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光のもとでU+

迷路の出口

Side 藤宮雅 05話

 スマホの着信音に怯えながら過ごしていると、なんの前触れもなく静様の秘書がやってきた。
「静様がお呼びです。ホテルまでご同行いただけますでしょうか」
 言葉だけを見れば訊ねられているようにみえるけれど、澤村さんの目は「決定事項」だと告げていて、私には最初から拒否権はなかった。
 澤村さんに連れられホテルの従業員通用口から入店すると、業務用エレベーターで四十一階へ案内された。
 静様に呼ばれたのだから、行く先には静様がいるはず。けれど会長室のある四十一階は、一族の人間とてそうそう立ち入れる場所ではない。
 以前私はそのフロアを訪れたことがあるけれど、それはルールを侵してのことだった。
「あの、澤村さんっ――」
「静様がお待ちです」
 澤村さんは会長室のドアを開けると私に入るよう促し、自分は部屋に入ることなくドアを閉じた。

 閉じたドアを見たまま、背後からの視線を感じる。
「雅嬢」
 名前を呼ぶ声は、以前聞いたものより優しく感じた。でも、こんな場所に呼ばれる覚えはまるでない。
 恐る恐る身体の向きを変えると、広い部屋の窓際に一際大きなデスクがあり、静様はそこからこちらを見ていた。
「立ち話もなんだから、ソファに座ったらどうかな?」
 私は小さく返事をし、粗相のないようソファへ移動する。
 緊張を纏いながら腰を下ろすと、私の正面に席を移した静様が「さて」と口火を切った。
 いったい何を問い詰められるのか――
 恐怖に心臓が竦み上がる。と、静様はまったく思いもしないことを話し出した。
「去年の五月十五日、何があったか話せるかい?」
 去年の五月十五日――それは実母に再会した日で、思い出したくもない出来事が起きた日。
 もともと「幸せ」とは言えない人生で、もっとも最悪を極めた日だった。
 動揺に目が泳ぐ。すると、「話せるかい?」ともう一度訊かれた。
 威圧されているわけでも詰め寄られているわけでもない。どちらかと言えば、今までにないくらい丁寧で優しく対応されている。
 それでも私は、声を発することができなかった。
 ずっと誰かに助けて欲しいと思っていた。誰かに話を聞いて欲しいと思っていた。なのに、いざそんな機会が訪れたところで、何を話すこともできない。
 あんな屈辱的なことを実の母に仕組まれただなんてそんな惨めなこと、どう話せと言うの……?
 唇に力をこめ目に滲む涙を必死で堪えていると、私に見切りを付けた静様がファイルを開いた。
 そこには父と実母のこと、私と実母の関係が詳細に渡って綴られており、藤宮へ引き取られたときのことや藤宮学園で過ごした九年間、大学へ入学してからつい最近の生活パターンまで事細かに記されていた。
 私が知りえないことまで調べ上げられていて、一枚ずつめくられていくそれに、私は目を見開き釘付けになっていた。
 静様は付箋が付いたページを開くと、
「事実ならば頷けばいい。事実と異なるならば、首を横に振りなさい」
 そう言って、「五月十五日」の事実確認を始めた。
 質問は短く、「はい」「いいえ」で答えられるものばかり。
 私は涙を零しながら、それらに答えていった。
 最後の確認を終えると白いハンカチが差し出され、
「今までつらい思いをさせたね」
 その言葉にはきちんと感情が内包されていて、ひどく心に沁みた。
「この件は責任を持って私が片付けよう。だらかもう、怯えなくていい」
 そう言われて、私は子どものように泣きじゃくった。
 泣くことに意味も価値もないと知ったのはいつだっただろう。いつから泣いていなかっただろう。今はどうしてこんなにも涙が溢れてくるのか――
 少し落ち着くと、
「スマホを出しなさい」
 不思議に思いながらバッグからスマホを取り出すと、
「笹川麗子との連絡に使っていたのはこの端末かい?」
「はい……」
「確認なんだが、やり取りは残っているかな?」
 私は首を左右に振った。
 母は私を呼び出すと、決まってバッグを取り上げ手荷物検査をした。もちろん私の洋服から何から何まで調べられた。
 スマホはすべてのデータを消され、どんなに小さいレコーダーを持ち込んでも見つかってしまい、店内での会話を録音できたためしはない。
 せめて証拠になるようなものが何かひとつでもあればよかったのに……。
 そう思っていると、
「安心していい。うちは優秀な人間が多いからね、データの復元など朝飯前だ。もっとも、データの復元くらい警察でもできる」
 その言葉に顔を上げると、
「別室に知り合いの刑事を待たせてある。私も同席するから、今の話をもう一度話せるかい?」
 今の話をもう一度――
 今度は知らない人に話すというの……?
 今だって自分が話せたわけではない。静様の問いかけに返答していただけ。なのに今度は、見知らぬ人に自分で話さなくてはいけないの……?
 不安に身体が震えだす。と、
「雅、もう一度だけがんばってくれ。警察に控訴状を出すんだ」
「控訴、状……?」
「被害届と比べたら、控訴状のほうがハードルは高い。だが起訴に持ち込めるだけの証拠は揃えてある。必ず受理させる」
 そこまで言われても、不安は拭えない。すると、
「雅、安心していい。これから先、雅が安心して暮らせるようにすると約束しよう。私はどんな手を使ってでも、彼らを刑務所送りにする」
 私はその言葉と強い眼差しを信じ、静様に付き添われてホテルの別室へ向かった。

 その日から、私は身の安全を確保するために自宅へ引きこもることになった。
 体面上、それまでの素行に対する罰として軟禁生活を言い渡されたことになっていたけれど、すべては私の身を護るための処置だった。
 それだけではなく、以来静様は時間の合間を縫っては訪ねてくるようになり、短時間であれど、他愛もない話をしては帰っていくということを繰り返した。
 始めのころは普通に話すことすら難しく、ひどく対応に困る時間だった。けれど、三ヶ月が経つころにはリラックスして話せるようになっていた。
 それでも対人恐怖症の気は治まることがなく、静様の勧めで専門機関にてカウンセリングを受けるようになった。しかし結果は思わしくなく、最後の切り札に静様が提案したのが海外での生活だったのだ。
「雅は今後どうしたい?」
 今後――
「初等部からの夢は心理カウンセラー。雅の経歴をもってすれば難しいことではないだろう。しかし、今はその時ではない。今は雅が心身共に健やかになることが最優先だ。わかるね?」
 私は小さく頷いた。
 現況、人と接することは難しいし、心理的に不安定な患者と接すれば、私はそちら側に引っ張られてしまうだろう。何より、こんな状態ではカウンセリングをする側には回れない。患者に対して責任が持てない。
「海外の大学で、研究の続きをしてみたらどうだろう?」
「海外の、大学……?」
「雅が学生時代にお世話になった養護教諭の星野あかりさんを覚えているかい?」
 忘れるわけがない。私の人生で、一番親身になって話を聞いてくれる、耳を傾けてくれる人だった。そんな人を、忘れられるわけがない――
「彼女は今、夫と息子の三人で、ニューヨークに暮らしている。しばらく彼女のもとで過ごしてみてはどうだろう?」
「っ……そんな、あかり先生にご迷惑はかけられませんっ」
 静様は穏やかに笑みを浮かべて話し出す。
「彼女は迷惑だなんて言わなかったよ。むしろ、ずっと気にしていたようだ。すぐにでも雅を受け入れたいと言ってくれている」
 私はただただ驚いていた。
 あかり先生が自己都合で退職されてからすでに何年もの月日が経っている。それなのに、一生徒である私のことを覚えていてくれたことが意外だったし、気にかけてくださっていたうえに、今すぐにでも受け入れてくれるという事実が信じられなくて、それ以上にどうしようもなくありがたくて涙が滲み出す。
「もちろん、星野さんには相応の謝礼は用意する。そのあたりのことを雅が気にする必要はないし、今は何も考えず、彼女たちの好意に甘えればいい」
 そこまでの後押しをいただいて、私はコクリと頷くことができた。
 当初は大学へ通い、かつてしていた研究を進める予定だった。そのつもりで準備していたところへ静様が、秋斗さんを連れ立ってやってきた。
「雅の海外行きを話したら、秋斗が雅に会いたいと言い出してね。少し話を聞いてやってくれないか?」
 日本を発つ前に、秋斗さんと翠葉さんには謝罪をしたいと思っていた。けれど、こんなにも早くその機会が訪れるとは思っておらず、私はひどく戸惑った。
 しかし、戸惑おうが何しようが次々期総帥と言われている秋斗さんを追い返すという選択肢はない。
 静様はいつものように私の私室を訪ねてきたけれど、秋斗さんは今ごろ応接室へ通されているはず。
 私は観念して応接室へ向かうことにした。
 応接室へ入るなり深々と腰を折る。と、なんの前触れもなく、秋斗さんは英語で話し始めた。さらには内容が変わるたびに言語も変わる。
 イタリア語、フランス語、ドイツ語、それはどれも私が学んできた言語だった。
「普段話す機会がない割に、会話に問題はなさそうだね。加えて、株や数字に疎いという情報もあったけど、それもフェイクだ。今少し話しただけだけど、数字に疎ければ返答すらできなかったはず」
 それらの分析に驚き目を瞬かせていると、
「現況、異性がいる現場で仕事ができるような精神状態にないことは聞いている。でも、大学も未来の就職先も、異性がいない場所を探すのは至難の業だよ。それならうちへ来ない?」
 一瞬、言われていることがよく理解できなかった。
 少し遅れて意味を解しても、心からの納得には程遠い。
 秋斗さんには数え切れないほど迷惑をかけてきたし、その最たるものとして、翠葉さんとの仲を引き裂いてしまった過去がある。それでどうしてこんな擁護するような提案をしてもらえるのか――
 もしかして、慰謝料代わりに労働力を提供しろと言われているのだろうか。むしろそのほうが納得できるけど、今の私など、重荷になりこそすれ戦力にはなり得ない。企業にとって、価値などないに等しい。
 情けなさに俯くと、
「雅、カウンセリングも結構だけど、対人におけるトラウマは、対人でしか克服できないよ」
「っ……!?」
「安心していい。いきなり大多数の中には放りこまないから。まずは俺の腹心の部下三人――蔵元は堅物だけど誠実な人間だし、異性に対しては紳士的な対応をする。もうひとりは若槻と言えばわかるかな? 彼は厄介なトラウマを実際に克服した人間でもある。最後のひとりは翠葉ちゃんの実兄。蒼樹はうちの社の人間ってわけじゃないんだけど、俺たち三人の補佐をお願いしている。性格はいたって穏やか。精神的に安定した人間で、相手の年齢問わず面倒見がいい」
 なんとなく、秋斗さんは私に何があったのかを知っている気がした。けれども、あの過去を複数の人に知られるのは抵抗がある。
 固唾を飲み返答に詰まっていると、
「三人に詳しく話すつもりはない。それでも、この三人は雅のリハビリに付き合ってくれる。そういう人間たちだ」
「……少し、考える時間をいただいてもよろしいでしょうか」
 そう答えるのが精一杯だった。すると、
「もちろん考えてもらってかまわない。ただ、俺は雅に貸しがあると思うんだよね」
 秋斗さんはにっこりと笑ってこう言った。
「俺と翠葉ちゃんの仲を引き裂いた件を忘れたとは言わせないよ? 俺、結構根に持つタイプだから」
 そう言うと軽やかに立ち上がり、手をヒラヒラと振って応接室を出て行った。
 その後、「考える時間」と称した期間に何度秋斗さんから連絡があったことか――
 実際に屋敷へ通ってくるのは周りの目があるから、と何度となく電話やメールが送られてきた。
 最初こそ、内情を知ってしまった人間に働く心理――「同情」かと思いもした。けれど、しだいに違うことがわかってくる。
 秋斗さんは仕事に関する相談を持ちかけてきたのだ。
「こういう状況なら雅はどう対応するか」――といった内容をいくつもいくつも。
 こんなふうに真正面から向き合ってくれる人が、今まで何人いただろう。
 悲しいことに、片手で足りてしまうのが実状だ。
 そう考えたら無碍になどできようはずもなく、私は私に考え得る対応策を記して返信した。すると数日後に電話が鳴り、「商談がうまくまとまった」との報告。そんなことが何度か続くと、
「雅、雅はきちんとうちの社で機能できるよ。いくらでも貢献してもらえる。雅が今、どうしても心理学の勉強をしたいのなら、その邪魔をするつもりはない。でも雅、雅は現況でも仕事ができるし、俺は戦力に欲しいと思っている」
 秋斗さんはそう言って通話を切ったのだ。
 結果、私は大学への入学を取りやめ、Fメディカルへの入社を決めた――


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Update:2020/12/28

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