光のもとでU+

夏の思い出 Side 藤宮司 08話

 星見荘に戻り窓を閉めると、
「もう少し見ていたかったのに……」
 翠は名残惜しそうに窓に手を添える。
「それなら、カーテンを開けておけばいい」
 窓はきれいに磨かれ、曇りひとつないのだから。
 満天の星空を惜しんで窓辺を離れない翠を見ていると、スマホがメールを受信する。それは翠のバッグの中でも同様に。
 ふたり同時に着信したなら差出人は同じと考えるべき。
 陽だまり荘の連中かと思ってメールを開くと、母さんからのメールだった。


件名:星見荘に着いたら
本文:リビングテーブルに置いてあるリモコンを見てみて?
   照明を調節するボタンのほかに、
   屋根を開けるボタンがあるから。
   ふたりとも、楽しんでいらっしゃい。


「「屋根を開ける……?」」
 ふたり声を揃え天井を見上げると、一軒家らしからぬ天井がそこにはあった。
 屋根と思われるものの下に、透明なガラスのような隔たりがある。
「なんのためのガラス……?」
 翠の言葉に首を傾げるも、屋根を開けることができるのなら、空を見るためかと思う。
「とりあえず、ボタン押してみる?」
 翠の提案にリモコンのボタンを押すと、鈍い音と共に、キッチン側から屋根が動き始めた。
 屋根は少しずつ移動していき、仕舞いにはリビングの向こう側へと見えなくなる。もちろん、屋根が開いたそこには満天の星空があるわけで――
「ツカサっ! 空っ! 空っ! 空っっっ!」
「あ、あぁ……」
 こんな仕掛けがあるからこそ、先にここへ来た兄さんと義姉さんは何も語らなかったのか。
 そんなことを思いつつ、
「もしかして……」
 俺は気になったことを確認するために、リビングと寝室の間仕切りを開け放つ。と、ベッドルームもやはり屋根がない状態になっていた。
「翠、こっちの部屋でも空が見える」
「まさか」といったふうの翠が寝室へ入ると、
「わー! 本当だ! 夜空見ながら眠れるなんて、プラネットパレスかステラハウス、もしくはキャンプにでも行かないと無理だと思ってた!」
「もしかして……」
 すべての部屋の屋根がないのでは――
 そう思った俺は、即座に移動し洗面所の引き戸を開けた。
「翠、こっちも」
「本当にっ!?」
 翠がバスルームを確認している間にパントリーまで確認しに行くと、見事に全部の部屋の天井が星空になっていた。
「すごいすごいすごーいっっっ! 名前のまま、星見荘ね!」
 喜ぶ翠の声が聞こえた瞬間、またしてもスマホがメールを受信する。
 今度は父さんからのメールだった。


件名:屋根をオープンにするのはかまわないが
本文:夜気は空から降ってくる。
   寝るときはきちんと羽根布団をかけて寝ること。
   場合によってはエアコンを使うように。
   予約ボタンを押しながら赤いボタンを押すと
   室温が18度を切ると暖房が作動するようになっている。


「なんだかとっても真白さんと涼先生らしいメールね」
「確かに……」
「ものすごく新鮮だから、屋根はこのままにしておこう? ツカサ、飲み物飲む? 私はハーブティーを淹れるけど、ツカサは?」
 翠はキッチンで冷蔵庫や冷凍庫を確認すると、
「コーヒー豆もあるみたいよ?」
「いや、食後にコーヒー飲んだから、今は翠と同じでいい」
「了解」
 翠は浮かれた調子でお茶の準備を始めた。
 さっきパントリーへ入ったときに食器棚らしきものを見た気がした俺は、再度確認のためにパントリーへ向かう。すると、パントリーの手前半分が食器棚となっていた。
 キッチンで茶器を探している翠に、
「翠、食器棚こっち」
「あ、ありがとう!」
「奥半分がパントリーで、手前半分が食器棚っぽい。ざっと見たけど、割とバリエーション豊かに揃ってる」
 ふたりきりで過ごす場所だというのに、和食器はきちんと五組ずつ、洋食器は六組ずつ揃えられていた。
「キッチンも充実しているし、食材だけ調達してきたら、家にいる感覚で滞在できるのが嬉しいね」
 それはたぶん――
「母さんがそういう空間を望んだんだと思う」
「真白さんが……?」
「母さん、あまり家から出たがらないから」
 翠ははっとしたように、
「警護の関係……?」
「それもあるし、あまり外交的な人じゃないから」
 人が嫌いというわけではないと思う。
 ただ、たいていの人間が「藤宮の人間」として接してくるため、普通の友人関係が築けないだけ。
 それが苦痛で人を避けるようになってしまったという話は、紫さんから聞いたことがある。
 そういう部分、俺も秋兄も母さんと変わらない。
 対する兄さんや海斗は神経が図太いのか、肝が据わっているかのどっちかだと思う。
 そんなことを考えていると、翠がキッチンから部屋を見渡し首を傾げていた。
 どうしたのかと思えば、
「テレビ、ないのね……?」
「見たかった?」
「ううん。そういうことじゃなくて……」
 あぁ、通常ありそうなものがないっていう意味か……。
「あえて置いてないって聞いてる」
「その理由は?」
「世間の喧騒から離れるためだって」
 ま、家にいるときだってテレビがついていることのほうが少ないわけだけど……。
 母さんはハイリーセンシティブパーソン――HSPだ。
 直訳するなら「人一倍繊細な人」という意味。
 これは病気ではなく、気質的な問題で、いわば持って生まれた感受性の豊かさゆえの症状。
 音や匂い、光に敏感であることはさわりに過ぎず、人の大声どころか話し声にも過敏になるし、人が怒られている場に居合わせるだけで神経がすり減る。
 さらには、テレビから流れてくる凄惨なニュースにまで心が過敏に反応し、体調に悪影響を及ぼすため、ニュースをつけっぱなしにしておくことすらできない。
 気心の知れた友人と街中で会うだけでも精神的な疲労が目に見えて明らかで、音に溢れる街中で会うよりも、自宅に招くほうが格段に楽だという。どうしても自宅へ招くことができない場合は、ホテルのスウィートルームを取って、そこで会うことが常。
 こんな神経の持ち主がゆえ、若いころから慢性胃炎持ちで、胃潰瘍を繰り返していたという。
 それが父さんとの出逢いに一役買ってるというのだから、人との出逢いとはどこに転がっているのかわかったものではない。
 父さんと結婚して本家を出たことにより、警護班ともある程度の距離をとることができ、日常生活に支障を来たさなくなったという話だが、今でもHSPの気質は濃厚だ。
 三姉弟の中でその気質を継いだのが俺だったわけだけど、幼稚部のころ――人の視線や会話が気に障って登園を拒否したとき、父さんにメガネをかけることで外界をシャットアウトする方法を教えられて以来、日常生活に支障を来たすことはなくなった。
 ただ、外界をシャットアウトすることができるできないも性格に起因する部分が大きいため、俺にできたからといって、母さんにも有効というわけではない。
 結果、母さんは人が集まる場所が今でも苦手だし、そういう場所を避けて生活することで平穏を保っている。
 そういう母さんを見てきたからこそ思う。翠にもそういった一面があるのではないか、と。ただ、翠は「HSP」という言葉すら知りはしないだろう。
 もしこの先、翠が母さんと同じような生きづらさを感じ悩むようなことがあれば、そのときは声をかけようと思うし、母さんのこの気質的な話をしようと思っている。でも今は、一個性として見守っていたい――
「ネットにつながる環境こそ備わってはいるけれど、ここに来るときは父さんもノートパソコンの類は持ち込まない。持ってくるのは紙媒体の本と着替えくらいなもので、あとは母さんと会話したりボートに乗ったり、そこのウッドデッキから釣りをしたり、そんなふうに過ごすって聞いてる」
「でも、病院から連絡が入ったりはしないの?」
「スマホは持ってきているし、連絡はつく状態にしてあるけれど、ここに来るときは極力電話も鳴らないように、事前に綿密な調整をしてるっぽい」
 母さんが心穏やかに過ごせる環境を死守するための一手段ではあるものの、母さんとの時間をそこまで特別視する父さんが理解できなかった。けど、今なら理解できる。
 俺にも同様の存在ができたから。
 翠とふたりきりで過ごせる場で、大学絡みの電話やメールは受け取りたくはなく、それ相応の対策をしてきた。結果、今の今まで一度も大学絡みの連絡は入っていない。
 そんな俺の隣で、翠は何を思ったのかクスリと笑う。
「唯兄だったら気が狂いそうな環境だけど、真白さんと涼先生にとっては幸せで特別な時間なんだろうね。なんかいいな、憧れちゃう」
「……どの辺に?」
「全部だよ!」
「全部……?」
「そうだな……。たとえば、一緒にいることがまったく苦にならないからこそ、こんな環境でも問題なく過ごせるわけで……。それってものすごくすごいことだと思うの。間を持たせる何かがなくても一緒にいられるの、たぶんとっても理想的な関係だと思うよ? 仕事を持ち込まないでくれるのは涼先生の優しさで、旅行へ出かけても手料理を振舞いたいのは真白さんの涼先生を労わる気持ちなのだろうし……本当にすてきな夫婦だと思う」
 自分の両親のことをそんなふうに言われるのは悪い気はしない。また、以前にも何度かうちの両親に対して「憧れる」という言葉を使った翠に、翠はこういう夫婦が理想なのかとたずねたくなる。
 俺は我慢することなく訊くことにした。
「翠はそういう夫婦になりたいんだ?」
 そう問いかけると、翠は少しびっくりした顔をしたあと表情を和らげ、
「……ツカサは? ツカサはどんな夫婦になりたい?」
 返答がなかったということは、理想の夫婦はうちの両親で間違いないってこと……?
 対して俺は――
「……どんなっていう具体例はないけど、強いて言うなら、両親のような夫婦は悪くないと思う。互いが近くにいるのが当たり前で、相手のすること、したいことは尊重するし、反対や否定してるところは見たことがない。何年経っても労わりあえる関係は見てて悪くない」
 そこで翠の家を思い浮かべる。
 翠の家は両親が同い年だからか、うちのような感じではない。
 うちよりもずっと会話が多く和気藹々とした印象だけど、そういう家庭で育ったなら、普通はそういう夫婦を理想とするものなんじゃないのか。
「翠はもっと碧さんとか零樹さんぽい夫婦を理想としているのかと思ってた」
「うち?」
 翠は宙に視線を彷徨わせ、
「でも、うちもそういう意味では涼先生と真白さんっぽい関係だと思うよ? ふたりともお仕事大好きだから、お休みの日でも建築やインテリアの話をしていることが多いけれど、相手の何かを否定することはしないし、話を聞いてもっと楽しくするにはどうしたらいいか、って率先して考える人たち。さらには子どもの意見とか訊き始めるから、収拾つかなくなって大変」
 翠は言いながら笑っていた。
 思い出すだけで笑いがこみ上げてくるような環境という意味だと、うちとはやっぱり違うような気がするけれど……。
「そういう意味ではうちとは正反対だと思うんだけど。うちは会話が絶えないって感じの家じゃないし」
「んー……会話や笑いが絶えない家もいいと思う。でも真白さんと涼さんみたいに穏やかな夫婦もいいと思う。何がだめで何がいい――そういう話じゃなくて、きっと夫婦にも色んな形があって、色んな関係、色、雰囲気があると思うのね。私たちは――」
「……私たちは?」
「……私たちは、どんな夫婦になるだろうね?」
 翠が「夫婦」というワードを口にするのは今日が初めてのことで、たかがそんなことを噛み締める。俺たちの未来に「夫婦」という形があることを考えて。
 強いて言うなら、
「夫婦も人と同じで成長していくものだと思うから、常に成長できる夫婦であれたらいいかな」
 翠との関係がより親密になって、ふたりという人間がより成長できる関係であれたら嬉しいと思う。
 そんな俺の正面で、翠は穏やかに笑みを湛えていた。
「私ね、今の高校に入るまでは成長や未来とは縁遠いところにいて、でも今は、大好きな友達がいて、ツカサがいて、未来を楽しみなものと思えるようになったし、六年も先のことが楽しみになった。たぶんこれから先もずっと、ツカサが側にいてくれたら成長し続けられるし、楽しみな未来を作っていけると思う」
 そんなことを満面の笑顔で言われたらキスせずにはいられない。
 俺は気づけば翠の近くへ移動していたし、翠が不思議に思って顔を上げた瞬間にキスをした。
「俺たちらしい関係を築いていけばいい」
 そう言うと、翠は俺の胸に額を預ける。
 その動作を愛おしく思いながら、俺は翠を抱きしめた。



Update:2019/12/08(改稿:2020/06/11)



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