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光のもとでU+

迷路の出口

Side 藤宮雅 16話

「雅さん、改めておうかがいしたかったんですけど、私、大学でどの国の言語を学んだらいいんでしょう?」
「今私が言えることは、英語は必須――それだけなのよね……」
「え?」
「現在Fメディカルは英語圏でしかビジネスを展開していないの。今後の展望はあるでしょうけれど、現段階では秋斗さんの頭の中にあるのみ。もしかしたら、蔵元さんや唯くんあたりは何か聞いているかもしれないけれど、私は今のところ何も聞かされていないの」
「そうなんですね……」
「だからこの件は、秋斗さんに訊ねるのが一番だと思うわ」
「なら、あとでおうかがいしてみます」
「そうね。夏休みが終わって二学期が始まれば、あっという間に受験だものね」
「ほかに何かアドバイスいただけることはありますか?」
「そうねぇ……。これといったことはないかしら? 秋斗さんたちも、最初からそんなにたくさんのことを求めたりしないはずよ。新人アルバイトは新人アルバイトらしく、少しずつ学んで、少しずつ身に付けていけばいい。強いて言うなら――桃華さんは外国語学部の受験を検討しているようだけど、経営学部を受けるという手もあると思うの」
「経営、ですか?」
「えぇ。これから四年間、秋斗さんたちのもとでアルバイトをするのなら、入社するころには社内のことには粗方精通しているでしょうし、桃華さんは人のサポートをするのが得意よね? それなら、秘書課に配属されることを想定して動くのもありだと思うの。藤宮の経営学部なら、最大三ヶ国語まで選択できるはずよ」
「……不勉強でお恥ずかしいのですが、秘書に経営学って必要でしたっけ……」
「そうね……。一般的な秘書を目指すなら、必要ないわ」
「一般的な秘書、を目指すなら……?」
 私はひとつ頷き言葉を続ける。
「秘書として、周りから頭ひとつ抜きん出るためには相応の知識が必要になるわ。秘書イコール、重役をサポートすることになるわけだけど、サポートする相手が次に何を考えるか、何を欲するか――そのあたりを予想して動けるか動けないか、秘書にとっては大きな分岐点になるわ」
 そんな話をすると、桃華さんは宙に視線を向け首を傾げ始めた。
「あのぉ……今、蔵元さんや秋斗先生に秘書は就いていらっしゃるのでしょうか。蒼樹さんのお話をうかがっている限りでは、そういった方が会話に登場したことがないのですが……」
 私は軽やかに答える。「いないわ」と。
「私が統括するニューヨーク支部にはあるのだけど、現時点で本社には秘書課自体が存在しないの」
「えっ!? じゃ、蔵元さんや秋斗先生のスケジュール管理ってどなたがなさってらっしゃるんですかっ!? ――まさか各自でっ!?」
 腰を浮かし問い詰める勢いで訊ねる桃華さんに、私は苦笑いを見せる。
「各自でしてくれてるならまだいいわ」
「え……? それってどういう――」
「現在は、蔵元さんがスケジュール管理を引き受けているの」
 桃華さんは大きな目をパチパチと瞬かせると、たくさんの疑問符を顔中に貼り付けた。そして、やっと口を開いたかと思えば、
「えぇと……蔵元さんがどなたのスケジュール管理をなさってるんです?」
「ご自身のスケジュールと秋斗さんのスケジュール。それから唯くんのスケジュールだったかしらね? 確か、営業のスケジュールも粗方把握なさってるはずよ」
 桃華さんは絶句していた。
「だって、蔵元さんは社長業に加えて営業までなさって――」
「えぇ、そのとおり……。ちょっと人間業とは思えないわよね? ま、もともと警備会社に勤めているときから秋斗さんと唯くんのスケジュール管理はしていたそうなのだけど、今となっては営業部全体の指揮を執っているのも蔵元さんなのだから、身体がいくつあっても足りないと思うのよね……。できるだけ早くに優秀な秘書をつけるように、って会うたびに進言しているのだけど、回せないこともないからって取り合ってくださらなくて……。そのあたりのサポートをしているのが蒼樹さんなのだけど、蒼樹さんも本業は建築家だし、秋斗さんに振られる膨大な資料収集こなしながらだと、どうしてもサポートしきれない部分があるみたいで……。そこをフォローしてしまうのが蔵元さんだから、もう何がどうなっているのか……。『社長って会社のなんだったかしら?』っていうのが、うちの会社の現況ね。そこで桃華さんにお声がかかったのよ」
「……そうだったんですね。じゃ、私は雑務は雑務でも、ひとまず蔵元さんのサポートをできるように勉強をしていけばいいんですね?」
「そういうことになるわね。何よりも、今一番欲しい『手』は蔵元さんのサポートだと思うわ」
 ちょっとした内情を話すと、桃華さんはそれらを受け止めるべく冷静に頷いて見せた。

 お茶を注ぎ足して空気が変わるのと同時に、話の内容を変えることにした。
 アルバイトの話をしたからだろうか。
 昨夜、蒼樹さんとロフトから戻ってきたときの桃華さんの表情が気になって仕方がなかったのだ。
 年上の私のことすら難なくフォローできてしまうような子が、蒼樹さんにそっけない態度を取っていた。それには何か理由があったと思うのだけど……。
「さっき、メイクの写真を送っていたから、それほど大変なことがあったとは思ってはいないのだけど……。昨夜、蒼樹さんと何かあった?」
 桃華さんは驚いた顔をしてから一度俯き、俯いたままにボソリと零した。
「私、女としての魅力がないんでしょうか……」
「え……?」
 私、今何を聞かされたのかしら……?
 まじまじと桃華さんを見つめると、桃華さんは目に涙を滲ませて顔を上げた。
 その表情に、昨夜の桃華さんが重なる。
 やっぱり、あのとき目が充血して見えたのは、間違いではなかったのだ。
「どれだけいい条件が揃っていても、蒼樹さんは決して私に手を出さない……」
 そう言って、桃華さんは黙ってしまった。
 グラスを握る手には、痛々しいほど力がこめられている。
 それほどまでに、思いつめているということなのだろう。
 でも、どれだけいい条件が揃っていても手を出してもらえない、とはどういうことなのか。
「女としての魅力がない」という言葉と合わせて考えれば、桃華さんが抱えている悩みはわからなくもないのだけど……。
「桃華さん……?」
 心配になって声をかけると、桃華さんは目に涙を滲ませながら少し視線を上げた。
「保護者らしい保護者がいない旅行なんてもってこいだと思いませんっ!? しかも、ひとり一部屋与えられてて、部屋にはバスルームもついていて、隣の部屋の物音ひとつ聞こえないつくりだっていうのにっ」
 これは間違いないだろう……。
 つまり桃華さんは、蒼樹さんと男女の仲になりたいと望んでいるのだ。
 それを蒼樹さんが拒んでいるから自信をなくしている……?
 話をたどっていくと、そういうことになるのだけど……。
「昨夜ロフトで手をつないで星空を見ていて、ものすごくいい雰囲気で、蒼樹さんからキスしてもらえて嬉しくて――自分からキスしたこともあるけれど、ディープキスしたことはなくて、昨夜初めて自分からディープキスしたんです」
 突然の告白にぎょっとする。
 人様の恋愛話など、翠葉さんと秋斗さんの話を聞いたことがある程度。三人目の内容がこれというのは、ものすごくハードルが高くはないだろうか。
 事実、話している桃華さんより赤面している自信があった。
 けれど、桃華さんは私の様子など構わず話し続ける。
「自分から抱きついて、舌を絡めたんです……。すごく勇気が要った。ものすごく、ものすごく
――」
 それは想像できなくもない。私に好きな人がいたとして、その方とお付き合いできることになったとしても、自分からキスをするのは勇気がいるし、それ以上の行為ともなればなおさらだ。
「でも蒼樹さん、応えてはくれなかった……。咄嗟に身体を離して、私から離れて、すごく驚いた顔で私のことを見てました……」
 消えてしまいそうな声と不安げな表情に、桃華さんがどれほどショックを受けたのかは痛いほどにわかる。
 こんなことがあったからこそ、桃華さんの目は赤かったのだ……。
「それでも私、引けなくて――今夜抱いてくださいってお願いしたんです」
 その一言に、私は心臓が止まりそうなくらい驚いた。
 桃華さんは強い――
 私なら、一度の拒絶で諦める。完全に挫けて、きっとその場から逃げ出す。でも桃華さんは、がんばってもう一歩踏み込んだのだ。
「蒼樹さんは首を横に振りました。『できない』って一言口にして……。こともあろうか、『ごめん』って謝ったんです」
 桃華さんは感情の伴わない、乾いた笑いを見せる。
「『できない』はともかく、『ごめん』って……? 私、何に対して謝られたんですか……? 女として見られないってことですか……?」
 桃華さんの声は震えていた。
「今後もそういう関係になるつもりはないっていうことですか……? お付き合いしてもう二年以上経つのにっ!? こんな関係いつまで続くのっ――」
 桃華さんの目から涙がボロボロと零れ、私はたまらず彼女を抱きしめた。
 正直、恋愛はよくわからない。でも、人に拒絶されるのは怖い。すごく、怖い。それが、自分が慕う相手ならばなおさらに。私なら、「絶望」を感じてしまうかもしれない。
 桃華さんは今、この細い身体にどれほどの恐怖を抱えているのだろう――
 私が桃華さんなら、昨夜ロフトから下りたらすぐに自室へ引きこもったと思う。でもこの子は、目を充血させるに留め、戻ってきた場で振られたアルバイトの話しに乗じ、周りの人間に気を遣わせることもなく、その場の人たちと変わらない調子で会話を成立させていた。
 朝起こしに来てくれたときだって、こんな感情を抱えていることを微塵もうかがわせなかった。それは朝食の席でも……。
「……つらかったわね」
「雅さん、私、どうしたら――」
 こんなとき、どんな言葉をかけてあげたらいいのだろう。
 人付き合いをしてきていない私には、難しい……。
 心理学に精通していても、すべての悩みに応えられるわけではないのだ。
 男性の気を引くための言動など、ありていなものは確かにある。けれど、こういったデリケートな問題はケースバイケースで、安易にパターンに当てはめることはできない。
 何よりもこの分野において、アドバイスできるほどの経験値が私にない。
 そんな私にできることと言えば、「傾聴」――桃華さんの話を聞くことくらいなもの。
 私は何を言うこともできずに桃華さんの背中を擦っていた。
 研修のときに会うことが多かったから、蒼樹さんの人柄は知っている。秋斗さんが言ったとおり、とても誠実で面倒見のいい方だった。
 それ以上のことは知らないけれど、わかることもある。
 あんなにも思慮深く誠実な人が、このうえなく大切にしている妹の友人と、中途半端な気持ちでお付き合いをするわけがない。
 普通のカップルがどのくらいの交際期間を経て一線を越えるのかはわからない。でも、二年間お付き合いしていて桃華さんとそういう関係にならなかったのは、蒼樹さん側に何か理由があるからなのではないか。
「やっぱり……八歳も年下だと、そういう対象には見てもらえないんでしょうか。色気が、足りないんでしょうか……」
「そんなことないっ。同性の私から見ても、桃華さんは十分魅力的な女の子だと思うわ」
「でもそれは、同性から見た感想ですよね……?」
 そう口にしたあと、桃華さんは涙を零し、口元を緩めた。
「なんて……。だめですね、私。さっき雅さんに『卑下はだめです』って言ったその口で、こんなことを言っているのだから……」
 私は必死に頭の中で文章を組み立てていた。
「桃華さん、私は蒼樹さんじゃないし、蒼樹さんの話をうかがったわけではないから『正解』を答えることはできないけれど、ひとつだけ言えることがあると思うの。蒼樹さんほど思慮深く誠実な方が、自分が大切にしている妹の友人と、中途半端な気持ちでお付き合いされてるとは思えないわ。それに、蒼樹さんが桃華さんを見る目は、確かに恋人へ向けるそれだと思った」
 このふたつだけは自信を持って言える。
「えぇ……。わかっています。蒼樹さんに想われている実感や、好意を向けられている実感はあるんです。でも、私が求めるものとは違うんですよね……」
 確信があるわけではないけれど、薄々気付いてはいる。
 蒼樹さんはおそらく、「年齢差」や「世間体」を気にしているのではないか、と。
 世間一般的に、「高校生」と「社会人」の恋愛はシビアな目で見られることが多い。
 社会人の蒼樹さんからしてみたら、「ネック」と言わざるを得ない。「リスク」とも言えるだろう。
 これほどまで頭が回り、相手のことを考えられる桃華さんならば、このくらいのことはわかっていそうなものだけれど……。
 それをも上回る気持ちを持て余している、ということなのだろうか……。
 桃華さんの背中を擦っていると、ぐすぐすと鼻を啜った桃華さんが私から離れ、
「取り乱してすみませんでした……。こんな相談、されても困っちゃいますよね」
 桃華さんは無理に笑顔を作った。手の甲で涙を拭う桃華さんを、もう一度抱き寄せる。
「あのね、困っているわけじゃないの。そいうわけじゃ、ないの。ただ、こういう相談をされたことも初めてで、どう返答したらいいのか少し悩んでしまっているだけで、決して困ってるとか、迷惑とか、そういうことではないのっ」
 抱き締める腕に力が篭ると、胸元で桃華さんが「ふふ」と笑った。
「雅さん、必死すぎです……」
「……必死にもなるわ。だって桃華さんは、翠葉さんの次にできたお友達なのよ? 私にとってはかけがえのない友人なのだから……」
 桃華さんの目を見て話すと、桃華さんは泣き笑いで「嬉しい」と口にした。


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Update:2021/01/08

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