光のもとでU+

キスのその先 Side 藤宮司 02話

 最近の翠はこういうキスをしたあと、俺がシャワーを浴びている間に帰ってしまう。
 今日もそうなのだろうか……。
 違うことを願いながら、
「シャワー浴びてくる」
「うん、いってらっしゃい」
 見送られた俺は、洗面所のドアを開けるとそこへ立ち入ることなくドアを閉める。そして、キッチン前の壁に寄りかかって翠の動向を見守っていた。
 翠はかばんからメモ帳を取り出し何かを書くとテーブルへ置き、自分のカップとかばんを持って立ち上がる。
 やっぱりか――
 自分の予想を裏切ってはもらえないか、と往生際悪く願っていたことをまざまざと実感する。
 カップを片付けにやってきた翠は、俺の姿を視界に認めた途端にカップを落とすほどに驚いてみせた。
 俺はできるだけ冷静に、
「今日も帰るの?」
「っ……」
「最近、俺がシャワー浴びてる間に帰ること多いけど、なんで? 今日は夕飯を一緒に食べる約束だったはずだし、そもそも会う約束している日に急用が発生する率が高すぎない?」
 翠は眉をハの字型にして返答に困っていた。
「俺の勘違いじゃなければ、こういう帰り方するときって、俺が執拗にキスをした日だと思うんだけど」
 翠は肩を揺らすほどの反応を見せる。
 つまり、「キス」が原因で帰っているのは間違いないのだろう。
 それがわかったところで帰る理由にはたどり着けない。
 キスのその先を危惧するからこその自己防衛手段なのか――
 翠が何をどう考えているのか、訊かなければずっとこの状況が続くように思える。
 なら、どうあっても聞き出すしかないだろう。
 言葉に詰まったままの翠の腕を掴み、リビングへ引き返す。
 ソファへ座るよう促したが、翠は頑なにそれを拒んだ。
 翠が何を考えているのかさっぱりわからない。
 テーブルに置かれたメモには「急用ができたので帰ります」の文字。
「今日の急用って何? 前回は? その前は?」
 翠は泣きそうな顔で口を閉ざしていた。
「キスが好きって言ったけど、本当?」
「っ……それは本当っ」
 翠は必死の形相で即答した。
 それに救われたのは一瞬。すぐに「ならばなぜ」――という思いが湧き起こる。
「それなら、なんでキスをした日はすぐに帰ろうとするの?」
 フリータイムが短くなるのはいやだとか、一緒にいたいと言うくせに、翠がとっている行動はちぐはぐすぎる。
 翠は目に涙を溜めたまま、
「ごめん、答えられない」
 答えられない、か――
 翠はなかなかに強情だ。こういう態度をとるときは、口にさせようとどれほど心を砕いても、口を割らないことのほうが多い。
 そのくらいには翠のことを理解しているつもりだけど、理解して引いてしまったら、この状況を変えることはできない。
 何をどうしたら口を割らせることができるのか。
 早々に行き詰まってソファに身を投げると、翠は廊下へ向かって一歩を踏み出した。
 翠はこのままこの部屋を出て行くつもりなのだろうか。そしたら、明日はどんな顔で会えばいい?
 身を切り刻まれる思いで翠の後ろ姿を見つめると、翠の衣服の異変に気づく。
「翠……ワンピースに染みができてる」
 翠は手に持っていたかばんをラグに落とし、スカートを掴み引き寄せた。
 咄嗟の行動にしては違和感を覚える。
 俺はワンピースに染みができてると言っただけで、どこが濡れているとは言わなかった。しかし、翠は一瞬でその部位に手を伸ばしたのだ。
 まるでどこに染みができているのか知っていたかのように。
 スカートの後ろ。しかも腰より下方が濡れているともなれば、生理を疑う。でも、
「生理……は、もう終わってるよな」
 何より、生理だった場合は血液が付着するはずで――
 翠は身体を震わせながら、小さく一歩足を踏み出した。ラグに落としたかばんなど目もくれず、廊下へ向かってもう一歩。
 このまま帰すことが受け入れられず、俺は力任せに翠の腕を引き寄せた。
 翠はバランスを崩し、俺の前に膝をつく。
「っ……なんでそんな泣きそうな顔――」
 たずねた瞬間にボロボロ、っと大粒の涙が翠の目から零れ落ちた。
「翠……?」
 俯く翠に優しく声をかけると、翠は涙を流しながら口を開いた。
 とても小さな声で、「最近、身体がおかしいの」と。
 体調が悪いのだろうか。だから帰ろうとした?
 でも、それならなぜそう言ってもらえなかったのか。そもそも、キスと体調不良にはどんな関係があるのか。
 少しの情報も逃したくはなく、顔を隠す髪の毛を耳にかけた。
 翠の頬に手を添え、
「翠、おかしいって、具体的には?」
「恥ずかしくて言えない」
 翠は変わらず涙を零す。
 その様子からわかったのは、翠にとっては涙を流すほどの一大事が起きているということ。
 俺は慎重に言葉を選ぶ。
「別に笑ったりしないし、必要があれば姉さんに相談すればいい」
「でも、湊先生は循環器内科の先生でしょう? 私のこれは――たぶん婦人科。でも、婦人科に毎月かかっていても、怖くて話せなかったの……」
「……婦人科?」
 観念したのか、翠はポツリポツリと話し始めた。
「……おりものが、たくさん出るの……」
「……それ、普通の? それとも、白濁した湿り気が少ないもの? 痒みは?」
 頭フル回転でありとあらゆる可能性を考える。
 翠は少し考えてから、
「たぶん、普通の……。白濁はしてないし、痒くもない……」
 それならカンジダではないだろう。
 もう少し詳しく訊く必要性を感じ、質問を続ける。
「毎日?」
「……ううん、ツカサと会った日だけ。たくさん、キスした日だけ……。だから、一緒にいるとき気が気じゃなくて……」
 それって――
 恥ずかしそうに視線を落とす翠を前に、俺は状況が一転した気がして、ここからどう話を進めるべきか、と算段を立て始めていた。
「それ、たぶん病気じゃないから」
「……え?」
 翠はわずかに顔を上げる。
「それ、いつごろから?」
「……わからない。最初はこんなにたくさんじゃなかったの。でも、最近は驚くほどで……」
 俺は翠を膝に挟んだままぎゅっと抱きしめた。
「翠……俺たちの関係、一歩前に進めないか?」
「一歩前へって……?」
 戸惑っているような翠の声に、
 キスのその先を提示する。
「……どうして? 今、そんな話してないのに」
「いや、たぶんそういう話だと思う」
「意味、わからない」
 腕の中の翠が抵抗を見せ、ほんの少し腕を緩めて不安そうな瞳に視線を合わせる。
「翠はキスに感じたんじゃないの?」
 俺の言葉に翠はきょとんとする。
 涙は止まったようだけど、目を縁取る睫には水滴がついたまま。
「時間はあるんだよな?」
「……あるけど」
「なら、そのワンピース洗うから脱いで。俺のシャツを貸す」
「えっ!?」
 うろたえる翠の手を掴んで勉強部屋へ連れて行き、クローゼットにかけてあるシャツを手に取った。
「つ、ツカサっ!?」
「いいから」
 戸惑う翠にシャツを押し付け洗面所に押し込める。
「一分経っても出てこなかったら問答無用で開けるから」
「なっ!?」
 もっと抵抗されるかと思ったけど、すぐに衣擦れの音が聞えてきた。
 俺は廊下の壁に寄りかかり、制限時間をきっちりと計る。
 四十五秒が過ぎたところで、
「ツカサっ、シャツの丈短いっ。開けられたら困るっ」
 その様はなんとなく想像ができた。
 翠にとっては問題がある格好でも、自分にとっては利点だらけの格好に思える。
「俺は別にかまわない」
「私がかまうのっ」
 ジャスト一分――
 ドアをスライドすると、
「やだっ、ツカサのえっちっ」
「なんとでも」
 翠は身を縮こめて、手に持ったワンピースで脚を隠そうとする。
 そのワンピースを手早く取り上げ洗濯機へ放り込むと、恥ずかしがる翠の手を引いて、以前はよく一緒に過ごした部屋へと戻った。



Update:2018/10/15



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