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光のもとでU+

迷路の出口

Side 藤宮雅 23話

 夕飯が終わると、皆が協力して食器類を片付け始める。
 キッチン側のテーブルへすべての食器が集まると、流しへ運ぶ役は司さんが買って出た。それを手伝う翠葉さんは、流しに積み重ねられていく食器を見ては、どこか落ち着きがない。そんな翠葉さんに気付いた司さんは、
「翠はデザートプレートをみんなに配って」
「あ、はい」
「私も手伝うわ」
 そう声をかけ、翠葉さんの補助に回ると、食器を下げ終わった司さんが飲み物の準備を始めた。
 司さんが食器棚から取り出したのは、コーヒードリッパーとポット。それから、複数のコーヒーカップと一客のティーカップ。
 おそらく、ティーカップは翠葉さんのために用意したのだろう。
 司さんはコーヒーを淹れながら、
「翠はカモミールティー? それともミント?」
 翠葉さんは控えめに笑みを浮かべ、
「口をさっぱりさせるのにミントティーにしようかな」
 言いながら、昨日秋斗さんに渡された缶へ手を伸ばした。そのとき、
「翠葉ちゃん」
 秋斗さんがにこやかに近づき、
「翠葉ちゃんはハーブティーでいいの? コーヒー、飲みたくない?」
 いいも何も、翠葉さんはカフェインが摂れない体質で――
 何を言い出すのかと秋斗さんをまじまじ見ると、秋斗さんは後ろ手にゴールドの袋を隠し持っていた。
 それを目にした瞬間、秋斗さんがしようとしていることがわかったし、昨夜と同じ展開が想像できてため息をつきたくなる。
「……正直に言えばコーヒーが飲みたいです。でも――」
 秋斗さんはさりげなくゴールドの袋をテーブルへ載せる。
「デカフェのコーヒー豆。稲荷さんに手配してもらった」
 翠葉さんは驚きに目を見開き、秋斗さんはその様子を満足そうに見つめながら、
「だから、みんなと一緒にコーヒーを飲もう?」
「はい! ありがとうございます」
「どういたしまして。じゃ、カレーをごちそうになったお礼に、翠葉ちゃんのコーヒーは俺が淹れさせてもらおうかな?」
 そう言うと、秋斗さんは食器棚へ向かって歩き出した。
 翠葉さんはにこにこと嬉しそうな顔をしているし、司さんは昨日以上に負のオーラを放っている。
 苛立っているのは目に見えて明らかだけれど、これは秋斗さんに対して苛立っているのではなく、昨日秋斗さんにしてやられたにも関わらず、今日もそういう場を与えてしまった自分に対する苛立ちかもしれない。
 ドリッパーを取りに行った秋斗さんは、そんな司さんを少し離れた場所から見てクスクスと笑っていた。
 あぁ、なんて性格の悪い……。
 でも、これが秋斗さんなりの司さんのかわいがり方で、教育の仕方なのかもしれないと思うと――司さんが不憫でしかないわね……。
 この状況をほかの人はどんな目で見ているのだろう。
 さりげなくリビングにいる男性三人に目をやると、「またこの人は……」といった顔をしているのが蔵元さんで、唯くんと蒼樹さんは「秋斗さんらしい」といった感じで唯くんは無邪気に笑い、蒼樹さんは苦笑を浮かべている。桃華さんはというと、あからさまに「ざまあみろ」といった顔をしていて、納涼床で見た慈愛に満ちた女神のような彼女はどこへ行ってしまったのか――
 デザートプレートがみんなに行き渡ると、蒼樹さんは桃華さんを誘って外へ出た。
 ウッドデッキにはガーデンテーブルなどもあると言っていたから、そこで食べるつもりなのだろう。
 屋内はというと、司さんに追いやられた秋斗さんはリビングで蔵元さんと唯くんと一緒にケーキを食べ始め、私はカレーを食べたときと同じ席に着き、ダイニングで翠葉さんと司さんと一緒にケーキをいただいた。
 そのとき、翠葉さんがケーキにリキュールが使われていないことをひどく喜んでいて、本当に少しのお酒もだめなのね、と思う。
「私密かに、翠葉さんが成人したら一緒にお酒飲むの、楽しみにしていたのよ?」
 翠葉さんはクスクスと笑って、
「お酒は飲めませんけど、カクテルにはアルコールが使われていないノンアルコールカクテルというものもあるのでしょう? それだったらたぶん飲めるので、成人したらご一緒させてくださいね」
 そうかわいくお願いされた。
「そうね……。世の中にはノンアルコールカクテルなんてものもあったんだわ……」
 ノンアルコールカクテルを開発してくれた人に感謝の念を覚えると、
「翠はアルコールの味や匂いもだめじゃなかった?」
 司さんが口を開き、会話に加わった。
「うん……。ものすごくアルコール臭がするところはちょっと……」
「それなら個室を予約したり、席を選べば大丈夫だと思うわ」
 邪魔はさせまい――そんな気持ちでフォローに回ると、
「そうじゃなくて――」
「「え?」」
 私と翠葉さんは声を合わせ、司さんを見る。司さんはその視線を受けて、
「ノンアルコールカクテルとはいえ、アルコールっぽい香りや味付けのものもあるって話」
「「そうなの……?」」
 またしても声を揃え、私と翠葉さんは顔を見合わせた。
「私、ノンアルコールは飲んだことがなくて、味とか香りのことまで知らないのよね……」
 司さんは小さくため息をつき、
「一例として、普段はアルコールを飲んでいても、状況によってアルコールを摂取できない人間がノンアルコールをオーダーする。そういう人間は、アルコールを飲んでいるような感覚や雰囲気を楽しめるものを求める。つまり、ノンアルコール飲料の中には、そういうニーズに応えるために味や香りをアルコール飲料に寄せているものもある。一方、数種類の果汁ジュースを混ぜただけのカクテルもあるから、翠が飲むならそっち系のものを選択する必要があるってこと」
「……ツカサ、物知りね?」
「翠が知らなさ過ぎるだけじゃない?」
 その言葉に翠葉さんは私を見て、「雅さんは知ってましたか?」と言った視線を投げてくる。私は知らない旨を示すため、首を左右に振った。そして、
「少なくとも、この場で知っているのは司さんだけよ?」
 司さんはこめかみに指を当て、
「翠はそういう場に行くつもりがあるなら最低限の情報を収集してから行くべきだし、雅さんもアルコール不耐症の人間を連れて行くなら、知識として知っておくべきだと思います」
 もっとも過ぎる意見に、私も翠葉さんも口を噤まざるを得なかった。

「ねっ! 花火花火っ! 花火しよっ!」
 弾んだ声に背後を振り向くと、ケーキを食べ終えたらしい唯くんが、花火を両手に掲げ立っていた。
「唯、さっき稲荷さんからスパッタシート受け取っただろ? それを敷いてからにしろよ」
 確かに、稲荷さんから何かを受け取っているところは見ていたけれど、
「「スパッタシートって……?」」
 またしても翠葉さんと声が重なる。
 秋斗さんは「くっ」と喉の奥で笑いを噛み殺し、
「ウッドデッキの上で火を使うとウッドデッキが傷むから、それを防ぐための防火シートってところかな?」
 なるほど……。
 真白さんが大切になさっている場所だものね。ウッドデッキひとつとっても、きれいにメンテナンスされているのかもしれない。
 夕方に星見荘へ来たとき、屋内から外の様子は少し見えたけれど、泉の美しさに気を取られて、ウッドデッキの状態までは観察していなかった。
 外はもう暗いけれど、どんな感じなのかしら……?
 少し気になって窓の方へ視線を向けると、外で食べていた蒼樹さんがプレート類を下げに戻って来た。
「あんちゃん、花火花火っ!」
「わかったわかった。でも唯、食器を下げてからにしな」
「えー……あとでやるから〜っ!」
「片付けが先」
 そんなやり取りを見れば、本当の兄弟にしか見えない。すると、
「ああもう、うるさいから唯は花火の準備でもしてろ。食器は俺が下げる」
 蔵元さんが痺れを切らして「行った行った」と唯くんを追いやると、唯くんは喜び勇んでスパッタシートを取りに玄関へ向かった。
「蔵元さん、すみません……」
「蒼樹くんが謝ることじゃないでしょう? それに――」
 蔵元さんはシートを持ってバタバタと外へ走り出ていった唯くんを見ながら、
「唯には普段から結構な仕事を振ってますからね。休暇中くらい騒がせてやってもいいのかな、と思いまして」
「……でも、仕事振れば振った分だけ文句も言うでしょ?」
「よくご存知で……。でもそれは、警備会社にいたときからですね。けど、唯は文句言って悪態ついても何しても、結果的には納期に仕事を間に合わせる人間なんで、そのあたりは買ってます」
 蒼樹さんは一瞬無言になり、
「蔵元さんってすごいですよね」
「は?」
「いや、だって――秋斗先輩に唯ですよ? あのふたりを操縦できる人ってそういないと思うんですよね……。なんと言っても癖がっていうか、灰汁が? 強いじゃないですか――」
 首を傾げながらも真顔で口にするから、思わず笑ってしまった人間が三人。私と翠葉さん、司さんだ。
 リビングのソファでくつろいでいた秋斗さんは、
「ちょっと蒼樹くん? 俺、仮にも君の先輩なんだけど……? もうちょっと敬ってよ!」
「先輩は先輩なんですけど――先輩……いや、もう『友人の域』って先輩も言ってたじゃないですか」
 最後の最後で開き直った蒼樹さんに、蔵元さんがくつくつと笑い出す。
「秋斗様、大変優秀で、性格のおよろしい友人がおできになられて良かったですね」
 そう言うと、手に持っていたプレートをテーブルに置いた。
「あとはお願いしても?」
 蔵元さんが訊ねると、司さんが無言で頷く。
 けれど、すでに流しはいっぱいで、ケーキプレートは作業台へ置くしかなかった。
 それらを見た翠葉さんは、やっぱり落ち着きなくそわそわしていた。そして、「よし」と小さく口にすると、流しへ向かって手を伸ばす。
 このとき、ようやくわかった。
 さっきから翠葉さんが気にしていたのは、流しに嵩む使用済みのプレート類だったのだ。
 あかり先生もそうだけれど、流しは常にきれいにしておきたい人種がいる。きっと翠葉さんも、そちら側の人なのだろう。
 納得したのは私。止めに入ったのは司さん。
「翠、やらなくていい。稲荷さんを呼ぶ」
 ……ふむ、なるほど。確かに、こういうことは彼らの仕事でもある。けれど翠葉さんは、半信半疑と言った様子だ。
「……本当に呼ぶの? お皿を片付けてもらうために?」
「こういうことが彼らの仕事だから。それに、翠が素手で中性洗剤使ったらどうなる?」
 え? どいうこと……?
 翠葉さんはものすごく言いづらそうに、「かぶれる」と口にした。
「なら、そういう行動は控えて」
「はい……」
「外、だいぶ冷えてきてるから上にパーカ――いい、俺が取ってくる」
 司さんは踵を返し、ベッドルームへと歩き出した。
 その背を見送っていた翠葉さんはすぐに流しへ視線を戻し、
「こういうことが彼らの仕事……」
 司さんに言われた言葉を小さく口にした。
 今、私の場所からでは翠葉さんの表情は見えない。でも、翠葉さんがものすごく戸惑っているのは、その背中と声から察することができた。
 私は藤宮の「普通」も、一般家庭の「普通」も知っている。でも翠葉さんは、一般家庭の「普通」しか知らないのだろう。
 翠葉さんのお母様のご実家は「城井家」で、城井家なら使用人を数人雇っていてもおかしくはない。だから、使用人のいる家を翠葉さんが知らないわけではないのだろう。それでも、使用人がいる家庭は、翠葉さんにとっての「日常」ではないのだ。
 一時栞さんが翠葉さんたちのお世話をしていたことは聞いているけれど、関係性からしてみても、「使用人」という感じではなかったのだろうから、やっぱり「使用人がいる日常」は翠葉さんの中で「普通」ではないのだ。
 ……こういう部分でなら、力になれるかもしれない。
 そう思った私は、翠葉さんがこちらを向くようにクスクスと笑い声を立てる。と、翠葉さんは予想通りにこちらを向いた。
「司さん、本当に翠葉さんが大切なのね。でも、口下手が過ぎるのも困りものね」
 そんなふうに声をかけ、空気が軽くなるように笑って見せる。すると、翠葉さんは私に合わせるように笑みを浮かべた。
「司さんの言ったことに間違いはないわ。ここは真白さんの要望で建てられた別荘だけれど、陽だまり荘同様に、本当ならハウスキーパーの一切を稲荷夫妻が担うの。それが彼らの仕事であり、ここ一番の腕の見せ所なのよ」
 翠葉さんは閉じていた口を少し開け、意識して一度閉じると、意を決したように口を開く。
「だとしたら、私は稲荷さんたちの『見せ場』を奪ってしまったことになるんですね……」
 私の説明の仕方や言葉のチョイスが悪かったのかもしれない。でも本当に、こういう思考回路――人のことばかり考えてしまう子なのね。
 暗い面持ちの翠葉さんを前に、私は意識して明るい声を発する。
「そこまで深く考える必要はないわ。自分たちで料理がしたいならそう言えばいいし、ふたりで過ごす空間に立ち入って欲しくなければそう伝えればいい。ただ、今みたいにこれからみんなで花火をやりましょうっていうときならば、稲荷さんたちにお願いしてしまえばいいの。私たちは甘えられる限り、甘えてしまえばいいのよ」
 そんな深刻になる必要はない――そう伝えたかった。伝えられただろうか……?
 翠葉さんの顔を見ると、ほんの少し表情が柔らいだ気がした。そこへ、
「リィっ! 雅さんっ! 花火やるよっ! 花火っっっ!」
 窓から顔を出し、「おいでおいで」と手招きする唯くんを見て、
「行きましょうか?」
 翠葉さんに声をかけると、「はい!」と笑顔が返ってきた。


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Update:2021/01/24

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