すかさず動いたツカサの手によってショルダーに入っていた携帯を奪われた。
「……手が熱いと思ったら発熱してるし……」
「嘘……」
「ほら」
「三十七度五分――」
 ディスプレイに反映される自分の体温を見つつ、
「去年よりは低いね」
「インフルエンザを発症して入院した去年と比べるとかどんな神経?」
「それもそうね……。今回は純粋に疲れかな?」
 なんとなしに口にすると、
「倦怠感は?」
「少し……。でも、身体を動かすのがひどく億劫という感じではない」
「……打撲や捻挫からも発熱することがある」
「そうなの……?」
「明日の藤山はやめておこう」
「えっ!? それは嫌っ。紅葉は見たいっ」
「わがまま」
「わかってる」
 ツカサは呆れたような表情で、
「打ち上げは途中で抜けよう。今日は兄さんが家にいるから」
「え? それなら湊先生に診てもらえば――」
「さっき姉さんに連絡入れたらほかの生徒に付き添って病院行ってるって」
「そうなのね……」
「兄さんにはもう連絡入れたから、兄さんに診てもらって明日動いてもいいか判断を仰ぐ。それでいい?」
「はい……」
「じゃ、おとなしく運ばれて」
 言われて素直にツカサの首へ腕を回す。と、不意打ちで「ちゅ」とキスをされた。
「もう……今日だけだからね?」
「ならもう一度だけ……」
 言われて二度目のキスを受けた。

 桜林館では打ち上げが始まっていて、あらかじめ用意されていた飲み物やお菓子が満遍なく行き渡っていた。
 飲み物は主に買ってきたものだけど、お菓子においては市販されているものに混ざって手作りのものもちらほらとある。
 すごいな……。
 紫苑祭前だからと言って授業のペースが落ちることはないし、宿題の量が減るでも小テストがなくなるでもない。そのうえ紫苑祭の練習がびっちりはいっていたのに、みんないつ作ったんだろう……?
 私に気づいた桃華さんがやってきて、ツカサから離れ桃華さんの腕を借りて移動する。と、風間先輩が駆け寄ってきた。
「御園生さん、怪我したんだって?」
「はい、ちょっと落っこちてしまって……」
「その怪我でワルツ踊ったとか、聞いて驚いたよ」
「そうですよね……」
 苦笑を返しつつ、嘘はついていません、と心の中で自分を擁護する。
「俺と飛翔、パートリーダーたちの挨拶は終わったから、残るは御園生さんだけなんだけど、すぐに振っても大丈夫?」
「だめです」
 即答すると、
「じゃ、少し時間あげるからサクッと考えてね。短くてかまわないから」
 にこりと笑った風間先輩は、間をおかずに声を張り上げた。
「はいっ、注目っっっ! もうひとりの副団長こと姫の挨拶! はい、拍手〜っ!」
 か、風間先輩っ!? 少し時間くれるって――十秒ありましたか……?
 恨めしい視線を風間先輩に向けると、先輩はイヒヒと笑って見せた。
 もう……いたずらっ子め。
 集まる視線に数回の深呼吸をして挑む。
 けれど、人前で話すことに慣れていない私は即座に挫け、身体の向きを変える。と、クスクスと背後から笑い声が聞こえてきた。
 そろりそろりと振り向くと、みんながおかしそうに笑っていて、「がんばれ!」とか「ふぁいとっ!」「最後なんだからしっかり!」なんて声をかけてくれる。
 今度こそ、ときちんと向き直り、
「お疲れ様です。……知っている人が多いかと思いますが、私は運動ができません。なので、体育祭というものはずっと眺めているだけのイベントでした。でも、今回副団長という役職をいただいたことで、『赤組なんだ』という気持ちをより強く感じることができたし、参加している実感をきちんと得ることができました。……何分初めてのことだったので、要領もつかめなければ力不足と思われても仕方のない有様でしたが、最後まで副団長を務めさせてもらえたこと、とてもいい経験になりました。また、ワルツ競技の際にも過分なご配慮をいただきありがとうございました。皆さんと過ごした時間をこの先も忘れません。ありがとうございました」
 思ったよりも大きな拍手をいただいて戸惑っていると、
「はい、オレンジジュース二分の一希釈!」
 空太くんにカップを渡され、再び風間先輩が声を張った。
「じゃ、もう一度乾杯しよう! 赤組、お疲れ様ーーーっっっ!」
「「「「「「お疲れ様−−−っっっ!」」」」」」
 私は美乃里さんが用意してくれた椅子に座ったけれど、ひとり目線の高さが違うことなど意識することはなかった。
 やっぱり、中学のときとは何もかもが違う。
 最初から蚊帳の外で競技を見ていたあのころは、自分の組や特定の誰かを応援することなんてなかったし、まるで大きなスクリーンの映像を見ているような感覚だった。
 でも、今はそのスクリーンの中に自分がいて、みんなと言葉を交わしている。空間や時間を共有している。
「一緒にいる」ってどういうことを言うのかな。
「居る」だけならどんな環境でも成り立つだろう。たとえば、駅のホームでもバスの中でも、教室の中でもどこでも成り立つ。
 でも、「一緒に」という言葉をつけると少し意味合いが変わってくる。
 一緒にいるためには空気や空間をひとつのものとして共有する必要があるし、言葉を交わしたり相手に触れたり、関わりを持つことが必要不可欠。
 ただそこに「居る」だけでは「一緒にいる」ことにはならないのだ。
 今、自分がここに居る、と。友達と一緒に居る、と実感できるのは、人と関わりを持っているから。
 だとしたら、もし私の気の持ち方がもう少し違えば、中学でもこんな風景を見ることができたんだろうか。
 これは後悔……?
 少し考えて否定する。
 後悔とか後悔じゃないとかそういったことは気にせず、ただ、今後に生かす。過去にあったことは今後に生かせればそれでいいはず。
 ただひたすらに、見たもの感じたものすべてを自分の糧にしていこう――



Update:2016/07/29(改稿:2017/09/25)



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