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迷路の出口

Side 藤宮雅 08話

「皆様、外はお暑いでしょう? そろそろお昼ですので、中へ入られてください」
 稲荷さんに声をかけられ陽だまり荘へ入ると、二階のダイニングテーブルにはたくさんの料理が並んでいた。
 きっと、先ほどからキッチンで料理をしていた奥さんが作ったものだろう。
 立派な一枚板のダイニングテーブルを八人で囲み、歓談しながら用意された料理をいただく。
 ニューヨーク支社の人たちともランチミーティングをしたり、月に一度はディナーへ出掛けるけれど、仕事上の付き合いゆえに、ここまで砕けた雰囲気にはなり得ない。
 何より、友人であったり同僚である人たちと食べるご飯はとてもおいしい。調理された食材に、きちんと味を感じられる。
 マンションで暮らしていたころは、ベビーシッターがご飯の用意をしてくれて、その人たちに「このオレンジ色はにんじんさんだよ。甘い? おいしい?」などと声をかけられながら食べていた。あのころは食べ物に味があったのに、母と暮らすようになってから、口にするものから一切の味がなくなった。
 味がしないものに執着はなかったけれど、お腹だけはきちんと空き、どうしようもない飢餓感に、何か口にできるものはないかと必死で家中のものを漁った。
 あれはもう、「生存本能」でしかなかったと思う。
 藤宮に引き取られ、決まった時間にご飯が食べられるようになっても、しばらくは味を感じられずにいた。
 どんなに高級な食材を使い、一流のシェフに調理された料理であっても、私が「おいしい」と感じることはなかったのだ。それどころか、大きなダイニングテーブルにひとり分の食事だけが並ぶ光景は、いっそう「孤独」を感じさせ、味気なさを助長した。
 以来、広いダイニングや大きなダイニングテーブルが苦手なのだけど――
 目の前に広がる光景を見回して笑みが零れる。
 あかり先生のご家族と囲む食卓にもぬくもりや幸せを感じられたけれど、翠葉さんや秋斗さんたちと囲む食卓は、それとはまた違う喜びを感じる。
 けれど「友人や仲間と囲む食卓」は、日本へ帰ってこないと実現しない。
 新天地で新規開拓ができるほど人間不信が改善したわけではないし、会社では支部長としての体面を保つため、今ほど気を緩めることはできないのだ。
 時々、海外支部を視察に来る蔵元さんに、「もう少し肩の力を抜いて大丈夫ですよ」と言われるけれど、未だその加減がわからずにいる。
 職場の人間関係に悪影響を及ぼすほどではないにしても、私がもう少しうまく立ちまわれていたら、オフィスは今以上に働きやすくなるのではないか……。
 そう常々思う程度には――
「雅?」
「……え?」
 顔を上げると、秋斗さんが心配そうな顔で私を見ていた。
「どうかした? もしかして疲れてる?」
「……どう、して?」
「手と口が止まってる」
「あっ――えぇと、疲れているわけではなくて……」
「ではなくて?」
 合いの手のように問い返され、私は観念して考えていたことを話すことにした。
「どうしたら肩の力が抜けるのかと思って――」
「それ、今? 今も肩に力入ってるの?」
 唯くんはかわいらしく首を傾げて訊いてきた。
「いえ、今ではなく会社で……」
「雅、今は休暇中。仕事のことは考えない! 食事中は料理と会話を楽しむ。OK?」
 秋斗さんににっこりと笑いかけられ、私は素直に「はい」と答えた。
「午後は川に行かない? 泳いだり飛び込めるポイントもあるし、釣りもできる」
 秋斗さんの提案に、ところどころから賛成の声があがる。すると翠葉さんが、
「桃華さんはどうするの?」
「蒼樹さんが行くなら行くわっ! それに、川で遊べるって聞いて、水着も持ってきているの。翠葉と雅さんは?」
 突如話を振られて戸惑う。
 唯くんに言われて水着は持ってきている。でも――
「私も水着は一応持ってきているのだけど、男性方の前で肌を晒すのはちょっと――」
 最後に水着を着たのは高校三年生の夏。それも、学校の体育の授業でのこと。それ以来、水着ほど軽装な格好はしたことがない。もっと言うなら、辱められて以来、肌を露出する服を着られなくなってしまった。
 今回も用意しろと言われたから用意しただけで、人前で着られるかどうかは別なのだ。
 その場に合わせて愛想笑いを浮かべていると、
「男性は男性でも、ここには紳士しかいませんからご安心を。それに雅さんも、この山が藤宮の持ち物であることはご存知でしょう? そこらのプライベートビーチよりも安全ですよ」
 蔵元さんからもっともな指摘が入る。
 それはそうと、
「蔵元さんはどうなさるんですか?」
 秋斗さんの提案には渋い顔をしていらしたと思うのだけど……。
「そうですね……。秋斗様が羽目を外さないよう監視は必要でしょうから川へは行きますが、読みたい本を持ってきたので、川岸で本でも読んで過ごしましょうか……」
「それでしたら、ご一緒させてくださいっ! ちょうど支社のデータに目を通した――」
「みーやーび、仕事は禁止。読書ならいいけど、仕事するんだったらそのタブレットは没収するよ?」
 今すぐにでも、「よこしなさい」と言わんばかりにタブレットを要求される。
「秋斗さんの意地悪……」
 どうせ私は仕事人間だし、仕事以外にこれといった趣味もないつまらない人間だ。そんな人間から仕事を取り上げようものなら、中身のない人間であることが早々にばれてしまうではないか。どうしてそんなひどいことをするのか――
 そんな思いで秋斗さんをじっと見ていると、
「タブレットで読書なら取り上げない」
 秋斗さんは口角を上げてニッと笑った。
「本なら別に持ってきてますっ。なので、蔵元さんと一緒に読書して過ごしますわ」
 私はぷいっと顔を背けた。
 少し子どもっぽい対応をしてしまった気がする。でも、こんなふうに言い合える人だって、私にはここにいる人たちしかいないのだ。だからつい、甘えてしまう……。
「翠葉は? 翠葉はどうするの?」
 桃華さんが不安そうな面持ちで翠葉さんに訊ねると、
「私? 私は――」
 翠葉さんは困った顔で司さんを振り仰ぐ。
 その視線を受けて、司さんが口を開いた。
「俺たちは納涼床へ行く約束をしている」
「あら、そんな風流なものがあるのですかっ?」
 思わず食いついてしまったのは私。
 納涼床なんて、テレビでしか見たことがない。
 藤倉では、毎年八月末に大きな花火大会がある。その中継をテレビで見るのが毎年のことだったけれど、テレビ越しに見るそれは風流で、雅なものに思えた。
 花火大会のスポンサーには藤宮グループも名を連ねているから、当日は特別席の枠だってあるだろう。けれども、私がそういった場所に招かれることはない。
 もっと言うなら、私は藤宮が催すパーティーや、藤宮が招待されるパーティーにだって呼ばれることはないのだ。
 私に出席が許されているのは、会長が開く園遊会「藤の会」と会長の誕生パーティーくらいなもの。
 私は四歳という中途半端なタイミングで藤宮に引き取られたため、父が外に作った子どもであることは一族内外に周知されていて、人一倍人目や評判を気にする両親は、私を表舞台へは出したがらなかった。
 それでも、「本家筋の人間」として私を利用するために近づいてくる人間は相応にいたし、その人たちから守ってくれる大人はひとりもいなかった。私は痛い思いをして学ばなければならなかったけれど、ある程度の年になると、人と少し話せば下心があって近づいてきているのかそうでないのかがわかるようになっていた。
 生活環境は格段に改善された。でも、藤宮に引き取られても、私の居場所はどこにもなかったのだ。
 別にちやほやされたかったわけではないし、表舞台に憧れていたわけでもない。
 ただ、自分という存在を認めて欲しかっただけ――
 でも、周知されるのは「婚外子」という事実だけで、勉強をがんばっても何をしても、私自身を認めてもらえることはなかった。
 ただ、ひとりだけでよかった。ひとりだけでも、私の存在を認めてくれる人がいたならば、こんなに苦しむことはなかったのに……。
 暗い気持ちに囚われそうになったとき、翠葉さんの嬉しそうな声が現実へと引き戻してくれた。
 ……翠葉さんはまるで天使みたいね。
 鈴を転がしたような声が耳に心地いいし、邪気のない笑顔を向けられるだけで心が洗われる気がするから不思議だ。
 秋斗さんが翠葉さんに惹かれたのも、今ならわかる。
 そんな思いで翠葉さんを見ていると、翠葉さんの隣に座る司さんから鋭い視線が飛んできた。
 すなわち、「邪魔はするな」という視線だろう。
 そんな牽制などしなくても、お邪魔などいたしません……。
 その意向を伝えるため、
「それならおふたりでどうぞごゆっくり。私は明日の午前に行くことにします」
 にこりと笑みを添えると、司さんはふいっと顔を背けた。
「え? あれ? じゃ、女子で水着になるのは私だけっ!?」
 桃華さんが慌て始めると、蒼樹さんが「落ち着いて」と言わんばかりに口を開く。
「桃華、ショートパンツとかは持ってきてないの?」
「っ、持ってきてます!」
「なら、水着はやめて、足だけ川に入れる服装に着替えればいい。そしたら一緒に釣りもできるし、ちょっとした川遊びもできるだろ?」
 蒼樹さんの提案に、桃華さんは嬉しそうに「そうします!」と答えた。
 そのやり取りを見て、「いいな……」と思う。
 恋をしたら、こんなにもキラキラと輝く笑顔を手に入れられるのだろうか。
 それは翠葉さんも同じで、司さんの隣で幸せそうに笑っている。
 それはただ、「恋をしているから」なのではなく、「好きな人に想われているから」こその煌きなのかもしれない。
 その内から滲み出る輝きは、メイクでは到底補えるものではない。
 私もいつか、ふたりのように笑える日が来るだろうか。そもそも、私なんかを好きになってくれる人が現れるのかが疑問だ。
 ドクターやあかり先生は「現れる」と断定口調で言ってくれるけれど、そんな人は世界中を探してもいないような気がする。
 純粋に憧れていられるうちはいい。それが羨望となり嫉妬へ変化すると、醜い自分と対峙しなくてはいけなくなる。
 ならば、意識して注視しないようにしなければ……。
 こう考えてしまうならば、こう考えるようにすればいい――心理学を学んできた人間として、有効な解決策を講じることは決して難しいことではないのに、己に活用できないことが歯痒くて仕方ない。
 でも、今回の旅行は楽しむために来たのだ。決して人を羨むために来たわけでも、人と自分が違うことを目の当たりにするために来たわけでもない。
 楽しまなければ……。楽しまなければ――

 みんなが昼食を食べ終えても、翠葉さんはまだ半分ほどの分量を残し苦戦していた。
 どうやら、普段は半人前食べるのがやっとらしい。しかし、今回の昼食で用意されたのは一人前。
 さすがにいつもの倍量を食べるのは無理なのでは……。
 隣に座る司さんは心配そうに、「無理はしなくていい」と何度も声をかけていたけれど、翠葉さんはその言葉を受け入れることはなかった。
 そうして最後の一口を飲み下したとき、どこに隠していたのか、唯くんと蒼樹さん、秋斗さんの三人がパーティークラッカーを鳴らした。
「一人前完食おめでとーっっっ!」
 唯くんの言葉に、そこかしこから拍手が聞こえ、私も慌てて手を打つ。
 翠葉さんは恥ずかしそうに両手で顔を隠し、
「もぅ……みんな食べ終わったら先に遊びに行ってくれてよかったのにぃ……」
 いじける翠葉さんに、
「ご飯はみんなで食べたほうがおいしいものよ?」
 そっと言葉を添えると、翠葉さんはひどく情けない顔でこちらを見た。
「そうそう。それに、これだけの人間に見張られるなり応援されていたら、残そうにも残せないだろ?」
 クスクスと笑いながら話す蒼樹さんを、翠葉さんは実に恨めしそうな顔で見ていた。
 翠葉さんはよほどつらかったのか、病院から出されている薬のほかに、市販されている胃腸薬まで飲む始末。
 そんな翠葉さんを見た司さんが、
「あとで稲荷さんに、翠の分は分量少なめにってお願いしておく」
 あの、人に関心を示さないことで有名だった司さんが、ここまで気を遣う相手が翠葉さんなのね……。
 翠葉さんはその優しさに身を委ねるように対応する。
 ……あぁ、いいな……。
 あんなふうに気負うことなく寄りかかれる人がいたら、どれほど幸せだろう……。
 ないものねだりはしないように。人を羨まないように、とどれだけ思っていても、翠葉さんや桃華さんを見ていると、どうしてもそんな気持ちが湧き上がってくる。
 そういえば、秋斗さんは……?
 こんなに仲睦まじいふたりを身近に見ていて、つらくはないのだろうか。
 思い出すのは年末の忘年会。
 翠葉さんを想うことが切なくてやるせない、と苦しそうに顔を歪めていた。
 そっと秋斗さんの様子を窺い見ると、そこには実に穏やかな表情でふたりを見つめる姿があった。
 一目見てわかる。何か心情に変化があったのだろう、と。
 そう思えるほどに穏やかに、見守るようにふたりを見つめていた。


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Update:2020/12/31

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