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光のもとでU+

迷路の出口

Side 藤宮雅 06話

「私は今、ニューヨークでFメディカルの海外支部長をしています」
 そう――あれから秋斗さんのもとで会社のことや製品のこと、その他諸々を学ばせてもらい、私は海外支部を取り纏める役職に就いた。
「そのとおりだ。君は立派に社会へ貢献しているし、何もできない無力な女の子ではない」
 その言葉にゆっくりと目を開ける。
 照明を抑えた部屋に見知った顔を見つけると、
「退行催眠をしても、取り乱すことが少なくなったね」
 ドクターの言葉に小さく頷く。
「そうですね、最初のころに比べたら……。でも、あの日の出来事を思い出すと、未だに身体が震えるし、涙が止まらなくなります」
 不安から、自分の両腕で身体を抱きしめる。と、優しい声が降ってきた。
「世の中には女性に対し、ひどいことをする男もいる。だが、そんな人間ばかりではない。ミヤビを心から愛し、慈しんでくれる男はきっといる」
 ドクターはいつだってそう言ってくれる。けれど、私のような人間を好きになってくれる人が本当にいるのかしら……。世界中、どこを探しても、そんな人はいないように思える。
 返答に困っていると、
「僕の言うことが信じられないかい?」
「そういうわけでは……。でも私は、親にすら愛されなかった人間です。この先誰にも愛されないんじゃないかと思ってしまうし、親の愛情を知らずに育った私には、何か欠陥があるのではないかと思ってしまいます」
「親の愛情は、何にも変えがたい貴重なギフトだ。けどね、世界には親の愛を知らない子どもはたくさんいるし、だからといって彼らに欠陥があるわけではない。それに、ミヤビはアカリの愛を知っているだろう? アカリの夫、デイヴィットにも愛されている。ふたりの子どものスティーブにだって好かれているじゃないか。それに、ランディとサラも。愛情は、親から与えられるものだけではないよ」
「はい……」
 先生が言うことは理解できる。でも、頭で理解できても心が伴わない。
 視線がカーペットへ落ちると、
「ミヤビ、僕の目を見て?」
 私はリクライニングチェアから身体を起こし、ドクターの青い目をじっと見つめる。と、
「君は幸せになる。過去を受け入れ今を見つめることのできる人間は、未来を切り開ける人間だ。君は必ず幸せになるよ」
 これはいつもドクターがカウンセリングの最後に口にする言葉だ。
 断定口調で話されるそれは、波打つ私の心を何度となく鎮めてきた。
 今日も同じ。波が穏やかになり、引いていくのを感じる。
 大丈夫、私は大丈夫――
 心の中でそう唱えると新しい酸素を身体に入れるべく、私は深く息を吸い込んだ。

「それはそうと、ミヤビが日本へ帰国するのは来週だったかな?」
「そうです。社員旅行という名目ではあるのですが、同僚のほかに会える人たちもいて、久しぶりに楽しみな予定なんです」
「なんと言ったかな? ミヤビが友達になったという女の子。ス――スイ……スウィーティー? あれ? なんか違うな……」
 首を傾げて顎に指を添え、真面目に悩んでいるドクターがおかしくて、私はクスクス笑いながら翠葉さんの名前を口にした。すると、
「そう、スイハ! 彼女にも会えるのかな?」
「そうなんです! 翠葉さん、三月にご婚約されたんですけど、まだお祝いの言葉をメールでしか伝えられていないので、会えるのが楽しみで……」
「おうっ! それはめでたいっ! ……ということは、アキトにもう望みはないのかな?」
「……どうでしょう」
 翠葉さんが婚約したくらいで諦めるような人ではないけれど……。
「秋斗さんのことを考えると、少し胸が痛いですね」
「どうしてだい?」
「翠葉さん、秋斗さんとお付き合いしてらした時期があって、私、そのときにひどい言葉を彼女へ浴びせてしまったんです」
 今思い出してもひどいことをしたと思う。
「それはどうして?」
「……私が秋斗さんと、結婚したかったから――」
「……ミヤビ、君はアキトのことが好きだったのかい?」
「いいえ……」
 そこに恋愛感情があったなら、まだ良かった。でも、あれは違う。自分と似た境遇の人を見つけ、自分に都合よく権力を行使できる人間を欲していただけ。
「秋斗さんは、私とは違う理由から育児放棄をされていたそうなんです。だから、親の愛情を受けることができなかった者同士、理解し合える部分があると思っていました。それから――藤宮の権力を行使できる人が伴侶となったなら、実母とのこともどうにかしてもらえると……そう思っていたんです」
 もう、あの人たちに関わって生きていくのは耐えられなかった……。だから、すべて清算できる権力のある人を、味方に得たかっただけ。
 育った環境や親の愛情を受けられなかったという共通点があるだけでは、その人のことをすべて理解できるわけではないし、そんな共通点があるだけでは愛情が芽生えるとは思えない。そのうえ、愛情も何ももたない相手の面倒ごとを片付けてくれる保証など、どこにもなかったのに……。
 冷静になって考えればわかるようなことも、あのときの私にはわからず、私は佐々木専務の甘言に乗ってしまった。
 その結果、翠葉さんに取り返しのつかない傷を負わせ、秋斗さんと翠葉さんの仲を引き裂いてしまった。
「ふむ……。でも今は、アキトの会社で仕事をしているし、スイハとも親しくしているだろう? 和解したのかな?」
「……秋斗さんは、私の置かれていた状況を知ることで理解を示してくださいました。その後はドクターもご存知のとおり、自分が起こした会社へ起用してくださったうえ、現在進行形で肌理細やかなフォローをしてくださっています。翠葉さんは……本当に心根の優しい方で、謝罪をしたら受け入れてくださいました」
 でも、それで私が犯したことが消えてなくなるわけではない。
 私はなんて言葉を十代の彼女に突きつけてしまったのか――
「子どもを産める身体でなければ」――この言葉は彼女の心に深く根差したことだろう。
 どれほど謝罪を重ねても、その傷が癒えることはない。
 そういう言葉を、私は彼女に投げつけた。
 翠葉さんの未来から、「結婚」という選択肢を奪いかねない傷を付けた。
 どうしたら償えるのか、とずっと考え続けているけれど、答えという答えは見つからず、そんなときに翠葉さんと司さんが婚約したという一報が届いた。
 情けないことに、私はその知らせを聞いて、祝福するより先に安堵した。
 翠葉さんが婚約したからといって、私のした罪がなくなるわけではないのに、私は心の底からほっとしたのだ。
 決して罪はなくなりはしないのに――
「次の治療では、そのあたりの話を聞かせてもらおうか」
 ドクターの言葉に、私はコクリと頷いた。
「ミヤビ、大丈夫だ。今までしてきたように、少しずつ紐解いていけばいい。何よりアキトとスイハとは、すでに和解しているのだから」
 私はもう一度頷いたけれど、そんな言葉に救われてはいけない、と自分を戒めることしかできなかった。



「お客様、お客様……」
 肩を優しく叩かれ目を開けると、髪の毛をきっちりとまとめ、首元にスカーフを巻いたキャビンアテンダンドが心配そうな面持ちで私を見ていた。そして、差し出されたのはしっかりとプレスされたハンカチ。
「え……?」
「涙が……」
 言われて、自分が泣いていることに気づく。それも結構盛大に……。
「あ、すみません……。ありがとうございます」
 差し出されたハンカチを受け取ろうと手を伸ばすと、その手が震えていた。
「お加減が悪いなどございますか?」
「……いえ。少し夢見が悪かっただけですので、大丈夫です。心配してくれてありがとう」
 無理に笑みを添えると、
「何かお飲み物をお持ちいたしましょうか?」
「……アイスティーを、お願いできるかしら?」
「かしこまりました。すぐにお待ちいたします」
 キャビンアテンダンドは音もなく立ち上がり、席をあとにした。
 旅行前にカウンセリングを受けたからだろうか。いやな夢を見た。ものすごくいやな夢を――
 まるで退行催眠でもしているように、あの日の出来事を夢に見てしまった。
 詳細な視覚情報に加え、肌を這う気持ち悪い感触、耳につくシャッター音が今も耳の奥でこだましている。
 雅、落ち着いて。これは夢。あくまで夢だから――
 怖がらなくていい。あんなことはもう起こらない。二度と――二度と起こらない。
 そう思うことで自分を落ち着けようとしたけれど、不意に見てしまった夢に、私は動揺を隠せずにいた。
 少しでも力を抜こうものなら、身体が震えだしてしまう。
 大丈夫、大丈夫だから――
 もうあんな恐ろしいことは起こらない。静さんがすべて処理してくれた。あの日あの場にいた人間は、刑務所の中だ。
 何も恐れることはない――
 私はこれから翠葉さんたちに会いに行くのだ。
 きっと、この夏一番の思い出になる。
 今の私はひとりじゃないし、頼れる人もいれば、他愛のない話をできる相手や同僚もいる。私は、ひとりじゃない――
「大丈夫……」
 小さく口にしたあとも、私は何度も心の中で同じ言葉を唱え続けた。

 飛行機を降りて、私はまっすぐレストルームへ向かった。
 涙のあとを悟られぬよう、しっかりとメイクを直して到着ロビーへ向かう。
 秋斗さんは「行けばわかる」と言っていたけれど、
「誰が迎えに来てくれるのかしら……?」
 いつもなら、警護班の人間が迎えに来てくれる。でも今日は、違うからこそ秋斗さんからメールが届いていたのだろう。
 首を傾げながらゲートを抜けると一際背の高い人が目に飛び込んできて、驚きのあまり、私は二度見した。
 でも何度見直しても、こちらを見ているその顔が変わることはない。
 なんで、蔵元さんがっ!?
 そんなの決まってる。秋斗さんの鶴の一声で決まったに違いない。
 秋斗さんっ、社長に送迎させるとかどんな神経してるんですかっ!?
 文句を言いたい気持ちと、びっくりしすぎた心臓を労わることもできずに歩いていると、眉間に皺を寄せた蔵元さんがやってきた。
「雅さん、顔色が優れませんが……?」
「え? 顔色……?」
 思いがけない言葉に虚をつかれた。
 顔色、顔色、顔色――あ……。
 よくよく思い返してみれば、涙のあとを隠すことに躍起になった結果、仕上げのチークを入れ忘れていた。
「雅さん、本当に具合が悪いわけではないのですか?」
 頬に手を添えられ、びっくりして身を引く。
「あ――あの、夢見が悪くて……」
 まるで小さな子どもみたいな言い分に、恥ずかしくなる。と、
「夢、ですか?」
 蔵元さんはきょとんとした顔をしていた。
「はい……夢、です」
 蔵元さんは何を考えているのか、じっと私を見下ろしていた。
 何か補足説明を求められているのだろうか。
 私は反射的に口を開け、
「昔の夢を見たあとは、いつもこんな感じなので……大丈夫、です」
「……本当に?」
 こんなに心配されるほど、顔色が悪いのだろうか。
 私は笑みを沿え、ごまかすように「大丈夫です」と答えた。
 これでこの話題は終わり――そう思っていたけれど、蔵元さんは終わりにしてくれなかった。
「私でよろしければ、お話聞きますよ?」
 予想だにしない申し出に、私は言葉に詰まってしまう。
 こういう夢を見たとき、ドクターやあかり先生と話すと気分が落ち着くのは経験上知っている。でも、見た夢の内容が内容すぎて、蔵元さんに話せる気はしない。
 話せる気がしない、というよりは、話したくない。知られたくない――
 多少不自然でも、ほかの話題を振らせていただこう。そう思って顔を上げると、未だ心配そうな顔で私を見る目に捕まった。
 これはどうあってもかわせそうにない。
 私はひとつため息をつき、観念することにした。
「それでは少し、幼少期の話をしてもよろしいでしょうか……」
「かまいません。緑山までは、ここから二時間はかかりますからね。ゆっくり行きましょう」
 蔵元さんは私のスーツケースを手に取ると、駐車場へと向かって歩き出した。


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光のもとでU+ 迷路の出口

Update:2020/12/29

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