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迷路の出口

Side 藤宮雅 10話

「そういう雅さんは? 雅さんに憧れている男性社員は少なくないでしょう?」
 私に憧れている男性社員……? 少し考えても思い当たる顔などひとつも浮かばない。
「食事に誘われたりしませんか?」
 あぁ、食事……。そう言われてみると、食事に誘われることは相応にある。でも――
「欧米は日本よりもそういう風習が色濃いだけで、そこに特別な感情はないと思います」
「それはまた手厳しい……」
「だって、考えてもみてください。私なんて、『藤宮』の後ろ盾がなければただの小娘ですよ? それこそ、『目の上のたんこぶ』『生意気な小娘』と思われるのが妥当では?」
「またまたご謙遜を……」
 蔵元さんは苦笑を浮かべるけれど、謙遜などではない。普通に考えたら、自分より年下で、自分よりも社会経験の乏しい人間に上に立たれることほど納得のいかないことはないと思う。
 その旨を話そうとしたら、
「つまり、雅さんも『お独り』ということでしょうか」
 話を元に戻され、喉元まで出かけていた言葉を呑み込んだ。
「はい……。私に恋愛なんてできるのか――それすらわかりません」
 人に憧れる、羨望するといった感情はいやというほど知っているけれど、「好き」や「慕う」という感情は難しい。
 たとえば翠葉さんをとって見ても、「好き」よりは「憧れ」に近いものがあるし、そもそも翠葉さんは同性だ。
 今まで異性に対して「恋慕う」といった感情を持ったことがないだけに、今後そんな感情を抱くことができるのかすら謎だ。
 第一に、私の恋愛対象は男性なのだろうか……。そこからしてわからない。
 例の一件以来、男性不信に陥ってしまった私は大学院へすら通えなくなってしまった。それを加味するならば、対象が女性であってもおかしくはない。
 普段共に行動することが多いのは会社の秘書だけど、彼女に対してドキドキしたことはない。
 もし恋愛対象が男性なら、この先そう簡単に好きな人はできない気がする。
 未だ大多数の男性が苦手なのだ。そんな状況で好きな人ができるとは考えにくい。
 思い返せば、ニューヨーク支部を立ち上げるときにも秋斗さんたちにはたくさんの迷惑をかけた。
 社員は基本、秋斗さんの人脈を駆使して集められた人たちだったため、身元は確かだったし、素行にひどく問題がある人間もいなかった。
 そうとわかっていても、私は男性に囲まれることに恐怖感を覚えていたし、まったく知らない人と仕事をするのには無理に等しかった。
 そのため、私付きの秘書は女性一択だったし、オフィスのつくりも相応に考慮してもらった。私が極力男性とふたりきりにならないための配慮を。
 秋斗さんはできる限りの対策を練ってくれたし、十分すぎる配慮をしてくれたけれど、私に対するスタンスは一貫していたように思う。
 私が立ち止まり動けなくなるたびに、
 ――「どんなトラウマを抱えていようとも、自立するためには仕事が必要だし、仕事をする以上は人と関わらざるを得ない」。
 秋斗さんは淡々と言って聞かせた。とても厳しい言葉だけれど、そのとおりだと思った。
 当面は静さんが支援してくれるとはいえ、それだって永遠ではないし、そんなに長い間甘えてはいられない。
 家族を頼ることができなのなら、自立するほかないのだ。
 擁護してくれる人が現れて一気に崩れ落ちた私に、秋斗さんは立ち上がる機会をくれた。
 時にそれは苦しくも険しい道だったけれど、秋斗さんはいつだってサポートを万全にしてくれていた。
 海外支部を立ち上げてからしばらくは、蔵元さんをニューヨークに滞在させてくれたし、秋斗さんが決めたルールに則って行動すれば、男性社員とふたりきりになることはなかった。でも常時不安はあって、そんなとき、ドクタージョージに指摘されたのだ。真面目にカウンセリングを受けるつもりはないのか、と。
 今思えば、早々に指摘されて良かったのだと思う。
 あのとき腹を割って話すことができたからこそ、今私はニューヨーク支部で「レディー・パーフェクト」などと言われるほどに働けているのだ。
 ドクターは治療方針を決めたあと、「今、仕事や生活で困っていることはないか」と訊ねてくれた。
 正直に、会社や商談先で男性と会うことに恐怖を感じていることを伝えると、ドクターはすぐに暗示療法を用いてくれた。
 効果は覿面だった。
 暗示をかけられた翌日には、自分から男性社員に声をかけられるようになっていたし、商談先で不安に駆られることもなくなった。
 蔵元さんは、それらを見届けてから帰国したのだ。
 一年経った今では社員とも相応の信頼関係を築けており、うちの社の人間であれば、暗示を用いなくても普通に接することができると思う。でも、人の心はとても不安定で脆い――
 大丈夫だったものが、不意にだめになることがある。だから今も、ドクターには定期的に暗示をかけてもらっている。
 でも、今ここにいる人たちは大丈夫。
 秋斗さんはともかくとして、蔵元さんや唯くん、蒼樹さんは理由を聞くことなく私のリハビリに付き合ってくれた。私がパニックを起こしても、冷静に対応してくれた。
 蒼樹さんは私のことを恨んでいてもおかしくないのに、そんなことはおくびにも出さず、接してくれた。
 本当に、感謝してもしきれない。
 だからこそ、もっと会社に貢献できないものか、と思う。
「私も、秋斗様に朴念仁と言われる程度には、恋愛とは無縁の人間ですよ」
 その声に、蔵元さんの方を向く。と、
「そんな自分からすると、秋斗様のようにたったひとりの女性を一途に想えることが羨ましい」
 心の底からそう思っているような声音だった。
 そして、「羨ましい」という言葉に共感する。
「私も、です……。桃華さんや翠葉さんを見ていると、羨ましいな、と思います。ふたりとも笑顔がキラキラしていて――あの輝きは、恋をしているからなのでしょうか。それとも、好きな人に想われているからなのでしょうか」
「両者相まって、かもしれませんね。何にせよ、独り身には眩しすぎます……」
 本日二度目のため息混じりの言葉に、私は笑った。
「それはそうと、秋斗さん、何か心境に変化がありましたか?」
「それは、恋愛の意味で?」
「えぇ……。昼食のとき、とても穏やかな視線を翠葉さんと司さんに向けていたのが印象的で……」
「そうですね……。婚約した直後は結構きてましたけど、最近は少し落ち着いたように見えますね。それでも、御園生家で夕飯を食べることは続けているようなので、どうなんでしょう? この旅行中にちょっとつついてみましょうか」
 そんな会話をしてから、私たちは次なる本へと手を伸ばした。

 私は本を読んでいる途中で眠ってしまったらしい。気づくと、川原には私と蔵元さんしか残っていなかった。
「あ、起きましたか?」
「……すみません。気づいたら眠っていたみたいで……」
 今まで人前で転寝うたたねしてしまうことなどなかったのに……。
 私、そんなに疲れてるのかしら? それとも、それほどまでに気が緩んでる……?
「ニューヨークから直行便だったにしても、フライト時間は十四時間です。そのあと一時間半の移動に勉強でしょう? 疲れていないわけがない。身体は案外正直なものですよ。時差だってあるんですから」
「……秋斗さんたちは?」
「少し前に別荘へ戻りました」
「起こしてくださればよかったのに……」
「自分もあと少しで本が読み終わるところでしたし、何よりも気持ちよさそうに寝ている雅さんを起こすのは憚られましたもので」
 恥ずかしく思いながら手櫛を通し髪を整えると、
「あぁ、焼けてきましたね……」
 蔵元さんの言葉に視線を上げる。と、川と空がきれいなピンク色に染まっていた。
「海外ではこんな空は珍しくないですか?」
「そうですね……。時折こんなふうに空が染まることがあります。……でも今日の夕焼けは――」
 今まで見たどの夕焼けよりも美しい。
「雅さん?」
「あっ……あまりにもきれいで――」
「えぇ、本当に……」
 言いながら、蔵元さんは夕焼けへ視線を戻した。
 その横顔を見ながら思う。
 この光景がこんなにも美しく見えるのは、きっとひとりではないから。一緒にその景色を見て、「美しい」と話せる人がいるから。それはとても幸せなことだ。
「今ごろ、翠葉お嬢様は写真を撮られているでしょうか」
「そうですね……。こんなにきれいな光景をみたら、翠葉さんは写真を撮らずにはいられないでしょうね。翠葉さん、とってもすてきな写真を撮られるんですよ」
「噂には聞いているのですが、自分はまだ一枚しか見たことがないんですよね」
「それはもったいないです。あとで見せてもらいましょう?」
「そうしましょう」
 写真、か……。
 連写音とフラッシュは恐怖でしかないけれど、その条件さえはずすことができれば写真に写ることができた。
 楽しい状況下で写真を撮ることを繰り返していたら、連写音やフラッシュを克服できたりはしないだろうか。
 一度ネガティブに偏ったイメージは、ちょっとやそっとのことではポジティブなイメージには変えられない。それがネガティブバイアス――
 でも、上書きすることが不可能なわけではない。
 いつまでも怯えていたくはないし、この旅行の思い出を欲しいとも思う。
 ならば、がんばるべきではないの? 努力を、重ねるべきではないの? 
 こういうことも、「自分と向き合う」ということではないの……?
 逡巡していると、蔵元さんに名前を呼ばれた。
「どうかしましたか?」
 私はす、と息を吸い込み、意を決して蔵元さんを見上げる。
「今日は集合写真しか撮りませんでしたけど、これから写真を撮りながら過ごしたら、旅行が終わるころにはアルバムにできるほどの写真が集まるでしょうか……」
 自分に課したハードルが思ったよりも高くて、最後は少し声が震えた。
「アルバム、ですか?」
「はい、アルバムです。あとで見返すことができたら、楽しかった時間を思い出しやすくなるな、と思って……」
 いやな出来事は、すべて楽しいことで上書きしてしまいたい。少しずつでいいから、払拭していきたい。
 そんな思いで口にすると、柔らかな眼差しが返された。
「いいですね。あとでみんなに話しましょうか」
 そう言って笑った顔がお日様のようにあたたかくて、緊張を纏った心がわずかに緩んだ。


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Update:2021/01/02

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