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私の過保護な婚約者



私の過保護な婚約者 Side 御園生翠葉 04話


 二本目の点滴が半分になるころには、身体を起こしてもクラクラすることはなくなっていた。
「体感として、とてもよくなった気がする……」
 その言葉に、ツカサがすかさずバイタルをチェックする。
「座位で七十八……。まあ、午前中に比べたら全然いいな」
「問題は、この点滴がどのくらいもつか、なのよね……」
 一昨年は身体が起こせない期間は毎日一リットルの点滴をしていたけれど、夏休みはあと数日で終わってしまう。つまり、すぐに二学期が始まってしまうのだ。
「こんな状態が続くとは思いたくないから、一過性であってくれると嬉しいのだけど……」
 夏休み明けは紅葉祭準備が本格化するため、非常に忙しくなる。そんな時期に、体調など崩してはいられない。
 不安に思いながら点滴を見上げると、つないでいた手に力をこめられた。
 まるで、「大丈夫」とでも言うかのような仕草にツカサを見ると、
「検査結果に異常がなかったわけだから、あとは学校で姉さんが点滴を処方すればいい話だろ?」
「でも、一リットル入れるとしたら五時間かかるのよ?」
「あの人なら、点滴したまま教室に戻す」
 言われて、一昨年のことを思い出す。
 確かに、点滴をしたままクラスへ戻された記憶がある。
「今日みたいに身体が起こせないほど具合が悪いんじゃなければ、点滴受けながら授業を受けることは可能だろ?」
 それは、是だ。
「なら、それで問題ない。点滴スタンドは海斗や佐野にでも運ばせろ」
 点滴をした状態で授業を受けることに若干抵抗はあるけれど、学校にいる間、しかも授業中に点滴を受けられるのなら、午後の紅葉祭準備には響かない。それなら、このくらいは呑むべきだし、好都合だと思わなくちゃいけない。
「ただ、トイレが近くなるのがネックかなぁ」
 苦笑しながら言うと、ツカサもクスリと笑った。
「そのくらいは仕方ないし、教師陣だって理解してくれるだろ」
「うん、でも……授業の途中で席を立つのは、やっぱり少し恥ずかしいよね」
 そんな会話をしていると、紫先生がやってきた。
「だいぶ顔色がよくなったね」
「はい。体感もいいです」
「じゃ、ちょっと診察をしよう」
 先生は臥位、座位、立位と血圧を測り、最後に胸の音を聴いて診察を終えた。
「うん。一本に二時間半かければ問題ないね」
「え……?」
「点滴はね、早く落とすと心不全を起こすこともあるし、肺に水が溜まってしまうこともある。頻脈になってしまうこともあるんだ。一度、一時間半で点滴を落としたことがあるけれど、そのときは頻脈になって身体に負担をかけてしまった。だから、翠葉ちゃんはなるべく時間をかけて点滴を落とすほうがいいんだ」
「そうなんですね……」
「時間はかかるけど、その分身体に優しいと思ってくれると嬉しい」
「はい」
「今後のことなんだが、おそらくこの点滴はもって二日だろう」
 やっぱり……。
「だから、夏休みが終わるまではマンションで湊に点滴を打ってもらいなさい。学校が始まったら学校で。点滴をしたまま授業を受けるのはいやかもしれないけど、それが体調を維持する最善の方法だと思う」
 だいたいは想像していた通りの話で、私は涙を零さないよう、慎重に頷いた。
 すると、先生は椅子に腰掛け、
「夏は毎年つらいね」
 言いながら頭を撫でてくれる。
「先生……今は藤宮の生徒だからこういう融通もきくけれど、来年からどうしよう……。短大へ入学したらこうはいかないですよね。そしたら、どうしよう……」
 未来は少しずつ明るく楽しみなものへ変化したけれど、こういう不安はいつまでたっても拭えない。
 高校生活には限りがあって、あと少しで藤宮を離れなくてはいけないのに、三年間あっても私の体調は一進一退を繰り返すばかり。
 身体の痛みはだいぶ楽になったし上手にコントロールできていると思う。でも、自律神経のほうはさっぱりだ。
 ひとつ快方へ向かったのだから、もうひとつくらいは我慢しなくちゃいけない。わかってはいるけど、そのひとつがあるだけで、私は健康な人と同じように過ごすことができない。ハンデを負わなくてはいけない。
 人を羨んでも仕方がないし、今の自分にできることを考えなくちゃいけない。わかってはいるけど、じゃあ、健康な人を基準に考えられた学校生活をどうやったら自分がクリアできるのかなんて、考えるだけ無駄なんじゃないか、と思ってしまう。
 悲観的になりたくない。卑屈になりたくない。でも――
「そのときのことは、私も少し考えてみるよ。だから今は、今のことを考えよう?」
「はい……」
 話が終わると同時、ピーと音が鳴って点滴が終わったことを知らせる。
 先生は抜針を済ませると、
「もう精算できる状態になっているから、一階で会計をして帰るといい」
「ありがとうございました」
「お大事にね。司、あとは頼んだよ」
「はい」

 ベッドから降りた私は、使っていたタオルケットを畳み、簡単にベッドを整える。きっと、私たちが部屋を出たらすぐに人が清掃に入るだろう。そうとわかっていても、何かをせずにはいられなかった。
 目に溜まる涙の分量が多くて、ちょっとした拍子に零れてしまいそうで、それを回避したくて、気を紛らわせたくて、止まることなく動いていた。
 移動テーブルにあったスマホを表示させれば三時を過ぎたところ。
 精算を済ませてマンションへ帰ったとしても、三時半までには帰れるだろう。
「身体起こせるようになったし、帰ったら楽器の練習しようかな」
 そうだ、こういうときは音楽に逃げるのが一番いい。誰に迷惑をかけることもなく、感情を解放することができる。何より、何かしていないと、不安に呑まれてしまいそうだから。
 スマホをバッグにしまうと、背後からツカサに抱き竦められた。
「平気な振りはしなくていい」
「っ……」
「不安なら、不安だって言ってくれたほうが助かる」
 私は細心の注意を払って振り返り、意識して笑顔を作る。
「でも、紫先生も考えてくれるって言ってたし、今は今のことを考えようって言われたし――」
 言葉の途中でぎゅっと腕に力をこめられた。
「それでも不安は不安だろ? そんな平気そうな顔をしなくてもいい」
「でも……不安に囚われたらどんどん弱くなっちゃう」
「俺の前でくらい、いいんじゃないの?」
「ツカサが優しすぎるとちょっと困る……」
「なんで?」
「泣きそうになるから」
「泣いていいのに」
 私は泣き笑いになる。
「相変わらず有限実行ね?」
「有限実行っていうか、甘えてもらうのに必死なだけ」
 ツカサはそう言って少し笑った。
「あとでひとりになって泣くくらいなら、今ここで泣いて」
 私はツカサの腰に腕を回し、ツカサの胸に顔を埋める。
「でも、やっぱり泣きたくないな……」
「……翠が泣くときは側にいたいし、翠が不安を抱えているなら一緒に抱える。そのうえで支えるから。そういう存在でいさせて」
 ツカサは私の涙を人差し指で拭うと、ゆっくりと唇を重ねた。
 まるで、つらさを分かち合うみたいなキスに泣きたくなる。
「まだ家族じゃない。でも、いずれ家族になるんだから、もう少しくらい頼ってくれていいと思う」
「ツカサが婚約者で、嬉しい……」
 本当に、本当に、この人が私の婚約者であることが嬉しい。
 こんなにも優しくて、こんなにも私のことを大切にしてくれて。違う人間なのに、私のつらさを理解しようとしてくれて、半分持とうとしてくれる。こんな人、世界中どこを探してもいないと思う。
「ならもっと、色々話して」
「ん、努力する……」
 答えて、今度は私からツカサにキスをした。


END



Update:2020/06/04



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