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迷路の出口

Side 藤宮雅 04話

 バスルームの次に連れて行かれたのは、庭園に面する一室。
 室内は明るく開放感があり、屋内からでも外に咲く花々を楽しむことができる。その部屋にいたのが歌子――「新しいお母様」であり、現在の継母だ。
「奥様、雅様をお連れいたしました」
 白いワンピースを身に纏った歌子はソファに座り、花柄が美しいティーカップを傾けていた。
 線が細く、抜けるほどに白い肌の女性はゆるり、と首をめぐらせ私に視線を固定する。
 顔立ちのはっきりとした、見目麗しい女性だった。
「貧相だけれど、器量はまあまあね……」
 歌子は感想を述べ私から視線を外すと、
「それにしても、なんて中途半端な時期に引き取ったのかしら。今からじゃ幼稚部にすら入れられない……。面倒ごとを持ち込むならば、そのあたりのことくらい考えていただきたいものだわ」
 歌子は窓の外を見たまま、
「メイド長、礼儀作法の先生は二宮先生を。お稽古ごとは――最低限でかまわないわ。書道、華道、茶道、それぞれの先生に連絡を。今から勉強させれば初等部の受験には間に合うでしょう。……もしも受験をパスできなければ、あなたの仕事はなくなるものと思いなさい」
「かしこまりました」
「今日からその子に関する一切を、メイド長に任せます。よろしくて?」
「承知いたしました」
 私と歌子の対面は以上、だ。
「新しく母になる人」という紹介もされなければ、私自身を紹介する言葉とて、先ほどメイド長なる人が口にしたのみ。
 どういう経緯でここへ連れてこられたのかも、これからどうなるのかも、何も教えてはもらえなかった。
 もっとも、私に説明できることなど何ひとつなかったのかもしれない――

 藤宮に引き取られた私は、病院でありとあらゆる検査を受けさせられた。
 結果は、目に見えてわかる栄養失調のほか、社会性と生活力、運動における発達の遅れが問題視された。
 ほか、言語や記憶力に関しては一定基準をクリアしていたものの、現況では同年代との集団生活は送れないだろうと判断された。
 メイド長と医師は難しい顔で言葉を交わしては、哀れむような目で私を見ていた。
 そしてその日から、私は日常生活に必要なことを一から学び直し、母と暮らし始めて中断していた数々の学習を再開した。
 最初の数ヶ月は数人のメイドが付っきりで面倒を見てくれた。
 慣れない生活に戸惑い熱を出すこともあったけれど、私がその生活に順応するまでにそう時間はかからなかった。
 優しく話しかけてもらえることが嬉しかったし、知らないことを学ぶ楽しさを少しずつ思い出していた。
 たとえ話している内容がわからなくても、相手が何かを伝えようとしているのは見ていればわかったし、身振りや手ぶり、直接誘導されることで求められていることを察するのは、そこまで難しいことではなかったのだ。
 さらには、求められたとおりに行動できると盛大に喜び、褒めてもらえた。それが何よりも嬉しくて、私は次々とルールを覚え、知識を身に付けていった。
 そうして一年が経つころには社会性を身に付け、同年代の子と普通に接することができるようになっていたし、五歳半ばには、同年代の子たちよりもたくさんの言葉を話せるようになっていた。
 藤宮学園初等部の受験も難なく合格。
 受験では両親同伴の面接があったわけだけど、家族が三人揃ったのはこの日が初めてのことだった。
 このころには歌子が現在の母親で、「継母」という存在であることも理解していた。でも、相応の知識を得ても、「家族」がどういうものであるのかはわからずにいた。
 物語に出てくる「家族像」や公園で会う子たちが話す「家族」には共通点があるのに、私が得た「家族」とはまったく違ったからだ。
 同じ建物で暮らしていても、共にご飯を食べることはおろか、口を利いたこともない。寝る前に本を読んでくれるのはメイドで、子守唄を歌ってくれるのもメイド。「母」という存在に、そういったことをされた経験がない。
 屋敷内で見かけても冷たく一瞥されるだけで、実の母親に向けられたそれとなんら変わることはなかったのだ。
 使用人は皆優しかったけれど、私がある程度のことを理解できるようになると、皆腫れ物に触れるような接し方に変わり、心の距離も物理的な距離も開いてしまった気がした。
 そんな中、時々訪れる父方の祖父だけは、私をかわいがり甘やかしてくれた。けれどその祖父も、私が中等部三年のときに亡くなってしまい、高等部へ上がると、私は完全なる「独り」になっていた
――

 藤宮に引き取られたことで衣食住に困ることはなかったし、何をせずとも相応の教育を受けさせてもらえる。でも、私の心が満たされることはなかったし、いつだってどうしようもない虚しさや焦燥感を感じていた。
 私は最初から何も持ってはいなかったし、何を無くしたわけでもない。けれど、心にぽっかりと穴が開いたような感覚は拭えず、それを埋めるために必死で心理学の本を読み漁っていた。
 でも、どれほど時間を費やし小難しい本を読み解いても、心が満ちる感覚は得られなかった。
 もし心を許せる友人がいたならば、少しは何かが変わっていただろうか。けれど実際は、九年間も同じ学校へ通っていたにも関わらず、私にはそれらしい存在はできなかった。
 初等部に入学したばかりのころは、相応に話せる人もいた。しかし時間が経つにつれて「藤宮の人間」という認知が進み、クラスメイトたちの対応に変化が表れた。
 下心ありきで近づいてくる人間もいれば、私が正妻の子どもでないと知って見下してくる人間がいた。結果、私は人に心を開くことができず、クラスでひとり孤立してしまったのだ。
「藤宮」から少し離れれば、何かが変わるかもしれない。
 そう思った私は藤宮の大学には進まず、違う大学を受験した。
 そうして違う環境へ身を移したものの、そこでもまともな人間関係を築くことはできず、自分の周りにある見えない壁が、何もかもを阻んでいるように思えた。
 もしかしたら、親の愛情に触れずに育った私には、「人付き合い」など土台無理な話だったのかもしれない。
 人が当然のように持っているものを私は持っていない。それが「欠陥」となって「今」があるのではないか――
 そう思い悩んでいるところへ産みの親がコンタクトを取ってきた。
「あれからどうしているのか心配だった」と――
 精神的に不安定だった私は、そんな言葉に絆され母親と会ってしまったのだ。
 それが地獄の入り口になるとも知らずに……。
 警護班の人間には「お考え直しください」と引き止められた。けれど私は、「実の母と会うだけ」と突っぱね、警護班を伴わずにひとりで約束の場所へと赴いた。
 そこは繁華街の一角。でも、警戒するには至らなかった。
 もともと母は夜の仕事をしていたし、今も変わらずそういった職業に就いていて、呼び出した場所はおそらく勤務先か何か。そんなふうに思っていた。
 薄暗い店内に足を踏み入れると、母親のほかにホストのなりをした男が五人いた。
 多少不振に思ったけれど、店の従業員だろうくらいにしか思わなかった。
 カウンターに身を預けていた母は、記憶に残る母が少し老けた程度で、一緒に暮らしていたときと変わらず派手な服装をしていた。
 全体的にはスレンダーなのに、胸だけが豊かな体型も変わらず、煌びやかで華奢なハイヒールを履いているところも変わらない。
「ふぅん……。写真で見て知ってはいたけど、ずいぶんと清楚なお嬢様に育ったじゃない? そのうえ教養もある……。申し分ないわね」
 口元に笑みを浮かべ話す様に、心配などされていなかったことを思い知る。
 私はいったい何を期待していたのか――
 だいたいにして、何かを期待できるような過去など何ひとつないというのに。
「これなら高く売れるんじゃね?」
 母の隣に立つ男は、まるで品定めをするように私へ視線をめぐらす。
「売れる」とはなんのことだろうか。
 疑問に思いつつ、ねっとりと纏わりつく視線に嫌悪感を覚えると、
「まあ、そう焦らないで? まずは子の子から引き出せばいいのよ。なんたって藤宮のお嬢様なんだから」
「でもよ、藤宮の御曹司に知れたらやばいんじゃねーの?」
 なんの話をしているのかわからず、先に続く言葉を待っていると、母はくつくつと笑い出した。
「やだ、あの男がこの子を守るとでも? そんなことあるわけないじゃない。あの男もその奥方も、この子にはこれっぽっちも興味がないんだから。それは引き取る前も引き取ったあとも変わらないわ。雅を引き取ったのだって、DNA検査を盾に教育費だなんだって私が騒ぎ立てるのが煩わしくて、私との関係を一掃したいがために引き取っただけ。現に、金輪際自分に関わるな、自分との関係を口外するなって誓約書は書かせられたけど、そこに雅は含まれてなかったわ」
 母の言葉に、鈍器で頭を殴られた気がした。
 必要以上の期待はしていなかったし、夢だって見たことはない。
 でも、小さいころからずっと、父が私を引き取った理由を知りたいと思っていたし、何かそれらしい理由を求めていた。
 けれども、そんな理由はなかったのだ。ただ、母との関係を清算したかっただけ。それ以上でもそれ以下でもなく。
 私には、なんの価値もなかった。
 そんなの、藤宮に引き取られてからの対応を思い返せばわかりそうなものなのに――
「へぇ〜……じゃ、最初はこいつから金を引き出して、金が引き出せなくなったらソープに沈めればいいな。これならいい値で売れるぜ?」
 その言葉でようやく身の危険を感じたのだから、危機察知能力が劣っていると言われても仕方がないのかもしれない。
 私が出口へ向かおうとしたときには男四人が道を阻むように立っていて、とっくに退路を塞がれていた。
 思わず一歩二歩と後ずさるも、逃げ場が生まれるわけではなかったし、そのつもりでここへ呼び出した母が助けてくれるはずもない。
 私はあっという間に男たちに囲まれ、無理やり服を脱がされては写真を撮られ、動画を録られた。
 声をあげ、必死に抵抗したところで四人の男に適うわけがない。助けを求めたところで、誰に届くでもない。
 母は数メートル離れたところから私を眺め、愉悦に満ちた表情で隣に立つ男と言葉を交わしていた。
 私は絶望を感じながら涙を零し、何度も光るフラッシュと、無機質に響くシャッター音を聞き続けた。
 私は実の母に陥れられ、辱められたのだ。
 そして、それらの画像や動画を盾に、お金をせびられ始めた。
 母からの連絡は月に数回あり、連絡を無視すると、間を置かずにあの日の画像や動画が送られてきて、「無視をするな」と言葉なく脅迫された。
 仕方なくホストクラブへ出向くと、決まって高いお酒を買わされた。支払いは、すべてクレジットカード。
 クレジットカードの使用料が増えれば両親が何かを言ってくる。気づいてもらえる。
 かわいいわが子と思われていなくても、お金が絡めば何かしら対処してもらえる。
 そう思っていた私はかなり甘かった。
 実際、クレジットカードの使用料は日に日に増していったけれど、それで両親が何かを言ってくることはなかった。
 母が言うとおり、両親は私に一ミリも関心がなかったのだ。
 月に何度かホストクラブへ通い、高いお酒を買って散財する。そんなことが一年以上続いたある日、急にクレジットカードが使えなくなった。
 どうして気づいたかと言うならば、携帯会社からの連絡で、だ。
 使用料の引き落としができなかったと連絡を受け、不思議に思ってカード会社へ問い合わせると、カードが使用不能になっていた。
 理由を聞いても教えてはもらえなかったし、ほかの信販会社にクレジットカードの申し込みをしても、すべて否決で審査は通らなかった。
 幸い、連絡を受けたその日のうちに店頭で支払いを済ませたことからスマホが使えなくなることはなかった。でも、次に母から連絡がきたらどうすればいいのか――
 どうするも何も、呼び出しには応じなくてはいけない。そこでクレジットカードが使えないと知れたら、今度こそ風俗へ連れて行かれる。
 一度風俗に連れて行かれたら、もう二度と家には帰ってこられないだろう。
 そう思ったとき、脳裏を掠めたのは父と継母の顔。けれど、すぐに頭を振る。
「たとえ私が消息を絶とうとも、あのふたりが探してくれるわけがない……」
 それは火を見るより明らかだ。
 ふたりは最初から私が存在しなかったように、何事もなく暮らしていくのだろう。
 そんな想像なら易々とできるだけに、私は薄ら笑いを浮かべた。
「私ひとりいなくなったって、何も変わらないじゃない……」
 ならば幼かったあのころに、藤宮へ引き取られるその前に、命尽きてしまえばよかったのに――


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Update:2020/12/27

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