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光のもとでU+

迷路の出口

Side 藤宮雅 15話

 写真を撮ったあと、桃華さんはディスプレイを見たまま何か考えているようだった。
「どうかした?」
「えっ? あっ――えぇと……蒼樹さんに見てほしいなって思ったんですけど、今はサバゲーの最中だから……」
 チークとは違う、自然の赤みが頬に差す。
 そんな彼女をかわいく思いながら、
「じゃ、メールとかLINEは?」
「あっ!」
「それなら、やっぱり桃華さんひとりの写真のほうがいいと思うわ。撮ってあげる」
 とは言ったものの、普段人を撮ることなどない私に、果たして上手に撮れるだろうか。
 カメラアプリを立ち上げた状態でスマホを渡され、しばし悩む。
 背景は白い壁がベストよね……。そのほか気にすることは――光の加減、かしら?
 陽が直接当たると、光が強過ぎてメイクの質感も色味も飛んでしまう。でも、陽の当たらないところで撮ると、暗さが気になる。
 ディスプレイを見て唸っていると、ディスプレイの端にプラスとマイナスの記号が表示されていた。何気なくそれをタップすると、明るさの調節を行う機能であることが発覚する。
 便利な機能があるものね……。
 できる限りの工夫をして写真を撮り、桃華さんへスマホを差し出す。
「気に入らなかったら遠慮なく言って? 何度でも撮り直すから」
 そもそも、私が撮るより桃華さんが自分で撮ったほうがいいのではないか――
 不安に思いながら、今撮ったばかりの写真を表示させる。と、ディスプレイに視線を落とした桃華さんはふわっと笑みを浮かべ、
「撮り直しなんてとんでもない! ほら、普段より二割増しくらいでかわいく写ってます!」
 言いながら、桃華さんは自分の顔近くにスマホを並べて見せる。そして、すぐにスマホの操作を始めた。
 きっと、蒼樹さんに写真を送っているのだろう。
 一連の操作が終わると、桃華さんはしばし無言でディスプレイを見つめる。その表情は真剣そのもの。
「……既読になったけど、返答なしです」
 少しむくれて見せる様もかわいい。けれど、それは一瞬のことだった。
 すぐに「でも」と続け、
「ゲームの最中じゃ返信なんてできませんよね」
 桃華さんは私に同意を求めることなく、スマホから意識を逸らした。
 あぁ……こんなふうに相手のことを考えられる子だからこそ、学生ほど時間に融通の利かない社会人が相手でも、お付き合いすることができるのね。
 互いを思いやることができるなら、年の差はさほど問題にはならないのかもしれない。
 そんなことを考えていると、
「今――十時過ぎですね。このあと、何をして過ごします?」
 桃華さんに訊ねられ、部屋の掛け時計に目をやる。と、確かに十時を少し回ったところだった。
「そうねぇ……。翠葉さんたちは何をしてるかしら……?」
「さあ……。今のところ、連絡は来てませんけど」
「稲荷さんにうかがったら教えてもらえるかもしれないわね」
 二階へ上がると、朝食の片付けが済んだらしい稲荷さんが、銀色の保冷バッグに食材を詰めているところだった。一方、リビングの片隅では鈴子さんが掃除用具を手にしていた。
「お嬢様方、リビングでお過ごしになられますか?」
「いえ。今、翠葉さんたちが何をしているのかご存知ですか?」
「先ほどご連絡をいただきまして、これから朝食をお持ちするところでございます」
 にこやかに答える稲荷さんとは反対に、桃華さんは麗しい顔を歪ませる。
「藤宮司が寝坊とか考えられないのだけど……」
「本当ね。司さんは決まった時間に目覚ましも何もなしに起きていそうなイメージだわ」
「ですよねっ!?」
 そこからすると――
「もしかしたら、翠葉さんが疲れていたのかも……?」
「……あぁ、それなら納得です。あの男、翠葉にだけはごく甘ですから。翠葉を気遣って起き出す時間をずらしたというのなら、大いに納得……」
 桃華さんの見解に声を立てて笑う。と、ふと思い出したことがあった。
「ふたりがこれから朝食なら――稲荷さん、納涼床って――」
「今はどなたもご使用になられておりません」
 だったら、
「桃華さん、私たちは納涼床へ行ってみない?」
「賛成ですっ!」
「それでは、後ほどお茶菓子とお飲み物をお持ちいたしましょう」
 鈴子さんにそう言われ、私たちは歩いて納涼床へ向かった。

 陽だまり荘から納涼床までは、徒歩十五分ほどの距離だと言う。
 すでに高いところまで昇った太陽は、容赦ない光を放っていた。しかし頭上には、それを遮ってくれる深緑の枝葉がある。
「自然の中って気持ちがいいものね……」
 サラとランディの散歩で行くセントラルパークも緑が多い。けれど、人工的につくられた公園と山中の自然は根本的に違う。
「本当に! 翠葉が全力で森林浴を推すのもわからなくないですよね。あっ! あそこですよ!」
 桃華さんが指差した先にはオフホワイトのラグが敷かれたスペースがあり、ラグにはしっかりとしたつくりの木製トレイやクッションが配置されている。
 テレビ越しに見ていた納涼床とはずいぶん違う趣ではあるけれど、
「ちゃんと川の上……」
「端の方へ行くと、足を川に浸すこともできるそうですよ」
 桃華さんの説明に視線を移すと、一段低くなっている場所があり、そこからなら川の流れに足を浸せそうな高さだった。
 床の下を川が流れてるとはいえ、炎天下ではさすがに暑かっただろう。けれども、川岸に生えている木の枝がいい具合に伸びており、納涼床には葉の影ができていた。
 これなら日焼けの心配をする必要もなさそうだ。
 気になる場所を存分に観察してからクッションに腰を下ろすと、五分としないうちに鈴子さんがやって来て、お茶が入ったポットと涼やかなグラス、かわいらしい焼き菓子をトレイにセッティングしてくれる。
「「ありがとうございます」」
 鈴子さんはにこりと笑って、
「お茶がなくなりましたらご連絡ください」
 そう言うと、すぐに軽トラックに乗って管理棟へと戻っていった。

 お茶を口に含んだ桃華さんは佇まいを直し、こちらを向く。
 何かと思って私も姿勢を正すと、思いもしないことを訊ねられた。
「翠葉たち、どんな会話をして過ごしていると思います?」
「え……? 翠葉さんたちが何……?」
「あのふたりがどんな会話をしているか、雅さんは想像つきますか?」
 訊かれた内容は理解したけれど、いったいどうしてこんな話題になるのか。
 瞬きを繰り返し桃華さんを見ていると、
「私、あのふたりがどんな会話をしているのか、未だに想像できないんですよね」
 まるで、「想像できないこと」がもどかしいことのように話す。
 でも確かに、司さんも翠葉さんも口数が多いほうではないし、みんなでいるときも、司さんは翠葉さんの体調を気遣っていることが多く、普通の会話をしているところを見たことがない――ような気はする……。もっと言うなら、みんなでいるとき、ふたりが率先して会話に加わることはないのだ。司さんも翠葉さんも、話しかけられたら応じるといったふう。私とふたりきりで話すときには相応の会話量があるけれど、大人数になると翠葉さんは口を噤み、人の発言を聞くに徹する傾向にあった。
 けど、稲荷さんの話ではこれから朝食とのことだったから、
「ふたりは今ごろ朝食を食べているのだろうから、朝食の何がおいしいとか、今日も天気がいいとか――翠葉さんなら、そんな話をしているんじゃないかしら?」
「……ですねぇ……。翠葉がどんなことに気を留めて、話題にするのかは想像できるんですけど、それに対する藤宮司のイメージが掴めなくて……。私、翠葉と出逢ってからずっとあのふたりを見ているんですけど、普段からそんなに会話をしてる感じじゃないんですよね。私たちと一緒にいても、とくに会話してるわけじゃなくて、藤宮司は翠葉が視界に入ってればそれでいい、みたいなところがあって――」
「それ、とっても司さんらしいわ」
 思わず笑みが漏れる。
「だいたいにして、あの男が人と付き合うっていうこと自体、未だに信じられない節があって……」
「……まあ、そうね……。司さんは他人に興味を示さない子だったし……」
 でも、そんな彼が唯一関心を示したのが翠葉さんで、十代のうちに婚約まで済ませてしまうほどに、逃したくない相手だったのだろう。そう思うと、なんだか微笑ましく思えるし、ごく純粋に羨ましいとも思う。
「運命の相手」に出逢ったとき、人はそのことに気付けるのだろうか……。
 どうやって、どんなふうに、気付くのだろう……。
 そんな疑問を抱きつつ、桃華さんの顔を覗きこむ。 
「桃華さんは? 蒼樹さんと一緒にいるときはどんなお話をされるの?」
 桃華さんと蒼樹さんは十歳近く年が離れている。普通に考えたら、会話に苦労するのはこちらではないだろうか。
 そう思ったけれど、桃華さんはにこりと笑って話しだす。
「互いが興味のあることを話したり、相手が好みそうな話題を振ったり、流行っている映画の話なんかもしますね。あとは――翠葉の話とか?」
「え? 翠葉さんのお話?」
「えぇ。私たち、翠葉のことが大好きなので! 翠葉のことでしたら話が尽きることはありません」
 自信たっぷりに言われたけれど、それは一般的と言えるのだろうか……。
 ……でも、一〇〇組のカップルがいれば一〇〇通りの付き合い方があるのだろうし、互いの家族が話題にあがるのはさほどおかしいことではないのかもしれない。
「雅さんは? お付き合いされてる方はいらっしゃらないんですか?」
 期待に満ちた目で見られ、困ってしまう。
「いたらいいのだけど、現実は厳しいわね……。第一、出逢いがないもの」
 ため息をついて見せると、桃華さんは「ご冗談を」と笑った。
「藤宮は十八歳を迎えると、絶え間なく縁談が来るのでしょう? そのくらいのことは存じてます。あっ、それとも、お見合いは『出逢い』に換算しない派ですか?」
 無邪気に話す桃華さんになんと返答したものか……。
 困った私は愛想笑いでごまかした。
 父や継母に存在を認められていないことくらいわかっていた。それでも、世間体を繕うようにいくつかの習い事をさせられている時点で、「持ち駒」程度には思っているのではないかと思っていた。けれど、それもなかった。現に、私には縁談のひとつも来ることはなかったのだから。
 本家の血を引く父の実子であろうと、私はどこの馬の骨とも知れない女が産んだ子ども――
 それ以上でもそれ以下でもなかったのだ。
「そうだ!」
 桃華さんの声に思考を遮られ、反射的に顔を上げる。と、
「雅さんは語学が堪能とうかがったんですけど、何ヶ国語喋れるんですか?」
 それまでの話とはまったく関係のない話を振られて驚く。
 桃華さんは何事もなかったように笑っていて、私を見る目に慈愛を感じた。
 あぁ、私はこんな年下の子に気を遣わせてしまったのね……。
 普段、人前で物思いに耽ることなどないのに、緑山に来てからというもの、ずいぶんと気が緩んでいるのではないか。
 そんな自分を意外に思いつつ、桃華さんが振ってくれた話に乗じることにした。
「……今のところ、母国語を抜かせば五ヶ国語ね。英語、フランス語、イタリア語、ドイツ語、中国語。ほかにも勉強しようと思っていたのだけど、それならビジネス用語や専門用語の語彙を増やして、交渉をもっと有利に運べるようにするのが先決かと思って、今はそういう勉強をしているところよ」
「お仕事しながら勉強もなさっているだなんて、すごいですね」
「これは性分かもしれないわ。私、勉強をしていないと落ち着かないの」
 肩を竦めて見せると、桃華さんはクスリと笑った。
「私も活字中毒なので、お気持ちはわかります」
「私のこれは、活字中毒とはちょっと違うかもしれないわ。もともとなんの取り得もない人間だから、常に知識を摂取してないと不安で……」
「取り得がないなんてご謙遜を。六ヶ国語も話せて支部長まで務められて、心理学にも精通していらっしゃるのでしょう?」
「でも、本当にそれだけなの。たとえば翠葉さんのように、人生に深みを持たせられるような趣味はひとつもないし、仕事がなくなったら何もなくなっちゃうわ」
「仕事も取り得のひとつだと思いますよ」
「そう言ってもらえると嬉しいけれど、何か趣味らしい趣味が欲しいところね」
 そんな会話をしては、鈴子さんが持って来てくれたアイスティーを口に含んだ。
「雅さん、お花はお好きですか?」
「花……? あ、華道のこと?」
「華道に限らず、『花』です」
「えぇ……。生花は好きだけれど……?」
「でしたら、次回帰国なさった際には私にもご連絡を。一緒にお花を愛でましょう? お花がお好きでしたら、展覧会を見て回るだけでも癒されますし、目で見て楽しむこともできます」
 あぁ、やっぱり気遣われている。
「……なんか、ごめんなさいね? 翠葉さんから聞いているかもしれないけれど、私、人付き合いにブランクがあって、相手を楽しませられるような会話ができなくて――」
 申し訳なく思いながら口にすると、桃華さんは目を伏せて口元に笑みを浮かべた。かと思えば、すぐに目を開きこちらを見る。
「翠葉と同じですね」
「え……?」
「翠葉が藤宮に入学してきたとき、今の雅さんと同じようなことを言ってました。でもひとつ訂正を――翠葉は人のことをペラペラ喋るような子じゃありません。相手が親友だろうとフィアンセだろうと、友人のウィークポイントを簡単に話す子ではないんです。だから、雅さんの事前情報はFメディカルのメンバーから得たものが大半で、翠葉からは『すてきなお姉さん』としかうかがっていません」
 その言葉に唖然とした。
 あんなにひどいことをした私のことを、「すてきなお姉さん」と話していることにも驚くし、何も知らない桃華さんの対応にも驚く。
「最近の高校生ってこんなに気が回るものなのかしら……?」
「どういう意味です? あ、翠葉の配慮というかあれは、天然物の優しさでしかないですよ? 何か意図して行動してくれているならまだ読めるんですけど、翠葉は感じたままに行動しているだけなので、いまいち行動が読めないんですよね。だから癖になるんですけど」
 そう言って笑う桃華さんは、本当に翠葉さんのことを好いているのだなと思えた。
「いい子の周りには、いい子が集まるものなのね……」
「それ、私のことを『いい子』っておっしゃってます?」
 本心から頷くと、
「だとしたら、雅さんも『いい子』ですね? あぁ、『子』は失礼ですね。だとしたら、『いい人』?」
 首を傾げる桃華さんに、慌てて否定してみせる。
「私、全然いい人じゃないからっ――」
 すると、一際鋭い視線が飛んできた。
「雅さん、卑下はだめです。自分を落とす言動は控えましょう? もっと自信を持ってください。私の親友が、『すてきなお姉さん』って笑顔で自慢するんですよ? その言葉を疑う必要なんて、私にはありません」
 目の前にいる子が年下であるとか、昨日知り合ったばかりの子であるとか、そういうことをすべて忘れ、私はポカンと口を開けていた。
 強い言葉を毅然と言い放つ桃華さんに、心臓を鷲掴みにされた気がしたのだ。
 あぁ、そういえば翠葉さんが言っていた。「飛びきり格好いい友達を紹介します」と。
 確かに、桃華さんは「格好いい」という言葉がよく似合う。
 桃華さんの力強い眼差しは、ふとした瞬間にふわりと緩まり柔らかな笑顔へと変化する。その笑顔に誘われるように、私は口を開いた。
「桃華さん……。私、ずいぶんと年上なのだけど、私のお友達になっていただけるかしら」
 桃華さんはにっこりと笑みを浮かべ、「喜んで」と答えてくれた。


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Update:2021/01/07

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