光のもとでU+

俺の頑固な婚約者



俺の頑固な婚約者 Side 藤宮司 03話


「ツカサ、好意は嬉しいのだけど、それでも五時間よ? さすがに暇でしょう? 帰りは唯兄に迎えに来てもらうから――」
 まだ言うか……。
 第一、家で過ごすときは半日以上一緒にいるわけで、場所が病院になるだけで特段何が変わるわけでもないというのに。
「その遠慮、どうにかしてって言ってるんだけど」
「でも……」
「これが家族なら甘えるの?」
 婚約者と家族の境界線ってどのあたり……?
 そもそも、結婚して家族になってからなら甘えてもらえるの?
 そんな確信すら持てない自分とはなんなのか……。
「……家族だとしても、一度家に帰ってもらうと思う……」
 この件については家族と同じ扱い――でも、だからと言って、翠のこの選択を喜ぶことはできないし、面白くもない。
 俺が忙しくしていて時間がないというならともかく、この夏は、弓道のほかには翠と会う予定しか入れていないというのに。
 イラついた俺は、言わなくてもいいようなことまで口にしてしまう。
「翠がいつまでそのバングルをつけているつもりなのかは知らないけど、現況はまだまだ外せそうにないな」
 翠は苦しそうな表情で、何かに耐えるように静かに口を閉ざした。
 バングルをつけている限り、翠の状態はスマホを介して知ることができる。それは時に便利で、安心材料になるものだけど、いつまでもこのままでいいわけがない。
 それをつけるときにどんな話を姉さんとしたのかは知らないが、翠が体調の悪さを自己申告できるようになれば外せるものなわけで、翠はいつまでこれに頼るつもりなのか。俺はいつまで遠隔で翠の体調を知らなくちゃいけないのか。本人の口から聞くことは叶わないのか。
 翠の意識が今すぐに変わることはない。でも、バングルをつけてからもう二年以上経つのだし、少しは変化があってしかるべき。俺との関係だって、同様の年月を経ている。なのにまだ言ってはもらえない……。
 そもそも、言ってもらえるときと言ってもらえないときの差って何? そこにどんな基準があるわけ?
 たかがひとり、翠という人間しか注視していないというのに、未だそのあたりが明確にならないことが不愉快甚だしい。
 そこへ看護師がやってきて、翠の血管と格闘を始めた。
 血圧が低ければラインを取るのも一苦労だろう。それなら最初から紫さんが刺していけばいいものを……。そうは思うが、現場の人間を育てる意味合いもあるのかもしれない。
 結果、一発で針が入ったことに翠と看護師は歓喜し、無事に輸液が落ちるとハイタッチを交わす始末だった。
 ストレッチャーに横になった翠と十階の第二病室へ移動すると、
「今年はこの部屋を使わずに済むと思ってたんだけどなぁ……」
 翠は苦笑を漏らした。
 確かに今年もインフルエンザになりはしたが、入院するほどではなく、今年この病室を使うのは今日が初めてなのだろう。
 それでも、
「処置室で五時間よりはいいだろ」
 言うと、翠は申し訳なさそうな顔でタオルケットを手繰り寄せる。
 翠が横になっても会話はなく、あまりにも申し訳なさそうな顔でいるものだから、そんなに気にするな、という思いをこめて翠の左手を取った。
 冷たい……。
 翠の手は夏でも冷たいが、点滴を打つと如実に手が冷たくなる。
 いつもなら、すぐにカイロが欲しいというのに、今日は言わない。
 それは一緒にいるのが俺だから? 家族じゃないから?
「俺には言わないの? 言えないの?」
 返ってくる言葉を想定しながら、落胆の思いで口にする。と、
「え?」
「……点滴するとき、いつもならカイロが欲しいって言うだろ? 俺にはそれすら言えないの?」
「違っ――」
 翠は反射的に声を発した。そして困った顔になる。
 決して困らせたいわけじゃない。そんなつもりじゃないけど、
「何が違うの?」
 口にして後悔する。
 こういう言い方をするから翠が萎縮するのに、どうして俺は――
 でも、家族に言えて俺に言えない、というのは本当に勘弁願いたくて、否定してほしくて、口にしてしまう自分を抑えられない。
「……確かに、唯兄が付き添ってくれていたら、すぐに言ったと思う。でも、ツカサが手を握ってくれたから……」
「は……?」
 俺が手を握ったから何……?
「ツカサが手を握ってくれたからあたたかくて……。でも、ずっと手を握ってたらツカサは何もできないから、やっぱりカイロは買ってきてもらったほうがいいのかな、って今考えていたところで、決してツカサだから頼めないとかそんなふうに思ってたわけじゃなくて……」
 翠は口の中でもごもごと言いづらそうに言葉を発した。
 その内容が、悶えたくなるほどかわいくて、ものすごく困る。
「それならいいけど……」
 なんて言ったけど、今めちゃくちゃ嬉しくてどうしたらいいのかがわからない。
「……手、ずっと握っててほしいなら握ってるけど?」
 若干甘えてくれることを期待してぶっきらぼうに言葉を投げると、
「それは本当に申し訳ないからっ、カイロを買ってきてください……」
 即刻断られた。
 もっと丁寧に言葉をかけていたなら、もっと違う返答を聞けたのだろうか。
「……でも、カイロを買ってきても、片手だけは貸してくれる……? 手、つないでたい……」
 ようやく欲していたものを得られた気がして、気分がよくなる。
 たかがこんな言葉で機嫌がよくなるのだから、俺は相当単純なんだろうな。
 つまり、そんな俺の操縦はそう難しくないはずなのに、翠は未だ心得てはくれない。
 まあそもそも、自分の機嫌くらい自分でとれるようになれって話なわけだけど……。
「カイロと飲み物買ってくる。翠は経口補水液でいい?」
「うん……」
「じゃ、ちょっと行ってくる」
 席を立つと同時に手を放したけど、あまりにも冷たくなっていたから、備え付けのチェストからタオルを取り出し巻いて行くことにした。
「俺がいない間は、これに包まれてて」
 タオルを巻いた手をタオルケットにしまうと、
「ツカサ、大好き……」
 呟くように言われた言葉は魔法の呪文だと思う。なんか、じわじわと胸が侵食されていく感覚だ。
「知ってる」と言ったのは、ちょっとした虚勢。
「だけど、もう少し素直に甘えてくれると嬉しい」
 そんな言葉を追加すると、俺は愛しい婚約者にキスをして病室を出た。
 後ろ手にドアを閉め、
「もう……なんなの。急にかわいいこと言うのとか、本当、なんなの……」
 俺は両手で頭をわしわしと掻き毟ってから、悶えたいのを我慢しながらエレベーターホールまで時間をかけて歩いた。

 院内のコンビニへ向かうと、俺は入り口に積まれたカゴに手を伸ばす。
 まずは飲み物の調達。自分にはコーヒー、翠には経口補水液。
 きっと今朝は朝食を食べられてはいないだろうから、昼食に食べられそうなものがあったほうがいい。
 米かパン……。
 米を食べさせたい気はするけれど、翠の胃袋的に「重量が……」とか言い出しかねないから、無難にパンかな。
 でも、菓子パン的なものを食べさせると相馬さんに怒られそうから、チョイスできるのはホットドックとかサンドイッチの類に限られる。
「サンドイッチかな……」
 陳列棚には実に様々なサンドイッチが並んでいるが、翠が食べるならサラダがたくさん挟まったサンドイッチ一択。
 自分にはカツサンドと卵サンドを選択。
 点滴一リットルじゃ身体も冷えるし、温かいスープがあったらいいかもしれない。
 最後にカイロと包帯をカゴに入れると、予期せぬものが放り込まれる。
 びっくりして顔を上げると、俺の隣に白衣を着た兄さんが立っていた。
「翠葉ちゃんが来てるって?」
「あぁ……」
「これ、昼食だろ? 俺が買ってやるよ」
「いや、このくらい自分で買えるし……」
「ま、たまには兄らしいことをさせなさいって」
 そう言うと、兄さんは俺からカゴを取り上げて精算を済ませてしまった。
「さっき紫さんに会ってさ、翠葉ちゃん点滴五時間だって?」
「そう」
「お前、帰ってくれって言われたんじゃない?」
「…………」
「当たりか。あの子の考えそうなことだよね。体調が思わしくなくてつらいのは自分なのに、付き添う人のこと気遣っちゃうあたり。お前、何か持ってきてるの?」
「何かって……?」
「本とか、そういうの」
「いや……ノートパソコンなら持ってきてるけど」
「俺の部屋で本見繕っていけば? そのほうが翠葉ちゃんも多少は気が楽になるだろ?」
 別に翠の側にいられればそれでよかったし、本なんて必要ないけれど、翠が気にしないで済むのなら――
「……助かる」
「お前、がんばってると思うよ」
 兄さんには何がどう見えているのか……。今現在、俺ががんばれてることなんて何ひとつないように思える。と、兄さんはその内訳を教えてくれた。
「翠葉ちゃんに帰れって言われても残ってるところとか。あの子、そういうとこ本当に頑なじゃん。それでも、ちゃんと食らい付いててえらいと思うよ。たぶん、あの子にはそういうのが必要なんだ。そうやってあの子のテリトリーに入っていかないと、あの子はいつまでたってもバングルを外せない」
「……でも、なかなか家族に頼るようには頼ってもらえないし、何かと遠慮される」
「だろうね。でも、頼ってもらいたいなら努力するしかないだろ? そこで引くなよ?」
「……なんていうか、悔しくて引けない」
「それでいいんだよ」
 そう言うと、兄さんは俺の頭をくしゃくしゃと撫でた。



Update:2020/06/07



 ↓↓↓楽しんでいただけましたらポチっとお願いします↓↓↓


 ネット小説ランキング   恋愛遊牧民R+      


ネット小説の人気投票です。投票していただけると励みになります。


↓コメント書けます↓



Page Top